就活

 就職活動のことを略して最近ではそう呼ぶらしい。知人の甥っ子が大学四年生で、先日、大手企業の面接を受けたことを知人から聞かされた。ひどく緊張し、グループ面接で面接官から質問されたことに対してトンチンカンなことを答えてしまったらしい。退室するとき面接官のノートを覗き見たら、一緒に面接を受けた二人の欄には結構な文字数でコメントされていたのに、自分については数文字で終わっていたとか。
 彼は一念発起し漢字検定三級の問題集を買った。それを見た知人は、いまさらそんな問題集を買って就職活動に役立つとでも思っているの、と聞いたそうだ。大学に入ったとはいうものの、遊んでばかりで、今まであまりに勉強してこなかったからというのが彼の言い分。
 知人は甥っ子に言った。「どこもダメだったらどうするつもり?」
「警察官にでもなろうかと…」
「なんで?」
「ヒマそうだから」
「アハハハハ…。そんなわけないじゃない。いろんな事件が起きて、てんてこ舞いしてるわよ」
「でも、ぼくの近くの派出所のおまわりはヒマそうだよ。自分、バイクでよく捕まるから分かる」
 彼はその付近では目をつけられているとのこと。まず人に憶えてもらうことが就職活動の始まりと考えれば、あながちへんてこな考えとばかりも言えないかもしれないが。

支払い

 三月から五月にかけては例年刊行ラッシュとなる。仕事があるってことはいいこと、素晴らしい、商売繁盛で何よりやないかということなわけだが、支払いがなければもっとうれしい。ところがそういうわけにはいかない。
 七月に印刷所へ支払わなければならない金額を見て驚いた。刊行点数からいって当然といえば当然。とは言い条、一気にくるから、おおおおおっと仰け反ってしまう。担当編集者が毎回値引き交渉をし、支払いも滞らせたことが一度もないから、かなり好意的にはしてもらっているものの、それでも相当な額になる。商売の鉄則を忘れず、締めるところは締め、ミスを起こさぬように細心の注意を払いながら大胆果敢に攻めていくしかなさそうだ。

新井先生のこととなれば

 『新井奥邃著作集』の監修者・工藤先生に会いに守谷まで。たがおと秋葉原で待ち合わせ、つくばエキスプレスに初めて乗った。駅には、先生と先生のお嬢さんが迎えに来てくださり、クルマの運転は筑波大学に通うお嬢さんの息子さん。
 『著作集』完結間近となり、労をねぎらうとすれば、われわれが先生に対してとなるべきはずのところ、逆になってしまい、山形の山菜やら納豆もち、さらに先生みずから作ったラーメンまでご馳走になった。食後、最終別巻のゲラについて直しの箇所を打ち合わせ、今週末には下版することにした。
 いつものことながら、新井先生のこととなれば話が盛り上がり、いろんなエピソードが工藤先生の口から飛び出す。ぼくもときどきは割って入って感想を言う。新井奥邃について話したり聞いたりすると、なぜだかすがすがしい気分になる。アメリカに二十八年もいた人なのに、文章から感じるすがすがしさの背景に日本の風土、景色が浮かんでくるのはなぜだろう。

戸塚

 以前勤めていた出版社時代に何度か戸塚を訪れたことがある。一人の時もあれば、部下を連れての時もあった。古い貴重な資料をお持ちの先生がいて、企画を進め、資料をお借りし、大部の本を作った。戸塚の駅を降り川沿いを歩いていくのだが、途中、大きな日立の工場があった。さすがは日立、かなりの面積を占めていた。が、それ以上の感懐を抱くことはなかった。
 あれから十年以上が経ち、わたしは、ああ、あの日立かと今更ながらに思い出した。その時はその知人ともまだ会っていない。知人は、いま日立で働いている。面接に先立ち若干のサジェスチョンをしただけだが、幸い合格し今に至っている。もちろん彼女の実力だ。サジェスチョンしたことを自慢したいわけではない。
 日立とはただそれだけの薄い関係ながら、十数年前、十数年後の今を予想だにしなかった。あたりまえだ。知人が日立を受ける。合格し、日々そこで働いている。それなのに、今日の今日まで、みずからの体験と重ねることをせずに時を過ごしてきたことが不思議なのだ。わたしは、十数年前、知人が今歩いている道を歩いていた。

ヨコハマメリー

 愛ちゃんがトップページで紹介していたヨコハマメリー。ぼくもかつて伊勢佐木町界隈で一度ならず見たことがある(ような気がする、記憶違いでなければ)。愛ちゃんが貸してくれたパンフレットを読んでいくうちに、この映画、横浜生まれ横浜育ちの人でなければ撮れなかった映画だと思えてきた。その点、写真集『九十九里浜』『北上川』と共通するものがある。
 昨日の昼、泥鰌を食べに(この頃よく泥鰌を食べる)野毛にある福家さんを訪ね、食後、女将さんにヨコハマメリーのことを訊いてみた。もちろん知っていて、一度はとあるビルのエレベーターに乗り、27階で降りたとき、廊下に足を踏み出した瞬間、目の前に真っ白い化粧、白ずくめのヨコハマメリーが椅子に座っていたことがあったそうで、それを見た女将さん、よほど驚かれたらしい。
 パンフレットによれば、ヨコハマメリーは自分について語ることを潔しとしなかったとか。晩年、大桟橋に座って海(その向こうのアメリカ)を見ていたという。
 愛ちゃんがぼくに見せようとパンフレットを取りに自分の席に小走りに向かったとき、蹴上げた足がほんの少し外側へ跳ねる姿がスローモーションで目に焼き付き、確たる理由はないけれど、愛ちゃんもヨコハマが似合う人だなと思った。

父の仕事ぶり

 最近の農家は、所有する田んぼを手放さず、作業を請け負いで依頼することが多くなっているようだ。父は齢七十を過ぎているが、自分の田んぼだけでなく、頼まれれば機械を使い、出掛けて行ってそれぞれの作業をこなす。もちろん無償というわけではない。一つの仕事がいくらいくらと、だいたい相場が決まっているらしい。父の仕事はていねいで通り、近所で評判になっている。
 ゴールデン・ウィークに帰省した折、集まった親戚のものたちとテーブルを囲み団欒していたときだ。背の高い男性が訪ねてきて、父が応対に出た。「そんなことしてくれなくてもいいのに…」という父の言葉が聞こえる。客が帰った後、戻ってきた父が見せてくれたものは結構な数の魚だった。
 支払いはとっくに済んでいるのに、世話になっているというのでわざわざ持ってきてくれたそうだ。興味がわいたので、父にどんな仕事ぶりなのか尋ねてみた。
 父は例をあげて説明してくれた。
 言わずもがなのことながら、ほとんどの田んぼの形は四角い。四角い田んぼに機械を入れて作業するときに難しいのは四つの角。自動車と同じで農業機械も直角には曲がれない。だから、ほとんどの請け負い人のする仕事は角が残る。角が残ることは頼むほうも頼まれるほうも了解しているから、その仕事に対する料金は変わらない。ところが父の場合、少し違う。前方に向かい機械を運転している限り、角はどうしても残る。そこで父は一計を案じ、角を曲がった後、今度は機械を角のギリギリまでバックさせ、残った角の部分が極力少なくなるように配慮する。土に対して働きかける器具は機械の後ろに付いていることがほとんどだから、そうすることによって、仕事を依頼した側が手作業でしなければならない範囲がほんの少し残るだけになる。仕事は依頼しても、元々は農業を知っている者たちだから、父がどんな仕事ぶりをするのかは一目瞭然。いただいた魚が何の種類だったか忘れてしまったが、そういう意味のある魚だった。

約晴れ

 こんなに曇りと小雨の日が続くと気持ちまでぐずついてくる。そこで一計を案じ、今日みたいに曇り空で、お日様を拝むことはできなくても、どんよりしていない明るい曇りの日は、天気予報のマークはどうでも約晴れということに勝手にする。
 だからどうということもないが、ウィークデーは基本的に晴れの日が続き、休日などに曇って小雨がぱらつくみたいなのがいいわけだから(だれが決めたの)、なるべくならお天道様の顔を拝まして欲しいと思うのだ。
 木々も季節を感じ、緑の葉の間から黄緑の若葉が顔をのぞかせている。自宅近くの坂の途中には、紅く色づくのが先でそれから緑色に変色する葉もある。きれいに刈り込んだ垣根で、あれはなんという木なのだろう。