雪道

 『北上川』でブレイクしている(今年に入って3刷!)写真家の橋本さんから、次の写真集の企画のための写真がダンボールで二つ送られてきた。あと同じくらいの量があるという。ダンボール箱を開けると、中にテーマごとのファイルがぎっしりと収められてあり、わたしはとりあえず適当に2、3のファイルを取り出して大判の写真を1枚1枚眺めてみた。
 「雪道」と書かれたファイルがあった。同じ場所で撮られたものが十数枚(もっと?)はあったろうか。建物も何もない雪道で、左にゆっくりカーブしている。角のところに街灯が1本立っていてそこだけ明るい。道の両側は除雪された雪が壁をなしており、街灯の光は届かず、黒々とした塊だ。光が当たっている場所の雪は、写真がモノクロだというのに、雪国で生まれ育った者にはなんとも懐かしくクリーミーでミルキーで優しく感じられる。ミルキー・ウェイへとつながる色、いのちを育む乳の色だ。ジョバンニが病気で臥している母のために牛乳を取りに行くとき通った細い道にも街灯が立っていた。そんなことまで彷彿とさせる、無意識が豊かに発動した写真と思われた。

完結間近!

 今日の「よもやま」のタイトルを入力する際、間違えて「ぢ」を「じ」でキーボードを打ったら、「完結マジか」と変換され、あわてて訂正入力。でも、まあ、六年越しの『新井奥邃著作集』マジで完結するのかと思ったこともあったから、「完結マジか」というのも、あながち間違ったタイトルとも言えない。
 さて、昨日からコール先生が来社し、最終第10巻である別巻の編集作業に取り掛かってくれている。新井奥邃と当時の年表、奥邃の文章と聖書の文章との対照表、キーワード索引など盛りだくさんの内容だ。
 六年前『著作集』に取りかかった頃、奥邃の名前を知っている人は一体どれだけいただろう。それが今や、新井奥邃の名前がいろいろな場面で散見されるようになった。昨年九月には「田中正造と新井奥邃を考えるシンポジウム」が東京で開催された。東京大学の先生たちが中心になって進めている「公共哲学」のプロジェクトから声を掛けられ、コール先生がパネリストの一人として奥邃について語り、それが東大出版会から刊行された本に収録された。詩人の飯島耕一さんが奥邃に注目し、「江戸と西洋」のタイトルで書かれた論考のなかで奥邃を大きくとりあげてくださり、それが『漱石の<明>、漱石の<暗>』(みすず書房)の冒頭に入れられた。今回、別巻の月報にも原稿を寄せてくださった。工藤、コール両先生の苦労の賜物だが、思い返せばありがたいことばかり。
 ということで、完結間近はマジです。今しばらくお待ちくださいませ。

 開花予想どおり、横浜は桜が咲き始めた。白、薄いピンクなど、木によってそれぞれ個性を発揮しているようだ。小社は桜木町にある。都市開発でどんどん町が様変りするのはやむを得ないとしても、名前の由来がわかるぐらいには桜の木を残して欲しい。いま、紅葉ヶ丘に立ち港の方を見遣れば、ランドマークタワーを始め「みなとみらい」を象徴する建造物が立ち並んでいるが、昔はどんなだったろうと想像する。町の名にするほど、坂の上から船の行き来する霞む港まで、桜がふぁ〜っと見えただろうか。浦島太郎が立っていて、このごろ流行りのはまちゃんバスが横を通っていった。

閉店

 社屋のある紅葉ヶ丘を扇のかなめに見たて、広げた扇子の一方の端が野毛を通って伊勢佐木町・馬車道あたり、他方の端が音楽通りをかけJR桜木町駅方面あたりまでが昼の散策・昼食コースなのだが、駅近くにあったカレー専門店が昨日で突如閉店になった。
 いつものようにイカ空揚げカレーを頼み、いつものように食べ、さて勘定を払うべく、割引のスタンプを捺してもらおうとカードを出したら、今日で終わりになりますので使えない、とのこと。えええっ! 急に通達が来たそうで、店のおばさんたちも戸惑いを隠しきれない様子。本店が京都にあるチェーン店で、値段も手ごろ、美味しかったのに残念だ。店の外に閉店のあいさつが寒空の下、A4の紙に貼ってあった。きのう行かなければもう食べれなかった。おばさんたち、今日から就職活動か。

面接

 ホームページ上で編集者を募集したところ、二十名ほどの応募があり、書類選考の上、きのうは二人面接。部屋の真ん中にある木のテーブルに向き合いながら話すのだが、面接するこちらはなんでもなくても、されるほうは相当緊張を強いられるだろうなぁと、面接しながら思った。
 面接官は、専務イシバシ、武家屋敷ノブコ、それと私。面接室を特に設けているわけではなく、また、ウチはパーテーションなるものがなくオープンスペースなため、面接官以外は自分の仕事に没頭しているとはいうものの、社員全員に取り囲まれ面接を受けている印象は免れない。受けるほうは大変だろうけれど、ウチの雰囲気を印象深く知ってもらうには、悪くないのかもしれない。

三月のハエは

 洋間のソファーに横になり本を読んでいて、ぽかぽか陽気で気持ちよくなり、いつしか眠ってしまったのだろう。夕刻、そろそろ起きなきゃなぁと、まどろんでいたら電話が鳴った。相手の声に集中する。懐かしい教え子からだった。(教え子、という言葉も相当なものだ。高校時代の教師と生徒の関係がそもそもの始まりだから、教え子。教室、黒板、教壇、机、椅子、授業、…。なにか教えたろうか。現代社会、政治経済、…)
 静かにいろいろ話していたとき、窓ガラスに止まっているハエを見つけた。おや、と思った。出てくる季節を少し間違えてやしないだろうか。受話器を持ったまま、1メートルほど近づいたら、ほんのちょっぴり飛び上がり、またガラスにぴたりと張り付いて、はっきりハエだと分かった。なんだか可笑しかった。五月のハエはうるさくうっとうしいだけが、三月のハエは至って静か。ちょっと早かったか、なんてハエ、思っているのだろうか。

真っ黒

 保土ヶ谷駅の近くのFスーパーによく寄る。会社の帰り、休日。
 最近、アルバイトで入った娘なのか、その辺のところは知らないが、おおおっと目を惹く娘がレジを打っている。とにかく、まつげが真っ黒い。顔全体の化粧はそんなに濃くないのに、まつげだけが異様に濃い。二十歳を過ぎているだろうか。高校生かもしれない。なんと言ったらいいのか、誤解を恐れずに言えば、わたしは、その彼女をいとおしく感じる。けなげな感じと言えばいいだろうか。
 まつげがマスカラで真っ黒い=いとおしい。けなげ、というのは、あまりに個人的趣味に走っているようにも思うが、たとえば、井上陽水の「飾りじゃないのよ涙は」を、作った本人が歌えば年齢もあり渋くカッコイイのに、若い頃の中森明菜がツッパッて歌えば歌うほど、けなげな感じがして可愛く感じたものだ。この感じ方というのは、いわゆる「オジさん」「オヤジ」の感性かもしれない。いや、そうに違いない。でも、なんと言われようと、そう感じるから仕方がない。世知辛い世の中で精一杯自分らしくあろうとしている姿に見えてしまうのだ。
 まつげ真っ黒の娘、ぼくの後ろに並んでいる客がいないのを見とどどけたのだろう。ビニール袋をただ籠に入れずに、わたしが買ったものを一つ一つ袋に入れてくれ、籠は自分のそばに置き、袋のほうを渡してくれた。勘定を払い、真っ黒まつげの娘から袋を受け取り、「ありがとう」と言って外へ出た。