竹内レッスン

 竹内敏晴さん来社。編集担当の若頭ナイトウ、装丁担当の多聞君も加わって、本のコンセプトについていろいろ意見を交わす。
 わたしは、この本に「竹内レッスン」という名を冠することと、ライブということにこだわっている。竹内さんがやってこられたこと、今やっておられることの亜流のようなものをよく目にし、耳にするからだ。竹内さんのは全然違う、という感じと意識がわたしにはある。それと、ライブ。
 学校でも塾(行ったことも見たこともないので想像でしかないが)でも、どこでも、まずは最も簡単なAをして、それを終えたらBにかかり、それもクリアしたらCにかかる。はい、よく出来ました、となる(のではなかろうか)。何かをおぼえ、何かをするのに役に立つための方式というのは概略そういったものだろう。竹内レッスンは違う。単純に言って、竹内レッスンは何かの役に立つか。何か有効性をもちうるかというと、レッスンに参加したそれぞれが結果的に、今まで他では気付きもしなかったことが、レッスンに参加したおかげで気づいた、というようなことはあるかもしれない。(そして、それは、その人のその後の人生にとってとても重要なことだったりする。)が、参加すれば、ぴかぴか光る資格が与えられたり、こんな難しい数式をアクロバット的に難なく解けるようになりますよ、なんてことはまずない。だいたい、そんなところに竹内さんは立っていない(と思う)。
 竹内レッスンは、1回1回だ。1回こっきり。その場で(ほかのどんな社会的な場とも違って)どう生き切るかということに竹内さんはかけ、場も、そういうふうに集中していく。竹内レッスンでは、こんなことをやりますよう、と、望遠鏡でも覗くようにして、やってることを言葉であらく説明することは出来ても、現場で起こっていることは全く違うということは多いのではないか。
 そんなことを考えると、今用意しているこの本、本にならないことを本にしようという、無謀な行為かもしれない。でも、そのせめぎ合いが大事なんだと思うし、これを本にするなら、それぐらいの気概がないとダメだろう。

寒気団

 ここ数日で急に寒くなり、各地で記録的な雪を降らせているようだ。寒い季節に寒い土地で生まれたわたしは、雪は好きだが、寒さが苦手で、いつも着膨れして歩いている。きょうも相当寒いらしい。
 以前、新聞で読んで大笑いしたことがあった。「シベリア寒気団」という言葉があるが、これをサーカスの一座(たとえば、ボリショイ・サーカス)と勘違いして憶えていた人がいたというのだ。ほんまかいなとも思ったが、語呂から言ったら、いかにも強そう、凄そうで、いかにもこいつには勝てない気がしてくる。

スルメの味

 昨日、千葉の小関さん(『九十九里浜』の写真家)のスタジオを訪問し、打ち合わせ後、車で最寄りの駅まで送っていただいた。途中、イチゴを生産している農家に立ち寄り、イチゴをお土産に持たせてくださった。この時期、あんな甘いイチゴを食べれるとは思わなかった。
 さて、上りの電車までしばらく時間があり、駅でぶらぶらしていたのだが、暖房があるわけではなく相当寒さが身にこたえた。不意に、子供の頃、祖父に連れられ羽後飯塚駅(今もある)で汽車(電車でなく)を待っていた時、祖父がいきなり、コートのポケットからスルメを出して、手で千切り、駅備え付けのダルマ・ストーブの上に置いて炙ったことを思い出した。
 ガンガンに燃えるダルマ・ストーブの上で、スルメはすぐにくるりと丸まった。天井の高い寒々しい駅の待合室が炙ったスルメの匂いに満たされていく。焦げ目がついて丸くなったスルメを祖父はあたりまえのように摘まみ、さらに細く千切ってわたしにくれた。わたしは、ほかの客の目が気になったが、なんとも言えぬ炙ったスルメの匂いには勝てず、口中にはすでに唾が溜まっていた。
 祖父にまつわる思い出としてベスト・テンに入るぐらいのものだが、いつも不思議に思うのは、あの時、なぜトモジイ(祖父のこと)はスルメをポケットに忍ばせていたのかということだ。買物をしての帰りだったら分かる。そうではなかった…。先々を考えて行動するタイプの人だったから、駅に行けばガンガンに燃えたダルマ・ストーブがあると見越して、家にあったスルメをわざわざ携えて行ったものだろうか。

コート

 ニ十年は経たないだろうが、高校に勤めていた時に着ていたものだから、まぁ約ニ十年前に買ったコートを持っていて、じゅうぶん元を取ったから、捨てようか、いや、いいものだから修繕しながら着れるだけ着ようのこころで、ここまできた。それを箪笥から出して、それと合う帽子を選び鏡の前に立ったら、そんなに可笑しくない。
 というわけで、その格好で会社まで歩いていった。が、実際着てみると、かなり痛んでいて、左袖のボタンは取れているし、正面のボタンの傍に虫が食ったのか、小さな穴まで開いている。会社に着いて、総務イトウを呼んだ。「こことここ、直してほしいんだけど…」。
 思い返せば、家庭科が苦手だった。小学校の時、宿題を出されると、だいたい母に頼んで適当にやってもらって提出していた。そんなことをしている暇があったら外で遊ぶほうがよほど好きだったから。なので今回もイトウに頼んで修繕してもらったのだが、「はい」と言って渡される時、「今年の冬着たら、もういいんじゃない」と釘を差された。

防寒具

 社内を眺めまわしてみると、武家屋敷ノブコ、総務イトウ、そして、わたしの三人が一番寒がりで、厚手の防寒具を着て出社しているようだ。武家屋敷が金沢、イトウが青森、わたしが秋田なので、三人がいわゆる北国出身ということになる。秋田での生活を振りかえれば(今もそうだが)、室内ではガンガンにストーブを焚き、行ったことはないけれどハワイのような気分だし、いったん外出するとなれば、外気に絶対さらされぬよう、二重三重に着こむ。コートの前を開けて町を歩く、なんてことは、およそ考えられない。ファッションよりも寒さ対策が優先される。
 ところで、武家屋敷、この時期になると決まってぶくぶくの暖かそうなダウンを着こみ、太った寒スズメのような格好で出社するのだが、今年はまだ見てないな。イトウは目にも鮮やかな真っ赤なカシミヤ(だろう)のコート。

さっそく

 次期『春風倶楽部』の特集テーマを「こころと体」にし、依頼文を発送したところ、『徴候・記憶・外傷』の著書もある精神科医の中井久夫さんから、さっそく原稿が届く。中井さんならではの原稿の魅力・内容の面白さについて、ここでは控えさせていただくが、文中、重要な箇所で「わからない」の言葉があり、人間というものの難しさを改めて考えさせられた。
 さて、私事ながら、みなさんにご心配をお掛けし、励ましのお言葉やらをいただいた左鎖骨骨折は、おかげさまで完治しました。「すっかりくっつきましたねぇ〜。もう来なくても大丈夫ですよ」だそうです。ここで報告するのを忘れていました。ごめんなさい。先週の月曜日、担当医師からそのように告げられました。ふぅ〜。

同時掲載

 写真集『北上川』の書評が朝日と毎日の両紙に昨日(11日)同時掲載。朝日は作家の立松和平氏、「近年の収穫といえる写真集である」と結び、毎日の書評子・寒氏は「半世紀にわたる北上川の貴重な歴史、写真記録である」と結んでいる。特に、朝日では、これは立松氏が選んだものだろうと思うが、馬市にやってきた博労が札束を数えている、今の人が見たら、ギョッとするような写真が掲載されている。「膨大な時間が流れ、人生の元手を惜しげもなく注ぎ込んでいる」とはよくぞ言ってくださった。
 さっそく橋本さんに電話をし、二つの書評について喜び合い、電話口で酒を酌み交わす気分だった。