ある日、パソコンに向かって何やら検索していた専務イシバシが、いきなりこう言った。
「このまま死んだら、わたしの人生なにもいいことがなかったということになるわ」
悲観の虫が疼いたのだろう。まともに付き合っていると大変なので、黙って聞かぬ振りをしていた。
翌日、またパソコンに向かっていた彼女、今度はこう言った。
「わたし、お金が貯まったら、スイスに別荘買いたいわ」
楽観の虫? 開いた口がふさがらぬ。
「矛盾してねえか。きのう、あれほど悲観的、昭和枯れすすきみたいなことを言っといて、舌の根の乾かぬうちに、きょうはスイスに別荘かよ。それに、この前は葉山って言ったろう。とりあえず、どっちでもいいけどさ」
「それもそうね。アハハハハ…」
社内の空気が一気に和む。救いの神は無意識の不意の言葉にも潜んでいる。相田みつをよりもありがてえ。
昼過ぎから体が火照って、風邪だ! と思ったので、とりあえずデカビタCを2本飲む。
家に帰って休むべきだったかもしれないが、文化村シアターコクーンで演っている「幻に心もそぞろ狂おしのわれら将門」をたがおと観に行った。清水邦夫原作、蜷川幸雄演出。
蜷川さんらしく大スペクタクルな演出で綺麗かつ仕掛けたっぷり。中嶋朋子と木村佳乃は色っぽい。将門役の堤真一は、「狂おし」くない。コミカルな馬鹿の振りをしているだけで、「狂」とは違う。狂っている人というのはこういう感じでしょ、というのを演じているように見え、外からの見え方など気にせず充実した「狂」を生きている風ではない。韓国映画「風の丘を越えて」の音楽とパンソリは○。
3時間近くの芝居を観終わり、腹が減ったので、前にカメラマン橋本照嵩に連れていってもらった回転寿司屋で数個摘まみ、腹を満たしてから帰った。
飲み友達のK氏曰く、流星少年パピーが出動する時に発する言葉は、「ピーン、パピー」ではなく「ピー、パピー」である。野沢那智のような張りのある立派な声で何度もそう言った。あれはピーンでなく、ピーだ!
K氏、このごろ相当この欄を読んでくれているらしく、昨年11月11日の記事中にある間違いを指摘してくれたのだ。有難し!
単純なことのようだが、「ピーン、パピー」と「ピー、パピー」では随分印象が異なる。立ち幅跳びと走り幅跳びぐらいに違う!? それに「ピー、パピー」は「ピー、パピー」と表記するよりも「ピーッパピー」とした方が、よりリアルかもしれない。リアルだし、なんたって勢いがある。
運動のからっきしダメだったA君がトイレで用を足した後「ピーッパピー」と叫び、脱兎のごとく走り去る、その時だけは万能のスーパーヒーローになっていたのだろう。
いま急に思い出したことがある。父がまだ高等科(いまの中学校)一年生の時、ということは敗戦の年。高校受験を控えた生徒に対し(当時二年で卒業だったが、一年が終わった時点で受験できた)面接の模擬試験をしてくれた担任の先生が、ある男子生徒に向かい「君はなんの運動が好きか」と訊いたそうだ。すると、訊かれたその少年、まだ本番前の練習だというのに、よほど緊張していたのか、腹が減っていたのか、「は、はい。ぼ、ぼ、ぼくは煮たうどんが好きです」。先生「もう一度言ってみろ」。少年「煮たうどんであります」。先生「ぶあっかものーーーっ!!」
先生がいくら馬鹿者と叫んでも、敗戦の年のこととてろくな食い物がない。運動のことを訊かれ、うどんと答えてもいた仕方なかったろう。また、先生も生徒も秋田のド田舎のひと、質問中の「運動」だって(わたしも秋田弁で育った人間だからわかる)限りなく「うどん」に近かったはずだ。父もよほどそのことが印象に残っていると見えて、いつも楽しそうに話す。
「ピーン、パピー」からとんだ話になってしまった。
秋田の父から電話があった。父の幼馴染で、長男がわたしと同級、次男が弟と同級のK氏が突然亡くなったとのこと。
K氏の長男がやって来て弔辞を頼まれ、父は強く断ったそうだが、どうしてもと言われ、引き受けたとか。「読んでみるから、おかしいところがあったら教えてくれ」
父の言葉を聞きながら、頭は中学二年生の時に飛んだ。宿題を忘れると耳を引っ張る理科の先生で、生徒から恐れられていたおっかない教頭先生が病気で亡くなり、わたしは生まれてはじめて弔辞を読んだ。自分なりに教頭先生のことを思い文章を書いて、担任の先生に見せる前に父に見せた。直されたか、直されなかったか、もう憶えていない。
あらぬ方に行っていた頭が父の嗚咽で現実に引き戻された。涙もろい父はK氏を思って泣いていた。電話口で泣いているようじゃ本番が思いやられるよ、とわたしは言った。今日がお葬式、ちゃんと読めればいいが。
ガリガリ掻き鳴らすギターにセクシーな声、若い頃の尾藤イサオによく似た風貌。というか、年代からいって、尾藤イサオがマジック・サムに似ているというべきか。
シカゴのアレックス・クラブでのもの(1963-64)とアン・アーバー・ブルース・フェスティバル(1969)のライブを収めた贅沢CD2枚組。その名も「Magic Sam Live」
旧友上田聡は、今年はアメリカのツアーに参加するそうだから、ブルースの本場でぜひ大和魂の雄叫びを上げて欲しいものだ。
横須賀時代の教え子の個展会場へ。東急東横線白楽駅西口下車1分と案内葉書にあったが、1分もかからぬほど。
上り坂の途中、階段を数段下りたところに瀟洒な建物がある。墨をモチーフにした絵が静かに飾られ、ゆっくり二回見てまわる。「コーヒー豆」と「雪の日に」と題された絵は、バランスが幸福への回路とも感じられ、何か教えられる気になった。「雪の日に」に描かれた顔の表情は教え子によく似ていた。
見終わった後、「先生、お茶飲んでって」と声をかけられる。見に来た客にそうしているのだろう。友人が作ってくれたという和菓子が口の中でとろけた。
オクザキノリコ展は今日まで。お近くの方はぜひどうぞ。
帰り、横浜駅で下り、タワレコへ。サニー・ランドレスのライブ盤(!)「Grant Street」が出ていたので買う。家に帰ってさっそく聴いた。上田聡ばりのスライドギターが唸る。とくに2曲目「Broken Hearted Road」4曲目「Port of Calling」11曲目「Congo Square」に痺れる。泣きのギター炸裂!
三人でてくてく歩いて馬車道の勝烈庵へ。老舗の落ちついた雰囲気がいつも気持ちいい。イシバシはひとくちカツ定食、武家屋敷は牡蠣フライ定食、わたしは海老フライ定食。海の老か。ひげがね。
お店で働く女性たちの気持ちよいこと。マニュアルに頼らないきびきびした清清しさと自然な応対が心を和ましてくれる。
「すみません。キャベツをください」と、武家屋敷。「わたしも…」とイシバシ。キャベツとご飯はお替りができる。わたしの皿のキャベツは三分の一ほど残っていて、どうしようか迷って声を発しなかった。イシバシと武家屋敷の皿にキャベツをのせたあと、給仕の女性が「キャベツ、いかがですか」とわたしに訊いた。「はい。少しください」「上から失礼します」。皿にまだ残っていたからそう言ったのだろう。気が晴れた。
創業者が板画家の棟方志功さんと友人だったそうで、店内には棟方さんの板画がさりげなく飾られている。一階から二階へ上がる階段の踊り場に棟方さんのエピソードを綴った額が置かれている。「わだばゴッホになる。」の棟方さんが店を訪れると、あの津軽弁そのままに話をされたとか。
帰りは来た時と別の道を通って紅葉坂へ。途中、大岡川。親分、チャカをぶっ放され飛びこんだのはここか?