春を告げる香り

 この季節を目で見るより先に香りで気付かせてくれるものがある。沈丁花。名前を知っている数少ない花の一つ。時間に少し余裕があって裏通りなどを歩いているときに不意にその香りがやってきて驚かせられる。立ち止まり香りの主を探す。十分に咲ききってはいないのに香りは濃厚で、強く存在を主張してくるようだ。大学生の頃、仙台で初めてこの香りに驚き立ち止まった記憶がある。秋田では沈丁花にまつわる思い出はなく、雪解けの濡れた土が乾いてくると、春だなあと心が沸き立った。

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真の字

 中国人は、ゆっくりした呼吸の理想的な状態を「胎息」という。胎児のように、ヘソの緒から酸素をうけるわけだ。母体回帰願望ともいえるが、長生きの秘密が無限に死者に近づくこと、呼吸を長くしていってついにはしなくていいまでになるというのは面白い逆説だ。『荘子』にはとくにそうしたニュアンスが濃い。「凡人は鼻で呼吸し、真人はカカトで呼吸する」とあるのも、「気」を吸収してカカトにまでめぐらす術を言っているのだが、「真」とは人の首が逆さにかけられている文字で、荘子がはじめて使った真人というのは「死をわがものとした人」というような意味があったらしい。(津村喬『新編 しなやかな心とからだ』)

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教育の新しい風

 発達の遅れのある子供たちのための自学自習の画期的システムを研究開発し、すばらしい実績を上げているよこはま児童文化研究所の2冊目の本『母の愛が奇跡を生む 発達の遅れに挑むラーニング・ボックス学習法』が好評だ。
 研究所所長の原ふみさんと編著者の立川勲さんが先日、弘前で講演し、ラーニングボックス学習法の実践もプレゼンテーションしたところ、大きな反響があり、事前に『母の愛〜』を読んだ方々から「読んでいて涙が出ました」「障害児をもつ親だけでなく、すべての親に読んでほしい」「学校の先生たち、特に養護学校の先生たちに読んでもらいたい」「お母さんたちの気持ちをしっかりと受け止めて教育してほしい」「前の『ラーニング・ボックス学習法』とつながる内容でした」と、ありがたい感想が寄せられた。
 講演会場に持参した数十冊完売の知らせもうれしく、新しい教育の風が横浜から吹き始めた。

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山と谷

 「仙」とは「俗」の反対語である。谷に人が住むと書いて「俗」になる。山に人がいてそれが「仙」である。谷に住む者は視野も限られ、活動領域もせまくて自分の生命をはてしなく充実させひろげていくということができない。山人とは脱領域の人であり、カルマ(業、突如インド哲学をもちだしたりしてズサンで申しわけないが)を解脱した人である。飛行術というのがあって、飛んでいる仙人が川で洗濯する娘の白いすねを見て術がやぶれ墜落したなどという話もあるが、これなども「仙人ぶり」への民衆の皮肉な批評であるとともに、「自分の場所」を脱出してどこかへとんでいきたいという熱烈な想いが生みだしたイメージにはちがいない。(津村喬『新編 しなやかな心とからだ』)

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なるほど

 テレビ番組「格付けしあう女たち」を見て。
 杉田かおるが「熊田(曜子)はモテるからモテない人の気持ちが分からないんだよ」
 それに対し、モテない(ことになっているキャラクターの)光浦(靖子)が「そっかー。私も魚の気持ちは分からないものなー」とつぶやいたのには笑えた。

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写真付き

 多聞くんが写メールでこの「よもやま」にアップできるようにしてくれたおかげで、カシャカシャ撮っては添付している。お、あんなところに糸瓜、カシャ、お、蕗のとう、カシャ、という具合。本文とほとんど、というか、何も関係ない。でも、気分はどこか繋がってもいるかもしれず、お許しいただくことにして今日もカシャカシャと。ただこのカシャという音だが、クワッシャ! とでもいうのか滑車とでもダジャレてみたくなるというのか、とにかくデカイ音がするものだから、自分で驚き、周りを見まわし、なんとなく悪いことでもしているみたいな気になる。

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気功体験

 この土、日、朱剛先生の指導による「中国禅密気功」集中コースに参加。太極拳のようなゆっくりした動きながら、午前10時から夜7時まで、途中、休憩の時間があるとはいうものの、初心者には相当ハードなものだった。
 蛹動(ようどう)、擺動(ばいどう)、捻動(にゅうどう)、蠕動(じゅうどう)の四つの基本動作を中心にレッスンをする。漢字は難しいが、日本の整体、操体、西式健康法、竹内レッスンなどを思い出しても、基本動作は、前後、左右、ひねりの三つであることを再確認。あとはその応用だ。
 どの動作も背骨を中心に動かすのだが、イメージが大事なようで、ただ物理的に前後左右に動かせばよいというものではない。「意念で気を動かす」ということがさかんに先生の口から発せられるが、それがどういうことなのかが初心者には分わからない。時間をかけ練習していけば、なるほどこういうことなのかという境涯に達せられるものなのかもしれない。
 レッスン中、動作の説明をしながら気功全般に関わる先生の話もあって、面白く聞いた。曰く、文化大革命の頃は、こういう(気功のような柔らかい)動きは禁じられていた(リラックスした柔らかい動きというのは資本主義的なものとみなされていたということか)。ものごとはいろいろな観点から見られるように、気功の観点というものがある。気功は他の運動を排除するものではなく、他の運動の中にも気功があり、それは体にとってよいものだ。反対に、競争競争で倒れるまでやるような運動は決して体にとってよいものではないし、気功の観点から見てよい運動とは言えない。また、例えば、お釈迦さんのような人は、気功の観点からすれば、すぐれた気功師だったと言える。日本語の「落ち着く」はいい言葉ですね。人間はなかなか落ち着けない。座れば立つことを考え、立てば歩くことを考え、歩けば食事のことを考え、食事をすれば仕事のことを考える。いまここに落ち着いてあることだけで気持ちいいいなあ、幸せだなあということがなかなか感じられない、云々。
 参加者のなかには、パソコンを使う仕事で体調を崩したという青年、禅宗の僧侶もいた。
 この気功、ルーツを辿ってみると、仏教や道教ともつながっているらしく、ある深さと広がりを持った健康法のようだ。
 レッスンの初日、終わりに近い時刻、部屋の灯りを落として参加者全員が一箇所に集まり手の平を出し指先から発する気が白く見えたのには驚いた。指と指の間に確かに白いものが現われ、指を動かすほどにゆらゆらと揺れた。座った先生の周りにはうっすらと白いオーラが浮かんだ。ただし、そういうことを、ことさらに強調することを先生は避け、誰にでも気はあって、見えるときは見えるとも話された。人の気と書いて人気とよぶ。

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