上機嫌でいこう
田辺聖子さんの本を、ときどき読みます。
さいしょは、『新源氏物語』。
原文に忠実な現代語訳というのではなく、
田辺さんが源氏を読み、消化し、自家薬籠中のものとしたうえで改めて書き起こした、
というようなふう。
だから、
古文の現代語訳を読んだときにおぼえる違和感のようなものが
ほとんどありませんでした。
それなら超訳的なものか
といえば、そういうことでもなく、
物語の展開はちゃんとおさえているようですし、
すごいなぁと思いました。
円地さんや寂聴さんの現代語訳とはまた異なる味わいがあり、
円地さん、寂聴さんのもいいけれど、
田辺さんのも好きです。
『むかし・あけぼの 小説枕草子』もよかった。
田辺さん、
ほんとうに古典が好きなんだなぁ、
と思います。
さてこんかい、『上機嫌な言葉 366日』を読んだ。
一日一ページものが好きなので、
これもそういうふうにして読もうかと思っていたのですが、
肩の凝らない言い回しについつい惹かれ、
さいごまで読んでしまった。付箋を何か所か貼りましたから、
気が沈みがちなときにまた読み返そうと思います。
ほんというと、上機嫌、なんていうハカナゲな気分は蜃気楼《しんきろう》
のようなもので、
手につかまえられないからすぐ消えてしまう。
だから多くの人は価値を与えないけど、
私は、ここだけの話、どんな財宝やどんな卓見や芸術よりも、
人間の上機嫌を上においている。
人間が上機嫌でいられるときときというのは、
この世では全く少い。
(田辺聖子[著]『上機嫌な言葉 366日』海竜社、2009年、p.149)
このことばは、七月二十七日のところにあります。
分かりやすいことばで、しみじみ深いことが書いてあると思います。
子どものときだって思い悩みはあったけど、
歳をかさねるとかさねた分だけ、また思い悩みがふえますから、
まさに田辺さんの言うとおり。
つくづく上機嫌でいきたいものです。
・あいさつを濁らぬ人と夏日かな 野衾