アロハ〜

 いくらクール・ビズだからといって、アロハシャツで出社する人間はそんなにいないかもしれない。わたしは、数年前から夏はアロハシャツ。若頭ナイトウがその姿を見て、キューバのチンピラのようですね、と巧いことを言ったことがあった。ところで、去年から帽子に凝りだし、今は、南米エクアドル産のパナマ帽を被っている。それを見たナイトウが、今度は、旅行で日本を訪れたエクアドル人が浅草で面白いシャツを買って着ているという風情ですねと、これまた実に的確、かつグレードアップした表現で褒め(貶し?)てくれた。キューバとエクアドルではどっちが上か分からないが、チンピラから旅行者というのは、格上げされたようで気分がいい。さて今日は何色のアロハシャツを着て行くか。なんてね。青と赤しか持ってないんだ。

文字以前

 付き合いのある業者のCさんが、個人的な友人で画集を出したがっている人の絵のファイルを預かっているが見てもらえないだろうかというので、先日、社に来てもらった。
 最近は、小説を読んでもらえないか、こんな企画があるが採用してもらえないか等々、いろんな形の持ち込みがあり、画集を作りたがっている人も結構多い。Cさんから話があったとき、付き合いもあるからむげに断るわけにもいかないなとは思ったが、正直なところ、絵を見るまではあまり期待していなかった。それぐらい寄せられる作品の数が多い。ところが、見てびっくり。ん! ん! ん! の連続。短い言葉と相俟ってその時々の内面世界が単純な線ですっきりと描かれている。色の付いたものもある。
 画集を出したいという気持ちが分かる気がしたし、それ以上に、こういう形で若い才能に触れたことをありがたいと思った。Cさんに感謝。
 また最近よく思うのだが、絵や写真(時に文章も)を見、惹き込まれるようになる時というのは、文字以前の幼いぼくが、きゃっきゃとはしゃいだり、うごうごと蠢いたりしているのではないかということ。わくわくしながら土器の欠片を拾いに行ったのは小学校に上がる前からで、本を作るのに文字以前のぼくが参加しているというのは変な喩えだが、そう感じるから仕方がない。Cさんが持ってきてくれた友人の絵を見た時もそう感じた。
 Cさんには今度、絵の友人と一緒に来社してもらうことにした。

メボス?

 『日本の英語辞書と編纂者』の著者・早川勇氏の次の書『英語になった日本語』(仮題)の校正・校閲を進めているが、日本語の語彙が英語に取り入れられていく過程が著者の想像・仮説も含めて物語風に説かれており、つい、仕事の手を止め読んでしまう。
 mebosという単語がOED(Oxford English Dictionary)に入っているそうだ。その説明によれば、十八世紀の英語文献に初めてmebosが現れるが、語源的にはアフリカーンス語(南アフリカ共和国で用いられる公用オランダ語で、十七世紀のオランダ人移住者の話し言葉から発達した言語)ということになっているという。mebosがどんな食べ物か、OEDの記述を著者は引用しているが、日本の梅干に酷似している。
 歴史的に考えてみて、当時、オランダ東インド会社がアジア地域で活躍しており、その支店が日本にも出来ている。オランダ商館と呼ばれた。おそらく、と著者は言う。アフリカに梅干を持ち込んだのはオランダ商人であろう。語頭の母音が脱落することは言語の世界ではよく起きる現象だそうだ。そうすると、権威ある英語辞書として夙に有名なOEDは、ことがらの半分を説明しているが、残り半分は置き去りにしたままということになるではないか。へ〜。知らなかった。

 梅雨の真っ最中だが、昨日はかんかん照り。流れる汗を拭き拭き紅葉坂を上った。白のTシャツにアロハシャツを着て、内面はそうでもないのに、外見だけはリゾート気分で出社。ブルー・マンデーな青をなんとかやり過ごし、昼、福家にて柳川鍋。この頃は、週に二〜三回は泥鰌を食べる。美味しいだけでなく、なんとなく元気になる気がする。
 引き戸を開け、暖簾をくぐると、若女将に「爽やかですねぇ」と褒められた。そんなこともないが、褒められれば嬉しい。泥鰌も美味しいが、鍋に入っている牛蒡が旨い。ほかの野菜ならともかく、牛蒡なんて普段あまり、というかほとんど口にすることがないから、ぐつぐつ煮えた鍋の縁に張り付いたものまで剥がして味わって食べる。やっと調子が戻ってくる。暑さ変わらず。野毛坂をやっこらさ。

網戸

 一昨年あたりから網戸の破れがひどくなり、気になっていた。最初の破れ目に気がついたとき、ベランダをよく通る猫が引っ掻いたのかと思ったが、それにしては、縦に相当の長さがあったから、猫の仕業ではなかった。そのうちにあっちが破れ、こっちが破れして、網戸の役目を果たさぬばかりか、見た目にも汚らしい感じがし、これではいかんと思い立ち、近くにある金物屋に行って網戸の張り替えを依頼した。去年の冬のこと。すると、ご主人曰く、頼まれれば仕事としてやるけれども、網戸の網は日差しに弱いから、いま取り替えるよりも、五月ぐらいにしたほうがよくはないかと。そうこうしているうちに五月が過ぎ、六月も終わろうとしている。
 土曜日の朝、テレビを点けたら、ちょうど「網戸の張り替え」をやっていた。業者に頼まなくても自分で簡単に出来るという。森三中が出ていた。見ていると、確かにそんなに難しそうでもなく、1枚20分もあれば出来るとテレビは言った。それに森三中だ。彼女たちに出来てわたしに出来ないはずはないという気にだんだんなってきて、ついに、張り替えの材料を仕入れに保土ヶ谷駅近くのスーパーへ出かけることに。
 テレビの指示通り、網とカッターとローラーを買うところまではよかったが、網を固定するゴムの幅に種類があるとは知らなかった。せっかく山を下りたのに、また山を上り、わが家の網戸を縁取るゴムの幅を計ってみると5.5ミリ。また山を下り、5.5ミリのゴムを買い、また山を上る。これだけで相当へたばった。
 さて、いよいよ作業を開始。実際にやってみると、テレビが言うほど簡単ではない。最初の1枚は完璧に失敗。張った網を最後にカッターで切らなければならないのだが、手許が狂って、張った網のほうまで切ってしまった。ああイラつく! でも、仕方がない。また一からやり直し。テレビでは1枚20分ほどで、なんて言っていたが、やり慣れた人ならともかく、初めての人がそんな短時間で出来るわけがない。あの番組にしても、思い出してみれば、森三中が指導者の指示にしたがってやり始めた場面と仕上がったところしか映していなかったではないか。チックショー!だ。実際は倍以上の時間がかかってしまった。しかも、2枚出来たところで集中力が切れ、残りの1枚はまた今度ということにするしかなかった。そもそも最初の失敗により、網が不足していた。もう一度山を下りる気力なし。
 張り替えのコツについてもテレビで教えていたが、確かにそれはその通りに違いないのだが、ほかにもいくつかコツがあり、見るとやるとじゃずいぶん違うことを改めて思い知った。

ぜんしゅう違い

 『春風倶楽部』No.12の数が少なくなったとの報告が営業の責任者でもある専務イシバシからあり、No.13を用意することに。問題は特集のテーマ。すぐに決まることもあれば、どうもピンとくるものが浮かばず、考えあぐね、けっこう時間がかかってしまうこともある。テーマ設定はわたしの領分、そのときどきに、この事をぜひこの人に訊いてみたい、どんなふうに考えておられるのだろうということをテーマにする。
 昼食をとりに外へ出ようとエレベーターに乗ったとき、イシバシに「次号『春風倶楽部』のテーマを決めたよ」と言った。
「なににしたんですか?」
「全集の魅力」
「はぁ〜」
「ん…??」
「そうですか…」
「なにがそうですかよ? 気に入らないの」
「いや。書き手が限られてしまうんじゃないかと思って…」
 ここでわたしはピンときた。禅宗の魅力では確かに書き手が限られてしまうだろう。それに、禅宗に対して「の魅力」などとくっ付けたら、禅寺から抗議の電話がありそうな気もする。
「そっちのぜんしゅうじゃなくて。『新井奥邃著作集』も完結することだし、全集を読むことの楽しさ、喜び、編集に関わることの苦労話や魅力について書いてもらったら面白いと思ってさ」
「あ。なるほど。そうですね。そっちのぜんしゅう。わたしはまたあっちのぜんしゅうかと思ったものですから」
 わたしとイシバシの間ではこういうことがよく起きる。付き合いが長いので、最近では、彼女が意味を取り違えた単語を思い浮かべているなということが返事の具合で瞬時に分かるようになった。傑作なのは、わたしが加齢臭について話し始めたとき、彼女が、スパイシーなカレーと取り違えたこと。「いま入った店はパスタの店、カレーなど置いてなかったのに…」というのが彼女の頭に最初に浮かんだ想念だったらしい。

ラーニング・ボックス

 横浜児童文化研究所の立川先生、原所長来社。立川先生はすでに小社から『知的障害児のためのラーニング・ボックス学習法』を上梓しており、この手の専門書としては売れ行きも上々、ほぼ完売に近い。ところがこの本、読者から難しかったとの感想が多いと聞く。
 ラーニング・ボックス学習法とは、ひとことで言ってしまえば、自学自習のシステム。これは、立川、原の両先生を中心とする横浜児童文化研究所の長年の試行錯誤の中から産み出されたもので、実際に見てみれば、理屈はともかく、その素晴らしさの一端は誰でも分かる。普通学級(この言い方は差別的)では歯牙にもかけられなかった子供たちがラーニング・ボックスを用い、生き生きと学習する。知的障害児に接し何をどう教えていいのか、手をこまねいて見ているしかない先生たちは、あの姿を見たら仰天すること必至だろう。『知的障害児のための〜』は、人間が学習するということ、分かるということの本来的な意味を根底から問いかける革命的な知の体系であり、理論書、また実践書なのだ。
 うがった言い方をすれば、革命的な本というのはいつでもそうだ。それを必要とする人は本に齧りついてでも理解しようとする。『知的障害児のための〜』を、読んで分かるところだけ分かり、それを実際に役立てている人もあると聞いた。
 昨日は、教育の根本を問いかけるこの本に至る裾野を広げるための企画について打ち合わせ。知的障害児をもつ親に集まっていただき、わが子がラーニング・ボックスを使い、いかに学習し、どんなふうに変わったのか、実際のところを話してもらおうということになった。また、立川先生には、先生が「反省と後悔の日々」と仰る実践の中で鍛えぬかれた「学び」「分かる」について、わたしがインタビューすることにした。
 この企画、元をただせば『心理学|梅津八三の仕事』が縁だった。