横浜児童文化研究所の先生たちと合同の忘年会。歌いに歌う。ひたすら歌う。
わたしは、いつものようにサザン・オールスターズをはじめ色々歌ったのだが、ふと思い立ち、歌の本をパラパラめくった。すると、あった! ありました。遠藤賢司の「夢よ叫べ」。
これまで歌ったことはないけれど、CDで何度か聴いてメロディーはだいたい知っているから、破れかぶれで入れてみる。歌っているうちに痒くなり悲しくなり、それから熱くなり、「本当はね 誰でも哀しくて 泣きたい夜だってあるよ」でぐっと来て、最後「そうさ そんな夢に負けるな友よ 夢よ叫べ」と声を張り上げたら、何かボヨヨンと変なものが出て、ある形をとった。
楽しく、あっという間の3時間、お開きになってクルマで金沢文庫まで送っていただいたのだが、車中、どういったらいいか、自分であって自分でないみたいな妙な感覚を味わった。感情がザラつかず、いつになく安定。呼吸みたい、葬式みたい、と思った。息は吸って吐くのではなく、吐けば自然と外から新しい風が入ってくる。家に帰り、久しぶりに、ぐっすり眠った。
小社の愛ちゃんが業田良家『ゴーダ哲学堂 悲劇排除システム』と同『空気人形』を貸してくれたので、さっそく読む。傑作漫画『自虐の詩』の作者らしい「哲学」がどの篇にも盛り込まれている。
ギター一本で喰っていきたいと思っている浜田君にまつわる話「フォークソング」。彼には、キズちゃんという変わった名前の友だちがいる。
顔のほとんどが包帯でぐるぐる巻きにされた子供で、左目だけが見えている。浜田君とキズちゃん二人でボロロンズを結成。ストリートミュージシャンとしてそれなりに人気も出てくる。
それを見ていたジャングルレコードのプロデューサー獅子山浩一(顔がライオン!)が浜田君の自宅を訪ね、浜田君一人をスカウトする。獅子山は浜田君を会社へ呼び出し、役員に会わせ、サインを迫る。ニューヨークに行き半年修行と曲づくり、ロスで録音とミキシング、初のシングル曲は化粧品会社のコマーシャルとタイアップ等々、ミュージシャンの卵が喜びそうな美味しい餌を次つぎ並び立てる。ギター一本で喰っていきたいと思っている浜田君にはこれ以上ない夢のような話。
ブルブル震える手で契約書にサインをしようとしたその時、浜田君の顔から血が吹き出し、契約書にぽたりと落ちる。浜田君もキズちゃん同様、血の出る体質だったのだ。
結局、契約を断り、キズちゃんのところへ戻る。「まだギターで喰えてるわけじゃないけれど、オレたちギターで生きてます!」となってエンド。「オレたち」に圏点が付されている。
傷つき血の出る体質は出来れば排除したい。でも、その体質があっての人間ということなのだろう。
きのうは、この御殿山からもいい月が見え、放哉の「こんなよい月を一人で見て寝る」を思い出しながら布団にもぐった。
秋田の家の自分の部屋に立派なオーディオがあった。夢と希望と自信と完璧さと流行りのアイデンティティに繋がる画期的なもので、わたしとしては、それなしでは日も夜も明けないぐらいな気持ち。
ところが、年末大掃除をしていたら、夢と希望と自信と完璧さと流行りのアイデンティティに繋がっているはずのスピーカーの底が腐り始めていた。畳の部屋に板を敷き、その上にスピーカーを置いていたためか、床下の湿気を吸って、板ごと、ぐじゅぐじゅになっている。こんなんでいい音が出るとも思えない。わたしはもう何もかも捨てたい気分になった。夢も希望もあったものではない。
それでも、畑の細い道を通ってスピーカーの下に敷くコンクリートブロックを探しに行ったのだ。コンクリートブロック、コンクリートブロック…。
父は畑に施肥をしている最中で、わたしはなんだか嫌な気がした。無機的かつ硬質なコンクリートブロックを探しているというのに、父ときたら、微生物をたくさん含んでいるだろう有機的で柔らかい微温な堆肥を扱っていたからだ。くだかれた夢と希望は回復の見込みなし。
一旦家に帰って用意をし、どこか別の場所を探しに行こう。もと来た道を帰ろうとしたら、大勢の男たちがあちこち穴を掘り、働いている。働くのは構わないが、掘った土を道に盛ってあって通れない。仕方がないから畑に入り鉄パイプなんかがどさりと置いてある上を歩いて通った。そうしたら、働いている男たちに怒られた。その上を歩いてはいけない。なんだと! 細い一本道にどかどかと土を置いたおめえらのほうが悪いんじゃねえか。この道は昔から誰の道でもない。みんなのものなんだ。そこに土を盛るとはどういう魂胆なのさ。気分が滅入っていたせいで言葉に勢いがあった。労働者はボスの命令だからとか何とか言い訳をしている。ボスは誰だ。沢石金時さん73歳。沢石金時さんといえば、父の幼なじみではないか。そのひとが、この無体な工事を推し進めているというのか。それならば、どうしても沢石金時さんに会って、話をつけなくてはいけない。
事態が急変し、わたしの気持ちはそっちへ動き、スピーカーの底に敷くコンクリートブロックのことは、もうどうでもよくなり始めていた。
コットンクラブに来るお客さんでYさんという方がいる。英語の歌がべらぼうに上手い。カタカナ英語ではなく、どの歌も自分の歌になっており、聴いていて気持ちがいい。ノッてくると途中独特のスキャットも交え、楽しい。相当乱してもピタリと合わせるリズム感の良さには舌を巻く。
11時半ぐらいに現れ、コートも脱がず、椅子にも座らず、好きな英語の歌を2、3曲歌って帰ることもある。
ぼくはYさんが現れると、必ず、マイ・ファニー・ヴァレンタインをリクエストする。My funny Valentine / Sweet comic Valentine / You make me smile with my heart と始まるsmileのところがとても好き。やさしく慈しむようなsmileなのだ。いつ聴いても何度聴いてもじーんと来る。
天皇誕生日でも出勤、蚕が桑の葉を食むように校正校閲。絶対的な時間が掛かるので、倦まず弛まずこつこつやるのが一番だ。わたしより先に専務イシバシが出社しており、静かに仕事をこなしていた。
さて、世はこぞってクリスマス。クリスマスソングが街に溢れているわけだが、毎度のことながら、ジングルベルが、わたしにはどうしても、ジングル兵衛ジングル兵衛と聞こえる。ホワイトクリスマスなら、アイム ドリー眠 叔母 ホワーイ クリスマー、だ。
耳が日本語耳だから仕方がない。音を常に漢字変換したがる。厄介な耳ではあるが、でも、そんな風に聞こえることにより、ジングルベルなら、ジングル兵衛が歳末商戦で奮闘努力している様子が目に浮かび、ホワイトクリスマスなら、やさしい叔母さんのふところに包まれ眠るような気になるから、むしろ心地好い。今日と明日はジングル兵衛と叔母さんの日。
行き付けの床屋に毎月一度は行って電気バリカンで頭を刈ってもらうのだが、先日行った時のこと、「世の中、クリスマス一色だねえ」と言ったら、「現実にそぐわないですよ」ピシャリと言われた。それもそうだ。
「そうだねえ」「そうですよ」「あっちは行ってるの?」「全然行ってません。行かなきゃならないんですけど…不況不況で」「そうよなあ」
「朝、材料屋が来たんですけどね、来年のカレンダー持ってこないんですよ。材料屋がカレンダー持ってこないでどうするのっつうの。ったくねえ、あったまきましたよ。ま、貰えば貰ったで掛けておかなくちゃならないから、気に入らないものだと困ることもあるんですけどね、でも材料屋がカレンダー持ってこないんですよ!」相当腹に据えかねている様子。この勢いで頭をガリガリやられたんでは堪ったものではないから、こういうときは、こちらの身の不幸を披露しバランスをとるのが一番と思われ、慌てて、インターネットで注文した来年のカレンダーが大ハズレし、会社の皆に大笑いされたことを開陳、ぼくより少し年下の床屋は「三浦さんも苦労されてるんですね」と言い、ようやく少し落ち着いたようだった。
御代を済ませ外へ出たら、商店街のどこかの柱に縛られた安スピーカーからジングルベーがこれでもかといわんばかりに流れていた。床屋、あんなの耳にするたび、また、あったまくんだろうなあ。
新宿中村屋11時に高齢者向け英語本の企画で待ち合わせするも、イシバシなかなか現れず、おまえいい加減にしろよ、おれはまだ二人の先生共にお目にかかったことねーのだし、おまえが来なけりゃ話にならねーじゃねえかとヤキモキしていたら、「三浦さんですか」と妙齢の美しい女性に声を掛けられ「はい、そうですが」と声を裏返し返事をしたら、「石橋様からただいま携帯電話に連絡が入りまして、入口で坊主頭の男がぽつねんと立っているはずですからと申しておりました。どうぞこちらへ」と招かれ、二人の先生に改めて挨拶し、と、間もなくイシバシ登場、企画の主旨、市場性などについて話し合い、即決ゴー、中心になる先生が今週金曜日来社することになった。では、金曜日お待ちしています、で、新宿中村屋を後にし電車で水道橋へ向かう。お世話になっているながらみ書房へ2時に訪問する約束で、まだ少し時間があるからと、イシバシ、会社へ電話を入れ、今日開かれる平沢豊写真展会場、台場のホテル、グランパシフィックメリディアン3Fへ花をセットしてくれるよう総務イトウへ伝言、それからイシバシへOという方から電話が欲しいとの連絡が入ったらしく、イシバシ、そこへも電話を入れる。電話が済んで、ながらみ書房へ行く前に腹ごしらえをしといたほうがよかろうじゃねーかということで、地下の定食屋へ入り、ふたり同じ豚の味噌焼き定食を頼んだら、予想以上に豪勢な料理に舌なめずりして挑むも、チクショー、肝心かなめの豚の味噌焼きが、味付けはともかくとして肉そのものが硬すぎる、なんだこの肉コンクリか、硬くて噛みきれるもんじゃねー、と、文句を言ってもしょーがねーから我慢して食った。それから食堂を出てながらみ書房へ。及川社長と親しく話し、「短歌往来」4冊と社長の最新歌集『秘鑰』をいただく。年が明けたら相談したい旨の有難い話も頂戴し気合が入り、では、あまりお邪魔してもいけませんからそろそろお暇いたします、と挨拶をし立ちあがる。あら社長、この辺り随分綺麗になりましたね、先日お邪魔したときはもっといろいろ荷物があって…とイシバシ余計なことをいうから、馬鹿、おまえ、そんなこと言うもんじゃねー、褒め言葉になってねーじゃねーかなど言いながら辞去する。さて今度は東京理科大、飯田橋飯田橋と、そうか、隣りの駅か。飯田橋駅2時半着、おお、あのデカいビルが東京理科大、書いてあるよ、近いな。エレベーターで16階へ。約束の時間より数分早かったので窓辺にたたずみ外の景色を眺めていたら、先生から声を掛けられ共同研究室にてさっそく企画の相談。アメリカ発最新の応用行動分析学を研究してこられた先生の話に興味が尽きず時を忘れる。話がまとまり、来年1月末までに総論を書いて送ってもらうことにする。話を聞いているうちにちょびっと頭がよくなった気がして気分爽快、先生、エレベーターのところまで送ってくださり、今度横浜の方へぜひいらしてください、それでは、で、ズイ〜ンと地上へ降り、外へ出たらもう真っ暗。イシバシ、近くのATMでカネを下ろし、お待たせしました、いやなに、気にするな、よし、えーと、次は新橋。写真家の橋本照嵩とゆりかもめの改札で6時の待ち合わせだな。と、タイミングよく橋本氏から電話が入る。おう、橋本さん、いま飯田橋だよ、これから新橋に向かうところさ、橋本さんは今どこさ。え、新宿、あ、そう、じゃあ、ゆりかもめの改札で待っているからね、ピ!(ケイタイを切った音)。ゆりかもめの改札口っていったって二つあるじゃねえか。どっちなんだよ、東口、西口、橋本さん、宮城県出身だから東口かよ、根拠薄いな、とりあえず西口の方へエスカレーターで上り状況把握、イシバシを誘い、今度はエスカレーターを降り東口へ、東と西の口で何の変りばえもしない。も一度エスカレーターで降りながら、イシバシさんよ、橋本さんがくるまでエスカレーターを上り下りして何度目で来るか賭けないかと言うも、イシバシ無言、付き合ってもらえない。東口と西口へ分かれる踊り場で待つこと数分、橋本氏現る。三人ゆりかもめに乗り、揺られ、夜の東京ビューをしばし楽しむ。台場6時半着、駅前の豪華なホテル、グランパシフィックメリディアン3Fへ。イシバシ、2階の花屋で花の御代を済ませ、さていよいよ会場のギャラリー・ヴァンテアン。平沢さん、入口にひょいと立っていた。ギャラリーは円形で、外壁にはヨーロッパの各都市で撮った写真と「木」のシリーズ。橋本さんの「叢」の一連の写真がぼくの「木」に影響しているかもしれないと言っていたのはこのことか。木も都市も全共闘も静かな印象で、語弊があるかもしれないが憂いを帯びているとも思った。主催者であるクレー・インクの太田菜穂子さんは挨拶文で「秩序」という言葉をつかっておられた。秩序か、そうね、秩序。7時からパーティーがはじまる。中央大学の中沢新一先生が講談社の女性編集者と現れたので、挨拶をし、橋本さんを紹介、来年、ウチから『瞽女』の写真集を出すことを伝える。「長田は今日は来ていないのですか」。長田とはたがおのことで、「はい、年末で仕掛かりの仕事が忙しく今日は来ていません」。たがおは中沢先生の教え子。会場はやはりどことなくフランスしていて、なぜか黒の服装が多い。橋本さん、黒が多くて写真撮りづらいなあといいながらもシャッターを切りつづける。予定の8時半を過ぎ、主催者の太田さんから短いが印象深い挨拶があってお開き。平沢さんと太田さんに挨拶をし、またまたゆりかもめに揺られ新橋に着いたときには9時を回っていた。地下へ降り横須賀線に乗って一路保土ヶ谷へ。コットンクラブを横目で見、寄らず、だんらんを横目で見たら、おやじさんに声を掛けられるも、寄らず、小料理千成へ寄って、ハタハタの煮付けをツマミに焼酎を4、5杯飲んでから、さてヨイショと席を立ち、今夜は階段は辛いから遠回りの坂道をえっちらおっちら歩いて上り、子守歌のピンク・フロイドも掛けずにすんなりダウン、というわけで濃いい一日、でも、二つも仕事が決まってよかったよかった。