三橋美智也

 

わたしにとりまして、歌といえば、なんといっても三橋美智也。
三橋美智也のまえに歌は無し。
三橋美智也のあとに歌は在り、
なんて。
小学校に入るまえから、三橋さんの歌に親しんでいました。
父や叔父がよく歌っていましたから。
父も叔父も、のびのび歌い上げ、それなりに上手かったと思います。
村田英雄の声について、おとといここに書きましたが、
三橋美智也の声はというと、
なんともなめらかで、
ちからが抜けていて、聴いていて気持ちいいことこの上ない。
下の写真はCDですが、学生のころはレコードで聴いていました。
訪ねてきた友だちがそれを耳にすると、
例外なく、
こんなのを聴くの?と驚いたものでした。
母が生前、三橋美智也の歌を聴き、しみじみ、
「このひとのうだっコ聴げば、世話してもらえるような気がするな」
とつぶやいたのを忘れられません。
それぐらい三橋美智也の声は、こころの奥深くに沁みてくる、
ということだったのでしょう。
歌の上手い人はいっぱいいて、
もちろん三橋さんも人後に落ちず上手いわけですけど、
歌を支える声がなんとも言いようがなくすばらしいと思います、
谷に湧きでる真清水のごとく。
小椋佳さん、堀内孝雄さん、五木ひろしさん
をはじめ、
多くの人が三橋美智也をリスペクトするのも宜なるかな、
という気がします。

 

・日を迎へ日に向かひゆく秋茜  野衾

 

花に氷コ

 

秋田では、物の名にコをつけてよぶことが多いのはよく知られています。
お椀は椀コ、茶碗は茶碗コ、お茶はおぢゃっコ、牛はべごっコ等々。
なので、冷蔵庫でつくられるキューブの小さい氷は氷コ、
または氷っコ。
氷コ、氷っコは、秋田でも一般的ではないかもしれません。
が、ここ横浜で、キューブの氷をなんとなく氷コ、氷っコと呼びたい気がし、
そう呼んでいます。
郷愁のこころがそうさせるのかもしれません。
前置きはこれぐらいにして。
和室の東側のコーナーに低い棚をセットしてあり、
そこに、
ことし一月に他界した母の写真を小さな額に入れて置いています。
ときどきコンビニで切り花を買ってきては、
花瓶に挿して飾ります。
花瓶に水道水を適量入れて切り花を挿すだけですが、
八月の半ばぐらいでしたでしょうか、
しおれるのがちょっとはやいような気がし、
水道水を入れたあと、冷蔵庫の氷コを二、三個ためしに入れてみた。
すると、あきらかに持ちがよくなった。
なるほどねぇ。そうだよなぁ。
猛暑、酷暑、危険な暑さは、なにも人間だけにかぎらない。
切り花だって、
ぬるい水より冷たい水のほうが気持ちいいにちがいない。
ほんのちょっとしたことですが、
すこしだけ感動しました。

 

・待つこと久し風ややうやう秋を連れ  野衾

 

村田英雄

 

子どものころからよく耳にし目にしていた人の歌を、年をへたあと
あらためて聴いてみて、いいなぁ、しぶいなぁ、と聴きほれることがあります。
村田英雄さんはわたしにとりまして、そういう人の筆頭。
子どものころは、村田さんの歌の良さがよく分かりませんでした。
それならいまは分かるかといえば、
それはそれで心もとないわけではありますが。
声なんですね。聴いて、聴きほれるのは。
「無法松の一生」「人生劇場」「蟹工船」「王将」「皆の衆」などなど、
どうしてそういう声がだせるのか、
数年まえ写真家の橋本照嵩さんが拙宅を訪れたとき、
目の前の料理をつつく箸をしばし置き、
村田さんの声に、歌に、聴きほれたことがありました。
いい声なもんだなぁ。
どうしてこんな声がだせるんだろう。
ついつい、いっしょに口ずさんだりして。
♪小倉生まれで 玄海育ち

 

・しがみつく頑固至極の溽暑かな  野衾

 

スティーヴィー・ワンダー

 

若いころ、ぜんぶではなかったと思いますけど、
つぎつぎ発売されるスティーヴィー・ワンダーのレコードをかなりの数持っていた。
とくに『キー・オブ・ライフ』 (Songs in the Key of Life) は、
愛聴盤でした。
そのなかの「アナザー・スター」をはじめて聴いたとき、
歌詞の意味が分からないのに、からだがふるえた。そういうことってあるんですね。
ジャケットもカッコよかったし。
二枚のLPレコードに収まらず、おまけのちいさいレコードまで付いて。
あのころのスティーヴィーさん、
曲があふれるようにでてきたんでしょうね。
『キー・オブ・ライフ』をふくめその後、レコードはすべて処分し、
CDを買い、CDで聴くようになりましたが、
あとから考えれば、
LPレコードの『キー・オブ・ライフ』は、わたしにとりまして、
いわばモノとしての宝物であって、
コンパクトなCDとはちがった意味をもっていた気がします。
そういうのは、ノスタルジーといえばノスタルジー、
ではあるけれど、感動が深ければ深いほど、
容れ物をはじめ、その周辺のモノとか景色とか、
もろもろをふくめての感動であったのだなあ、とおもいます。
下の写真はCD。
たからもの感、ちがうなぁ!

 

・しがみつく頑固至極の溽暑かな  野衾

 

少女のいつきさん

 

夏井いつきさんの『絶滅寸前季語辞典』(ちくま文庫)は、
書名どおりの中身ではありますが、
夏井さんのご家族のこととか、子どものころのエピソードとかが折にふれ、
ちょこちょこはさみこまれてあり、ああ、夏井さん、
そういうお子さんだったのかと、
親しみがわいてきます。たとえば。

 

そういえば、かつての愛読書『赤毛のアン』の主人公・アンが、
ギルバートと結婚し自分の家を持つときに、
庭の中を小川が流れているところが気に入ってその家に決めるというくだりがあった。
いつかそんな家に私も住んでみたいという憧れもまた、
ささやかな心の贅沢であったなあと、
懐かしく思い出したりもする。
(夏井いつき[著]『絶滅寸前季語辞典』2010年、ちくま文庫、p.109)

 

TBSのテレビ番組『プレバト!!』で、俳句への思いが強いからこその
歯に衣着せぬ語りで人気の夏井先生ですが、
上の文章などは、
愛媛県の田舎そだちの少女の姿をほうふつとさせます。

 

・ペンキ塗りたて首筋の残暑かな  野衾

 

鬼灯のこと

 

夏井いつきさんの『絶滅寸前季語辞典』(ちくま文庫)を読んでいましたら、
ご本人のこんな句が紹介されていました。

 

龍を呼ぶための鬼灯鳴らしけり

 

鬼灯は、ほおずき。龍は想像上の生き物ですが、
それがかえっておもしろく感じます。
ふつうに笛や太鼓を鳴らしても現れなさそうな龍を、
鬼灯の実の中身をくりぬいてつくった小さな風船状のものをぶーぶー鳴らしたら、
もしかしたら龍が姿を現すかもしれない。
ことし一月に他界した母は、
鬼灯の実からつくった笛を鳴らすのがじょうずでした。
ふと見れば、ひとりでぶーぶー鳴らしていました。
かあさん、それなに? ん。ほずげの笛…
いつおぼえたのだったろうか。
少女時代の母をかってに想像してみる。
まさか龍を呼ぶために鳴らしていたのではないとおもうけど。

 

・稲刈りや山の裏から音すなり  野衾

 

朝のウォーキング 4

 

早朝ウォーキングの帰り、
車道のガードレールにしがみつくようにしてしゃがんでいる高齢の男性がいました。
ちかづいて声をかけると、道の反対側を歩いていて転倒し、
そこから這ってガードレール側まで来たとのこと。
だいじょうぶですから、とは言うけれど、
どうみてもだいじょうぶそうでない。
家にご家族がいますかと尋ねると、いるとのことなので、
電話番号を聞き、スマホに入力し、
本人にご家族と話してもらいました。
数分後、ご家族の方がいらっしゃいました。
転倒した本人が、もう一度立ち上がってみる、というので、
わたしが背後にまわってからだを支え、本人はガードレールを両手でにぎり、
ゆっくり立ち上がりました。
立ち上がってみると、割と大柄の男性で、骨もしっかりしていますが、
聞けば、しばらくまえに腰を痛め、三週間ほど、寝たきり状態で、
これではいかんと歩きに出たのはいいけれど、
ころんでしまったのだと。
骨はしっかりしているけれど、いかんせん、
筋肉がたしかに落ちているように感じた。
若いときの筋トレとは別の意味で、健康維持のための筋トレは不可欠のよう。
タクシー会社の番号をご家族につたえ、
その場を後にしました。

 

・運動会削る板菓子割れにけり  野衾