自宅のパソコンの不具合(でなく、モデムの調子が悪かったみたい)で、業者の方に来てもらい診てもらったら、ほんのちょっと触っただけ(にしか見えない)で治ってしまった。機械音痴のわたしにすればゴッドハンドとも受け取れる。父は機械好きで、少しの故障なら自分で分解し治してしまうのに、その父のDNAはわたしには受け継がれなかったらしい。ま、父が治せるのは農業機械に限っての話だが。ともかく、旧に復したので、またこの拙文、しこしこと書いていくつもり。ご笑覧いただければ幸いです。
2007年、小社は今日からスタート。幸先よく、と行きたいところですが、自宅のパソコンがどういうわけかインターネットに接続できず、いつもならすでにこの拙文、アップしているはずなのに、仕方なく会社のパソコンで入力しています。普通にパソコンができる人なら、ちょちょいと直してしまうところ、機械音痴のわたしでは端から無理。急ぎ業者に頼んで直してもらうつもり。ともあれ、皆さま、本年もどうぞよろしくお願いします。
以前勤めていた出版社時代から付き合いのあるOさんから卓上カレンダーが届いた。Oさんは横浜勤務だったが、仕事ぶりを買われ成績不振の東京営業所に転勤になり、最近は連絡が途絶えていた。Oさんが横浜にいた頃、わたしはOさんにねだってOさんが勤務するA社製卓上カレンダーを社員全員分もらっていた。書き込みのできる、シンプルながら優れもので、わたしは十数年このカレンダーしか使ったことがない。
今年は、Oさんの後輩で横浜勤務のIさんから3個いただいた。そもそも1個だけしかもらえないものなのだ。Iさんが3個くれたのだって異例で、今回は役員3人だけありがたく使わせてもらおうと思っていた。その矢先のOさんからの贈り物! 「ごぶさたしています。卓上カレンダー、がんばりました」とメモ書きが入っていた。胸にこみ上げてくるものがあった。人の縁。大事にしなければと改めて肝に銘じた。
一昨日のどしゃ降りを忘れさせるかのように今日は快晴。昨日も午後からだんだん晴れて、夕刻には青空が広がった。知人から富士山がきれいとのメールが入ったので、ベランダに出、端っこまで歩き、夕焼けに染まる富士の勇姿をしばし堪能。寒さが体に染み込まぬうちに回れ右。同じフロアに入っている会社に目を向けぬよう注意しながら自室に戻る。
よこはま児童文化研究所の立川、原の両先生来社。すでに『知的障害児のためのラーニング・ボックス学習法』を上梓しているが、全国には子供の成長を願いながら、一般の学校ではなかなか受け入れてもらえないで悩み苦闘している親御さんたちがいることを考え、その方たちに研究所の画期的学習法を知ってもらいたいということから、研究所に子供たちを通わせているお母さん(お父さん)たちに集まってもらい座談会を開き、それを本にすることにした。編集が着々進んでいる。両先生を交えいろいろ話し合っているうちに、さらに本の輪郭がはっきりし、タイトルも『母の愛が奇跡を生む “遅れ”に挑むラーニングボックス学習法』に決定。研究所の活動は単独で成り立つものではなく、母(父)の信に抱かれていることを実感している子供たちだからこそ有効に作用すると考えられる。この本に関わりながら、母の愛は自前のものとは違う気がしてきた。
電車のシートに腰掛けていたら、隣りに座った初老の紳士が鞄から徐に本を取り出して読み始めた。茶色の立派な革カバーがかかっていたからニ段組の聖書かなと思った。ところが、ニ段組どころか一段組のそれも14ポイントぐらいの文字でゆったり組まれており、当の本人は言うに及ばず、わたしにもどうぞ読んで下さいとばかりに一文一文が眼に飛び込んでくる。日本の美容業界に貢献したという人にまつわる人間模様を描いた小説のようだった。だれの書いた小説だろう…。黒い餞別…。ふむ。そんなことを考えている自分にはたと気付き、大いに恥じ入った。
ヒマラヤの奥地には水晶の洞窟があって、インド人のガイドを雇いそこを訪ねてみたいとヒデさんは言った。にょきにょきと生えたポイントが外の光を浴びて輝きだす。この世のものとも思えない。ハンマーなんかで砕かなくても、あちこち触っていると、かくんと外れるクラスターがある。それは旅したがっている水晶で、それに旅をさせればいい…。
ヒデさんは子供の頃から石が好きだったそうだ。ヒデさんに会うことがあっても、今までは石の話を聞く機会がなかった。わたしが聞く耳を持たなかったからだろう。最近少し興味が出てきたので話してくれたのかもしれない。「石の基本は水晶です」とヒデさん。石に守られたことも二度、三度あるという。石を浄化するのに湘南の海に一日かけて出かけていたとも。ピュアな話は聞いているだけで心地いい。ヒデさんは版画家。
