超大型連休終了

 4月29日から始まった連休(最大で10日間!)も昨日で終り、?今日からまた新たな戦いの日々が始まる。そんなふうに思っている方も結構おられるのではないだろうか。逆に、?長い祭りが終り、平常の時間にやっと戻れる、そういう感慨を持つ人もいらっしゃるだろう。?いや、どちらでもなく常に戦いさ、の感想もありそうだ。わたしの場合はどうかと考えたら、三つがない交ぜのようでもあり、ちょっと感傷的になっている気もする。(♪祭りの後の寂しさは…なんて歌が昔あった)ということは、?の前に「さてと」の言葉を付けた辺りにどうやら落ち着きそうだ。
 朝おきてまずしたこと。歯を磨き、ベランダの鉢に水をやった。これだけで気分は変る。休み明けに大事なことは、しなければいけないことをボンヤリとではなくゆっくりと、きっちりすること。そのために、書き物なら3回は目を通し、ゆるんだ頭をクリアにする。うん! なんてね。他人事でなく自分への戒めでした。

おびえ

 子供の頃、母の実家に遊びに行くと、夜、日本家屋の奥の座敷に布団を敷き、父、わたし、母と川の字になって寝たものだ。まだ小さかった弟は母に抱かれていたのかもしれない。はっきりとは憶えていない。寝床が変わって少し緊張しながら、わたしは胸に両手を当てて目を見開いていた。天井板の木目を睨んでいるうちにミル貝の足のようにも見えるその模様が微妙に変容するようで眼を疑った。横を見れば父は薄いいびきをかいてすでに眠りに入っていくようなのだ。枕に乗せた頭をずらし、ふすまの上の彫り物に目をやれば、恐ろしい虎がこちらを睨んでいて、わたしはゾッとし、思わず、カアサン、と小声で呼びかけた。母は呼吸のリズムをほんのちょっと崩しただけで、またスースーとリズミカルな寝息をたてた。わたしは頭を元の位置に戻し、真上の天井を見遣りながらこんなことを考えていた。天井板を剥がし、屋根を剥がしたならば、四人はいま無辺の宇宙の下に横たわっていると。めまいがするような気がしてうろたえた。くるくるくるくるくるくるくるくる、四次元の闇はさらに冴え冴えとしていくようだった。

青空

 かつての横浜国立病院、いま独立行政法人国立病院機構横浜医療センター(長い!)の整形外科に寄り、午後、久しぶりに出社。左腕が利かず、半袖シャツ1枚しか着ていないところに雨など降ってくるものだから寒さに身をふるわせ、タクシーで紅葉坂の教育会館へ。室内は暖房が入っていて、ホッと体も心も温まる。休み中に溜まった郵便物の封を切り、中をあらため、気を奮い立たせて約束の電話を何件かする。社内は音楽も聞こえず静かな時間が過ぎていく。専務イシバシが長崎旅行のお土産に買ってきてくれたカステラを皆で食す。美味い! 午後7時退社。すっきり晴れた青空が見たくなった。

好物

 母は、外国人の背が高いのはチョコレートを食べているからだと信じ、そのため、わたしも弟も子供の頃からチョコレートを食べて育った。その甲斐あって、ふたりとも身長が180センチを越える大男になった、と、もしそうなれば、母の自信は確信へと変わったろうが、実際はそうならなかった。わたしも弟も普通より小さいほうだ。それでも母はチョコレートと身長の相関関係への信仰を今も捨ててはいないだろう。
 身長には影響しなかったが、母のおかげでチョコレートは大の好物になった。弟はどうだろうか。ふたり同じものをもらい、わたしが先に食べ、弟が隠しておきそうなところへ行くと決まって大事に残していたから、弟もそれなりに好きだったのだろう。
 それはともかく、ずーっとチョコレートが好きで、前の勤め先では昼の休憩時間に傍のパチンコ屋へ行き小金をせしめればチョコレートと交換するほど好きだったのに、このごろはそんなに食べなくなった。代わりにアイスクリームを食べるようになった。ハーゲンダッツ、ちょいと値が張るけれど美味いね、アレは。「爽」もがんばっている。布団の上にあぐらをかき、好きなテレビを見ながらアイスクリームを食う、これ最高。ただ、こぼさないように注意しなければならない。

利き手

 わたしは両利きである。手のことだ。箸を持つ手は右、鉛筆は右、りんごの皮むきは右、野球は右打ち。そうすると、なんだ右利きじゃねえかとも思うが、必ずしもそうとばかりも言えない。なぜなら、消しゴムは左、包丁で果物の皮を向くのは右だが、野菜の千切りや微塵切りは左、野球のボールは左で投げる。腕相撲は圧倒的に左が強い。だから‘両利き’とは言っても、ひとつの作業を右と左両方同じようにできるわけではない。必ずどちらかの手が利き手であり、やってみて初めて利き手がどっちか気づく。親知らずが五本あることと手が両利きであることをもって、わたしは自分が進化しきっていないと見る。
 それはともかく、要するに、細かいテクニカルな作業は右、力仕事は左、というふうに分業ができているようなのだ。子供のころ頃矯正された記憶はないし、親に訊いてもそんなことはないという。
 今回、左の鎖骨を骨折したことにより普段意識してなかったことを意識する場面が多いが、髭剃りもその一つ。
 怪我をしているからといって不精髭を伸ばし放題というのもどうかと思い、洗面台にお湯を張り、シェービングクリームを顔に塗りたくり、ジレットの3枚刃を右手に持って静かに顔にあてた。鏡を見ながら剃り残しがないようにゆっくり時間をかけてやったのだが、どうも要領を得ない。はて、としばし考えたが、いつもは左手で髭を剃っていたことにはたと気がついた。ということは、わたしにとって髭剃りはテクニカルな業ではなく力仕事だということになる。なんでもないようなことながら、ちょっぴり発見の喜びに浸った次第。

関係する数

 電話で知人と話していて「関数」という言葉がでた。一次関数、二次関数、三角関数、複素関数いろいろあるが、そもそも「関数」とはなにか。「関数」の「関」は関係の「関」、とすると、「関数」とは「関係する数」ということになる。ふむ、なかなかエロい!
 ぼくの好きな国語辞書『大辞林』によれば【関数】とは、ふたつの変数x・yのあいだに、ある対応関係があって、xの値が定まるとそれに対応してyの値が従属的に定まる時の対応関係。yがxの関数であることをy=f(x)と表す、とある。
 いいねいいねいいねえ。対応関係、従属的。奥村チヨ「恋の奴隷」なんていう歌も昔あった。
 数と数の関係の中身を扱うのが「関数」。ならば、人と人との関係を「関人」と呼ぶかといえばそうではなく、一般的に「人間関係」と呼ぶ。主従関係、親子関係、恋愛関係、敵対関係etc。数学に一次関数ほかいろいろあるように、人と人との関係も内容によって呼称が違う。
 人と人との関係は、数学ほどには単純ではない。数学ではxが独立変数でyが従属変数ということだから、xが決まればyが決まる。ところが人間関係の場合、どちらがxでどちらがyかということは、なかなかに計りがたい。恋愛や夫婦の関係を考えれば、おのずと知れる。また何がxで何がyかということも、単純にはいいきれない。たとえば、親がいなければ子は生まれないことを考えれば、子は親の関数であるともいえるが、生まれた後は、親はもちろんだが、周囲の人びとや環境の影響によって子は育つ。その意味で、人は人と環境の関数と呼ぶこともできるかもしれない。
 これに関係した話で思い出すことがある。カエルの子=おたまじゃくしは、どこの池で育っても、餌さえあればカエルになる。誰に育てられようが関係ない。ところが人間は違う。親はなくても子は育つということわざがあるけれど、だれもいなくていいということではないだろう。人間に育てられて人間になるのが人間だ。オオカミに育てられれば人間の形をしたオオカミになる。昔ベンガルで見つかった。その記録を本で読んだことがある。悲しい時に涙を流すことも人間になる過程で教わると、そのとき初めて知った。もろもろの関係から人間になるための要素を吸収し、関係をかいくぐり、また、関係にしばられない人間になることが肝心。
 林竹二の授業「人間について」は、蛙の子は蛙、と同じ意味で人間の子は人間といえますか、の質問から始まった。最初にその授業記録を読んだときの興奮がまだ体から離れない。

気晴らし

 一日中家にいても体がなまるし飽きてもくるので、ちょうど生ゴミの袋がなくなったから、散歩がてら駅の近くまで歩いてみることにした。
 ぽかぽかと日差しが心地よく、なんだいつもと同じだなと思えてくる。小料理千成に顔を出し、帰りに寄るからと声をかけ、外へ出ると、ご近所のSさんに声をかけられた。「あら、どうされました?」「ええ、ちょいと鎖骨を折りまして。アハハハハ…」「笑い事ではありませんよ。たいへんですね」「ええ、まあ。そう大したことではありません、自然にくっつくそうですから…」「そうですか。どうぞお大事になさってください」「はい。ありがとうございます」
 急ぐ用でもなし、てくてく歩いていたら、自分の脚で歩いているのに、なんだか昔の駕籠にでも乗ってゆらりゆ〜らり、景色を眺めているような気分になった。これはいつもと違う。ほほほ。
 いつまでたっても名前を憶えられない駅前のスーパーマーケットで生ゴミの袋とファブリーズと詰め替え用の無香空間なんかを買って、ふむ、この気分何かに似ておるなと思ったら、蟻だ。蟻な気分。顔まで蟻に変身か。髭をいつ剃ろう?
 小料理千成は、ひっきりなしに電話が入り、本日の予約終了とか。連休の谷間、家族で千成の美味い料理を食べに行こうかの人たちなのだろう。わたしは刺身とクジラ肉の竜田揚げとキンキの煮付けと野菜の酢の物をいただいた。ミョウガの味が舌にぴりりと刺さる。エビの天ぷらは後日にとっておくことに。
 お勘定を済ませ出ようとしたらちょうどママさんが入ってきて「どんな具合かしらと思ってホームページを覗いていたところよ」と言った。
 階段はきついのでS字カーブの道をゆっくりと登った。カーブの曲がりっぱな、小学校三、四年生ぐらいだろうか、まだ開かぬつぼみのようにしゃがみ込み、顔を寄せ合い、坂を登るわたしの存在など全く気付かぬようにゲームに夢中になっていた。それがなんだかありがたかった。
 コーナーを曲がってしばらく行ってから振りかえってみたが、さっきと同じ格好だったので可笑しくなった。