開花予想どおり、横浜は桜が咲き始めた。白、薄いピンクなど、木によってそれぞれ個性を発揮しているようだ。小社は桜木町にある。都市開発でどんどん町が様変りするのはやむを得ないとしても、名前の由来がわかるぐらいには桜の木を残して欲しい。いま、紅葉ヶ丘に立ち港の方を見遣れば、ランドマークタワーを始め「みなとみらい」を象徴する建造物が立ち並んでいるが、昔はどんなだったろうと想像する。町の名にするほど、坂の上から船の行き来する霞む港まで、桜がふぁ〜っと見えただろうか。浦島太郎が立っていて、このごろ流行りのはまちゃんバスが横を通っていった。

閉店

 社屋のある紅葉ヶ丘を扇のかなめに見たて、広げた扇子の一方の端が野毛を通って伊勢佐木町・馬車道あたり、他方の端が音楽通りをかけJR桜木町駅方面あたりまでが昼の散策・昼食コースなのだが、駅近くにあったカレー専門店が昨日で突如閉店になった。
 いつものようにイカ空揚げカレーを頼み、いつものように食べ、さて勘定を払うべく、割引のスタンプを捺してもらおうとカードを出したら、今日で終わりになりますので使えない、とのこと。えええっ! 急に通達が来たそうで、店のおばさんたちも戸惑いを隠しきれない様子。本店が京都にあるチェーン店で、値段も手ごろ、美味しかったのに残念だ。店の外に閉店のあいさつが寒空の下、A4の紙に貼ってあった。きのう行かなければもう食べれなかった。おばさんたち、今日から就職活動か。

面接

 ホームページ上で編集者を募集したところ、二十名ほどの応募があり、書類選考の上、きのうは二人面接。部屋の真ん中にある木のテーブルに向き合いながら話すのだが、面接するこちらはなんでもなくても、されるほうは相当緊張を強いられるだろうなぁと、面接しながら思った。
 面接官は、専務イシバシ、武家屋敷ノブコ、それと私。面接室を特に設けているわけではなく、また、ウチはパーテーションなるものがなくオープンスペースなため、面接官以外は自分の仕事に没頭しているとはいうものの、社員全員に取り囲まれ面接を受けている印象は免れない。受けるほうは大変だろうけれど、ウチの雰囲気を印象深く知ってもらうには、悪くないのかもしれない。

三月のハエは

 洋間のソファーに横になり本を読んでいて、ぽかぽか陽気で気持ちよくなり、いつしか眠ってしまったのだろう。夕刻、そろそろ起きなきゃなぁと、まどろんでいたら電話が鳴った。相手の声に集中する。懐かしい教え子からだった。(教え子、という言葉も相当なものだ。高校時代の教師と生徒の関係がそもそもの始まりだから、教え子。教室、黒板、教壇、机、椅子、授業、…。なにか教えたろうか。現代社会、政治経済、…)
 静かにいろいろ話していたとき、窓ガラスに止まっているハエを見つけた。おや、と思った。出てくる季節を少し間違えてやしないだろうか。受話器を持ったまま、1メートルほど近づいたら、ほんのちょっぴり飛び上がり、またガラスにぴたりと張り付いて、はっきりハエだと分かった。なんだか可笑しかった。五月のハエはうるさくうっとうしいだけが、三月のハエは至って静か。ちょっと早かったか、なんてハエ、思っているのだろうか。

真っ黒

 保土ヶ谷駅の近くのFスーパーによく寄る。会社の帰り、休日。
 最近、アルバイトで入った娘なのか、その辺のところは知らないが、おおおっと目を惹く娘がレジを打っている。とにかく、まつげが真っ黒い。顔全体の化粧はそんなに濃くないのに、まつげだけが異様に濃い。二十歳を過ぎているだろうか。高校生かもしれない。なんと言ったらいいのか、誤解を恐れずに言えば、わたしは、その彼女をいとおしく感じる。けなげな感じと言えばいいだろうか。
 まつげがマスカラで真っ黒い=いとおしい。けなげ、というのは、あまりに個人的趣味に走っているようにも思うが、たとえば、井上陽水の「飾りじゃないのよ涙は」を、作った本人が歌えば年齢もあり渋くカッコイイのに、若い頃の中森明菜がツッパッて歌えば歌うほど、けなげな感じがして可愛く感じたものだ。この感じ方というのは、いわゆる「オジさん」「オヤジ」の感性かもしれない。いや、そうに違いない。でも、なんと言われようと、そう感じるから仕方がない。世知辛い世の中で精一杯自分らしくあろうとしている姿に見えてしまうのだ。
 まつげ真っ黒の娘、ぼくの後ろに並んでいる客がいないのを見とどどけたのだろう。ビニール袋をただ籠に入れずに、わたしが買ったものを一つ一つ袋に入れてくれ、籠は自分のそばに置き、袋のほうを渡してくれた。勘定を払い、真っ黒まつげの娘から袋を受け取り、「ありがとう」と言って外へ出た。

朝起きて

 ヨイショの掛け声と共に起きる。洗面所に行き歯を磨く。磨いているうちに内臓が刺激されるとでもいうのか、トイレに行き用を足す。コップ一杯の水を飲む。お湯を沸かす。柿の葉茶をいれる。「よもやま」を書く。ダンベル体操に続き、西式体操(背腹運動、毛管運動、合掌合蹠運動、金魚運動)をする。風呂に入り、これまた西式による温冷浴をやる。風呂から上がると、足裏のツボマッサージ百回。祖父母の小さな写真を飾ってある仏壇(と言っても、ただの台だが)の水を取り替え掌を合わせる。柿の葉茶を数回に分けて飲む。ベランダの植物に水をやる、などなど。朝起きてから出社するまでが結構いそがしい。リズムは大切と思うからそうしている。

若き編集者

 ただいま小社では編集者を募集している。すでに何通か書類が届き、メールによる問い合わせも来ている。編集希望というくらいだから、趣味の欄には必ず「読書」があるし、それなりに本好きなことが分かる。教師になりたい人に「なんで?」と訊くと、「子供が好きだから」という答えが多いように、編集者になりたい人に「なんで?」と訊くと、「本が好きだから」…。
 編集者は本を作るわけだから、本が嫌いでは話にならない。が、それはもう前提の話であって、理由に挙げて欲しくない気持ちがこちらにはある。こんなことを書いたら、これから応募してくる人に影響があるかもしれないが、まあ、いい。わたしの気持ちとしては、「本」というよりも「文章」に偏執狂的であって欲しい。たとえば、自分の好きな文章(詩の一行でもいい)に触れたら、アロマセラピーの香りを嗅いで気分がよくなるぐらいに感応し、ダメな文章に触れたら、逆に反感を覚えるぐらいに、目の前の文章に身体的に密着して欲しいと思うのだ。
 そういう意味も含め作文を課しているわけだが、作文だけではなかなかそこまでは分からない。お蚕さんが桑の葉を食べるように倦まず弛まず文章を読み、ゲラを通して、それ以外では得られないコミュニケートの質に喜びを感じられるような若者が欲しいし、そういう編集者に育って欲しいと思う。