少女のいつきさん

 

夏井いつきさんの『絶滅寸前季語辞典』(ちくま文庫)は、
書名どおりの中身ではありますが、
夏井さんのご家族のこととか、子どものころのエピソードとかが折にふれ、
ちょこちょこはさみこまれてあり、ああ、夏井さん、
そういうお子さんだったのかと、
親しみがわいてきます。たとえば。

 

そういえば、かつての愛読書『赤毛のアン』の主人公・アンが、
ギルバートと結婚し自分の家を持つときに、
庭の中を小川が流れているところが気に入ってその家に決めるというくだりがあった。
いつかそんな家に私も住んでみたいという憧れもまた、
ささやかな心の贅沢であったなあと、
懐かしく思い出したりもする。
(夏井いつき[著]『絶滅寸前季語辞典』2010年、ちくま文庫、p.109)

 

TBSのテレビ番組『プレバト!!』で、俳句への思いが強いからこその
歯に衣着せぬ語りで人気の夏井先生ですが、
上の文章などは、
愛媛県の田舎そだちの少女の姿をほうふつとさせます。

 

・ペンキ塗りたて首筋の残暑かな  野衾

 

鬼灯のこと

 

夏井いつきさんの『絶滅寸前季語辞典』(ちくま文庫)を読んでいましたら、
ご本人のこんな句が紹介されていました。

 

龍を呼ぶための鬼灯鳴らしけり

 

鬼灯は、ほおずき。龍は想像上の生き物ですが、
それがかえっておもしろく感じます。
ふつうに笛や太鼓を鳴らしても現れなさそうな龍を、
鬼灯の実の中身をくりぬいてつくった小さな風船状のものをぶーぶー鳴らしたら、
もしかしたら龍が姿を現すかもしれない。
ことし一月に他界した母は、
鬼灯の実からつくった笛を鳴らすのがじょうずでした。
ふと見れば、ひとりでぶーぶー鳴らしていました。
かあさん、それなに? ん。ほずげの笛…
いつおぼえたのだったろうか。
少女時代の母をかってに想像してみる。
まさか龍を呼ぶために鳴らしていたのではないとおもうけど。

 

・稲刈りや山の裏から音すなり  野衾

 

朝のウォーキング 4

 

早朝ウォーキングの帰り、
車道のガードレールにしがみつくようにしてしゃがんでいる高齢の男性がいました。
ちかづいて声をかけると、道の反対側を歩いていて転倒し、
そこから這ってガードレール側まで来たとのこと。
だいじょうぶですから、とは言うけれど、
どうみてもだいじょうぶそうでない。
家にご家族がいますかと尋ねると、いるとのことなので、
電話番号を聞き、スマホに入力し、
本人にご家族と話してもらいました。
数分後、ご家族の方がいらっしゃいました。
転倒した本人が、もう一度立ち上がってみる、というので、
わたしが背後にまわってからだを支え、本人はガードレールを両手でにぎり、
ゆっくり立ち上がりました。
立ち上がってみると、割と大柄の男性で、骨もしっかりしていますが、
聞けば、しばらくまえに腰を痛め、三週間ほど、寝たきり状態で、
これではいかんと歩きに出たのはいいけれど、
ころんでしまったのだと。
骨はしっかりしているけれど、いかんせん、
筋肉がたしかに落ちているように感じた。
若いときの筋トレとは別の意味で、健康維持のための筋トレは不可欠のよう。
タクシー会社の番号をご家族につたえ、
その場を後にしました。

 

・運動会削る板菓子割れにけり  野衾

 

朝のウォーキング 3

 

きょうも早朝ウォーキングに出かけました。
5時ちょっとまえに出かけて6時まえには帰ってきます。
家を出てすぐ目にするのが蝙蝠。とびかたが鳥とはちがいます。
蝉が鳴かずに飛んでいます。アブラゼミでしょうか。
セミは漢字で書くといまだと「蝉」ですが、旧字だと「蟬」。
こちらの字のほうが、つくりの部分の上部がセミの目玉に見えて、セミらしい。
リスくんはしょっちゅう見ます。台湾栗鼠。
大きなしっぽをさかんに動かし、すばやく移動するので、
目でおいかけるのがたいへん。
家にいて見るのは、電線を綱わたりするように走る姿ですが、
ウォーキングの途中で見るのは、木の枝を這う姿であったり、路上であったり。
あ。
せんだって、狸も見ました。それも二匹。
ウォーキングを終えて、ちかくの公園でラジオ体操第一を済ませ、
さて帰るとするかと階段に向かったところ、
階段の上を狸が左から右へ、スー。
いまの見た? たぬきだよ。たぬきだね。
と、
さらにもう一匹。まえのにくらべ、やや小ぶり。親子か? つがいか?
猛暑はもうすこしつづきそうですが、
朝は季節を先取りしているようにもおもいます。
そう、おもいたい。

 

・さわさわと風のバトンを稲田かな  野衾

 

朝のウォーキング 2

 

散歩とウォーキングのちがいはなにか、よくわかりませんけれど、
ウォーキングのほうが歩くスピードがすこし速いのかな。
それと、コースを決めているので、散歩というよりウォーキングかと。
それはともかく。
うす暗いうちに歩きだしてだんだん明るくなりゆく日のなかを進んでいると、
犬をつれたおじさんやおばさんに出会います。
会えば、おはようございます。あちらも、おはようございます。
すれちがう場所も時間もだいたいおなじ。
どこに住んでいるのか、たがいに名前も知らないわけだけど、
あいさつは、やはり気持ちがいい。
ウォーキングの先の回れ右する場所にある公園のベンチには、
白髪の女性が二人並んですわっています。
公園の中央の方を向いてすわっていて、わたしたちが歩いている道からは、
背中と横顔しか見えませんから、
あいさつするのをちょっとためらいました。
でも、二人の並んでいる姿があんまりかわいかったので、つい、
おはようございます。
と、
二人ふり向いて、
おかえしのあいさつにしてはこちらが恐縮するぐらいていねいに、
あはようございます。うれしくなりました。
このごろ山歩きをしていませんが、山の景色、山から見下ろす景色もさることながら、
行きかう人と一期一会でこんにちは、おはようございます
とあいさつするのは、ひとの景色、
山歩きのひそかな楽しみでもあります。

 

・帰り来て風ひそかなる花野かな  野衾

 

朝のウォーキング 1

 

八月も終わろうとしているのに、連日、猛暑日がつづいています。
九月に入っても暑い日がつづくとの予報で、うんざりしてしまいますが、
会社の夏休み前の朝早く、
ゴミネットをセットするために外へ出てみたら、
ひんやりした風が首筋にあたり、とても気持ちがよかった。
いまは、早朝がいちばん気温が下がるのかな?
というわけで、
家人といっしょに、早朝ウォーキングをはじめることにしました。
5000歩弱。ウォーキングの締めは、
家の近くの公園でラジオ体操。
ラジオを持参しなくても、あたまのなかで、記憶のなかの音楽が鳴りますので、
それに合わせてイチニー、サンシ。ニーニー、サンシ。
あたらしい一日のはじまりです。

 

・目は遠く遊子誘はる秋の雲  野衾

 

恋愛とか

 

大学をでたあと、横須賀にある私立の高校に勤めました。
わたしは政治経済と現代社会の科目を担当しましたが、三年生相手のゼミがあり、
土曜日の3・4時限目にあたっていて、割と自由につかうことができました。
一冊の本をテキストに読書会をやったことがあります。
ある年は、恩師である宮田光雄先生の『きみたちと現代 生きる意味を求めて』
だったかな。
またある年は、三木清さんの『人生論ノート』。
『人生論ノート』は二年つづけたかもしれません。
「〇〇について」という題で、みじかめのエッセイがつづられていた。
さて、あの本のなかで、
恋愛についてはどんなふうにかかれていたのかなと思い、しらべてみたら、
ありませんでした。
恋愛は、題目としてあがっていません。
そうか。そうだったか。
森信三さんの『修身教授録』にはあったかな…?
でも、本がいま手元にないし、いっか。
さて、恋愛について、本をたよりに書こうとしたらどうやら見当はずれだったようです。
となると、つたないじぶんの体験から、ということになりますが、
それをことばにするにはどうも無理がある。
なので、
上の本とはべつの本に依拠しつつ、恋愛にもいえるかな、
と思える文を引用します。

 

はじめてのことをしてみよう。

行ったことのない場所に行ってみる。
髪の毛に、かけたことがないほどのちりちりパーマをかけてみる。
食べたことのない異国のくだものを食べてみる。
つくったことのない料理をしてみる。
ずっと話したかった人に、話しかけてみる。

あまりにも、ちいさなスケールだけど、はじめてのことにむかうとき、
こわさといっしょに、心があたらしくひかるような気がする。
生きていることが、なにかうれしくなるのは、どうしてだろう。
(おーなり由子[著]『ひらがな暦 三六六日の絵ことば歳時記』2006年、新潮社、p.274)

 

おーなり由子さんのこの本、まいにち1ページずつ読んで二年目に入りました。
愛読書です。引用したのは、
8月26日「冒険の日」と題された文章です。恋愛も、
この文章にピッタリあてはまるような。

 

・木々の間の光揺れくる秋高し  野衾