生きられる時間

 

歳を重ねると時の経つのがはやく感じられるとだれもが言います。
先日入った蕎麦屋の女将さんも、
「正月が明けたと思ったら、もうすぐ桜の季節ですものねー。はやいですねー」
と言っていた。
心理学的な説明をする人もいて、
そんなものかと、
どこか他人事のようなところがありましたが、
このごろそれを実感することに遭遇した。
「遭遇」
はちょっと大げさだけど。
それは、
散髪の間の日数感覚。
わたしの散髪は、
長さ1ミリに刈り上げるバリカンでウィ~ンとやるだけの簡単なものですが、
長さが短いだけに、
たとえば髭のごとく、
すぐに伸びてきて気分が悪く、
人にも不精な印象を与えかねませんから、
2週に一度は行きつけの床屋に足を運ぶようにしています。
ついこのあいだの土曜日がその日でした。
夕刻、
首都高速道路永田インターチェンジ横の長い階段を下りながら、
つらつら思い返していたとき、
ハッと立ち止まり、
2週間の時の短さを思い知らされた。
ん!?
2週間て、
こんな感じだったか。
いくらなんでも短い。
短すぎる。
子どもの頃、
父と母と弟と汽車で(電車でなく)秋田市まで行って、
まず動物園へ行き、
それからまんぷく食堂でラーメンを食べ、
そしてそれから木内デパートでいろいろ買い物をする、
それが2週間後
と言われた時の興奮と待ち遠しさといったら、
長く長く果てしなく感じられたっけ。
散髪までの2週間が1週間
なのに対して、
4人で秋田市に行くまでの2週間は、1か月後、2か月後、それ以上にも思えました。
どうやら、
時計で計れる時間とはまた別の時が流れていて、
それをわたしたちは感じ分け、
生きているようです。

 

・卒業の日にジョーズを観に行けり  野衾