読書感想文

 夏休みといえば、読書感想文! でも、嫌いだったねぇ。提出しないわけにもいかないしなぁ、で。
 好きな本を読んで、なんでもいいから感想書けっていわれたら、感想ぐれぇはあるわさ。おもしろかった。つまらなかった。ふつう。でも、それだけじゃだめで、どうしておもしろいと感じたのか、つまらないと感じたのか書けっていうんでしょ。きちんと読んだという証しも文中に差し挟みながら…。でも、この読書感想文てやつ、問題は、だれに当てて書くかってことなんだよ。感想というのは、だいたい私的なものであって、それを文章にすること自体なかなか至難の業なのに、加えて、読んでもらう相手が特定できないってことが悩みの種だ。
 まず、担任の先生か国語の先生あたりに向けて書くってことなんだろうけど、うがった言い方をすれば、当の先生は一体どれくらいの深さで課題図書を読んでいるっていうのさ。だって、その先生が見て、この感想文はいい、これはダメって判断するんでしょ。それがそもそも問題じゃねぇか。私的な感想を判定するのっておかしいじゃない。また、先生が見て、これはと思うものを県の「読書感想文コンクール」なんかに応募したりもするんでしょ。そういうことを考えると、「感想」という極めて私的なものが、実はちっとも私的なものでないわけよ。
 だからこの「読書感想文」てぇやつ、本を深く読み込むことよりも、大人(この場合、担任の先生や国語の先生)の隠された意向をどれだけ的確に察知するか、いわば、上司におもねる部下を小学校の段階から育成する道具になっていやしまいかとも思うのだ。意地悪な見方かもしれないが、そんな気がする。ラブレターならいざ知らず、将来作家になるつもりならいざ知らず、なんで心の奥のふるえをあんたに明かさなくちゃならないのさ、なんて。してみると、点数の高い読書感想文というのは、本を読んで感動したその感動の質よりも、本の内容を踏まえ、担任の先生が子供たちにこの本をこう読んでもらいたいと考えている(なぜそう考えているのかまで察知し)意向を読み解く体のものにならざるを得ないだろう。
 そんなことを今ショボンとした気持ちで振り返る。「読書感想文」には、昆虫採集みたいなドキドキワクワク、自由で伸びやかなイメージと、ものすごくきつい「縛り」のイメージが重なっていた。どんなふうに書けばいいのか。トホホ…。やれやれ。やんちゃな孫をおもんばかる老人な気分だったよ全く。苦手だったなぁ。

水の都

 NPO法人富士山クラブ事務局長の渡辺豊博さんに三島を案内してもらいながら、いろいろおもしろい話をうかがった。
 まず、三島という土地だが、富士山が噴火したとき溶岩が流れ、その舌先がたどり着いたところに位置しているという。むかしは富士登山のひとつの玄関口で、そのことを記載した碑も渡辺さんたちの活動で旧に復した。
 自然としては、富士山に降った雨が土に潜り、長い時間を経た後に、湧水となって町のあちこちから湧き出している。古くから「水の都」と称えられた所以である。渡辺さんに付いて町の中へ入った時、こころなしかひんやりした感じがしたので、そのことを尋ねてみた。水がそこここから湧き出しているせいで、普通は町へ入ればムッとするところ、三島は夏でも涼しいのだという。
 営業のアルバイトで会社に来ているMさんは、いま大学四年生。富士真奈美と同じ三島出身。卒論は「ヴァージニア・ウルフと水」だとか。ヴァージニア・ウルフを取り上げるのに、なぜ水との関連でそうするのか尋ねてみたことがあったが、その時は(もちろん理由はあるにしても)納得のいく答えが得られなかった。しかし、三島を一日歩いてみて腑に落ちる気がした。こんなに水の豊かな土地、各所で水が湧く「水の都」に生まれ育った彼女にしてみれば、水は空気以上に呼吸し、なくてはならないものとしてあるのだろう。本人が意識するよりもさらに深く染み込んで、その意味を捉えきれずにきたのかもしれない。
 想像力の源といったら、どこから生まれてくるのか雲をつかむような話ながら、案外、生まれ育った土地の水や空気や光、それを栄養にして育つ食物やに根ざしているのではないか。そうそう。詩人の大岡信も三島出身だそうだ。わたしはそれほど熱心な読者ではないけれど、大岡さんの書くものにも、きっとそこここで水が湧き出しているのだろう。

グラウンドワーク三島

 「富士山」本企画の打ち合わせで三島へ。NPO法人富士山クラブ事務局長の渡辺豊博さんに会ってきた。
 渡辺さんは富士の裾野・静岡県三島市で育った。(生まれはわたしと同じ秋田だとか)三島は古くから「水の都」として有名であり、素晴らしい環境を誇ってきたが、昭和三十六年以降、上流地域で産業活動が活発化したことにより、地下水が汲み上げられ、川や湿地から湧水が消失、ゴミが捨てられるようになった。
 憂慮すべき状況の中、平成三年、渡辺さんは仲間を集め「三島ゆうすい会」を設立、水を守り、育てるための市民活動を開始。当時から、水を供給している母なる山・富士山の環境保全なくしては三島の再生は成就できないとの信念で、着実な活動をこれまで積み上げてきた。
 平成四年には、一つの市民団体だけの努力では運動に限界があるとの認識から、イギリスを参考に、市民・NPO・行政・企業とが連携・協働し「グラウンドワ−ク三島(現在NPO法人)」を立ち上げる。本家であるイギリスの団体が見に来られ、「これはイギリスを超えている」と感想を洩らしたとか。
 ゴミ捨て場化した源兵衛川をホタルが乱舞する美しい川へと再生させ、絶滅した水中花・三島梅花藻を復活、井戸や水神さんを整備するなど、三島市内三十箇所において具体的で実践的な市民活動を展開してきた。平成十六年度には、その源兵衛川が、土木学会の景観・デザイン委員会デザイン賞「最優秀賞」を受賞した。
 渡辺さんたちのやってきた、今もやり続けていることを「グラウンドワーク三島」のホームページから超簡単に抜粋説明すると以上のようなことになろうか。
 渡辺さんの案内で、渡辺さんたちが積み上げてこられた活動の成果、拠点を見せていただき、目から鱗の感を強くした。一人の人間が机に向かってやった仕事でないことが素人目にも分かる。聞けば、何年もかけて議論し、スクラップ・アンド・ビルドとは真反対の「旧に復する」運動を展開してこられたとか。それは昔を懐かしむという懐古趣味的なものでは(昔を知っているお年寄りが懐かしむことはあっても)全くない。暮らしをラディカルに考え科学的知識に裏付けられた証しとしてあるようだ。十年以上かけてやってきたことに時代がようやく追いついたということか。土木学会が主催するデザイン賞「最優秀賞」の受賞がそのことをよく物語っている。おもしろい本ができるとの実感を持ちながら横浜に帰ってきた。
 ところで、三島の鰻があんなに美味いとは今の今まで知らなかった。

自発的

 先日、アルバイトに来ている若い二人を呼んで、わが社が一番大事に考えているのは、なんといっても自発異性であることを、ん!? 間違えました、自発性であることを力説。自発性が育つにはなんぼか時間はかかるけれど、それがいったん芽を出したとなると、文字通り、いろんな秘められていたものが封印を解かれたようにぐんぐん伸び始める。特に若い人はそうだ。それを見るのが楽しい。
 営業のアルバイトに来ているMさんのことは以前ここに書いたことがあるが、彼女が書店廻りをしている時に、ウチの本が割りと目立つところに並べられていて、それがよほどうれしかったらしく、うれしさのまま写メールを会社のパソコンに送ってきたことがある。会社に居合わせた者みな、彼女の行為に目をみはった。
 写メールに添えられていたコメントもさることながら、わたしはその勇気に感動した。上司から指示されただけのことを十全に果たすのが良くて、それ以外のことをするのは余計だという考えもあろうが、わたしはそうは思わない。極論すれば、自発性だけが状況を変えていく力になると思っている。だから、わたしは毎日、出社する前、和室に置いてある小っちゃな仏壇(亡くなった祖父母の写真と水を入れた湯のみが置いてある)に手を合わせ、会社のみんながそれぞれ個性を発揮し、自発的に仕事ができますようにと祈っているのだ。

ハトの死

 JR桜木町駅は、改札を出て右へ折れれば野毛方面、左へ折れればMM21、ガード下の壁画を楽しみながら歩くには右へ出なければならないが、天気のいい日は、わたしは左へ出て、車のあまり通らない裏道を歩いて紅葉坂へ向かうことにしている。
 ひと月ぐらい前だろうか、車に轢かれてハトが死んでいた。それを横目に見ながら紅葉坂の交差点へ至る。翌日は朝から雨だった。わたしはハトのことなどすっかり忘れてガード下のおもしろくもない絵を見ながら歩き、坂に向かう交差点で信号が変わるのを待ちながら傘を差した。その次の日も雨だったから、わたしはまたガード下を歩いたが、昼、食事をしに外へ出た時には雨はすっかり止んでいた。昼食を終え帰社する時分には日差しは暑いぐらいになり、首筋から気持ち悪い汗が流れた。
 三日目はかんかん照り。桜木町駅九時四三分着。暑いは暑いが、広々したところを歩きたい気がして左へ折れた。スターバックスではモーニングセットを横に置きながらノートパソコンを睨んでいるサラリーマンや、取引先のお偉いさんとでも話しているのか、でかい声で敬語の使い方に注意しながら携帯電話を耳に押し当てているサラリーマンの姿が目に付いた。外国の真似なのだろう、いまは外にテーブルを出している喫茶店がやたらと多くなった。わたしは、固く決めているというわけではないけれど、外のテーブルには着かない。ユニクロの店は閉まっていた。
 ハトがいた。三日前はまだ厚みがあったのに、さらに車に轢かれでもしたのか、もうすっかり薄くなり、のしイカかカワハギの干物みたいに哀れな姿をさらしている。でも、足先だけは薄くなることを拒否するかのように頑固に頑張っていた。それからもわたしは朝の出勤時、雨が降らないかぎりそこを通って、ハトの行く末を見届けることにした。(考え事をしながら歩いているうちに、ハトのいる場所を通過していることも間々あったが)ハトはもう、それにかつて生命が宿っていたなどとはおよそ考えられない体のものへと変貌を遂げ、のしイカどころか、ついにはフレーク状を呈し、あんなに頑張って厚みをキープしていた足先もどこかへ吹っ飛んじまったみたい。
 お盆休みが明け、日差しは相変わらずながら、風は、さやかに見えなくても、そこはかとなく秋の到来を告げている。桜木町駅に降り立ち、改札を出ていつものように左へ折れた。サラリーマンとノートパソコンに目を遣りながら広い裏通りに入った。注意して見たのだが、ハトはどこにもいない。もと居た場所へ近づいて見もしたが、跡形もなく消えている。ひとつ溜め息をついてわたしはまた歩き出した。ガタンガタン、ゴトンゴトン、停車前の嫌な音をさせながら頭の上を桜木町駅九時四八分発の大船行き電車が通った。暑さが金縛りになっていくようだった。

祭のあと

 心待ちにしていたお盆休みも終り、今日からまた仕事。祭は祭らしく仕事は仕事らしく。でも、なんだか気が乗らないねぇ。
 夏休みが終ろうとしているのに、宿題が予定通りすすんでいない時にも似て、気分がなんとなく湿気ている。弛緩。ただ、この状態のいいところは、楽しかった祭のあれこれが心にきちんと刻み込まれるということ。
 こころがふわふわ、やわらかくなっているため、ふだん入りこまないニュアンスまでが、今はその意味がわからなくても、心に入りこむ。長いスパンでの大事な決断をするのは意外とこういう時ではないか。自分のことを振り返っても、人生の大きな曲がり角は祭のあとだったような気がする。普段の生活から祭へ向かう昂揚した気分と、あり得ないほどの絶頂から頭を冷やして淡々とした日常へ向かうはざま、破れ目のこの時に外から不意になにかがやって来る。神か仏かご先祖様のご託宣か、たとえばそういうもの。耳を澄まし心を平らかにして聴くしかない。しかない。ん? ん? しかし、今回ばかりは寄り目になるぐらい、いくら意識を集中させても、デタラメな夢が浮かぶばかりでチンとも音がしない。結局「なんだかんだごたくを並べてねえで、とっとと仕事をしろ!」ということのようだ。ふぁ〜い。それにしても眠い。忘れ物がないかよく注意しよ。それではみなさん、今日から(きのうからの人も)また頑張りましょう! 行ってきま〜す。ふぁ。

池波ファン

 秋田からの新幹線の車中、二、三度うとうとしかけたこともあったが、結局、東京駅まで飽きもせず『鬼平犯科帳』をずっと読んでいた。東京駅からは横須賀線に乗り換えたのだが、読むものがなくなり、もう一冊つぎのを持ってくれば良かったと悔やまれた。『鬼平〜』は文庫で二十四冊、今年一年は楽しめる。
 昨日読んだ章では、火付盗賊改方(ひつけとうぞくあらためかた)の長谷川平蔵が、市中見廻りの途中、ある飲み屋にふらりと入ったそのあとから、年のいった夜鷹がまるめたむしろを抱え同じ店に入るというシーンがあった。
 平蔵は店の親父に、女にも酒を一杯つけてやれと頼む。親父は、このお侍さん(平蔵のこと)、こんな化け物を抱く気なのだろうかと心中思う。ほかには客がだれもいない。女は色っぽい目で平蔵を見遣る。平蔵は、そっちのほうは年のせいで、このところとんとダメだから、話に付き合ってくれという。女の目から商売の色が消え、小一時間ほど平蔵は女と話し込む。女が先に席を立ち店を出て行こうとするや、いつの間に包んでおいたのか、平蔵は紙に包んだいくばくかの金を女に渡した。女は、「こんなわたしを人並みに扱ってくれたほかにお金までもらっては…」と恐縮するが、平蔵は、こともなげに「俺もお前もここの親父も人ではないか」とあっさりと言う。ク〜ッ! ちくしょー。にくいねぇ〜、長谷川平蔵。やい、こら平ちゃん。カッコ良すぎ! 女は平蔵にもらったお金を宝物のように胸に押し抱き闇に消えていった。ク〜ッ!
 こういうシーンを格調高いリズミカルな文章でテンポ良くやられるのだからたまらない。みんな好きなはずだよ。『鬼平〜』はもちろん、しばらく池波ファンで行くことになりそうだ。