フーコーのキリスト

 

この現世に姿を現わしたキリストは、人間の条件がふくむすべての印、
失墜した人間性の刻印そのものを自分のものとすることを承諾したのであり、
貧困から死にいたるまで、
キリストは、
さまざまの熱狂《パッション》と忘却された知恵と狂気〔=愚かさ〕、
こうしたものへの道程たる受難《パッション》の道をすっかりたどった。
しかも、
狂気は、キリストの受難の一つの形態
――ある意味では死に先立つ最後の形態――であるから、
それによって苦しんでいる人々において、
今度は尊重とあわれみの対象となるのである。
(ミシェル・フーコー、田村俶[訳]『〈新装版〉狂気の歴史 古典主義時代における』
新潮社、2020年、p.207)

 

むかしもいまも、イエス・キリストを狂人とみる見方があります。
日本の場合はどうかというと、
歴史の教科書で習ったごとく、
ソクラテスやブッダや孔子などと並び称され、
むかしむかしの偉い人、
という類でしょうか。
イエス・キリストを論じる日本人の著作を読んで感じるのは、
論じる著者の「わたし」と
イエス・キリストとの
距離感。
遠ざかる風景=距離は感じるものなので。
教科書で習った「むかしむかしの偉い人」に対する距離感は、
さほど変っていないのではないか
と想像されます。
『性の歴史』を読んだときにもそうでしたが、
キリスト教文化圏に生を享けたフーコーを読んで感じるのは、
イエス・キリストとの距離が、
あたりまえのことかもしれませんけれど、
日本人のそれとはどうも違っているということ。
フーコーの生に、
イエス・キリストが抜き差しならぬぐらいに食い込んでいる、
そう思います。

 

・とつ国の蹠ひろびろ涅槃像  野衾

 

中島みゆきの「時代」

 

テレビ朝日の「サンドウィッチマン&芦田愛菜の博士ちゃん」
が好きで、
このごろ欠かさず見ていましたら、
先週土曜日かな、
「昭和大好き博士厳選!泣ける昭和の名曲ベスト20」
的なタイトルで、
2時間のスペシャル番組をやっていました。
「博士ちゃん」たちのコメントを聴いていると、
いかにも、
その歌にぞっこん惚れ込んでいることが伝わってきて、
とても気持ちよかった。
「好き」
にストレートなのがいいなぁ。
ベスト20の第5位が中島みゆきの「時代」。
わたしは子供のころから、
歌はどうやらメロディが優先されていた
らしく、
歌詞の意味を考えることをあまりしてこなかった気がします。
はい。
なんとなく、
けっこうデタラメに自作して口ずさんだり。
たとえば、
♪真綿色したシクラメン子の~
とか、
♪ワイングラスのかき氷~
とか。
この二つは、いずれも、小椋佳が作った歌ですが、
思い返せば、
ほかにも結構ありそう。
で、
中島みゆきの「時代」。
ドラマチックな始まりを印象付けられ、
途中の「まわるまわるよ時代はまわる」だけ歌詞を覚え、
そこだけ口ずさんでいたような。
ところが、
だんだん齢を重ねてきたせいか、
また、
勤めていた会社が突然倒産したり、人並みに病気をしたせいもあるでしょう、
ふと立ち止まるような具合で歌の意味を考えるようになりました。
「時代」はまさにそんな歌の筆頭。
いろいろあって、
二度と笑顔にはなれそうになくても、
あんな時代もあったねと話せるようになるから、
くよくよしないで、
今日は今日の風に吹かれましょう、
なるほどなぁ、
そうだなぁ、
ほんとうに。
ほんとうだ。
中島みゆきが世界歌謡祭でこの歌を歌う少し前に中島の父親が倒れたエピソードを、
「博士ちゃん」の一人が紹介していましたが、
知りませんでした。
だからどうということではありませんけれど、
中島みゆきがこの歌を歌う場合、
そのエピソードを重ねずに歌うことは難しいかもしれません。
つくった本人から離れ、
歌そのものが力を持つということを、
わたしは中島みゆきの「時代」に感じます。

 

・涅槃寺無心の子らの遊びかな  野衾

 

巨大ばんぺいゆ

 

仲良くしているご近所さんから、ばんぺいゆをいただきました。
漢字で書くと、
晩白柚。
世界最大の柑橘類だそうで、
いっしょにいただいた説明書によれば、
大正時代に、
熊本出身の植物学者島田弥市というひとが、
原産地のマレー半島から台湾へ、さらに熊本へ導入したとのこと。
黄色い色をしているので、
みかんの仲間だと分かりますが、
大きさはといえば、
すいかか、かぼちゃ、ぐらいあります。
いただいて一週間ほどたちますが、
この間、
玄関ドアを開けると、
ふっといい香りに包まれ、
森林浴ならぬ、ばんぺいゆ浴を堪能しました。
そろそろ柔らかくなってきた
ようなので、
昨晩、
カットして美味しくいただきました。
一度ではとても食べきれません。
西瓜ぐらいある柑橘類ですから、
一個一個の房がまた大きく、
果肉を房から剝がしやいのも気持ちよい。
甘すぎず、酸っぱすぎず、
ほどよいバランス。
わたしは四房でしたが、
そうとう食べた感じがしました。
皮も砂糖漬けにしたりなど楽しめるようで、
家人がいろいろやってくれています。

 

・戸を叩くだれか来らむ絵踏の夜  野衾

 

KNEIPP入浴剤

 

家人がどなたかからいただいたヒバの香りのする入浴剤が気持ちよかったので、
なるほど、
入浴剤はいいかもしれない
と思いまして、
さっそくいつものクリエイトSDへ。
♪クリエイトSD
♪クリエイトSD
ははははは、
と、
あるわあるわ。
知っているバスクリンやバブを始めとして、
見たことも聞いたこともない入浴剤がずらり並んでいました。
ひとつ、
パッと目に飛び込んできたものがありました。
手に取ってみると、
そこに、
「KNEIPP Gute Luft 森で深呼吸するようにリフレッシュ
パイン〈松の木〉&モミの香り」
と書いてある。
ヒバではありませんが、
容器を手に持ち顔を近づけたところ、
たしかに松の香りがします。
ヒバもいいけど、松もね、みたいな気になり、
ちょっと高めでしたが、
籠のなかへ。
家に帰ってさっそく試してみた。
初回は真面目に、
瓶の裏に書いてある使用方法にのっとり、
内キャップ一杯のバスソルト(約40~50g)をお湯の張った浴槽に入れて楽しみましたが、
二回目以降は、
節約して半分ぐらいの量を。
それでも十分松の香りが浴室にただよいます。
というわけで、
しばらくこれにハマりそう。

 

・春寒し天園からの富士の峰  野衾

 

懐かしい味

 

帰宅時、家の近くにあるコンビニかドラッグストアに寄るのがこのごろの倣い。
きのうはクリエイト。
店内でしばしば流れる歌に身をさらしているうちに、
歌詞はともかく、
メロディーが耳に残って離れなくなり、
子どもがトウモロコシをトウモコロシと言って平気でいられるごとく、
聴き取れないところは音数を合わせただけの
デタラメの歌詞をてきとうに口ずさみながら店内散策。
と、
駄菓子コーナーに足が止まり。
見たことのある袋。
あ。
秋田の実家に必ずと言っていいほど置いてある
「味ごのみ」
下の写真がそれ。
きのう一つ食べましたので5袋ですが、
小袋6パック入りです。
新潟の有名なメーカーあたりが作っているのかと思いきや、
ルマンドで有名なブルボンだと知って、
二度びっくり。
待てよ。
念のため、外袋裏の表示を確認。
あ!!
え!?
ブルボンも新潟の会社だ!
知らなかった。
三度目のびっくり。
ともかく。
しばらく常備の駄菓子になりそう。

 

・眺むれば富士の峰から余寒かな  野衾

 

神奈川県立図書館新棟

 

弊社が入っている横浜市教育会館の、道を挟んだすぐ向かいに建設中の建物が、
いよいよその全貌を現し始めました。
ここはかつて神奈川県立紅葉が丘高等職業訓練校があった場所です。
平成20年3月に廃校になったようで、
その後しばらく放置されていましたが、
取り壊し作業ののち、
更地となった広い土地には、草が伸び、花が咲き。
それを会社のベランダから眺め、
ずっとこのままの景色だったらいいのに、
などと、
手前勝手なことを思っていました。
工事が始まったのは、
去年、
いや、一昨年だったでしょうか。
工事の立て看板を見たら、
「神奈川県立図書館新棟」の記載があり、
へ~、そうなんだ、
と、
ちょっとびっくり。
たしかになぁ、
前川國男が手掛けた本館、貴重な資料を誇る新館との謳い文句も、
利用者がそれほど多くないということであれば、
宝の持ちぐされのようなもので、
なんだかもったいないなぁ、
とは思っていました。
そうか。
新棟か。
どうやら、
横浜市中央図書館に匹敵するような、
ひょっとしたら、それを上回る人の出入りを期待するような、
光あふれる、光に満ちた、そんな図書館が出来上がるのかもしれません。
今年9月オープンのようです。
楽しみ!!

 

・リュック揺れ目元華やぐ春隣  野衾

 

仕事に徹する

 

日曜日朝6時35分からの「NHK俳句」を欠かさず見るようにしています。
先週は、岸本葉子さんが司会進行役の回でしたが、
番組冒頭、
岸本さんが体調不良のため、大事をとり休みになったので、
代わって中川緑が司会を務めます
とのことでした。
中川さんは、NHKのアナウンサー。
岸本さんは、
「第二週は俳句が大好きな岸本葉子が務めます」
と、
いつも笑顔を絶やさず、ゆっくりていねいに流していきますから、
好感をもって見ていますが、
中川さんの司会は、
岸本さんとは別の意味で、
プロのアナウンサーというか、司会進行役の仕事のキモとでも言ったらいいか、
それをまざまざと見せられました。
講師は阪西敦子さん。
ゲストはイッセー尾形さん。
中川さん、
アナウンサーですから滑舌がいいのはあたりまえですが、
25分間ある番組の時間を一度も気にする風がありませんでした。
イッセー尾形さんが、
松尾芭蕉をモチーフにして描いた絵を見せながら、
割と自由にしゃべる場面もありましたが、
そういうときはゲストにたっぷり話してもらい、
じっくり耳を傾けつつ、
それでいて、
時間が押しているのか、
いないのか、
そんなことは露ほども見ているこちらに感じさせず、
また、
講師の阪西さんを立てて話を促し、
まぁ、見事というしかない仕事ぶりでありました。
おそらく、
タイムスケジュールが体内時計のように、
頭の中にきちんと入っているからこそできる所作でありましょう。
俳句の勉強もさることながら、
じぶんの仕事に徹することの意味を
改めて考えさせられました。

下の写真は、
打ち合わせのため来社されたカンナ社の石橋さんからいただいたお花。
ほんのりいい香りがしています。

 

・小走りのマスクの娘春隣  野衾