このところ外出する時はマスクをつけている。ひいた風邪がまだ完治しておらず、菌を撒き散らすのは人迷惑な話だし、新たな菌をもらうのも避けたいからだ。
きのう、かかりつけの歯医者に行ってその日の治療を終え、身支度をととのえ礼を言うと、いつもの歯科衛生士が、「マスクは標準装備なんですね」と言った。オプションでなく標準装備。そうか。そう言えば、前回もマスクをしていたかもしれない。頑固な歯石を岩場に張り付いたフジツボに喩えたセンスも見事だったが、今回の標準装備もなかなかと思えた。歯科衛生士の彼女、コピーライターの才能も持ち合わせているようだ。彼女のひとことで、自分が新車に変身したような気になった。
秋田の父からりんごが送られてきた。毎年この季節になると会社に届く。知り合いが果樹園をやっていて、父はそこのりんごの木1本だけのオーナーだ。オーナーになるために最初いくらかの料金を払うと、その後収穫された果実は何年でもオーナーのものとなる。1本の木からでもずいぶん穫れるものだ。3時になると、総務イトウが皮をむき食べやすい大きさに切ったりんごを大皿に入れ部屋中央にある木のテーブルに出してくれる。控え目な甘さと適度な酸味が口中に広がる。大地の恵みをいただく。
先週金曜日、イタリア文化会館で開かれた『対話が世界を変える:聖エジディオ共同体』出版記念パーティーでのこと。版元を代表して挨拶することになっていたのだが、事前に通訳の方から、同時通訳なので出来ればゆっくり話してもらえればありがたいとのコメントをいただいた。そりゃそうだろうなあと思ったから、本番ではなるべくゆっくり、ちょっと訳すのに難しいかなと思われる単語を使った時は少し間を置いてから次の話題に移った。てな調子でのんびりゆっくり話していたら、壇上右袖に立っていた司会者がツーと動いたのが目に入った。ん? と思ったら案の定、わたしのところまでやって来て、目の前のテーブルの上に紙を置き元の位置へ戻っていった。紙にはボールペンででかでかと「時間がまいりました」と書いてあった。
出社し、総務イトウの机の前を通りかかると、いきなり、「藤原紀香がお笑いの陣内智則と結婚することになりましたね。吉岡美穂のできちゃった婚にも驚きましたが…」。「あ、そ」としか言えなかった。そうか。とうとう藤原紀香も結婚するか。相手の陣内智則、知的な笑いが売り物のピン芸人で、面白いところもあるが、声を出して笑うほどでもない。なんで、陣内なんかと…。いや、やめておこう。むなしくなるだけだ。出身も同じ兵庫県だっていうし、お笑いはともかく、性格は穏やかそうだから、ここは黙って祝福するしかないのだろう。くくく…。
明日の出版記念パーティーの打ち合わせでイタリア文化会館へ。カミーノ、ミラーノ、ロマーノ、ボンジョールノみたいな言葉が飛び交い、意味はわからないが、おお、本場のイタリア語かぁと妙に感心。通訳してもらいながら話し合いが進む。と、そこに会館の人が部屋に入ってきた。彼の顔に釘づけ。少々太り気味には違いないが、なんと、あのハリウッドの名俳優ロバート・デ・ニーロに、そっくりとは言わないまでも、いとこだと言われればそうかと信じるぐらいには似ている。話し合いはそこそこに、デ・ニーロにほぼ近い彼の顔をまじまじと見ていた。彼、変に思ったかもしれない。そこでわたしは考えた。ロバート・デ・ニーロはやはりイタリア系であったかと。個性派俳優のデ・ニーロだが、顔について言えば、本国イタリアでは割りとオーソドックスな顔なのかもしれない。
仕事中BGMが流れていることが多いけれど、ときどき次のCDがかかるまで(担当、というわけではないが、だいたい編集長ナイトウが適当なものを選びかけてくれる)しばらく無音の時がある。しーんとして、ハッとし、頭を上げると皆しずかに机かパソコンに向かい仕事をしている。集中の気とでもいうのか、それが支配しているようなのだ。それぞれの仕事はそれぞれで、たとえばスポーツのチームワークとは異なるけれど、やはりその場の空気みたいなものがあって、個人の仕事でもそれに押されて進むということはありそうだ。
近刊『対話が世界を変える』の著者アンドレア・リッカルディさんは、本書の中で、対話が不可能である人々というカテゴリーをつくらないように注意すべきと仰っている。深い信仰がなければ言えない言葉だと思う。『新井奥邃著作集』完結を機に、対話をキーワードとした本の刊行が成ったことがうれしい。対話はもちろん人との対話もあるけれど、自然との対話、自己との対話、神との対話、いろいろだ。『日中教育学対話』(仮題)という本もシリーズで出すことが決定。
