定義づけ

 街へ出かけてふらりと本屋へ寄り、適当にどのコーナーでも回って、へ〜、こんな本が出ていたのかと目の前の本に手を伸ばすとき、タイトルと装丁、帯の惹句が決め手になることが多い。
 新しい本を手にするとき、タイトルは、いわば世界を新しく定義し直すことの名称であると予感させ、数頁めくり、その予感がさらに高まるようなら買う。
 そうやって読んだ本により定義しなおされた言葉は、やがて自分のなかに仕舞い込まれ、次にその言葉を口にし目にするとき、以前とは違った新しいニュアンスと意味が加わっていることになる。
 「知覚」という言葉を聞くだけで、細胞のひとつひとつが生き生きと活性化してくるような気がするのは『知覚の現象学』を読んだからだし、「故郷」という言葉にまつわるある種のなつかしさと怖さは、記憶違いでなければ、旧家の庭にある開けてはいけないとされていた祠をつい開けてしまい、中から出てきた白い煙に引き寄せられ、見とれ、その時ひばりがピーと上空で鳴かなければ気がちがっていただろうという『故郷七十年』なしには考えられない。新しいところでは、「グロテスク」の定義は、わたしの中で、桐野夏生『グロテスク』によって書き換えられた。
 ひとつの言葉の公約数的定義は辞書をひけばわかるが、ひとりひとり異なる定義づけは、読書を含む体験によってなされ、そういうニュアンスの違いを聞き分けることは楽しく、生きてあることの喜びさえわいてくる。

物忘れ考

 われらが武家屋敷ノブコがみずからの物忘れの激しさに驚き、呆れ、そのことをコラムに書いているが、わたしに言わせれば、その程度の物忘れは物忘れとは呼ばぬ。たとえば傘なら、自慢ではないが、わたしがこれまでに忘れた数は二桁では済まぬはず。お盆と正月秋田へ帰れば、母からは今も、席を立ったらもう一度振り返り忘れ物がないか確かめてからその場を離れなさいと教えさとされる。変なところで三つ子の魂を堅持しているというわけなのだ。
 一番かなしかったのは、高校生の時に付き合っていた同級生が一年アメリカに留学し帰ってくるとなったとき。わたしのほうは彼女が不在の時間で勝手に気持ちが大もりあがり、対して彼女のほうはといえば、新天地で日本を脱ぐように日々の新しい体験に打ち震えていたのであろう。その落差は、手紙の返事のスピードと内容のそっけなさに歴然と現れていた。
 いよいよ帰ってくるとなった日に合わせ、わたしは服を新調した。ズボンの丈も合わせ、よしこれでバッチリだ、準備万端。彼女の家に電話したら母親が出て、まだ帰ってきていないという。日本には着いたはずだが、秋田にはまだだと。そうですか…と公衆電話の受話器を置いたものの、我ながら相当落胆していたのだろう。新調した服の入った紙袋をすっかり忘れてしまった。駅のホームに入ってから気付くという間抜けさ。息せき切って戻ったが、けむりがでるぐらいにそこには何もなかった。
 それからしばらくして、秋田の千秋(せんしゅう)公園で彼女に会った。服はもちろんありあわせのものを着ていくしかなかった。予兆どおり、彼女に会ったのはそれが最後だった。

花見

 小社があるのはビルの3階、ベランダに出ると三方の景色が自在に楽しめる。富士山も見える。
 わたしがいるのは窓際の席なので、疲れて椅子をくるりと回すと、ベランダに出なくても今なら道を挟んだ対面、職業訓練校前にある桜がきれいだ。きのうはけっこう風が強く、遠目にも桜が散って花びらが風に舞った。花吹雪というほどではないが、ハラハラハラと、というよりはもう少し量が多く、つい見とれてしまう。
 ベランダに出てみる。目に映る桜の木よりもベランダの位置は高い。それでも、花びらの幾つかは地に落ちずに、高く舞いあがりこちらまで届くものがある。ようやく芽吹き始めた盆栽の横にたどり着いて休んでいると見えないこともない。会社総出で花見をしたことはないけれど、ひとりで楽しむ花見も悪くない。

美しい書類

 書類に美しさがあるかと思われる向きもあろうが、わたしはあると思う。それは何で決まるかといえば、ハンコの捺し方。捺すべきところに真っ直ぐにシャキッ! と滲ませずに捺す。シルクロードの研究家にして香港大学で教鞭をとっておられるM先生からかつていただいた中国製の印泥をつかっているので、しるしがにじまない。が、相当強く捺さないとシャキッ! と出ない。
 片足が持ち上がるほど強く捺し、ハーハー息を切らせているわたしを見、「シャチョー、そんなに強く捺さなくても…」と若頭ナイトウ。「ん? ほれ、どうだ。美しいだろう。真っ直ぐだろう」満足!!
 取るに足らないことのようだが、こういうことをわたしは若い人に伝えたいと常日頃から思ってきた。美しい書類のほかにもう一つこだわっているのが、美しい包装。きちんと固く、皺が寄らぬよう角角が直角になるように包む。ゲラを包むのはだいたいにおいてコピー用紙の包装紙をつかうが、コピー用紙が包まれていたときよりも固く包む。これが社訓。わが社ではこれを励行している。この部門においても、わたしがダントツだと思っていたが、たがおの固さにはかなわない。鉄のかたまりのような固さに包装する技術をいつのまにか会得していた。ふむ。見事じゃ!!
 思い出した。もう一つ。紙をカッターナイフで切るとき。切る、と思ってはいけない。あくまでも、なでる。物差しを当てカッターナイフで紙を数回なでる。そうすると切り口が実になめらかでシャープなものになる。ナイフが物差しの山を越えることもない。見事じゃ!!

知らない言葉

 あって当然、なければおかしいわけだが、いままで見たことも聞いたこともない言葉に出くわすことがある。
 ただいま編集中の刺青に関する本に「もどろく」という単語が出てくる。漢字で書けば、「斑く」「文く」。『大辞林』によれば、?まぎれる。まどう。?まだらにする。特に、からだに入れ墨をする。
 知らなかったあ! 意味はもちろん、音としても初めて目にし耳にする。「おどろく」の間違いじゃねえの、と、チラと頭をかすめたが、辞書で確かめてよかったよ。こういうことがあるから、一字一句あだやおろそかにできない。あぶねえあぶねえ!

腕立て伏せ

 今日は火曜日。日曜日の午後、腕立て伏せをした。がんばったのに10回。わずか。その後遺症がまだひかぬ。両腕の付け根、胸の筋肉が痛い。10代の頃、こんなことはなかった。片腕で、とは言わぬが、腕立て伏せの10回や20回、へのかっぱ(古)だった。いつからこんななまくらな体になったのか。夢の中で必死に走っているのにちっとも足が上がらないのも無意識に体の衰えを察知しているからか。80歳の誕生日を迎えた演出家の竹内敏晴さんが三点倒立をした話を聞いたから、よけい落ち込む。

ルネ・ラリック展

 日本橋高島屋8階ホールで開催されているルネ・ラリック展を見てきた。パンフレットによれば、ルネ・ラリックは1900年のパリ万博で注目を浴びた宝飾家で、20世紀のはじめにガラス工芸に転向、1910年代から30年代のアール・デコ期を代表するガラスの巨匠として活躍した。
 香水瓶、置時計、花瓶、立像、ブローチ、カーマスコット、常夜灯、ほかいろいろ。ガラスというと外界を隔てる透明で冷たい「窓」をイメージするが、それと全く反対の印象をはじめて持った。「バッカスの巫女」の微妙な色づきはどうだ。つくりたての飴のような蕩ける肢体がたゆたう。「ツタの台付裸婦」と題された立像や「スピード」と題されたカーマスコットに見られる裸婦の線と充溢する豊満な肉体は、ガラスという素材がその表現にとってもっとも相応しいものと思わされる。
 この展覧会を企画監修された美術工芸史家の池田まゆみ氏が代表を務める日本ガラス工芸学会研究企画委員会編による、ヨーロッパガラス工芸技術の古典『ラルテ・ヴェトラリア』の本邦初訳を小社から刊行することになっている。
 ルネ・ラリック展は今日まで。