目礼

 

先だって、こんなことがあり、ちょっと意識にのこりました。
先週土曜日に出勤し、
このごろのルーティンの一つ、
週に一度の母への手紙を書いて、ほかの仕事をひと段落つけて退社した折、
坂の途中のポストに向かいました。
信号のない道の左右を見、素早く横断してポストに近づくや、
わたしよりも早くポストに近づいた女性がいて、
角2サイズの封筒をポストの広い口に投函しました。
そのとき、
わたしはすでに二メートルほどのところに近づいていました。
その女性、
投函するほんの一瞬前、
わたしにすばやく目礼したように見えたので、
わたしも目礼を返しました。
ほんの一瞬のことで、
互いにことばを用いはしませんでしたけれど、
仮にことばを添えるなら、
「お先に失礼します」
「いいえ。どういたしまして」
ぐらいなことだったでしょうか。
女性はその後、道路を横断し、足早に坂を下っていきました。
たったそれだけのことですが、
そのことにより、
すこし気分が高揚しているじぶんに気づきました。

 

・二時間をすることなしに春日かな  野衾

 

藪の中

 

三月に入りました。なかなかスッと温暖な気候に移り変ることはありませんけれど、
ここ山の上から眺めると、
近くの丘、向こうの丘、また遥かの峰に、
ちらほらと淡いピンクの彩りが添えられ、
目をたのしませてくれます。
こうなると、朝のゴミ出しも、なんとなく気持ちが弾んできます。
先週、静かな朝のこと、
ゴミネットの後ろの藪の中で、なにか動いたような気がし、
息を殺してしばらくじっとしていました。
やがてまたガサガサと。
さいしょムクドリかと思いました。
飛び立つかと思いきや、そうでもありません。
ムクドリではなさそうです。
あきらめずに、しばらく佇んでいました。
と。
あ!! リス!!
向こうも驚いている様子です。
目が合いました。
クリックリの眼。
電線を伝わって走り回る姿はしょっちゅう目にしますが、
こんな至近距離で向き合うのは初めて。
ヒョコヒョコと首を二三度、下げたようにも見えました。
春は、いろんな生き物がうごきはじめます。

 

・能見台鎌倉武士の春日かな  野衾

 

ふるさとの遊び 2 やきゅう

 

つぎは、やきゅう。もっぱら田んぼでやったので、
田球かな。
わたしが初めて自分のグローブを手にしたのは、小学校の高学年だったと思います。
なので、それ以前、子どもたちで遊んだやきゅうは、
グローブもバットもない状態での遊びでした。
ボールは、野球のボールではなく、軟式テニス用のボール。
いま思えば、軟式テニス用のボールを、子どもたちがする野球のために、
店が用意してくれていたのかな?
ともかく、
ふにゅふにゅ柔らかいので、グローブでなく素手で受け取っても痛くありませんでした。
バットの代用は適当な棒。
たいへんなのが人数集め。
でも、正式の人数がそろわなくても、
一チーム五人だったり、三人だったり、それでもじゅうぶん楽しめた。
稲を刈ったあとの、
切り株の残る田んぼでやった野球ならぬ田球は、
けっして忘れることができません。
夕焼けの空には赤とんぼ。
あのときの喜びの質、飛翔するようなたのしさというのは、
なかなかことばで表現できないものがあります。

 

あそびをせんとやうまれけむ たはぶれせんとやむまれけん、

あそぶこどものこゑきけば わがみさへこそゆるがるれ

 

有名な『梁塵秘抄』の一節。
よく知られた歌で、
受験生だった遥か昔に習い覚えていまに至っているわけですけれど、
味わいということでいいますと、
来し方をふり返り、瞑目せざるを得ない心境になります。
直接お目にかかったことはありませんけれど、
伊勢神宮の近くに生を成した敬愛する小西甚一さんの『梁塵秘抄考』(1941年、三省堂)
に、
この歌に関してこんなことが書かれています。
「この歌は秘抄の中でもすぐれたものであるが、以下の数首が遊女に関する歌である
から、これも遊女の感慨であるかと思ふ。
平生罪業深い生活を送つてゐる遊女が、
みづからの沈淪に対しての身をゆるがす悔恨をうたつたものであらう。」

 

・半僧坊眼下はるかの桜かな  野衾

 

ふるさとの遊び 1 たっきゅう

 

たっきゅうは「卓球」と書きます。
卓のうえで球が行ったり来たりするので「卓球」。
ところで、
わたしが子どものころ、弟と遊んだたっきゅうは、卓がないので卓球ではない。
いわば、卓無しの卓球、無卓球。
どうするかといえば、
家の中の庭がコンクリート(けっこうな広さ)だったので、
消し炭でてきとうに線を引き、それを卓球台に見立てて、ピンポン玉をやり取りする。
ラケットもありませんから、
てきとうな板の切れ端をラケット代わりに使用。
むかしの農家(いまもかも知れませんが)
では、
子どもが遊ぶための道具、板の切れ端とか、消し炭とか、
さがせば何となくそれらしいものが見つかった。
ピンポン球はさすがに代用できるものがありませんから、
近くの店で調達しました。
田舎でしたが、
ピンポン球は売っていたと記憶しています。
(なんでピンポン球が売っていたんだろう?)
試合開始!
卓無しのたっきゅうに、
だんだん夢中になっていきました。
いつしか試合は白熱し、
消し炭で書いたフニャフニャのラインを、恨めしく思ったり、ラッキー!
と思ったり。
弟は年齢がわたしより三つ下で、
子どもの頃の三歳の違いは相当なものだと思うのですが、
弟の場合、
何ごとによらず、運動神経がよかったので、
三つ下であることを意識したことがありませんでした。
生来寂しがり屋だったわたしは、
弟によってどれだけ救われたか分かりません。

 

・春近し厨の音の弾むかな  野衾

 

地図帳のこと

 

小学校でも中学校でも、教科書といっしょに地図帳も支給された
ように記憶しているのですが、
先生から、
地図帳の○○ページを開くように、
と指示されれば開きますが、それ以外に、じぶんの興味から地図帳を開いたことが、
自慢ではありませんが、ありません。
地図帳を開かなくても、
社会科の勉強に際してとくに問題を感じることがなかったので、
以来、
時間ばかりがたって、きょうに至りました。
あるとき、ふと、
地図帳って、どうなんだろう?
子どものころからまったく興味を持ったことがなかったので、
不意に湧いた興味に我ながら驚いた。
そこで、どうしたか。
買いました。
帝国書院からでている『最新基本地図 世界・日本 44訂版』。
大判なので、けっこう重い。
でも、印刷がきれいだし、見やすい。
さて、
まったく恥ずかしいことを書きますが、
この県とこの県て、隣りあわせだったの? え、そうなの?
そんな感じ。
また、これまで修学旅行をはじめ、
プライベートのいくつかの旅行、
仕事の出張もこの年齢までには、けっこうな数をこなしていますから、
それをふり返るのにも、地図帳は便利。
休日、
そんな時間をたのしんでいます。

 

・カツプ麺道路工事の春がゆく  野衾

 

ふるさとの写真

 

このブログは、散文のあとに拙句一句と写真を一枚載せるようにしています。
散文と拙句と写真はまったく無関係ですが、
このごろつくった俳句から一句選び、
このごろ撮った写真から一枚選んで載せてみると、
脳が勝手に動き出すのか、
なんとなく微かな意味の連関が生じているように感じるときもあります。
先月の終り、
四日ほど帰省しましたが、
いつものように、思いつくままパチパチ写真を撮りました。
貯金をくずす如くそれを一枚ずつ使ってきましたが、
きょうの一枚が最後になります。
意味の連関が期せずして生じている、
と感じられる組み合わせがたまにあるとはいっても、
それはほんとうに稀なケースであって、
ほとんどは、
どう考えたって関連があるとは思えないものばかり。
たとえばきのう、
「怒りの凶暴性」の文章の最後にカニの脚の写真を載せましたが、
小説仕立てでもしないかぎりちょっと無理。
「怒りの凶暴性とカニの脚」
意外性はありそうなので、あとは中身でしょうか。

 

・日暮し果つる一雨ごとの春  野衾

 

怒りの凶暴性

 

怒りがもたげると、怒りそのものが人格を持ち始めるようになり、
怒りの感情の母体である人間は、その奴隷のようになってしまいがちです。
そのことに関連して、セネカさんの上げる例は、
いろいろ考えさせられます。

 

グナエウス・ピソは、私の記憶する限り、悪徳には多く汚されなかった人である。
しかし、
ひねくれたところがあって、
冷酷さを心の強さと決めていた。
或るとき彼は、一兵士が戦友を伴わずに休暇から帰ってきたのを怒って処刑を命じた。
一緒に連れて帰らなかった戦友を殺したという嫌疑からであった。
兵士は戦友を探し出すため、しばしの猶予を願ったが、
ピソはその猶予を与えなかった。
有罪に決した兵士は保塁の外に連れ出されて、
まさに首を差し出そうとするところであった。
そのとき突然、
かの殺されたと見られていた戦友が現われた。
そこで、
処刑の指揮に当っていた百人隊長は、処刑吏に剣を納めるように命じ、
有罪の兵士をピソのところに連れ戻り、
兵士の無罪をピソに認めてもらおうとした。
兵士にはすでに幸運が生じていたからである。
そこで大勢の者たちが集まって来て、
陣営内が大喜びをしているなかを、
互いに固く腕を組み合っている二人の兵士に付き添って行くのであった。
ところがピソは火のように怒って壇上に立ち上がり、
この両兵士とも処刑することを命じたのである
――殺さなかった兵士も殺されなかった兵士も。
一体、これ以上に不当なことがあるだろうか。
一人の無罪が明白になったので二人とも殺されようとしている。
のみならず、
ピソは三人目をも付け加えた。
つまり、有罪の兵士を連れ戻ったとして、百人隊長までも処刑するように命じた。
あの同じ場所で三人が、
その一人の無罪の代償として三人とも死ぬことを決められたのだ。
ああ、
怒りは、その凶暴性の理由をでっち上げることが、
なんと上手であろうか。
怒りは言う、
「第一のお前は、すでに有罪を宣告されたから処刑を命ずる。
第二のお前は、戦友が有罪となった原因であったから処刑を命ずる。
第三のお前は、処刑の施行を命ぜられながら、命令者に服従しなかったから処刑を命ずる」
と。
どんな根拠も見付けられなかったので、
何とかして三つの罪を作りあげんとして考えだしたことであった。
(セネカ[著]茂手木元蔵[訳]『道徳論集』東海大学出版会、1989年、pp.141-142)

 

グナエウス・ピソさんは、ローマの名家出身の政治家で、
紀元後17年、ティベリウス帝によってシリアの総督に任命された人、とのこと。

 

・朝まだきキユルキユルゴウの春の風  野衾