読書感想文

 夏休みといえば、読書感想文! でも、嫌いだったねぇ。提出しないわけにもいかないしなぁ、で。
 好きな本を読んで、なんでもいいから感想書けっていわれたら、感想ぐれぇはあるわさ。おもしろかった。つまらなかった。ふつう。でも、それだけじゃだめで、どうしておもしろいと感じたのか、つまらないと感じたのか書けっていうんでしょ。きちんと読んだという証しも文中に差し挟みながら…。でも、この読書感想文てやつ、問題は、だれに当てて書くかってことなんだよ。感想というのは、だいたい私的なものであって、それを文章にすること自体なかなか至難の業なのに、加えて、読んでもらう相手が特定できないってことが悩みの種だ。
 まず、担任の先生か国語の先生あたりに向けて書くってことなんだろうけど、うがった言い方をすれば、当の先生は一体どれくらいの深さで課題図書を読んでいるっていうのさ。だって、その先生が見て、この感想文はいい、これはダメって判断するんでしょ。それがそもそも問題じゃねぇか。私的な感想を判定するのっておかしいじゃない。また、先生が見て、これはと思うものを県の「読書感想文コンクール」なんかに応募したりもするんでしょ。そういうことを考えると、「感想」という極めて私的なものが、実はちっとも私的なものでないわけよ。
 だからこの「読書感想文」てぇやつ、本を深く読み込むことよりも、大人(この場合、担任の先生や国語の先生)の隠された意向をどれだけ的確に察知するか、いわば、上司におもねる部下を小学校の段階から育成する道具になっていやしまいかとも思うのだ。意地悪な見方かもしれないが、そんな気がする。ラブレターならいざ知らず、将来作家になるつもりならいざ知らず、なんで心の奥のふるえをあんたに明かさなくちゃならないのさ、なんて。してみると、点数の高い読書感想文というのは、本を読んで感動したその感動の質よりも、本の内容を踏まえ、担任の先生が子供たちにこの本をこう読んでもらいたいと考えている(なぜそう考えているのかまで察知し)意向を読み解く体のものにならざるを得ないだろう。
 そんなことを今ショボンとした気持ちで振り返る。「読書感想文」には、昆虫採集みたいなドキドキワクワク、自由で伸びやかなイメージと、ものすごくきつい「縛り」のイメージが重なっていた。どんなふうに書けばいいのか。トホホ…。やれやれ。やんちゃな孫をおもんばかる老人な気分だったよ全く。苦手だったなぁ。