ふるさとの遊び 1 たっきゅう

 

たっきゅうは「卓球」と書きます。
卓のうえで球が行ったり来たりするので「卓球」。
ところで、
わたしが子どものころ、弟と遊んだたっきゅうは、卓がないので卓球ではない。
いわば、卓無しの卓球、無卓球。
どうするかといえば、
家の中の庭がコンクリート(けっこうな広さ)だったので、
消し炭でてきとうに線を引き、それを卓球台に見立てて、ピンポン玉をやり取りする。
ラケットもありませんから、
てきとうな板の切れ端をラケット代わりに使用。
むかしの農家(いまもかも知れませんが)
では、
子どもが遊ぶための道具、板の切れ端とか、消し炭とか、
さがせば何となくそれらしいものが見つかった。
ピンポン球はさすがに代用できるものがありませんから、
近くの店で調達しました。
田舎でしたが、
ピンポン球は売っていたと記憶しています。
(なんでピンポン球が売っていたんだろう?)
試合開始!
卓無しのたっきゅうに、
だんだん夢中になっていきました。
いつしか試合は白熱し、
消し炭で書いたフニャフニャのラインを、恨めしく思ったり、ラッキー!
と思ったり。
弟は年齢がわたしより三つ下で、
子どもの頃の三歳の違いは相当なものだと思うのですが、
弟の場合、
何ごとによらず、運動神経がよかったので、
三つ下であることを意識したことがありませんでした。
生来寂しがり屋だったわたしは、
弟によってどれだけ救われたか分かりません。

 

・春近し厨の音の弾むかな  野衾

 

地図帳のこと

 

小学校でも中学校でも、教科書といっしょに地図帳も支給された
ように記憶しているのですが、
先生から、
地図帳の○○ページを開くように、
と指示されれば開きますが、それ以外に、じぶんの興味から地図帳を開いたことが、
自慢ではありませんが、ありません。
地図帳を開かなくても、
社会科の勉強に際してとくに問題を感じることがなかったので、
以来、
時間ばかりがたって、きょうに至りました。
あるとき、ふと、
地図帳って、どうなんだろう?
子どものころからまったく興味を持ったことがなかったので、
不意に湧いた興味に我ながら驚いた。
そこで、どうしたか。
買いました。
帝国書院からでている『最新基本地図 世界・日本 44訂版』。
大判なので、けっこう重い。
でも、印刷がきれいだし、見やすい。
さて、
まったく恥ずかしいことを書きますが、
この県とこの県て、隣りあわせだったの? え、そうなの?
そんな感じ。
また、これまで修学旅行をはじめ、
プライベートのいくつかの旅行、
仕事の出張もこの年齢までには、けっこうな数をこなしていますから、
それをふり返るのにも、地図帳は便利。
休日、
そんな時間をたのしんでいます。

 

・カツプ麺道路工事の春がゆく  野衾

 

ふるさとの写真

 

このブログは、散文のあとに拙句一句と写真を一枚載せるようにしています。
散文と拙句と写真はまったく無関係ですが、
このごろつくった俳句から一句選び、
このごろ撮った写真から一枚選んで載せてみると、
脳が勝手に動き出すのか、
なんとなく微かな意味の連関が生じているように感じるときもあります。
先月の終り、
四日ほど帰省しましたが、
いつものように、思いつくままパチパチ写真を撮りました。
貯金をくずす如くそれを一枚ずつ使ってきましたが、
きょうの一枚が最後になります。
意味の連関が期せずして生じている、
と感じられる組み合わせがたまにあるとはいっても、
それはほんとうに稀なケースであって、
ほとんどは、
どう考えたって関連があるとは思えないものばかり。
たとえばきのう、
「怒りの凶暴性」の文章の最後にカニの脚の写真を載せましたが、
小説仕立てでもしないかぎりちょっと無理。
「怒りの凶暴性とカニの脚」
意外性はありそうなので、あとは中身でしょうか。

 

・日暮し果つる一雨ごとの春  野衾

 

怒りの凶暴性

 

怒りがもたげると、怒りそのものが人格を持ち始めるようになり、
怒りの感情の母体である人間は、その奴隷のようになってしまいがちです。
そのことに関連して、セネカさんの上げる例は、
いろいろ考えさせられます。

 

グナエウス・ピソは、私の記憶する限り、悪徳には多く汚されなかった人である。
しかし、
ひねくれたところがあって、
冷酷さを心の強さと決めていた。
或るとき彼は、一兵士が戦友を伴わずに休暇から帰ってきたのを怒って処刑を命じた。
一緒に連れて帰らなかった戦友を殺したという嫌疑からであった。
兵士は戦友を探し出すため、しばしの猶予を願ったが、
ピソはその猶予を与えなかった。
有罪に決した兵士は保塁の外に連れ出されて、
まさに首を差し出そうとするところであった。
そのとき突然、
かの殺されたと見られていた戦友が現われた。
そこで、
処刑の指揮に当っていた百人隊長は、処刑吏に剣を納めるように命じ、
有罪の兵士をピソのところに連れ戻り、
兵士の無罪をピソに認めてもらおうとした。
兵士にはすでに幸運が生じていたからである。
そこで大勢の者たちが集まって来て、
陣営内が大喜びをしているなかを、
互いに固く腕を組み合っている二人の兵士に付き添って行くのであった。
ところがピソは火のように怒って壇上に立ち上がり、
この両兵士とも処刑することを命じたのである
――殺さなかった兵士も殺されなかった兵士も。
一体、これ以上に不当なことがあるだろうか。
一人の無罪が明白になったので二人とも殺されようとしている。
のみならず、
ピソは三人目をも付け加えた。
つまり、有罪の兵士を連れ戻ったとして、百人隊長までも処刑するように命じた。
あの同じ場所で三人が、
その一人の無罪の代償として三人とも死ぬことを決められたのだ。
ああ、
怒りは、その凶暴性の理由をでっち上げることが、
なんと上手であろうか。
怒りは言う、
「第一のお前は、すでに有罪を宣告されたから処刑を命ずる。
第二のお前は、戦友が有罪となった原因であったから処刑を命ずる。
第三のお前は、処刑の施行を命ぜられながら、命令者に服従しなかったから処刑を命ずる」
と。
どんな根拠も見付けられなかったので、
何とかして三つの罪を作りあげんとして考えだしたことであった。
(セネカ[著]茂手木元蔵[訳]『道徳論集』東海大学出版会、1989年、pp.141-142)

 

グナエウス・ピソさんは、ローマの名家出身の政治家で、
紀元後17年、ティベリウス帝によってシリアの総督に任命された人、とのこと。

 

・朝まだきキユルキユルゴウの春の風  野衾

 

許すこと

 

かえりみれば、みずからを誇ることなど、とてもできないのに、
ついついむかっ腹を立てて、ひとに対して怒りがもたげてくることがあります。
ふるい知人から、
瞬間湯沸かし器と冷やかされたことがありました。
いけない!
と考えるより前に、感情の湯が沸きます。

 

テオプラストスは言う、
「善き人ならば、悪人に腹を立てないことはできない」
と。
この論法でいくと、
誰でも善き人になればなるほど腹を立てやすくなるであろう。
だが見るがよい、
誰もみな反対に一層和やかになり、感情から解放され、また誰をも憎まなくなる。
罪を犯した者たちが、過失によってその罪に駆り立てられた場合には、
どうして彼らを善き人が憎む理由があろうか。
実際、
聡明そうめいな人は、過あやまつ者を憎むことはない。
憎むとすれば自分自らを憎むであろう。
自分は幾たび美徳に背いて行為しているか、
その行なった行為の幾つが許しを求めねばならぬか、
などを彼は自ら反省するであろう。
そうすれば、
自分自身に腹を立てることにもなるであろう。
なぜというに、
公平な審判者は、
自分の問題と他人の問題に、それぞれ別々の見解を下すことはないからである。
自分を無罪放免にし得る者は見付からないであろうし、
また自分を潔白だと言う者は、
証人の方を振り向いて言うのであって、
良心の方を振り向くのではない、
と私は言う。
罪を犯した者たちに優しい、慈父のような心を示し、
彼らを追跡するのではなく呼び戻してやるほうが、
どれほど人情味のあることではなかろうか。
道を失い原野をさ迷う者を正道に導くことは、それを放逐するよりも
良策である。
(セネカ[著]茂手木元蔵[訳]『道徳論集(全)』東海大学出版会、1989年、pp.136-137)

 

セネカさんが兄のアンナエウス・ノバトゥスさんにあてて書いた
「怒りについて」の文章のなかからの引用。
そのとおりと思います。
なかなかできることではありませんけど。
でも、あきらめず、
こういうことばに触れ、ときどき反省することは意味のあることだと思いたい。
また『聖書』「ヨハネによる福音書」の第八章には、
こういうことが書かれています。

 

イエスはオリーブ山へ行かれた。
朝早く、再び神殿の境内に入られると、民衆が皆、御もとに寄って来たので、
座って教え始められた。
そこへ、律法学者たちやファリサイ派の人々が、
姦淫の現場で捕らえられた女を連れて来て、
真ん中に立たせ、
イエスに言った。
「先生、この女は姦淫をしているときに捕まりました。
こういう女は石で打ち殺せと、モーセは律法の中で命じています。
ところで、
あなたはどうお考えになりますか。」
イエスを試して、訴える口実を得るために、こう言ったのである。
イエスはかがみ込み、
指で地面に何か書いておられた。
しかし、彼らがしつこく問い続けるので、イエスは身を起こして言われた。
「あなたがたの中で罪を犯したことのない者が、
まず、この女に石を投げなさい。」
そしてまた、身をかがめて地面に書き続けられた。
これを聞いた者は、
年長者から始まって、一人また一人と立ち去ってゆき、
イエス独りと、真ん中にいた女が残った。
イエスは、身を起こして言われた。
「女よ、あの人たちはどこにいるのか、誰もあなたを罪に定めなかったのか。」
女が、「主よ、誰も」と言うと、
イエスは言われた。
「私もあなたを罪に定めない。行きなさい。
これからは、もう罪を犯してはいけない。」

 

・春光や通いなれたる路の白  野衾

 

「ことなる」について

 

鈴木重雄さんの『幽顯哲学』には、
『古事記』を踏まえながらの思索が縷々つづられていますが、
日本語についての、とくに、
漢字を知る前の日本語にまでさかのぼる考察がおもしろく、
ほんとかなあ、
と、うたがわしい節をも感じながら、
それでも、つい読みすすめてしまいます。

 

一般可能的のもの(宗源)が現実に特殊の形相にて顕はれたとき其の顕相のことを事
又は物といふのである。
事と物との観念上の異同については第五章第一節に述べる。
宗源より形相の顕はれることを事なるといふ。
なるは生るとも成るとも書くやうに生成の義である。
事成るは異ると同じ語声である通りその意味も亦同じであつて、
生成を一方よりみて事成るといひ他方よりみて異るといふのである。
但し此両方面は離しては何れも立するを得ざる相関関係にあつて
事成れば必ず異り、
異るために事成ることができるのである。
凡て事物の存在はこの二義により始めて説くことができるのである。
言語も事の一であり物の一である。
言語を何故に草木土石などと等しく事物のうちに入れるかといふに、
心のうちにあるものの外に顕はれた形相とみる
からである。

但し草木土石などは直に生成限界に達する事物と認められるが
言語は之に異り尚生成の前途あるものと認められ、
換言すれば生成能力の優れて豊かであるものと認められる結果、
後には他の事物とは異る取扱ひを受けるやうになるけれども、
宗源より顕はれたる形相であるとの根本思想には変りはない
のである。

さうして上代に遡れば遡るほど言語と他の事物との差異は希薄であることは此の際
特に注意する必要がある。
後世には言語は人間の専有と思はれるけれども
神代では岩の根木[ママ]の株草のかき葉に至るまで能く物云ふとある通り
之等も言語能力を有すとみられた程であるからである。
(鈴木重雄『幽顯哲学』理想社出版部、1940年、p.336)

 

ところで『聖書』「マタイによる福音書」15章16-18節に
つぎのようなことばがあります。

 

イエスは言われた。
「あたたがたも、まだ悟らないのか。口に入るものはみな、腹に入り、
外に出されることが分からないのか。
しかし、口から出て来るものは、心から出て来て、これが人を汚すのである。」

 

もちろん、すぐの比較は無理ですけれど、
顕現としてのことば、ということを考えるときに思い出すことばです。
内にある見えないものが言葉となって外に現われる
という発想に、
共通したものを感じます。

 

・習いての葦は角ぐむ音楽室  野衾

 

人(ひと)は霊門(ひと)

 

新井奥邃(あらい おうすい)さんのことばに、
「隠路あり、照々の天に宏遠の道より開く。クライストの微妙の戸なり」
があります。
戸はまた門でもあります。
門戸開放という熟語もありますが、門も戸も「と」と読み、
内と外をつなぐ、
あるいは、
内から外へと、外から内へと通じる扉ともいえます。

 

宣長のいふやうに処を斗といふことのあるのは事実であるが
此処の斗は戸、門などの斗であつて
生の顕現する門戸
といふ意味の斗であると思ふ。
家屋の戸はいふまでもなく、
水門みなと、瀬戸、山門やまと、長門など皆
顕はれ口といふ意を有つ語である。
戸の語のもつ顕はれ口の意は単に場所的の義に限らず生成の義を含むのである。
即ち生成進行上霊が形相を顕はしたとき
その形相事物を指して霊の顕はれ口又は霊の門戸といふ
のである。
その最も良い例は人である。
人は霊門ひと
であつて
個人は世界霊、国の霊、祖の霊などが自らの生成形相としたところの門戸である
とするのが上代人の人間観である。
この意味に於て凡ゆる事物は世界の霊門である。
(鈴木重雄『幽顯哲学』理想社出版部、1940年、p.42)

 

これからすると、
松尾芭蕉さん、本居宣長さん、佐々木信綱さん、澤瀉久孝さん、小西甚一さんが、
いまの三重県の生まれであることにも何らか意味がある
ように思えてきます。
三重県には伊勢神宮があります。
人間的には、親が居、祖父母が居、ご先祖様が居ますけれど、
角ぐむ葦のように、
ひともその土地から生まれるべくして生成し、
霊を顕現し、この世に生まれ、存在し、
それぞれの役割を果たしているように思われます。
これはまた、
ハイデッガーの「存在者の存在」とも響いてきそう。
さらに、
先年お亡くなりになった鈴木亨先生のエコジステンス(響存)とも。

 

・雪解けの校庭の土乾きけり  野衾