夢うつつ

 今朝方、目が覚めたのは二時ごろだったろうか。かたかたかたかた。はじめは地震かと思った。このあいだも、ぐらりとくる三秒前に目が覚めて、「来るな」と思ったらすぐに来た。カラスやナマズでなくても、異変を事前に感知する機能が人間の体にも備わっているのかもしれない。予知能力といっても、たかだか三秒では話にならないが。
 耳を澄ますと、かたかたかたと鳴っているのは、外のものではなくわたしの奥歯だった。うっすらと開いた口の奥のほうで歯がぶつかる音がする。エアコンを「快眠」にセットしているのはいつものことだから、寒さのせいではない。実際、意識して奥歯を噛むとかたかたの音は止む。ほかに体の異変は感じられない。国道1号線を戸塚に向かう車か、折れて鎌倉方面へ向かう車かわからないが、遠くでエンジン音が聞こえる。夢ではなさそうだ。
 かたかたかたかたかたかた。奥歯の力を抜くとまた他人事のように鳴り出す。噛むと止む。五遍ほどそれを繰り返した。すると、かたかたかたかたかたかたと音をさせているのは、わたしではない気がしてきた。鳴っているのは確かにわたしの奥歯なのだが、鳴らしているのはわたしではない。
 わたしを呼ぶ声がする。かたかたかたかたかたかたかたかたかたかたかたかたかたかたかたかた………………………………………………………
 ハッと目が覚めた。じっとり汗をかいている。白檀のお香の匂いが微かにしたから今度は本当のようだ。かた、と音がして横を見た。動悸が激しくなり耳に聞こえるほどだったが、遠くに聞こえるのはさっきと同じ車の音だけで、ほかには何も聞こえなかった。

新しい耳で聴く

 寺島さんの新コラム「たのしいジャズ入門」がいよいよ始まった。寺島さんは吉祥寺にあるジャズ喫茶「メグ」のオーナーで、ジャズ評論家としても名を成している。“売れっ子”なのだ。うちがなぜジャズ評論界の“売れっ子”と知り合いかといえば、稀代の名編集者、師匠・安原顯のおかげなのである。
 二人は、安原さんが編集したジャズの本に寺島さんが執筆したことがきっかけで仲良くなったそうだが、ジャズがもともと好きだった安原さんは、晩年、寺島さんの影響でオーディオに凝り出した。寺島さんは「オーディオはカネだ!」と喝破された人でもある。
 その寺島さんがジャズの名盤を独特の寺島節で紹介してくださるというのだから、おもしろくないわけがない。視点がハッキリしている。五十年前、十年前の耳でなく現在の耳、新しい耳で聴く、という視点。寺島さんのジャズ評論はそれに徹している。それと、自分が聴いてどう感じるか、自分はどう聴いたか、ということ。素直な耳、しなやかな感性、自分を信じるということがなければできない所作だ。ファンが多い所以である。
 さて今回紹介されている五枚だが、わたしもジャズ好きと自負しているが、聴いたことのあるものが一枚もない。一枚も…。これはどうしたことか。考えてみればあたりまえで、仕事柄から言っても寺島さんがジャズを聴く時間はわたしなどの比ではない。耳が肥えている。肥えた耳は古今東西のジャズをどう聴くのか。紹介されているCDからこれはと思うものを自分の耳で聴いてみるのも一興、これから次々に紹介されるCDに自分の好きなものが入っていたら、感じ方が同じか違うか確かめてみるのも楽しい。ジャズが好きな方、これからジャズを聴こうとしている方、どうぞ楽しんでいってください。

水の歴史

 写真家の橋本照嵩さんから電話が掛かってきて、北上川と馬についての話になった。
 北上市の馬市はつとに有名で、今回の写真集『北上川』には博労たちで賑わう馬市の様子が活写されている。その中の一枚に、腰を落とし後ろ足を踏ん張って力みなぎる圧倒的な写真がある。まさにホースパワー! こうでなくっちゃ。競馬をやる人には悪いが、日本の馬は母体はなんといっても農耕馬だ。乾いた土の上を歩く走るのと、ぬかる水田、苗代に踏み入りバランスを保ちながら歩き労働するのとではわけが違う。働く馬の美しい姿をとらえた稀有の写真。馬だけではない。相撲だって柔道だって腰を低く落として地面をつかむ。摺り足で歩く。阿波踊りはガニ股で上半身は波打つようなのに骨盤は水平に保たれ抜き足差し足で歩を運ぶ。歌舞伎で見栄を切るのだって大地をつかみ踏ん張ることでポーズが決まる。この日本ではとにかく足腰を踏ん張ることで独特の文化が形成されてきたのだ。好きな賢治の、どっどどどどうど どどうどどどう、も、祈りは天上へ向かわずに足下へ向かう。天も地もひっくり返せば同じことだ。
 そんなことを電話で話していて不意にある絵が思い浮かんだ。小出楢重の「支那寝台の女」。ぼくはあの絵が大好き。光の中で裸身がうねり、じっと見ていると、きらりと水滴が垂れてきそう。光り輝いている。画家というものは恐ろしい。大阪出身の楢重が初めて日本女性の力溢れる足腰の美しさを描いた。天才にしてなせる業ということか。寝台の上で物憂げに横たわっていても血と肉に刻まれた時間の長さは覆うべくもない。「支那寝台の女」はまさか農作業はしていないだろうが、瑞穂の国の女には間違いないのだから、何千年もの水の歴史が裸身にたゆとうている。ふむ。興奮してきた。
 写真集には、ぼくが勝手に「シャガールの馬」と名付けた馬の写真もある。母馬とだろうか、目を閉じて顔と顔を摺り寄せている。馬一つ取っても文化の両義性について思いを馳せ、何が大事と考えさせられる素晴らしい写真集だと思う。これで税込3500円は安いじゃないか!

テムズ川ウォーキング

 Tさん来社。映画会社で長くニュース映画をつくってこられた方で、若い時からイギリスに興味があり、会社を辞めたあと夢をかなえ、この度めでたくテムズ川に沿った三百数十キロの道を踏破された。
 小社から刊行している『テムズ川ウォーキング』を事前に読まれた。サブタイトルにあるように、『テムズ川〜』の著者岡本さんが歩いたのは、オックスフォードからウィンザーまでの120キロだが、Tさんはその三倍、とまではいかないがかなりの距離。
 どこどこの観光案内ということであれば極端な話、一冊あれば足りる。だが、実際に歩いてみれば、小さい悟りがそこここにあって、人の数だけ旅があり意味も違う。そこがおもしろい。
 テムズ川パスには、川から離れ少し内陸に入りこむと遺跡など見所もあり、それなりに楽しめる。そのうちのいくつかをTさんは見たが、あるとき、川のせせらぎを眺め、頬を撫ででゆく風に身をまかせているうちに、死んだ遺跡を見に行くよりも、いまこうしてゆったりとした時間のなかで生きて川面を見ていることのほうがより大事ではないかと実感したという。
 「ゆったり」ということがキーワードなのだろう。歩くこと、本を読むことも、ゆっくりゆったりがいい。(ク)

川と馬

 『北上川』の編集で出社。この写真集には、北上市の有名な馬市のほかにも、荷を運ぶ馬、石切り場の馬、チャグチャグ馬っこ、絵馬など、よく馬が登場する。馬は農家にとってかつて重要な家畜で、農耕馬としてはもちろん、移動手段、運搬手段、祭の主役、遊び友達でもあった。
 わが秋田でも昔はどこへ行っても馬がいたものだ。わたしが小学六年の時に父は初めて自家用車を買った。もちろん中古。タクシーで使った車だった。父は嬉しかったろう。それ以上に嬉しくはしゃいだのはわたしと弟。これからは父の運転する車に乗ってどこへでも好きなところに行ける! めまいがするような興奮と期を同じくしてわたしの家から馬が消えた。どの農家も自家用車を持つようになり、農耕を馬でなく機械に頼るようになって村から馬が消えていった。その激しい変化からまだ半世紀も経っていない。
 日本の馬は、たとえばユーラシア大陸を駆け抜ける馬とは異なり、水田の中へ入って働く。川から田へ水が引かれるようになることは生産力を格段に飛躍させるが、そうなれば馬の必要性はますます高まる。また日本の場合、川は山と山の狭間を流れるから、河口近くに集荷された荷物を山間へ運び、反対に、山から運び出される材木などの荷物を運ぶのは馬に頼るしかなかったろう。海上交通が飛行機に取って替わられるように、陸上の交通は馬から自動車に取って替わられる。写真にのこされた物言わぬ馬の表情が東北地方の激しい変化を雄弁に物語っている。

レポート

 雨の中を歩きながら、時間のことばかり気にしていた。恩師から「おや、三浦君ではないか」と悠長に声を掛けられた。「いま急いでいますから…」と断わり別れたかったが、世話になっている先生でもあり、あまり素気無くするのは憚られ、傘を差しつつ並んで歩いていくと、分かれ道で先生は右へ行こうとする。「先生、それではここで失礼します」。すると先生は、「いや、そっちの道よりもこっちが近い」と言い、断固たる足取りで右の道へ歩を進める。仕方なく付いて行くと、先生は狭い小路に折れ、城壁のようなほとんど垂直の壁を革靴ですたすたと登っていく。トカゲでもあるまいに、どうしてそんなことが可能なのか、ぼくにはさっぱり分からない。たしかにこの壁を登ることができれば早道には違いない。ぼくは、夢のような気持ちで傘を差したまま壁に近づき、利き足の左足を掛けたが、現実には一歩も登れない。つるつると馬鹿にされているようなものだ。すると先生は、この世のものではなかったのだろうか。そういえば、雨で傘を差しているとはいうものの、先生のズボンの裾はちっとも濡れていなかった。ぼくは、もう一度さっきの分かれ道まで引き返し反対の道へすすみ、ほとんど小走りの状態で先を急いだ。課題として出された3冊は既に読んでいるけれど、レポート用紙二十枚は容易ではない。まだ一行も書いていない。それに今日は友達皆でハイキングに行くことになっている。雨だというのに…。だんだん気持ちがささくれ立ってくる。幹事のM君は真面目だから、とっととレポートを仕上げ、ハイキングの候補地も決めているだろう。ぼくは焦ってきて、自分を信じることができなくなっていた。
 グラッと揺れてぼくは眼が覚めた。テレビを点けたら関東地方に震度3以上の地震が発生したと告げていた。動悸が激しくなっているのが分かる。さっき見た夢のせいなのか、はたまた地震のせいなのか。その時だ。「おや、いま着いたのかね」。先生は端座し、優しく微笑んでいる。城壁ではなく、マンションが立っている崖に吹き付けたコンクリートを攀じ登って、ここまでたどり着いたとしか考えられない。血の気が引く。これは夢だ! いつからか、また眠りにつき、夢から覚めた夢を見ていたのだろう。

ラ・フランス

 お中元のシーズンで、このところ、冷たいものや甘いものや採れたてのものや百薬の長やをありがたくいただいている。
 昨日、山形の工藤先生からラ・フランスが届いた。ラ・フランスとは西洋梨の一種で山形が特産。このあいだ幻の酒「十四代」をいただいたばっかりなのに今度はラ・フランスか。申し訳ない。でも、ありがたい。ここで気づくべきだった…。
 アルバイトで来ている千葉修司に、ラ・フランスの一番美味しい食べ方を説明しながらダンボール箱を開けにかかった。ガムテープで頑丈に包装してあり、なかなか蓋が開かない。二人がかりでガムテープを剥がし、中からまだ熟していないラ・フランスが… と思いきや、さにあらず。紙袋。はん!? なぜに紙袋。おかしいではないか。そんな二重にも包装する必要があるだろうか。
 ここに至って豁然と閃いた。「こ、こ、これはラ・フランスじゃない!」。微塵も疑っていなかったから、自分の愚かさに呆れ、腹から笑うしかなかった。隣りの隣りの会社まで聞こえるような爆発的な笑いがようやく落ちついた頃、総務イトウが冷ややかな目でわたしに言った。「ラ・フランスの季節じゃないでしょう今は。それに、ラ・フランスなら、ガムテープではなくホッチキスで蓋が止まっているはずです」。冷静な分析。おっしゃるとおり。
 夏、お中元の季節、ラ・フランスと書いたラ・フランス発送用のダンボール、ラ・フランスは山形特産、工藤先生から前にいただいたことがある。というような情報がわたしの頭の中を経めぐり、一つところに収斂し、これは絶対ラ・フランスにちげぇねぇと思ってしまったのだ。げに、思い込みというのは恐ろしい。
 ちなみに、ラ・フランス発送用のダンボールに入っていたのは、ラ・フランスではなく、『新井奥邃著作集』第10巻に収録を予定している墨跡の写真資料だった。