ときどき整理法

 大学の先生が提唱する「超」がつく整理法も試してみたが、いつのまにかやらなくなった。なんでだか分からない。結局これも身の丈に合うものでなければ長続きしないということだろう。
 会社の仕事机の上に重ねた書類がうずたかくなり、危うく崩れそうになったから、左手が使えないので右手で持てるだけの束を持ちひっくり返し、さらにつぎの束をひっくり返して前のに重ね、ちょうどクワで掘り返した土を畦に積み上げるようにする。この時点では机上の書類が裏返ってただ移動しただけ。問題はこれから。
 一番上の書類(さっきまで一番下のもの)から順番にていねいに見ていくのだ。途中で頓挫した企画があったり、なんのために出力したのか意味不明な記事もある。手紙もある。半年前、一年前にもらった手紙が紛れ込んでいることもある。きっと、新しい企画へのヒントになるかもしれない、とでも考えたのだろう。それすら思い出せない。機械のメンテナンス契約の書類もある。これを入れるファイルを作るのが大げさな気がしてヒョイと目の前の書類に重ねたか。
 というわけで、いろいろなものが次から次へと出てくる。さてそれから。もはや残しておいても役に立たないと即断したものは破って捨てる。が、?役に立つ、あるいは?役に立つかもしれない、はたまた?役に立たないとは必ずしも言いきれない、と三ランクのいずれかに属する場合は元の位置に重ねていく。これがわたしのときどき整理法。一年に一度か半年に一度。
 あまりパッとしない方法だがわたしには合っている。ほんのときたま、いかにも感情的になって書いたと知れる、なんだか訳の分からぬ人生訓・処世術みたいなものがメモ用紙の切れ端に走り書きしてあり、恥ずかしくなって、人知れずレシートを破くよりもさらに細かくちぎってゴミ箱へ捨てる…。
 これ、ずぼらな整理法ながら、眼を白黒させたり顔を赤く染めたりしながら、でもけっこう楽しめる。次は年末かな。

中敷きに感動!

 愛用しているホーキンスの靴がだいぶ傷んできたので行き付けの靴屋に行ったら扱わなくなっていた話を先日ここに書いた。ネットで調べたら横浜駅西口の岡田屋モアーズの五階ABCマートで扱っていると知りさっそく買いに行き二足ゲット。締めて一万二一八〇円。かつて二回とも黒二足ずつ購入してきたが茶色も捨てがたくいいので今回は黒と茶色一足ずつにする。
 目的の靴をゲットし満足して帰ろうとしたとき、傷んだ二足の靴を思いだし、たしかに傷んではいるけれども、まだ捨てるほどではないなと思い直し、いったん店を出ていたのを引き返して、お兄さんに「中敷きはありますか」と訊いてみた。「こちらです」と案内されたコーナーに幾つかの種類が吊るされており、抗菌・防臭・吸汗と太文字で書かれたものを二つ購入。締めて二一〇〇円。
 家に帰りいつも履いている靴から中敷きを取り出し新品に換えた。その状態で昨日一日履いていたのだが、履き慣れた古い靴がなんとも快適で履き心地抜群! こりゃいい! こりゃいい! と何度も言っていたら、武家屋敷が笑いを堪えた表情で「ずいぶん元気になりましたね」だって。でも、本当だからしょうがない。中敷きひとつでこんなに気分が変るものかね。快適も快適だが、古くなって捨てなければと思っていたのが再生したようで、それがいっそう気分よい。

若鶏クワ焼き

 昼、久しぶりに馬車道の勝烈庵へ。盛り合わせ定食2100円は少々値が張るが、食べたことがないので頼んでみる。
 若鶏クワ焼き+ひとくちカツ+エビフライ。ひとくちカツとエビフライなら、すでに味を知っているので驚くことはない。いつものように、美味い! さて若鶏クワ焼き、タレが鼈甲色に輝き、いやがうえにも味覚を刺激してくる。ひと切れ目を口中へ。うっ。この味! ず〜っと昔、田舎でよく食った好物の味に似ている。そう、スズメ。なつかしいスズメの焼き鳥の味ではないか。じわ〜んと目がうるむ。タレも酷似している。横浜でこの味に会うとは思わなかった。週に一度はしばらく通わなければなるまいな。うん。

現場

 bookish という英単語を辞書で引くと、「本(好き)の」「 博学な」「 学者ぶる」「書物の上(だけ)の」というような意味が記されている。「本(好き)の」「 博学な」はいいとして後半ふたつ「 学者ぶる」「書物の上(だけ)の」はあまりうれしい言葉ではない。
 「ブッキッシュ」にかかわって苦い体験がある。前に勤めていた会社が倒産し金融上のトラブルに巻き込まれたとき、学生のときからの友人ふたりに相談したことがあった。
 ひとりは大手銀行ソウル支店の支店長、もうひとりは政府系銀行の中堅室長M。困り果てたわたしはまずソウルに電話した。電話口で友人が言った。「配達証明・内容証明郵便で送られた文書を読み上げてみろ」言われたとおり電話口でゆっくりと丁寧に読み上げると、今度は聞く前からそれと分かる暗い調子で「三浦くん、それはどうしたって無理だ。抜け道がない。明治の頃から絶対に抜け道がないように練りに練って作られてきた文書だよ…」ガーン!! すかさずわたしは言った。「おめえ、ずいぶん冷てえじゃねえか。無理ってなんだ、無理って。おれにそんな大金払えるわけないだろ」「冷たいもなにも、無理なものは無理なんだよ。友達だから言ってるんだ。とにかく、おれでは埒が開かない。おれは学校出てからブッキッシュに勉強し仕事を覚えてきた。現場のことはあまり知らない。Mに聞いてみろ。あいつならなにかいい知恵があるかもしれない。修羅場を相当くぐってきたはずだし現場に強いはずだから」電話を切りボタンを押すのももどかしくMに電話。「あいつ冷たいんだ。ひとが困っているというのに、無理なものは無理、なんて言いやがる。自分はブッキッシュに勉強してきただけだから現場をあまり知らない、とか言って…」問題解決のため現場に駆けつけたところを捕まり軟禁された経験もあるというMは、わたしの話を黙って聞いたあと静かに、「でも、法廷で勝つのはブッキッシュなほうだよ」と言った。
 結局、Mが自分の会社を一日休み、わたしをトラブルに巻き込んだ銀行まで友人として出向いてくれ、わたしなんか読んでもチンプンカンプンな文書に目を通し、手際よく問題を解決してくれた。Mが神様に見えた。冗談でなく。鼻水が垂れ、涙がツーと糸を引き顎の辺りでカンカンカンと鳴っていた。
 ブッキッシュにあこがれブッキッシュに徹しきれず、反対に、本など読まず身ひとつで現場に向き合うひとの言葉に圧倒されているのが今のわたしの現実だ。

 横浜に出たついでに靴のIWAMA(岩間?)に寄ってみた。ホーキンスのお気に入りの靴が二足とも(足にフィットし、価格もお手ごろなので、二足ずつ二回、すでに四足履いた)だいぶ傷んできたので替え時かなと思い、前回どおり店に入り「これと同じのください。二足!」と店員に告げた。すると「ごめんなさい。当店ではしばらく前からホーキンスを扱わなくなりまして…」とのこと。ショーック!! 仕方がない、すごすごと帰ってくるしかなかった。
 歩くことは嫌いじゃないし、ぼくの唯一の運動のようなものだから、最初この靴に出合ったときは、もう一生この靴と添い遂げようと思ったくらいだ。靴の横が破れ修理に持っていったことがあった。「お客さん、こんなふうに破れてしまったら修理はできません」と言われた。
 小学生の頃、学校で履くズック靴(上履き)が傷んでくると、新しいのを早く買ってもらいたくて、破れたところにわざと指を入れビリッとほんの少し(ビリビリビリッと大げさに破くのはさすがにはばかられたから)破いたっけ。そんなこともあった。
 ネットで調べたら、横浜駅前の岡田屋モアーズにホーキンスを扱う店があるらしいので、帰りに寄ってみようと思う。

 音楽は、その日その時の気分で、ほとんどデタラメに聴いているわけだが、CDを1枚、セットものなら2枚、最初から最後まで聴くと、はは〜、こういう気分になりたかったのかと後から気づくことがある。
 マイルス・デイビスのライブ録音の2枚組アルバムを聴いた。『ダーク・メイガス』がそれ。いわゆるエレクトリック・マイルスといわれた時代の作品で、この時期のものとしては『ビッチェズ・ブリュー』がつとに有名だが、邪悪さにおいて『ダーク・メイガス』が極北だろう。中のジャケットに写るマイルスは人間というよりもどこか猿に近く、変な汗をかいている。部屋で聴くギリギリまでボリュームを上げズンジャッジャッーズンジャッジャッー…と、ほとんど殴るようなドラムの音を聴いていると心臓がバクバクしてくるのが分かる。トータル100分近いライブ演奏を浴び、ああ、なんだ、汗をかきたかっただけかと思った。

時間がかかる

 日本整形外科学会に出席のため仙台から瀬上先生が来浜、昨日、息子さんと一緒に会社に寄ってくださった。
 鎖骨の状態を触診、折れたところの盛り上がりがだいぶ収まりましたね、とのこと。このごろの新刊をテーブルの上に並べ、しばし歓談。のち、専務イシバシを交じえ四人で小料理千成へ。医療の問題点について素人には分からない話をいろいろ伺う。
 わたしは最初ウーロン茶を飲んでいたのだが、先生から許可をもらったので、二杯目は生ビールを所望、ママが「だいじょうぶなの!?」といくらかきつい調子で言ったのが面白かった。「先生から許可をもらったんだからいいんだよ」と返したが、なんだか親に注意されたような気になった。先生はうつむき加減でにこにこしている。矯正ベルトは三ヶ月ぐらいはしなければいけないそうで、骨は時間がかかるとも。気長に養生するしかない。