奥邃パンフ

 創業の年に始まった『新井奥邃(おうすい)著作集』が、いよいよ完結する。
 刊行開始に合わせて作ったパンフレットの残部がちょうどなくなり、全巻完結となれば、それはそれでセールスポイントだから、各巻から奥邃の言葉を引用したり、これまで月報に書いてくださった執筆者の名前と論考タイトルを入れるなどして、新しいパンフレットを作った。今日、下版。
 キャノンのEZPSという編集機で作ったのだが、この機械もそろそろお役目ご免の時期を迎える。『著作集』はこの機械がなければ作れなかった。ハードに記憶されている作字は全部『著作集』関係。パソコンでの作字にくらべると隔世の感がある。
 ゲラができて若頭ナイトウに校正を頼んだところ、間もなく、かんらからと高笑いが部屋中に響いた。校正しながら笑い出すとは怪しからんと、ふと見れば、顔を赤くして苦しそうにしている。彼はよく笑う男だから仕方ないとしても、こんな硬い内容のパンフレットを見て笑うというのはよほどのこと。どうした。訊けば、表紙に入れた「生命の機は一息に在り。」がいかにも三浦らしく可笑しいのだという。なぜ。どうして。
 他の「新井奥邃著作集」や「工藤正三、コールダニエル編纂」や「全九巻・別巻一」とは全然レベルが違う。レベルを異にする言葉がいきなり、何の前触れもなくボッと入ってくるところがいかにも、なのだそうだ。言われてみれば確かに、という気がしないでもないが、わたしとしては、奥邃といえばなんといってもこの言葉と思うから別に違和感はない。が、若頭にしてみれば、レベルの異なる語彙を並べて違和感を感じないことに違和感を覚え、とっても可笑しいのだろう。
 それはともかく、「生命の機は一息に在り。」気になる言葉だ。しかし、分かるにはもう少し生きてみないとだめかもしれない。長く生きたからって分かるとは限らないが…。九月十一日には、田中正造と新井奥邃に関するシンポジウムが、渡良瀬川研究会、新井奥邃記念会ほかの主催で開かれることになっている。