以前勤めていた会社で一緒だったMさんから「ごぎげんよう」の電話があった。復刻中心の出版社でMさんは一日中コピーを取るかオペイクの仕事をしていた。オペイクというのは復刻ならではの仕事で、取ったコピーに着いた汚れをホワイトで消す作業。単調な仕事のせいか、視力のせいか(目が悪いのに、Mさんはメガネをかけたがらなかった)、Mさんはよくミスをした。「なんだよ、Mさん、またまちがってるじゃねーか」などと難癖をつけながらも、なんとなく気が合って、昼など外でよく一緒に食事をした。食事の後はコーヒー。いがぐり坊主のマスターがやっているあの店、まだあるだろうか。わたしは決まってブラジル。同行したコーヒー好きのSさんはコロンビアを注文。「Mさん、何にする?」と水を向けると、Mさん、メニューを目から5センチほどのところまで持ってきて、ううんうん唸ったかと思ったら、「だ、だ、ダテマラ!」?????????
ダテマラ? あは、あは、あは、あはははは…。店内、爆笑のうず。ダテマラって、女だてらにそりゃないよ、Mさん。ガテマラだよ、ガ・テ・マ・ラ。
メガネをかければいいのに、そうしないものだから、Mさんが起こした可愛いエピソードは今や伝説となり一部の人の間に残っている。耳たぶの大きな女性が髪をカットし耳が見えるようにして出社した折、Mさん、彼女に向かい「ずいぶん大きなイヤリングしてるわねえ」と大声を発した。言われた彼女、イヤリングはしていませんとも言えず、耳を隠し、目をぐるぐる回し顔を真っ赤にしていたっけ。
演出家の竹内敏晴さんから新刊『声が生まれる』(中公新書)をいただいたので、休日、さっそく読んでみた。竹内さんの本は『ことばが劈かれるとき』から始まって、レッスンを含めすべて自伝のようなものだから、取り上げられるエピソードは旧知のものもある。しかし、竹内さんのすごいところは、読者がすでに知っているであろうエピソードについて読者に「ああ、あの話か」と思わせないところ。見事というしかない。
「ああ、あの話」と、ふつうなら読書のスピードが増しそうになるところで、そうはならずに、むしろ居ずまいを正してゆっくりと味わうように読んでいる自分に気づく。読みは深くなり、また、視界が広がるとでもいうのか。ふ〜とたっぷり息を吐き、静かに息を吸って(竹内レッスンみたい!)「おわりに」を読んだら、竹内さん自身がこう書いていた。「過去の体験は、今生きている地点から射る光によって、新しい姿を現わす。」
わが身を振り返っても、そのときどきに自分でこうだと思ってしたこと、意図せず、理由も分からずにしてしまったこと、いろいろあるけれど、後から後から新しい姿が現われ、うろたえたり慄いたり驚いたり。本当にそうだ。新書サイズながら濃密で、竹内さんの「今」に触れられる素敵な本。ありがとうございました。
創業間もない頃、清水の舞台から飛び下りるつもりで全国紙に百万円分の広告を打って手ひどい目にあった。広告で本が売れる時代ではないと肝に銘じ、以来、よほどのことがない限り、本を売るための広告は控えてきた。が、今月、性懲りもなく広告を打つ。本を売るためでないこともないが、そのことばかり考えていたのでは零細企業の小社が広告を打つのは大きな危険を伴う。だから、広告で本が売れれば儲け物のつもりで、むしろ、営業の拡販材料として。出版不況の折、十年にも満たない出版社が世間に認知してもらうのは容易ではない。それでも、こつこついい本をつくってきたことを知ってほしいし、今後進もうとする進路についても見てほしい。そのための広告。広告は一過性のものだが、目に見えての売上につながらなくても、会社の認知度を上げ、次の仕事につなげるために一役買ってくれればと願うのだ。と、そんなふうに自分に言い聞かせてはみたものの、おカネが無駄にならず、費用対効果を最大限にという涙ぐましい貧乏根性のなせる業かとも思う。
このごろ花を飾るようになった。机の上、畳の部屋、居間。なんだか気持ちいい。休日、近くのスーパーで用を済ませた後などに、一束500円ぐらいのを買って帰り、いくつかある花瓶に分けて挿す。瞬間、ふわっと部屋が明るくなるようだ。多聞君のお母さんのお店ラヤ・サクラヤで求めたタイのアーティストがつくった馬の一輪挿しが気に入っている。それには黄色の水仙。仕事帰り、ついこのあいだまで酔っ払ってふらふら千鳥足で階段を上っていたのに、今は酒も飲まず、花のある部屋に帰るのをちょっぴり楽しみながら帰る自分を楽しんでいる。
自律神経というのがある。自分ではコントロールできない自動的な神経という意味だろう。このこと一つ取っても、わたしはわたしであって、わたしでないとも言える。自律神経が乱れると体もこころもおかしくなる。神経といい自律神経といい、神の経(みち)だ。わたくしごとでない力が滞りなく働いてくれるように経をととのえることが大事だ。背骨のなかに神経の束がある。一日同じ姿勢で仕事をしていると、神の経が汚れ、風通しが悪くなる。きれいに洗い流し、風をあて乾かす必要がありそうだ。
ホンダゼストのテレビCM(手乗り象が出てくるバージョン)で木梨憲武が被っている帽子が知りたくてホンダに問い合わせ、ていねいな返事をもらったことはここに書いたが、返事を待つ間、ほとんど諦めていたときに、木梨憲武のホームページを見つけ、ダメもとでメールしてみた。ホンダから回答を得られたこともあり、メールしたことを忘れかけていたのだが、なんと昨日、返信メールが来た!
木梨さん(ここから「さん」付け)のホームページの管理者だろうか。返事が遅くなり申し訳ありませんと断りながら、実にていねいな文面。ショップの名前はホンダからの電話ですでに知っていたが、うれしかった。ホンダといい、木梨さんといい、一視聴者からの質問にきちんと答える姿勢に感動。自分の仕事もそうしなければと改めて思った。
昨年末から、来年(つまり今年)はヨガか太極拳か気功をやろうと密かに考え、インターネットでいろいろ調べていたら中国禅密気功というのがヒットした。面白そうなので、まずは本を取り寄せさっそく読んでみた。
『気功生活のすすめ』著者は朱剛さんという中国人。すこぶる面白く一気に読み、再読。巻末に「中国4000年の英知を日本に伝える人」と題し津村喬という気功家・評論家の推薦文が載っている。津村喬? どこかで見たことのある名。本棚を物色していたら1冊の本に目が行く。『しなやかな心とからだ』著者が津村喬。そうか。演出家の竹内敏晴さんの本を集中的に読み、竹内レッスンに通っていた頃に求めたものだろう。ちゃんと読んだ記憶はないが、旧知に出合った感じ。せっかくだから、今度は最後まで読むつもり。
