テムズ川ウォーキング

 Tさん来社。映画会社で長くニュース映画をつくってこられた方で、若い時からイギリスに興味があり、会社を辞めたあと夢をかなえ、この度めでたくテムズ川に沿った三百数十キロの道を踏破された。
 小社から刊行している『テムズ川ウォーキング』を事前に読まれた。サブタイトルにあるように、『テムズ川〜』の著者岡本さんが歩いたのは、オックスフォードからウィンザーまでの120キロだが、Tさんはその三倍、とまではいかないがかなりの距離。
 どこどこの観光案内ということであれば極端な話、一冊あれば足りる。だが、実際に歩いてみれば、小さい悟りがそこここにあって、人の数だけ旅があり意味も違う。そこがおもしろい。
 テムズ川パスには、川から離れ少し内陸に入りこむと遺跡など見所もあり、それなりに楽しめる。そのうちのいくつかをTさんは見たが、あるとき、川のせせらぎを眺め、頬を撫ででゆく風に身をまかせているうちに、死んだ遺跡を見に行くよりも、いまこうしてゆったりとした時間のなかで生きて川面を見ていることのほうがより大事ではないかと実感したという。
 「ゆったり」ということがキーワードなのだろう。歩くこと、本を読むことも、ゆっくりゆったりがいい。(ク)

川と馬

 『北上川』の編集で出社。この写真集には、北上市の有名な馬市のほかにも、荷を運ぶ馬、石切り場の馬、チャグチャグ馬っこ、絵馬など、よく馬が登場する。馬は農家にとってかつて重要な家畜で、農耕馬としてはもちろん、移動手段、運搬手段、祭の主役、遊び友達でもあった。
 わが秋田でも昔はどこへ行っても馬がいたものだ。わたしが小学六年の時に父は初めて自家用車を買った。もちろん中古。タクシーで使った車だった。父は嬉しかったろう。それ以上に嬉しくはしゃいだのはわたしと弟。これからは父の運転する車に乗ってどこへでも好きなところに行ける! めまいがするような興奮と期を同じくしてわたしの家から馬が消えた。どの農家も自家用車を持つようになり、農耕を馬でなく機械に頼るようになって村から馬が消えていった。その激しい変化からまだ半世紀も経っていない。
 日本の馬は、たとえばユーラシア大陸を駆け抜ける馬とは異なり、水田の中へ入って働く。川から田へ水が引かれるようになることは生産力を格段に飛躍させるが、そうなれば馬の必要性はますます高まる。また日本の場合、川は山と山の狭間を流れるから、河口近くに集荷された荷物を山間へ運び、反対に、山から運び出される材木などの荷物を運ぶのは馬に頼るしかなかったろう。海上交通が飛行機に取って替わられるように、陸上の交通は馬から自動車に取って替わられる。写真にのこされた物言わぬ馬の表情が東北地方の激しい変化を雄弁に物語っている。

レポート

 雨の中を歩きながら、時間のことばかり気にしていた。恩師から「おや、三浦君ではないか」と悠長に声を掛けられた。「いま急いでいますから…」と断わり別れたかったが、世話になっている先生でもあり、あまり素気無くするのは憚られ、傘を差しつつ並んで歩いていくと、分かれ道で先生は右へ行こうとする。「先生、それではここで失礼します」。すると先生は、「いや、そっちの道よりもこっちが近い」と言い、断固たる足取りで右の道へ歩を進める。仕方なく付いて行くと、先生は狭い小路に折れ、城壁のようなほとんど垂直の壁を革靴ですたすたと登っていく。トカゲでもあるまいに、どうしてそんなことが可能なのか、ぼくにはさっぱり分からない。たしかにこの壁を登ることができれば早道には違いない。ぼくは、夢のような気持ちで傘を差したまま壁に近づき、利き足の左足を掛けたが、現実には一歩も登れない。つるつると馬鹿にされているようなものだ。すると先生は、この世のものではなかったのだろうか。そういえば、雨で傘を差しているとはいうものの、先生のズボンの裾はちっとも濡れていなかった。ぼくは、もう一度さっきの分かれ道まで引き返し反対の道へすすみ、ほとんど小走りの状態で先を急いだ。課題として出された3冊は既に読んでいるけれど、レポート用紙二十枚は容易ではない。まだ一行も書いていない。それに今日は友達皆でハイキングに行くことになっている。雨だというのに…。だんだん気持ちがささくれ立ってくる。幹事のM君は真面目だから、とっととレポートを仕上げ、ハイキングの候補地も決めているだろう。ぼくは焦ってきて、自分を信じることができなくなっていた。
 グラッと揺れてぼくは眼が覚めた。テレビを点けたら関東地方に震度3以上の地震が発生したと告げていた。動悸が激しくなっているのが分かる。さっき見た夢のせいなのか、はたまた地震のせいなのか。その時だ。「おや、いま着いたのかね」。先生は端座し、優しく微笑んでいる。城壁ではなく、マンションが立っている崖に吹き付けたコンクリートを攀じ登って、ここまでたどり着いたとしか考えられない。血の気が引く。これは夢だ! いつからか、また眠りにつき、夢から覚めた夢を見ていたのだろう。

ラ・フランス

 お中元のシーズンで、このところ、冷たいものや甘いものや採れたてのものや百薬の長やをありがたくいただいている。
 昨日、山形の工藤先生からラ・フランスが届いた。ラ・フランスとは西洋梨の一種で山形が特産。このあいだ幻の酒「十四代」をいただいたばっかりなのに今度はラ・フランスか。申し訳ない。でも、ありがたい。ここで気づくべきだった…。
 アルバイトで来ている千葉修司に、ラ・フランスの一番美味しい食べ方を説明しながらダンボール箱を開けにかかった。ガムテープで頑丈に包装してあり、なかなか蓋が開かない。二人がかりでガムテープを剥がし、中からまだ熟していないラ・フランスが… と思いきや、さにあらず。紙袋。はん!? なぜに紙袋。おかしいではないか。そんな二重にも包装する必要があるだろうか。
 ここに至って豁然と閃いた。「こ、こ、これはラ・フランスじゃない!」。微塵も疑っていなかったから、自分の愚かさに呆れ、腹から笑うしかなかった。隣りの隣りの会社まで聞こえるような爆発的な笑いがようやく落ちついた頃、総務イトウが冷ややかな目でわたしに言った。「ラ・フランスの季節じゃないでしょう今は。それに、ラ・フランスなら、ガムテープではなくホッチキスで蓋が止まっているはずです」。冷静な分析。おっしゃるとおり。
 夏、お中元の季節、ラ・フランスと書いたラ・フランス発送用のダンボール、ラ・フランスは山形特産、工藤先生から前にいただいたことがある。というような情報がわたしの頭の中を経めぐり、一つところに収斂し、これは絶対ラ・フランスにちげぇねぇと思ってしまったのだ。げに、思い込みというのは恐ろしい。
 ちなみに、ラ・フランス発送用のダンボールに入っていたのは、ラ・フランスではなく、『新井奥邃著作集』第10巻に収録を予定している墨跡の写真資料だった。

勇気りんりん

 『イーリアス日記』の著者森山康介さん来社。『イーリアス』はホメロスが書いたとされる叙事詩で、森山さんはこれを一年かけてギリシャ語原典で読まれた。『イーリアス日記』はその読書記録である。
 日々の暮しと神々が織り成す壮大な世界が丹念に記述され、現代に生きるわれわれの日常、時代が変わっても生死の境を越えられない人間の様が『イーリアス』を鏡として浮かび上がる稀有の日記だ。文章がまた簡潔でユーモアに満ちており、『イーリアス』の翻訳書と合わせて読むことで、これまで遠ざけてきた古典中の古典が味わいぶかく読めるようになる。そういう勇気を与えてくれる日記でもある。
 森山さんは無人島に一冊持って行くなら『イーリアス』とおっしゃる。会社づとめをしながら、『イーリアス』を原語で読んでこられた。それがまず凄い。いろんな事務処理をして電話対応をして会議にも出席して書類に目を通し書類を作成し手紙を書いて今どきだからメールをチェックしインターネットで検索し、昼食をとり、また会議に出て事務処理をして電話対応をして書類に目を通し書類を作成し手紙を書いてメールをチェックしインターネットで検索して、ほんと身もこころも疲れているだろうに家に帰ってギリシャ語! 考えられない。凄い! ほんとうに凄い!
 ぼくは語学がからっきしダメだった(今もダメ)から、外国語に精通した人をみるとそれだけで尊敬してしまう。しかも英語やフランス語やドイツ語や中国語ならともかく、ギリシャ語だというから恐れ入る。ところが、どんなこわそな人かと思いきや、森山さん、いたって気さく。きのうは『イーリアス日記』の出版を記念し、最近春風社御用達みたいな感のある小料理千成で、本にまつわる話をいろいろうかがい、わたしもしゃべった。楽しかったぁ。森山さんはもちろん無類の本好きだが、我も本好き、と改めて感じた。紙に文字が印刷されていなければ本ではない。あたりまえ。でもそれって大事。紙なんだよ紙。電子ブックじゃなく。見えてきたぞぉ〜。
 『イーリアス』か。学生時代、岩波文庫で読んで途中で挫折したから、『イーリアス日記』を道しるべにもう一度挑戦してみようと思う。もちろん翻訳でだ。

こころを動かす

 営業のアルバイトで来ているMさんという大学四年生の女性がいる。専務イシバシから要諦を教わり、この頃は一人で外出するようになった。大学の先生に会って話を聞いてくる。企画を最後までまとめることは相当の経験を要するからまだ無理だし、そこまでは会社も要求していない。ところがMさん、なにがどう効を奏しているのかわからないが、会社に来るようになってほんの数ヶ月しか経っていないのに、出版につながるような話をいくつも持ってくる。
 武家屋敷の大学時代の恩師に企画の話で会いに行く時その話題になった。すると武家屋敷が「人のこころを動かす才能があるのよ」と言下に言った。きっとそうなのだろう。技術についてマニュアル化すれば際限がないけれど、それをいくら精緻に重ねても人のこころを動かせるわけではない。営業というのはおそらく人のこころを動かせるか否かが勝負の分かれ目だろうし、それは技術とは違ったところにあるようだ。
 そういえばMさん、面接を受けに来た時、人の話を聞くことが好きと言っていた。で、眼キラリ! なるほど!

トカゲ

 暑い日がつづき頭も体もおかしくなりそう。本当は帽子を被ればいいのだろうが、少年と老人以外の男は帽子を被っていないので、ぼくだけ目立つわけにもいかないから、なるべく日陰をさがしてチョロチョロ歩いている。陰が一つもないさっぱりした道はつらい。
 チョロチョロといえば、きのう、保土ヶ谷駅の上りホームで電車を待っていたら、焦点の合わぬ眼に何やら動くものが映った。ハッとして半歩しりぞき焦点を合わせると、トカゲ。トカゲが線路脇のコンクリートの穴から這い出してきてすぐ横の別の穴にもぐっていった。こいつも暑いらしい。
 わたしと同じで帽子を被るわけにはいかない。トカゲが帽子を被ったらおかしい。変だ。食べ物なら、すぐそばにスーパーやハンバーガー屋やどこにでもある和食のチェーン店があるから困らないだろう。が、線路脇にできた穴では涼を取ることは難しい。時々這い出してきて、こっちの穴からあっちの穴に移動するとき、束の間、日陰の風に身をさらすぐらいが関の山だろう。
 そのうち上り横須賀線の電車がホームに入ってきたから、トカゲが今どうしているのか見極めるわけにもゆかず、もはや想像するしかなかった。車内がクーラー利いている分、車外は熱風。それでなくても太陽にさらされた車体は触れないほど高温になっているだろう。ホームに電車が停まっているあいだ、トカゲは必死に身を潜め、電車が出ていったとなったら、涼を取るため、またチョロチョロと穴から這い出す…。お前もか。なんて。俄然親近感が湧いた。