「交渉人 真下正義」

 ユースケ・サンタマリア演じる交渉人の真下正義が、何者かにのっとられた地下鉄の最新鋭実験車両事件に挑むというもの。「踊る大捜査線」から派生・発展した作品とのことだが、単体で十分たのしめる作品だと思う。テンポもよく、今の時代に起こりうる犯罪の恐ろしさがひしひしと伝わってくる。また、のっぺり無表情のユースケ・サンタマリアが、交渉人として犯人と巧みに交わす心理戦は、どこまでが計算で、どこからが本音だろうかと観ていて興味尽きず、いや、本音と思われた言説も実は交渉人としての計算のうちではなかったかと思わせるあたり、なかなかのもの。2時間7分があっという間。おもしろかった。
 さてこれから観ようと階段を登っているとき、見終わった前の客が結末についてコメントしながら出ていったのは反則。

 わたしが使っている会社のパソコンがカタカタカタ…と無気味な音がして、とうとう壊れた。たがおがマイ・ドキュメントとアドレス帳を救ってくれたのでよかったが、あとは儚く消滅。すぐに業者に連絡し、本体だけ取り替えることに。一昨日設置完了、旧に復す。取り替えるまでの数日、なんとも心もとない時間を過ごした。
 パソコンがなくてもできる仕事はあるから、それをしてればいいではないか、とは思うものの、思考自体がこの頃ではパソコンと共にあるみたいな状態だから、パソコンなしでは夜も日も明けぬ。思考停止。
 いつからこうなってしまったのだろう。会社を起こしてから。メールをやり取りするようになってから。売掛け、買掛け、在庫、資金繰りなどの表をエクセルで作るようになってから。いろいろな作文をパソコンを使って書くようになってから。「よもやま日記」を付けるようになってから。etc.
 パソコンだと下書きと清書の手間が省け、いくらでも、書きながらでも直せるから、思考そのものをクリーンにしていくような気持ちよさがある。文章を綴りながら除雪し道が出来ていく(雪国出身者の比喩)のを眺める心地よさ。便利さだけではなく、便利さに伴うこのこころ、「快」の点数が加わっているような気がする。そうそう、もう一つ、タバコをやめられたのもパソコンを使うようになってからだ。ほんと。ニコチンの「快」がパソコンの「快」に変換した、か。うーん? それは牽強付会、できすぎか。でも、タイミング的にはそうなんだよね。

人に愛

 ク〜ッ!! 究極のすごいタイトル! たしか中学校の体育館ではなかったかと思う。弟が今そこに勤めているから、訊けば教えてもらえるだろうけど、煩わせるのも悪いからあやふやな記憶で記すことにするが、そこに「天に星 地に花 人に愛」と揮毫された額が掲げられていた。短い文句だし、語呂もいいから、なんとなく憶えている。が、それにはもう一つわけがある。すこし違和感があったからだ。
 天を見上げれば(曇っていれば見えないけれど)必ず星がある。季節にもよるが地には必ず花が咲く。だけれど、それら二つと同じ並びで人には必ず愛があるといえるだろうか。人には他にも、もっといろいろ大事なものがあるはずだし、天=星、地=花のように、愛がなければ人ではない(ひとでなし)みたいな言い方は少しおかしくないか。思い出して整理すると、そういう違和感ではなかったかと思う。
 いまはどうかと言うと、子を持つ親も、そうでない者も、大事なことは愛することただ一つかなと思うのだ。『愛するということ』という哲学的な本もあるけれど、本に拠らずとも、たとえば「親切」ということだし、まなざし一つのこともある。
 ピナ・バウシュ・ブッパタール舞踊団の「ネフェス(呼気)」を観て感動し、チラシにあった言葉、「価値のある唯一の行為は愛することである。」に涙ながらに合点がいって、数日そのことをつらつら考えていたら、上の言葉を思い出した。その言葉がだれのものか先生から教えてもらった記憶はない。『友情』を書いた武者小路実篤の言葉だそうだ。

馬鹿ていねい

 「お使いになっているパソコンの背面に貼られているシールに記載されている製造番号を御教示賜りたく何卒よろしくお願い申し上げます。」
 知人は大手電機メーカーに勤務。パソコンに関する客からの質問にメールで答えるのが仕事だ。お客は神様だから、上司からきつく、ていねいにていねいに、さらにていねいに最上級の言葉をもって接するようにと諭されているらしい。その例がたとえば上記の文。知人いわく、製造番号を知りたいだけなのに、なにも御教示賜らなくてもいいのではないか。製造番号を教えていただけますか、でいいだろう。だって、その客が知りたいことはもっと先にある。知りたいことの手前でなんだか妙にていねい過ぎる言い回しをされて、客はどう思うだろう、云々。
 知人の意見は至極もっともだと思ったから、そう答えた。「賜る」と「存じ上げる」がやたら多い文章は、皮ばかり厚くて食うところがほんの少ししかないフルーツに似ている。大事なことを本当は知らせたくなくて、「賜っ」たり「存じ上げ」たりしているのじゃないかと勘ぐってしまう。

研究テーマ

 谷川健一さんから電話が入る。日本経済新聞の夕刊に金曜日までコラムが連載されるらしい。
 さっそく広告代理店に電話し、FAXしてもらう。「<小さき民>こそ わが師」というタイトルで市町村合併についての安易な方策について警鐘を鳴らしている。谷川さんは現在八十三歳。柳田国男と折口信夫を継承する民俗学の泰斗だ。
 記事を読んで驚いたのだが、谷川さんが研究を始められたのは四十九歳とのこと。五十を前にして一念発起したのだろうか。これまで何度かお目にかかりお話をうかがう機会があったが、現状のさまざまな問題が徐々に時間性、歴史性を帯びてきて、まるでタイムマシンに乗っているような気になってくる。『宗像教授伝奇考』を読むよりも面白い。膨大な時間によって培われた庶民の知恵を伝承することは、今のわれわれの生のゆたかさにつながっていると気づかされる。晶文社から『独学のすすめ―時代を超えた巨人たち』がでているが、遅読のわたしが一気に読んだ。谷川さんの先人に対する敬愛の情と学問への決意がみなぎっているからだろう。

意味はない

 クールビズ、クールビズ、クールビズ、クールビズ、スクール水着、なんでか連想がそっちへいく。語感のせいだな。それから、こんなの。おんながすなるエステというものをおとこもしてみんとてすなり。オステ。アハハハハ… 自分でウケてどうする。
 専務イシバシと大阪へ向かう新幹線の車中、「最近は男も身だしなみに気をつけるようになって、エステに通う男が増えたそうだな。男がいくエステのことをオステと呼んだらどうだろう?」。イシバシ、ガハハ…と笑いながら、「いいわねえいいわねえ。アハハハハ… でも、あまり優雅な感じがしないわね」とかなんとか。そんな会話に興じながら大阪を目指したのだった。

大阪出張

 本に収録予定の座談会に出席のため大阪入り。鎖骨骨折以来ワイシャツをはじめて着た。今年はおかげさまでクールビズとかいう妙なスタイルが流行し、ネクタイをしていなくても目立つことはない。ま、ネクタイをしているとかしていないとかの前に鎖骨固定バンドで思いっきり目立っているわけだが。
 ええと、話は突然変わるが、谷町九丁目交差点角のお店で食べたタコヤキが美味かった。本当に小さな店で、店内にカウンターがあるとはいうものの、大人五人は入れそうもない。タコを焼くのは奥さんの係り、持ち帰りの客のことも考え外で焼いている。というか、あの狭さでは店の中で焼くのは無理だろう。
 専務イシバシと半皿(6ケ)3枚とってフーハー言いながら頬張った。あと、ダシ巻き玉子にウーロン茶。帰りがけ威勢のいい声で若旦那が「おおきに!」と言った。角の小さい店で稼ぎお金をためて立派な店を持つのが夢だとか。いや、尋ねたわけではない。かいがいしく働く若い夫婦の姿から、こっちが勝手に想像したことで…。いいなあ、未来だけが目の前に広がっていて。