友人のナベちゃんと外で飲み、お店が終わってからわたしの家に遊びに来て、また飲んだ。しこたま飲んでベロベロに酔っ払い、朝の2時頃タクシーで帰っていった。
帰り際、ナベちゃんは釜山で買って来たという革ジャンを忘れそうになったから、ナベちゃんナベちゃん、ほら、と持たせてやった。その時、ナベちゃんが革ジャンを着たかどうかまでは、あいにくわたしも酔っていて憶えていない。数日前の出来事だ。
きのう、いつものお店に行ったら、後からナベちゃんが入ってきて、「革ジャン忘れてなかった?」と訊いた。「なかったよ」とわたし。「そうか」とナベちゃん、携帯電話をカウンターの上に置き、しばし思案顔。
「タクシー降りてから家に着くまでのあいだに転んだから、そのとき落としたのかもな」
「相当酔っ払っていたものな、ナベちゃん」
「なあに、そのうち警察に届くさ」
「警察になんか届くわけないじゃない」
「いや、届く。届くと信じている!」
「なんでそんなに自信あるの?」
「前にも酔っ払ってバッグを落としたことがあるけど、ちゃんと保土ヶ谷警察に届いていたもん。それも一度ならず二度までも。二度目には、警察が呆れ顔で、あなたはよほどの強運の持ち主ですよ、ふつう出てきませんからって言ったよ。だから、今度もまた届くに決まっている」
「そんなもんかねえ」
「そんなもんさ」
「……」
「どうしたの、黙っちゃって」
「失くした革ジャンが出てくると信じているナベちゃんが凄いと思ってさ」
「財布を落としたこともあるよ」
「まさか、それも出てきたとか」
「失くしてからひと月後に出てきたのよ。あんときゃ驚いた。さすがに諦めかけていたんだけれど、やっぱり保土ヶ谷警察から連絡があってさ、行ってみたら、中身もなんにも手付かずで、嬉しかったねえ」
「それで、今回も出てくるって信じているわけか」
「そうさ」
「ナベちゃんの話を聞いていると、命を落としても届けられそうな気がしてくるな」
「???」
「だからさ、ナベちゃんが酔っ払って道に転んで命を落としたとするじゃない、ま、ま、仮にだよ、仮に。そんで、朝ハッと目が覚め、命を落としたことに気付くわけよ。ヤベーッ! てんで、すぐに保土ヶ谷警察に電話で連絡して、あのう、きのう酔っ払って家の近くで命を落としてしまったようです。もし誰かが拾って届けてくれたら、恐れ入りますがご連絡いただけますでしょうか。はい。はい。そうです。ええ、ええ、山を登ったところの、ええ、そうです、明倫のそばの…なんて言ってさ。それから一ヶ月たって警察から電話が入る、先月落とされた命、届いていますから、すぐに取りに来てください」
「面白いこと言うね、みうらちゃん」
「それほどでもないさ」
「セーラー服と機関銃」の着信音が鳴って、ナベちゃんがすぐに電話を取った。ナベちゃんは「セーラー服と機関銃」が好きなのだ。カラオケでもよく歌う。しばらく、ふんふん、ふんふん、違うよ、ま、いいから、大丈夫だよ、今度の木曜日、じゃあな、なんて話してからナベちゃんは電話を切った。横から聞くともなく聞いていたわたしに向かい、「保土ヶ谷警察からじゃなかったよ」と言った。なんでかわからないが、こっちの心臓までドキドキした。
知人のSは派遣会社に勤めているが、最近、だいぶ疲れている様子。
派遣会社といっても、いろいろあるらしく、Sのいるところは、主に工場へ人を送り込む。年齢は20〜40代、一つのところに長く勤める人もいるが、そういうのは極めて稀で、良くてひと月、悪いと2、3日、ひどい場合は、初日午前中出ていたのに、午後トンズラすることだって珍しくないらしい。
住むところを探してあげ、鍋釜まで買ってあげ、派遣先の工場へ一緒に面接につれて行き、朝は朝で、派遣社員がちゃんと派遣先に行っているか工場を訪ね、そこに居れば安心しそれから出社、と、思いきや、別の派遣先から電話が入って、出ているはずの人間が来ないというので、急いでアパートを訪ねたら、掃除もろくにしていない汚い部屋で斜めった布団に潜りこんでる青年を目にし、起きろ、起きろ、何してんだ、起きろ、会社に行く時間だろ、起きろよと叫ぶと、おもむろに布団から這い出し、おカネがありません。どうして、なんでだよ、と尋ねると、全部使っちゃいました、と。しょうがないな、これでまず何か食べて午後から行くんだぞと2000円渡す。はい、わかりました。起きて、ほら、歯を磨いて顔を洗って、布団をあげて、ゴミぐらい捨てろよ、ほら、起きろ起きろ、など言いながら、結局はSが布団をあげてたたみ、箒で軽く部屋を掃除する。それから一緒に部屋を出、コンビニでパンを買わせ、駅まで付いて行って電車に乗るのを確認し、やれやれと胸を撫で下ろし派遣先メーカーの担当へ携帯電話で連絡、間もなく出社するはずですからと丁重にお詫びし一段落、社に向かう。途中、昼飯をまだ食っていなかったことに気付いて会社近くのコンビニでハンバーグ弁当を買う。と、息つく暇もなく携帯電話が鳴り、もしやと悪い予感が走ったと思ったら案の定、さっき駅で見送った青年がいくら待っても工場に来ないという。もはやどうにもできない、すぐに別の人間を手配しますからと詫びを入れ電話を切る。やっと会社に辿り着き、きっと帰ってこない青年と2000円を思いながら冷えたハンバーグ弁当を口にする。
そんなことの繰り返し、疲れないわけがない。
いまどきの青年たちが、遠く北海道や九州から、なんとなく都会にあこがれて出てきても、工場のラインに付いて朝から晩までビスを留める仕事をしていては嫌にならないほうがおかしい。それでも、工場側からすれば、人にまつわるその部分の面倒くさい仕事をアウトソーシングできているわけだから、助かるのだろう。Sは毎日5時40分に起き、一日走り回り、帰宅するのは10時11時だそうだ。前より少し痩せて白髪が増えた。
ここにも何度か書いたことのある太宗庵では、メニューに餅がある。「力うどん」「力そば」がそれだが、それ以外のものを頼んでも、餅が食いたいとなれば、オプションで付けてもらえる。
「ご注文をいただいてからパスタを茹でますので少々時間が掛かります」の断り書きを街でたまに目にするけれど、太宗庵では、その伝で餅を焼く。カリッと焼きたての餅の香ばしさが食欲をそそる。
わたしは肉うどん大盛り+餅、専務イシバシはなめこうどん+餅、武家屋敷ノブコは天ぷらうどん+餅、ということで、昨日の昼は三人とも餅を食った。
焼きたての餅にガブッと齧りつくや、えもいわれぬ香ばしさがプーンと鼻を突く。カリッとした角を味わったあと、今度は、中の柔らかいところをうどんの汁に浸してフーハーフーハー言いながら食べる。うーん、絶品! 気分はもうお正月。餅ってこんなに美味いもんだったかねえ。
JR横須賀線保土ヶ谷駅、平仮名で書くと、ほどがやえき、だ。ところが、近頃妙な発音を耳にする。
総武線に繋がる普通の横須賀線では英語のアナウンスをしないのに、最近本数が急激に増えた新宿湘南ラインでは車中英語の案内が流れる。ネクスト ステーション イズ ホドガヤ だが、どう聞いてもホドガヤと聞こえない。フドガヤ、正確に言うと、Foodgayaと聞こえる。Next station is Foodgaya. なのだ。美味いもんのある駅なのかよ。連想がどうしてもそっちに飛ぶ。
英語圏の人に日本語の「ありがとう」の発音を教えるのにAlligatorと教えるからといって、何も保土ヶ谷までFoodgayaと言わなくても良いではないか。あのアナウンスを耳にすると、なんとなくこそばゆい。
保土ヶ谷をFoodgayaと呼称するからには、次の駅戸塚はToothkaみたいに発音するのかと思いきや、こちらはちゃんとぶっきらぼうにTotskaと言う。おかしい。なにか魂胆でもあるのだろうか。保土ヶ谷で降りてメシを食え、旨い酒を飲ませる店もあるでよ、ちょいとそこ行くお兄さん、寄ってかない、等々。
その昔、保土ヶ谷は、日本橋を基点とする東海道の最初の宿として栄えた街。いまは正月恒例の箱根駅伝のポイントとしてテレビに出るぐらいで、火事でも起きなければニュースになることは、ほとんどない。年に一度の「保土ヶ谷宿場まつり」っていったって、ジャガイモのつかみ取りが華々しいぐらいで、あとは、「ソレ商品なの?」と思えるようなものまで出品されている。それはそれで楽しいから、雨で流れない限りは冷やかしに歩くが、宿場町として栄えた当時の面影は薄い。
もしや、かつての街の繁栄を取り戻すべく、だれかがJRに働きかけたものだろうか。『東海道中膝栗毛』のなかに「お泊まりはよい程谷ととめ女、戸塚前ははなさざりけり」の狂歌があるそうだ。早朝に日本橋か品川を後にした旅人を、保土ヶ谷あたりの女がとっつかまえて放さなかった気迫が霊となり、Foodgayaと発音させたものだろうか。そう考えると楽しくなる。
前からあたためている企画『はたらく横浜美人』は、保土ヶ谷を一つのポイントとして取り上げたい。
勤労感謝の日だというのに休日出勤した仕事の帰り、横浜駅ルミネ店にある有隣堂に寄った。
この時期になると毎年恒例で、新しい手帳を買う。過去の日記を検索したら、手帳にまつわる話を去年も書いていた。
高橋の手帳No.78をいつも使っていて、それを買うつもりで文房具コーナーへ向かう。すぐに見つかり即買おうと手を伸ばしたものの、ん、待てよ、と、しばし他のも手に取り隣近所を物色。何か目的のものを買う場合、すぐに見つかると安心して他のもつい見ちゃうもの。同じ高橋の手帳でも番号違いのが相当数ある。「いま、売れてます」のポップが目に入った。No.73とある。
どこが違うかといえば、No.78は見開きで1ヶ月が総覧できるようになっている。対してNo.73は、書き込みのスペースが多い分1週間単位なのだ。
「いま、売れてます」か。書き込みのことを考えると、これぐらいのスペースが欲しいよな。こっちにしちゃうか。たまには浮気もいいか、手帳だし。
と、気持ちが動きはじめたその瞬間、自分の物忘れの激しさに思い至った。大事な約束が月曜日に入っていたのをすっかり忘れ慌てたことが、これまで一度や二度のことではでない。出社後、机の上のカレンダーを見て、ギャー!! となった記憶がよみがえり走馬灯(本物、見たことないけど)のようにかけめぐった。
いけねえ、いけねえ。カッコつけて1週間単位の手帳を買ったりなどしようものなら、魔の月曜日が再現されかねない。浮気ごころを静め、おとなしく自分に合ったNo.78を買って帰った。
いま手元にないので記憶に頼って書くしかないが、井上ひさし作の戯曲に『薮原検校』がある。
東北の貧しい片田舎で生まれ育ったメクラ(敢えて)の杉の市が、悪の限りを尽くし、果ては母親まで殺め、金の力で検校位を得たと思った矢先に、それまでの悪行がバレて、衆目に晒され処刑されるまでを描いた傑作戯曲。
戯曲中、最後近く、倹約を推し進める老中・松平定信が登場し、塙保己一(『群書類従』を編纂したあの塙保己一だ)に、庶民に倹約の方法を教える良い方法はないかと尋ねる。それに答えて保己一は、倹約と反対の極にある悪とカネの権化・薮原検校を処刑するのはいかがかと提案する。どんな処刑の方法があるか、と定信。保己一は、民衆は残酷を好むもの、残酷で、残酷過ぎて祭になるようなものが良いでしょうと言う。具体的にはどんな方法がある? と定信。三段斬りというのがございますと保己一。三段斬り? 胴を縛り上げ処刑台に吊るす。第一刀で下半身を袈裟懸けに斬り落とす。頭の重さで体がくるりと反転、すかさず首を目掛け第二刀。
あまりの残酷さに定信は息を呑み、「おまえはまるで薮原検校を憎んでいるようだな」と保己一に尋ねる。そのとき保己一が答える。「いえ、ある意味では同志です」と語る。「同志?」「はい…」
その理由を保己一は語っていない。井上ひさしが語らせなかった。同志の意味は同志でなければわからぬということなのだろう。
保己一はさらに定信に言う。薮原検校を処刑台に吊るす前に、蕎麦を食べさせてやってくれと。その理由も戯曲中では明かされていない。が、蕎麦というのは、当時貨幣を鋳造する金座・銀座では、こぼれた金粉や銀粉を、練った蕎麦粉で集めていたという逸話があるそうだ。蕎麦というのは言わばカネの象徴。悪の限りを尽くし、カネの力で検校位を得た杉の市に末期の蕎麦を食わせる。蕎麦はカネ。処刑台に晒され、第二刀が一閃するとき、血染めの蕎麦がだらりと首から流れ出す。
同志という言葉、以前読んだときは、それほどのこととは思わなかった。ところが近頃、この言葉がある重みをもって迫ってくる。新井奥邃が同志だなんて言ったら叱られるかも知れない。が、少しでもいいから同じ志をもっていたい。NHKの来年の大河ドラマ『義経』の総指揮をとる黛りんたろうさんが同志ですと言ったら笑われるだろうか。
ある方の稀有なこころと計らいで、黛さんと知り合うことができた。嵐のなかで物づくりを諦めない黛さんの明るさとユーモアが好きだ。最近黛さんから届いた原稿(どんなに忙しくても、書かなければならないことは書いて送ってくださる)に、『義経』の第一回の音合わせが終わったことが記されてあった。見終わった瞬間、目に涙が浮かび、他のスタッフの手前、急いで立ち上がりトイレに走ったとある。メールで送られてきたその文字を読みながら、わたしも目頭が熱くなった。
会社の人たちとも、出版社だから言葉を大事にし言葉で何かを伝え合うことはもちろんだけれど、それを通じて、また、それを超え、機微に触れ合える「同志」でありたいと願う。
休日の仕事帰り、腹が減って横浜駅に寄った。
半永久的とも思われる(いつまでやってんだ。ったくよー!)横浜駅の改装工事で、行き付けの店の位置が変わり、新しい店も増えた。
横浜駅でただ一軒、美味いラーメンを食べさせてくれる店があった。相鉄女医茄子(!?)、あはははは… すみません、元へ! 相鉄ジョイナスの地下一階、エスカレーターを降りてすぐのところにあって、名前は確か一品香。
以前、若頭ナイトウと元あった場所へ下り「あれ、なくなっちまっただか」と溜め息をついた。
が、昨日、ちょっと思うところがあって、ジョイナスの地下を隈なく探したところ、あった! ありました。市営地下鉄の乗り場近く、ということは、前あった場所からは相当歩くようになったが、ありました、ありました。地下一階でなく地下二階、わかんねーよ、これじゃあな。さっそくタンメンを頼む。ビールも頼む。レバニラ炒めもエビチリも。
飲んだ、食った。腹いっぱい。もう食えん! 今日はこの辺で許してやろう。勘定を済ませ、満足しながら長い通路を歩いていたその時、大変な失態に気づいてしまった。もう取り返しがつかない。悔やんでも、それ以上腹に入る余地などない。
あの店で一番美味いのは、タンメンでなく五目ラーメンなのだった。失敗した。