A Time 2 Love

 スティービー・ワンダーの新譜が遅れている。そんなに熱心に待っているわけではないわたしがヤキモキしているのだから、熱心に待っているファンの気持ちはいかばかりだろう。
 『インナーヴィジョンズ』『ファーストフィナーレ』『キーオブライフ』(このラインナップ! 無敵!)のヒット作を立て続けに出した頃がやはりピークなんだろうけど、その後もずっと好きで聴いている。あのシャウトする声に武者震いしたものだ。わけもなく、よしがんばろう! という気になった。テレビで初めて見たとき、まばたきするのも惜しいぐらいな気合で見ていたっけ。今は亡き祖母がテレビのスティービーを見て「がんばるふと(秋田弁で「ひと」のこと)だねぇ〜」と言ったのもなつかしい。
 「アナザー・スター」あれ、弱いのよ。いや、曲が弱いのじゃなく、あれを聴いたときのおいらのことで。『キーオブライフ』に入っているのだが、聴くたび、井戸の底の方からグワッと感動が湧いてきて涙したものだ。今はさすがにそんなことはない。でも、井戸の底の底のほうで感動の鈴(ク〜ッ! 臭)が小さく震えるのは相変わらず。新作『A Time 2 Love』、かの名曲「スーパースティション(迷信)」風のものも入っているというから楽しみ。ヤキモキしながら待つことにしよう。

いい歳

 NHKでおもしろい番組をやっていた。変わった趣味(本人はそんなふうには思っていないはず)の人を集め紹介する番組で、ある女性は、バスが好きで好きでたまらなく(それも特定の線型のが好きとのことだったが、忘れた)とうとう中古の○○線型のバスを買って自家用車として使っているとか。消防自動車やはしご車が好きで本物を購入した中年男性もいた。輪ゴム鉄砲づくりの趣味が嵩じて、日本輪ゴム鉄砲学会みたいなのをつくり、今では会員が千人を超しているとか。男の人でシャワーキャップ収集が趣味(?!)の人も。紙相撲は横浜が重要拠点らしい。横浜国技館というのがあって、国技館のミニチュア版が六畳の部屋の中にある。呼び出しや行司までちゃんといて、それなりに厳格なルールがあるらしかった。
 最初は「世の中には変わった人がいるなぁ〜」と岡目八目で観ていたのだが、なんだか、だんだん羨ましくなってきた。
 出演者の皆さんは、三十代から五十代が多そうで、おそらく周りから「いい歳をして何をやってるの」と言われているのではないだろうか。いや、きっと言われている。でも、たとえば番組中、奥さんにナイショで三十万円ではしご車を買い、消防士の格好をしてレバーを引き、はしごがスルスルと空に向かって伸びていく姿を見て「いいもんですねぇ〜。いいもんですねぇ〜」と繰り返す晴れやかなおじさんを見てなかなか笑えないと思った。奥さんは困ったものだと嘆くかもしれないが、他人に迷惑を掛けているわけではない。
 「いい歳をして」はふつう揶揄していう言葉だが、「いい」のアクセントを変えるとニュアンスも変わる。

骨人

 先日、寝転がって何気なくテレビを見ていたら、洋画家の小出楢重(こいで・ならしげ)が出てきたので、居ずまいを正して番組に見入った。テレビ東京「美の巨人たち」。画家の人生を一般の人にも分かりやすく興味深く取り上げてくれるので好きな番組だ。それに楢重の「Nの家族」が取り上げられていたのだ。Nは楢重。
 大阪生まれ大阪育ち、身長一五六センチ、体重五十キロに満たない小男(みずから骨人と称す)ながら「東の劉生、西の楢重」と呼ばれるようになった孤高の天才画家。特に彼の描く「支那寝台の女」など裸婦像が素晴らしく、番組では、日本女性の裸の美しさを描いたものとしてNo.1と称えていた。楢重に卑屈は似合わない。数年前、横浜そごうで「小出楢重展」があったが、そのとき「支那寝台の女」を初めて目の当たりにし、息を呑んだ。西洋の脚が長いばかりのヌードなど目じゃないと思った。
 番組に我らが小出龍太郎先生が出てきたので、ググッとさらにテレビに寄る。先生の背中には小社刊の本がズラリ。『文学にひそむ十字架』『小出楢重―光の憂鬱』『ちょっと、教養―20代女性のための芸術案内』アハハハハ… 先生、やるぅ〜♪ うれしいな。ありがたし!!

「交渉人 真下正義」

 ユースケ・サンタマリア演じる交渉人の真下正義が、何者かにのっとられた地下鉄の最新鋭実験車両事件に挑むというもの。「踊る大捜査線」から派生・発展した作品とのことだが、単体で十分たのしめる作品だと思う。テンポもよく、今の時代に起こりうる犯罪の恐ろしさがひしひしと伝わってくる。また、のっぺり無表情のユースケ・サンタマリアが、交渉人として犯人と巧みに交わす心理戦は、どこまでが計算で、どこからが本音だろうかと観ていて興味尽きず、いや、本音と思われた言説も実は交渉人としての計算のうちではなかったかと思わせるあたり、なかなかのもの。2時間7分があっという間。おもしろかった。
 さてこれから観ようと階段を登っているとき、見終わった前の客が結末についてコメントしながら出ていったのは反則。

 わたしが使っている会社のパソコンがカタカタカタ…と無気味な音がして、とうとう壊れた。たがおがマイ・ドキュメントとアドレス帳を救ってくれたのでよかったが、あとは儚く消滅。すぐに業者に連絡し、本体だけ取り替えることに。一昨日設置完了、旧に復す。取り替えるまでの数日、なんとも心もとない時間を過ごした。
 パソコンがなくてもできる仕事はあるから、それをしてればいいではないか、とは思うものの、思考自体がこの頃ではパソコンと共にあるみたいな状態だから、パソコンなしでは夜も日も明けぬ。思考停止。
 いつからこうなってしまったのだろう。会社を起こしてから。メールをやり取りするようになってから。売掛け、買掛け、在庫、資金繰りなどの表をエクセルで作るようになってから。いろいろな作文をパソコンを使って書くようになってから。「よもやま日記」を付けるようになってから。etc.
 パソコンだと下書きと清書の手間が省け、いくらでも、書きながらでも直せるから、思考そのものをクリーンにしていくような気持ちよさがある。文章を綴りながら除雪し道が出来ていく(雪国出身者の比喩)のを眺める心地よさ。便利さだけではなく、便利さに伴うこのこころ、「快」の点数が加わっているような気がする。そうそう、もう一つ、タバコをやめられたのもパソコンを使うようになってからだ。ほんと。ニコチンの「快」がパソコンの「快」に変換した、か。うーん? それは牽強付会、できすぎか。でも、タイミング的にはそうなんだよね。

人に愛

 ク〜ッ!! 究極のすごいタイトル! たしか中学校の体育館ではなかったかと思う。弟が今そこに勤めているから、訊けば教えてもらえるだろうけど、煩わせるのも悪いからあやふやな記憶で記すことにするが、そこに「天に星 地に花 人に愛」と揮毫された額が掲げられていた。短い文句だし、語呂もいいから、なんとなく憶えている。が、それにはもう一つわけがある。すこし違和感があったからだ。
 天を見上げれば(曇っていれば見えないけれど)必ず星がある。季節にもよるが地には必ず花が咲く。だけれど、それら二つと同じ並びで人には必ず愛があるといえるだろうか。人には他にも、もっといろいろ大事なものがあるはずだし、天=星、地=花のように、愛がなければ人ではない(ひとでなし)みたいな言い方は少しおかしくないか。思い出して整理すると、そういう違和感ではなかったかと思う。
 いまはどうかと言うと、子を持つ親も、そうでない者も、大事なことは愛することただ一つかなと思うのだ。『愛するということ』という哲学的な本もあるけれど、本に拠らずとも、たとえば「親切」ということだし、まなざし一つのこともある。
 ピナ・バウシュ・ブッパタール舞踊団の「ネフェス(呼気)」を観て感動し、チラシにあった言葉、「価値のある唯一の行為は愛することである。」に涙ながらに合点がいって、数日そのことをつらつら考えていたら、上の言葉を思い出した。その言葉がだれのものか先生から教えてもらった記憶はない。『友情』を書いた武者小路実篤の言葉だそうだ。

馬鹿ていねい

 「お使いになっているパソコンの背面に貼られているシールに記載されている製造番号を御教示賜りたく何卒よろしくお願い申し上げます。」
 知人は大手電機メーカーに勤務。パソコンに関する客からの質問にメールで答えるのが仕事だ。お客は神様だから、上司からきつく、ていねいにていねいに、さらにていねいに最上級の言葉をもって接するようにと諭されているらしい。その例がたとえば上記の文。知人いわく、製造番号を知りたいだけなのに、なにも御教示賜らなくてもいいのではないか。製造番号を教えていただけますか、でいいだろう。だって、その客が知りたいことはもっと先にある。知りたいことの手前でなんだか妙にていねい過ぎる言い回しをされて、客はどう思うだろう、云々。
 知人の意見は至極もっともだと思ったから、そう答えた。「賜る」と「存じ上げる」がやたら多い文章は、皮ばかり厚くて食うところがほんの少ししかないフルーツに似ている。大事なことを本当は知らせたくなくて、「賜っ」たり「存じ上げ」たりしているのじゃないかと勘ぐってしまう。