瞬間冷凍マジック

 このごろ流行りのマジックスパイスのカレーをインターネットで注文し食してみた。店で食べるのとほぼ同じという触れ込みどおり確かに美味い。が、当然のことながら「ほぼ同じ」であって「全く同じ」ではない。旨みについてどうこう言うつもりはない。さすが瞬間冷凍のなせる技と驚きもした。が、なんだろう。なにかが違う。どこがどうと指摘するのは難しい。全体的な問題で、要するに「キレ」。
 スープカレーのキモは、スプーンに薄く掬い上げたひとくち目のスープを口中に含んだときのスパークする辛さにあるとわたしは思っている。その瞬間が決め手なのだ。あとから美味さがぐいぐい押し寄せてくるとしても、立ち会いにおけるキレと美しさがなければスープカレーとしては一段劣る。スタートダッシュで出遅れた馬が後からいくら追い上げても、結局鼻差で負けるようなもの。
 噂によれば、マジックスパイス下北沢店では平日の夕方でもずらり人が並ぶそうだから、それを考えたらネット注文も偶にはありと思うが、瞬間のキレを楽しむためには、やはり直接足を運ぶしかないかと諦めた。

ライフスタイル・ウォーキング

 自宅から会社まで歩くようになったことがきっかけで、「歩く」「散歩」「ウォーキング」に興味を持ち始めたら、ちょうどタイミングよく『医師がすすめるウォーキング』(集英社新書)という本が出ていて一気に読んだ。著者は泉嗣彦さんという方で、データをあげつつ、歩くことがいかに体と健康にいいかを実証的に説いている。そんなにいいウォーキングだから、一時的なものに終わらせず、ライフスタイルに組み込むことが重要とも。
 ところで、本に書いてあることで「へぇ〜」と思ったのは、昔の日本人が平均3万歩ぐらい歩いていたということ。それに比べ今の日本人は5千歩ぐらいとか。約6分の1。言われてみれば、そうかもなぁと思う。
 たとえばわたしが小学校時代、送迎バスなどという気の利いたものはなく、雨が降っても風が吹いても、上級生を先頭に二列に並び、学校までひたすら歩いたものだ。集団登校。ああいう姿を写真に撮っておいたらおもしろかったろうなぁ。片道1万歩×2で2万歩。それに子供にとっては遊びが仕事で、それに費やすのが約1万歩。合計3万歩。なるほど、納得できる数字だ。たしかに、あの頃は子供だけでなく大人もよく歩いていた。昔は、都会の人よりも田舎の人のほうが歩いていたのじゃなかろうか。今はどうか。どこへ行くにも車、車で、むしろ田舎の人のほうが歩かなくなっているかもしれない。
 ちなみに著者の泉さん、プロフィールに一九四三年生まれとある。熊本の田舎育ちで、歩くことに抵抗がないばかりか、景色を見ながら歩くことが元々お好きな人のようだ。

ウォーキング

 朝、会社まで歩く途中でハトの群れに出くわした。最上段の電線にズラリと並んでいる。ざっと数えて七十羽はいたろう。一箇所にこんなに集まるのは珍しいと思ってしばらく見ていると、道路沿いの町工場からおじさんが出てきて、トウモロコシのほぐしたのを道端にまいた。ははぁ、これをハトたちは待っていたのか。ところがハトたち、すぐには降りて来ない。餌をあげたおじさんとはまた別の半ズボン姿のおじさんがわたしに近寄って来て「どうされましたか」と訊くから、「ずいぶんハトがいるなぁと思いまして…。降りて来ませんね」と答えた。「警戒してるんでしょう」
 おじさんに挨拶をし、ハトを横目で見ながら通り過ぎ、少し離れたところから見ることに。数分は「おらたち、餌なんか見てないよ〜」みたいな感じだったのが、1羽が最上段からすぐ下の電線に降り、さらに下の電線に降りると、引きずられるように数羽が後から続いた。最初の1羽がついに電線を離れ木の葉が舞うように地面に降りるや、あとは、なだれを打ったように次から次と地面に舞い降り、餌をついばんでいる。いったん食い始めたら、今度はすぐ傍を自転車が駆け抜けようが通行人が通ろうがお構いなし。こんな光景を見られるのも歩いて入れ歯こそ。いや、いればこそ。あはは…。しばらくウォーキングに凝りそうだ。

コテイベーカリー

 昼、武家屋敷と一緒にとっとこ歩き、ボクサー畑山隆則がオーナーとかいう「尾道ラーメン 麺一筋 桜木町店」でラーメンを食った。頼んでから丼が出てくるまでの間、ひょいと窓の外を見たら「コテイベーカリー」と書いてある看板が目に付いた。コテイベーカリー? コテイ? 固定? アハハハハ… 大きな台風が来てもぜってぇ飛ばされないように金具できつく固定してあるパン屋さん、で、固定ベーカリー? まさか!
 ラーメンを食しつつも固定ベーカリー、いや、コテイベーカリーのことが気になり、武家屋敷が平らげるのを待って、そそくさと席を立った。
 コテイベーカリーにはなつかしい「シベリア」というお菓子が売っていた。大正五年の創業以来ずっと同じ製法で作ってきたと、ドアのところの張り紙に書いてある。昔はどこのパン屋さんでも作っていたのが、作るのに手間隙がかかるので、いまでは、ごく限られたお店でしか作っていないとか。水羊羹をカステラ生地でサンドしたお菓子で、水羊羹の厚さが5センチほどある。なぜ「シベリア」という名称になったかについては諸説あるらしく、お店でもらったパンフレットに、?シベリア鉄道の連想からだとか、?シベリアの凍土がどうしたとか、?シベリアからの亡命ロシア人が函館で最初に作ったからとか、七つ書いてある。要するに、はっきり分からないのだろう。
 「シベリア」の名前も怪しいが、もっと不思議なのは店の名前。訊けば教えてくれたろうが、うっかり訊くのを失念。もらった袋に「coty bakery」と記されている。「bakery」はパン屋だが、「coty」とは何か。語学に堪能な若頭ナイトウに訊いても分からない。わたしの好きな国語辞書『大辞林』によれば、コティ [Franois Coty] (1874-1934) フランスの実業家・政治家。香水製造で成功し、「香水王」と呼ばれる。日刊紙「フィガロ」を所有、反共運動を組織した。となっている。
 コテイベーカリーの創業が大正五年、西暦なら1916年。創業者がフランスの「香水王」コティと何か関係があったとでもいうのか。謎だ。ふむ〜
 ところで「シベリア」、4個買ってきて、みんなで半分ずつ食べたが、カステラと水羊羹、別々のほうが美味しいのじゃなかろうか、というのがおおかたの感想だった。

はるかネパール

 家に帰ってテレビをつけたら、「貧乏を競う」みたいな番組をやっていて、へ〜、いろんな人がいるもんやなぁとおもしろく見ていたら、ネパール人の「貧乏さん」(名前はババ)が登場し、彼は日本人の女性と結婚、子供を三人もうけたが、なんでもネパールに内縁の妻が居て、以前は日本人の妻もろともに暮らしていたという。その彼、いま失業中とかで「貧乏」を強いられているらしく、このごろは故郷ネパールに帰っていない。日本で生まれた子供たちをネパールの家族にも見せたいだろうとの配慮から、番組が応援し、ネパール人の顔に最も似ている(?)ネプチューンの名倉潤が付き添い役でネパール入り。
 故郷に帰ったババさん、日に焼けた顔に涙を浮かべ眼をキラキラさせていた。ひょうひょうとした名倉さんは前から好きなタレントだが、気張らず現地の人に溶け込む姿が見ていてすがすがしい。ババさんがぜひ見せたいものがあるといって名倉を案内した小高い丘から望むヒマラヤの山並みを見ていたら、わたしもかつて望んだ連山を思い出した。
 夜、テレビのない宿の広間に近所のひとびとや子供たちが集まり、歌ったり踊ったり太鼓を叩いたりしてもてなしてくれた。わたしも何か歌で返さなければと思い立ち、さて何がいいかと考えあぐね、結局「津軽海峡冬景色」を歌った。太鼓の人が合わせづらそうにしていたっけ。それでも歌い終わったら拍手喝采で、わたしの顔は喜びでぐしゃぐしゃだったろう。十六、七年も前の話。
 ネパールの首都はカトマンズ。日本語では「マ」にアクセントを置いて発音するが、本当はカトマンドゥー、「ドゥー」にアクセントがあるんだよね。

万歩計

 太り過ぎ解消のため、家から会社まで歩いてみた。いつものように保土ヶ谷橋の交差点まで下り、そこから国道1号線を東京方面へ向かいひたすら歩く。西平沼の交差点を右へ折れ、ゆるく長い坂道を上る。初日50分かかったのが昨日は45分で着いた。相当汗をかく。所要時間でいえば電車通勤とほぼ同じ。速歩は健康にいいそうだから、毎日とは言わなくても、天気のいい日は気持ちもいいし、心がけて歩くようにしたい。万歩計で距離を測ったら、案外近くて2.8キロメートルしかなかった。歩数は5000に満たない。
 夜はお客様と一緒に保土ヶ谷橋までタクシーに乗ったので、歩数はそれほど稼げて(?)いないと思ったが、家に着いて万歩計を開いてみたら1万歩を超えていた。ふむ〜。まさしく万歩。朝、会社に着くまでが約5000歩、のこり5000歩を社内と昼食時外出した折歩いたことになる。
 わが社でいちばん歩いているのはおそらく石橋だろう。千葉から通ってくるし、出張の折など2万歩ぐらい歩いているのじゃなかろうか。小刻みな歩きのため、距離は8掛けか7掛けかもわからない。にしても、大したものだ。

二日つづけて

 アジアンテイストな多聞君のお店に昨日も入り浸り、お茶とお菓子をご馳走になりながら、居合わせた方々とインドの印象について話したり聞いたりしながら楽しいひとときを過ごした。久しぶりにヒデさんにも会い、互いに近況報告、よもやま話に興じる。
 インドと往ったり来たりの多聞君一家のお店だからか、中に居るとそこだけインド、充溢した時間に身を任せるような心地好さにうっとり。ポカーンとしていても、カラーンとも音がせず、むしろ水が一滴一滴溜まって自分が次第に満たされていくような、とでも言えばいいだろうか。
 この頃「縁」について考え、ここにも書いているが、きのうはまた、三島の話から「水」と「富士山」につながる話が響き合い、おもしれぇ〜なぁ、で。沼津出身の方あり、山梨出身の方あり。さて、次の開店は十一月の満月の日を期してだそうだ。