詩人・俳人の加藤郁乎さんから著者校正が戻ってきたので、さっそく電話。本文の直し無しとのこと。「それにしても、君のつけられた春風社という名はいい。春風というのはね」「はい。ありがとうございます」のやり取りから始まり、「春風」にまつわる句や感想を話された後で、「ところで、三浦さんの声を聞いていると、まだお若いようだが、おいくつかな」と仰るから、「四十八になりました」と申し上げたら、「五十まえ。ふむ。まだ少年だ」と。「これからますます頑張って、いい本を作ってくださいよ」。ありがたかった。
加藤さんの文章も声も言葉も、まさに春風。伸びやかで広々とした時空に誘い出される。だって、次号『春風倶楽部』特集「こころと体」のエッセイのタイトルが「健康に大和魂」だもの。大和魂のない者は、背骨の入っていない人体のようなものだというのだから凄い! 大らかではないか!
好きな人の声はこころに染み、嫌いな人の声はこころが弾く。そういうことが実際にある。不思議。「染みる」も「弾く」も、もともとは化学(物理)現象で、化学的に、また物理的に説明可能なのだろうが、こころのほうはどうなのだろう。好きな人の声だからこころに染みるのか、こころに染みる声や言葉だからその人が好きなのか。分からない。
次号『春風倶楽部』特集は「こころと体」。可笑しく、ためになる、おもしろい原稿が続々と集まっている。乞うご期待!
冨士眞奈美さんである。「シャチョー。フジさんから電話です」「はい? どこの」「冨士眞奈美さんからです」
え。あのあの冨士さん。藤原紀香、吉岡美穂と騒いではいるが、実はわたくし、ずっと前から冨士眞奈美さんの隠れ(ることもないが…)ファンでして、写真集『北上川』に書いたわたしの文章を冨士さんが褒めてくださり、いい気になっていたところ、写真展で本人にお目にかかり、ドギマギしながらあいさつをした。それぐらいファンなのです。
橋本さんつながりのそういう縁で、次号『春風倶楽部』の原稿をお願いしたら、快く引き受けてくださった。その確認の電話。ふ〜。受話器を置き、しばし呆然。目の前でバラの花がパッパッパッと開いた、まさにそういった感じ。好きな人の声を聞いたり会って話をしたりするのは元気のもとと納得した次第。
ウチから『名刀中条スパパパパン!!!』を出し、最近『ただしいジャズ入門』も出している、学習院大学の仏文教授・中条省平氏が、わたし(三浦)のキャッチフレーズを考えてくださり、フランスからメールで送ってくださった。
この男の坊主頭のなかではアバンギャルド魂とおとぼけオーギュスタンが激突している。
というもの。よく分からない。けど、なんだか凄い。だって激突、だもの。
昨年七月に送ってくださったのだが、プリントアウトし、そのまま大事に仕舞っておいた。アバンギャルド魂はなんとなく分かる。中条氏にそう評されるなんて、ありがたい。さて「おとぼけオーギュスタン」。これが分からない。アバンギャルド魂に対抗する言葉として、しかも「激突」という並みでない単語を用いているので、どうしても知りたい。調べたら、あった。ありました。1995年度カンヌ国際映画祭[ある視点]部門公式上映(ジュネス賞)受賞作品の映画だった。さっそくDVDを取り寄せ、この度やっと観ることができた。うれしい言葉をこの欄で紹介するのに時間が掛かったのはそのせい。
オーギュスタン・ドス・サントス、32歳、俳優志望。保険会社の訴訟課で1日3時間38分働き、日々俳優のオーディションを受けて暮らす独身男。キャスティング・ディレクターとの面接の日を間違えた上、「変な役やマイナーな役、それから三枚目役と肉体的接触(セックスシーン)は勘弁してください」と答え、オーディション用写真にスピード写真を持参するというオトボケぶり。(後略)
DVDのライナーから引用すると、オーギュスタンとはそういう男。DVDを実見。相当抜けている、いや、その、オーギュスタンという男がだ。何を考えているのか? といった感じ。せっかくオーディションに合格したというのに…。
そこで、はたと気がついた。はは〜、中条氏は、わたしのことを「何を考えているのか?」と思ってくださっているのか。それも、ありがたくもうれしい好意を持って。スパパパパン!!!の中条氏がそう評しているのだ。ふむ…。となれば、そのご好意になんとしても報いなければならぬ。
ということで、これからますますアバンギャルド魂とおとぼけオーギュスタンを激突させながら、本づくりにいそしむことにする。
きのう豪雪のことを書き、今日いきなり春では、気が早いこと甚だしいが、社に来られたお客さんから、今後の社の方針はと問われ、特別なことはありませんと答えたが、日に日に息苦しさが増しているように感じられる今日この頃ゆえ、やはりここは社名どおり、深く息を吐き、また吸うことのできる場でありつづけたい。
きのう、詩人・俳人の加藤郁乎さんから次号『春風倶楽部』の原稿が送られてきた。タイトルを見て思わず吹き出してしまった。「健康に大和魂」。息が深くなった。
正月とお盆は帰省することにしているから、今回も帰った。今年は雪が多く、父も除雪におおわらわとは聞いていたが、聞きしに勝るドカ雪だった。
横浜に帰ってくる予定の5日の前日からの降雪量が特にひどく、秋田新幹線「こまち」が、創業以来はじめて終日全面運休となったことは、全国的にニュースになったからご存知の方もおありだろう。「雪に閉じ込められる」という言い方があるが、まさにそれ。雪は白いが、閉じ込められてしまえば、中は暗い。家の中にいると、昼なのか夜なのか分からない。牢獄(入ったことないけど)みたい。時間の感覚が狂い始め、気分までおかしくなってくる。
新潟県のある地区の除雪が十分機能せず、独り暮しの高齢者が不安にさらされているとテレビのニュースが報じていたが、他人事とも思えなかった。朝起きて、玄関の扉が開かないというのは、怖い。大きな音も振動もなく、しんしんとそういうことが起きるからなおさらだ。
グラウンドワーク三島の渡辺さん来社。「富士山を世界遺産へ」という運動がにわかに高まっている中、渡辺さんが『富士山を救え』(仮)の題で本を書くことになった。
なぜ渡辺さんが、ということについて若干説明すると、渡辺さんは自分の住んでいる静岡県三島の町を、仲間と共に二十年かけて美しくしてきた。というよりも、もともとあった三島の美しさを取り戻す運動を展開してきた。その結果、「水の都」と詠われた三島はみごとによみがえった。なぜ三島が水の都かといえば、富士山に降った雨が地下にもぐり、膨大な時間をかけて大地を潤し、それが三島の町のあちこちに湧き出る。水の都と呼ばれるゆえんだ。
三島の町の美しさを取り戻すことには成功した。ところで、恩恵をこうむっている本家の富士山そのものはどうなのだ。ゴミが捨てられ、アンモニア臭のする汚れた富士。日本に冠たる富士山がこのままでいいはずはない。三島の次は富士山だ! というのは、だから、地下水でつながっているような、いわばごく自然に出てきた運動で、その著者として渡辺さんは最も相応しい。足下を見据えた運動がじわりじわりと広がる。その展開の仕方が、梁山泊に集う兵どものようであって、話を聞いいているだけでワクワクしてくる。
さて来年は富士山の年になる。グラウンドワークとは、そも何ぞ、という方はこちらを。