先日、アルバイトに来ている若い二人を呼んで、わが社が一番大事に考えているのは、なんといっても自発異性であることを、ん!? 間違えました、自発性であることを力説。自発性が育つにはなんぼか時間はかかるけれど、それがいったん芽を出したとなると、文字通り、いろんな秘められていたものが封印を解かれたようにぐんぐん伸び始める。特に若い人はそうだ。それを見るのが楽しい。
営業のアルバイトに来ているMさんのことは以前ここに書いたことがあるが、彼女が書店廻りをしている時に、ウチの本が割りと目立つところに並べられていて、それがよほどうれしかったらしく、うれしさのまま写メールを会社のパソコンに送ってきたことがある。会社に居合わせた者みな、彼女の行為に目をみはった。
写メールに添えられていたコメントもさることながら、わたしはその勇気に感動した。上司から指示されただけのことを十全に果たすのが良くて、それ以外のことをするのは余計だという考えもあろうが、わたしはそうは思わない。極論すれば、自発性だけが状況を変えていく力になると思っている。だから、わたしは毎日、出社する前、和室に置いてある小っちゃな仏壇(亡くなった祖父母の写真と水を入れた湯のみが置いてある)に手を合わせ、会社のみんながそれぞれ個性を発揮し、自発的に仕事ができますようにと祈っているのだ。
JR桜木町駅は、改札を出て右へ折れれば野毛方面、左へ折れればMM21、ガード下の壁画を楽しみながら歩くには右へ出なければならないが、天気のいい日は、わたしは左へ出て、車のあまり通らない裏道を歩いて紅葉坂へ向かうことにしている。
ひと月ぐらい前だろうか、車に轢かれてハトが死んでいた。それを横目に見ながら紅葉坂の交差点へ至る。翌日は朝から雨だった。わたしはハトのことなどすっかり忘れてガード下のおもしろくもない絵を見ながら歩き、坂に向かう交差点で信号が変わるのを待ちながら傘を差した。その次の日も雨だったから、わたしはまたガード下を歩いたが、昼、食事をしに外へ出た時には雨はすっかり止んでいた。昼食を終え帰社する時分には日差しは暑いぐらいになり、首筋から気持ち悪い汗が流れた。
三日目はかんかん照り。桜木町駅九時四三分着。暑いは暑いが、広々したところを歩きたい気がして左へ折れた。スターバックスではモーニングセットを横に置きながらノートパソコンを睨んでいるサラリーマンや、取引先のお偉いさんとでも話しているのか、でかい声で敬語の使い方に注意しながら携帯電話を耳に押し当てているサラリーマンの姿が目に付いた。外国の真似なのだろう、いまは外にテーブルを出している喫茶店がやたらと多くなった。わたしは、固く決めているというわけではないけれど、外のテーブルには着かない。ユニクロの店は閉まっていた。
ハトがいた。三日前はまだ厚みがあったのに、さらに車に轢かれでもしたのか、もうすっかり薄くなり、のしイカかカワハギの干物みたいに哀れな姿をさらしている。でも、足先だけは薄くなることを拒否するかのように頑固に頑張っていた。それからもわたしは朝の出勤時、雨が降らないかぎりそこを通って、ハトの行く末を見届けることにした。(考え事をしながら歩いているうちに、ハトのいる場所を通過していることも間々あったが)ハトはもう、それにかつて生命が宿っていたなどとはおよそ考えられない体のものへと変貌を遂げ、のしイカどころか、ついにはフレーク状を呈し、あんなに頑張って厚みをキープしていた足先もどこかへ吹っ飛んじまったみたい。
お盆休みが明け、日差しは相変わらずながら、風は、さやかに見えなくても、そこはかとなく秋の到来を告げている。桜木町駅に降り立ち、改札を出ていつものように左へ折れた。サラリーマンとノートパソコンに目を遣りながら広い裏通りに入った。注意して見たのだが、ハトはどこにもいない。もと居た場所へ近づいて見もしたが、跡形もなく消えている。ひとつ溜め息をついてわたしはまた歩き出した。ガタンガタン、ゴトンゴトン、停車前の嫌な音をさせながら頭の上を桜木町駅九時四八分発の大船行き電車が通った。暑さが金縛りになっていくようだった。
心待ちにしていたお盆休みも終り、今日からまた仕事。祭は祭らしく仕事は仕事らしく。でも、なんだか気が乗らないねぇ。
夏休みが終ろうとしているのに、宿題が予定通りすすんでいない時にも似て、気分がなんとなく湿気ている。弛緩。ただ、この状態のいいところは、楽しかった祭のあれこれが心にきちんと刻み込まれるということ。
こころがふわふわ、やわらかくなっているため、ふだん入りこまないニュアンスまでが、今はその意味がわからなくても、心に入りこむ。長いスパンでの大事な決断をするのは意外とこういう時ではないか。自分のことを振り返っても、人生の大きな曲がり角は祭のあとだったような気がする。普段の生活から祭へ向かう昂揚した気分と、あり得ないほどの絶頂から頭を冷やして淡々とした日常へ向かうはざま、破れ目のこの時に外から不意になにかがやって来る。神か仏かご先祖様のご託宣か、たとえばそういうもの。耳を澄まし心を平らかにして聴くしかない。しかない。ん? ん? しかし、今回ばかりは寄り目になるぐらい、いくら意識を集中させても、デタラメな夢が浮かぶばかりでチンとも音がしない。結局「なんだかんだごたくを並べてねえで、とっとと仕事をしろ!」ということのようだ。ふぁ〜い。それにしても眠い。忘れ物がないかよく注意しよ。それではみなさん、今日から(きのうからの人も)また頑張りましょう! 行ってきま〜す。ふぁ。
秋田からの新幹線の車中、二、三度うとうとしかけたこともあったが、結局、東京駅まで飽きもせず『鬼平犯科帳』をずっと読んでいた。東京駅からは横須賀線に乗り換えたのだが、読むものがなくなり、もう一冊つぎのを持ってくれば良かったと悔やまれた。『鬼平〜』は文庫で二十四冊、今年一年は楽しめる。
昨日読んだ章では、火付盗賊改方(ひつけとうぞくあらためかた)の長谷川平蔵が、市中見廻りの途中、ある飲み屋にふらりと入ったそのあとから、年のいった夜鷹がまるめたむしろを抱え同じ店に入るというシーンがあった。
平蔵は店の親父に、女にも酒を一杯つけてやれと頼む。親父は、このお侍さん(平蔵のこと)、こんな化け物を抱く気なのだろうかと心中思う。ほかには客がだれもいない。女は色っぽい目で平蔵を見遣る。平蔵は、そっちのほうは年のせいで、このところとんとダメだから、話に付き合ってくれという。女の目から商売の色が消え、小一時間ほど平蔵は女と話し込む。女が先に席を立ち店を出て行こうとするや、いつの間に包んでおいたのか、平蔵は紙に包んだいくばくかの金を女に渡した。女は、「こんなわたしを人並みに扱ってくれたほかにお金までもらっては…」と恐縮するが、平蔵は、こともなげに「俺もお前もここの親父も人ではないか」とあっさりと言う。ク〜ッ! ちくしょー。にくいねぇ〜、長谷川平蔵。やい、こら平ちゃん。カッコ良すぎ! 女は平蔵にもらったお金を宝物のように胸に押し抱き闇に消えていった。ク〜ッ!
こういうシーンを格調高いリズミカルな文章でテンポ良くやられるのだからたまらない。みんな好きなはずだよ。『鬼平〜』はもちろん、しばらく池波ファンで行くことになりそうだ。
今年は例年になく稲が豊作のようで、いまのところ農家は大喜び。昨日は北秋田地区で大雨洪水警報がだされたぐらい大量の雨が降り、それから降る地域が広がったのか、ここ南秋田郡でも昨夜から途切れることなく慈雨が降っている。これで台風が来なければ、と父は言う。
一年手塩に掛けてきた稲も、台風に直撃されればぺちゃんこになぎ倒され、一巻の終わり。農業が天候によって大きく左右されることは「ダッシュ村」の例を見てもわかる。これから二ヶ月、農家の人はだれでも、台風の発生と進路に戦々恐々となる。
収穫を当て込み農協から借金してきた農家は、台風一過で元も子もなくしてしまう。娘を売りに出すことは今はさすがになかろうが、出稼ぎを余儀なくされ、遠くで働いているうちにさびしい思いに駆られて、なんのために出稼ぎに来たのかわからなくなってしまうことだって起こりうる。一家離散への不幸の連鎖の始まりが台風であったという、笑うに笑えぬ話もある。
実るほどこうべを垂れる稲穂は、垂れれば垂れるほど台風に弱い。十分な実入りを望み、あと一日刈り入れを待ってみようと欲をかいたことが凶とでて、台風にやられることも間々ある。その見極めが難しい。経験上そのことが分かるわけではない、父や周りの農家を見ていてそう思う。
秋田に帰ってくると、床に就くのが早いせいか、目覚めも早い。数日しか居ないし、もったいない気がして、目が覚めたらすぐにサンダル履きで外へ出、朝の空気を吸う。もやがかかった山々や田んぼの緑を眺めていると、こっちまで潤ってくるような気がして清々しい。
庭を歩きながら植木の成長ぶりを見るのも楽しい。めでたいことがあるごとに祖父は木を植えていたが、自分に関することは知っていても、全部は憶えていない。感傷的な気分に浸りながらさらにゆっくり歩く。蛙がどぼんと池に飛び込み石に這い上がり、あさっての方角を見ている。カラスたちが金兵衛さんの畑の栗の木に集まりぎゃーぎゃー鳴いている。よほど暇なのか、リズムを変えたり声色を使ったり。陰に隠れて見えないのもいるが、六、七羽はいるだろう。
目の前に太い釣り糸のような白い糸が現れた。触ると弾力性があり、切れるものではない。糸の先を見ると、ヤドカリ大の蜘蛛がいた。でかい! でか過ぎ! こんなのにひっかかったらたまったものではない。さっきまでの感傷的な気分が一気に吹っ飛ぶ。
いつから見ていたのか、縁側から母が、「その糸にトンボでもチョウチョでもなんでも引っ掛かるのよ」と声を掛けてきた。驚いて振り向いたが、わたしはそれには答えない。
夜、酒を飲んでいたときだ。母から聞いていたのか、父が突然こんな話をし始めた。「おれは不思議なのだよ。あのでかい蜘蛛のことさ。屋根のひさしから柿の木までは優に八メートルはある。どうやって糸を張ったものか。いったん地面に下り、それから歩いていって木に登ったのだろうか」。「きっと風に乗って運んだのさ」。それから父はまたわたしのコップに酒を注いだので、蜘蛛の話題はそれっきりになってしまった。テレビでは巨人-阪神戦が3対3のまま延長戦へ。父もわたしも弟も右ひじを折り曲げ枕にし「川」の字で野球観戦。母は台所で洗い物。奥の部屋では子どもたちがゲームに夢中。こんな時間がほしくて田舎に帰ってくるのだと思った。
「よもやま日記」は年中無休と宣言したがために厄介な問題が生じることもある。一番はなんといっても帰省の折。
秋田の家にもパソコンはあるものの、わたし以外に使う人間がいないので、その都度、インターネット使用の契約をし、横浜へ帰るときに契約を解除する。それが結構めんどうくさいのだ。今回も朝5時に起きて、父がもらってきたCD-ROMの案内に従い操作したのに、うまくいかない。結局係りに問い合わせた。
ていねいに説明してくれるのだが、パソコンと電話の置き場所が離れており、なおかつ、モデムを切り替えることによっていずれか一方しか使えないため、インターネットに接続しようとすれば電話ができず、電話を掛けようとするとインターネットが使えない。オペレーターが親切に「こちらから携帯電話におかけしましょうか」と哀れみをもって言ってくれても、深山幽谷のこととてつながらず、いわゆる圏外。あれやこれや悪戦苦闘、2時間かけてやっとインターネットがつながる。もうへとへと。ふるさとでゆっくり休もうと思って帰ってくるのに、ふだん使わぬ頭を思いっきり使い、精も根もつきはてる。汗だくだく。もういや!!