ほどほどに

 夜、知人の車に乗せてもらい、箱根駅伝で有名な権太坂にある蕎麦屋に行った。店の名前を覚えてこなかったが、「名古屋そば」という文字が店内にあったから、ひょっとしたら「名古屋そば」が店の名前かもしれない。
 メニューを見、わたしは何種類か小鉢に小分けされて楽しそうな将軍蕎麦を、知人は肉が食べたいというのでヒレカツ定食を頼んだ。間もなく運ばれてきた将軍蕎麦、上に乗っているのがナメコだったり、鶉の卵だったり、エビの天ぷらだったり、それはそれは楽しい。蕎麦そのものの味も悪くない。これから何度か足を運ぶことになるだろう。
 店を出たのが8時25分。家まで送って行くという知人のありがたい申し出を断り、歩くことに。最近ウォーキングが趣味なのだ。そのために万歩計まで持参した。
 知人と別れ普段よりも速く、というのは、朝、紅葉坂にある会社に向かう時のおそらく2倍くらいのスピードで歩く。なぜって、暗くて景色を楽しむ風でもないから。そのうち、食べてすぐに速足で歩いたせいか、お腹が痛くなってきた。かと言って、途中用を足すような場所もなく、痛さを堪えて、お腹に振動を与えぬように気を配りながら、忍者が摺り足で地面を伝うように先を急いだ。2度ほど「ああ、もうだめ!!」と挫けそうな痛みに襲われたが、奥歯を食いしばり、爪が手のひらに食い込むほどの力でゲンコツを握り締め、顔はと言えば赤鬼青鬼、背中を甲羅のように固めお腹を抱えるようにして歩く。こんな時に限って、歩道橋を渡らざるを得ない場所があったり、道路工事中でかなりな距離を迂回させられたり、人生はほんとにままならないと思った。「クレヨン」というスナックの灯りが見えたときは、よっぽど「すみません。怪しい者ではありません。ちょいとトイレを貸してください」と飛び込もうと思ったが、それはどう考えても怪しいので、やっぱり止した。
 結局、我が家のある坂道を這いずるようにして登り、玄関を開けトイレに駆け込んだ。時計を見たら9時01分。万歩計を開けたら3.1キロと表示されている。なんと、3キロの道を26分で歩いたことになる。やっと筋肉を緩めた安心感と競歩の疲れでドッと汗が吹き出した。何事もほどほどのところでやめるのが大人ということらしい。痛感した。

鎌倉

 『神の箱』の著者・磯部先生と横浜で待ち合わせ鎌倉へ。専務イシバシ同行。横須賀線の電車を北鎌倉で下り、そこからぶらぶらと歩いて鎌倉へ抜けた。
 歩きながら最近出した本のことや、わたしの大学時代のことなどを話した。先生には弟さんがいらっしゃるそうで、その弟とわたしが重なるのだと以前イシバシに語ったことがあったそうだ。そういうことを聞いていたからかも分からないが、先生と話していると、発語することに気合を込めたり、特別な意識をしなくても、ぽんぽんとリラックスして話ができる。元気なときは元気に、そうでないときはそれなりに。たとえ話をしなくても、失礼なことをしているという感じがしない。素のままの自分でいられる。
 小町通りを散策しながら、帽子屋や古本屋を冷やかして歩くのも楽しい。日が傾いてきたので、適当な路地に入り奥の居酒屋の扉を開けた。角のカウンターに腰掛け、鰯の南蛮漬け、鶏手羽焼き、甘ラッキョウ漬け、冷やっこなどを頼み、三人揃って焼酎のお湯割りを飲む。メニューに「エレベーター」というのがあった。はて、エレベーターとは、三人頭をひねる。エレベーター…上がったり下がったり、か。うーん。分からない。女将さんに尋ねたら、油揚げの上に大根おろしを添えたものだという。「あげ」の上に「おろし」で、あげおろし。エレベーターか。
 先生は、明恵上人の依頼で絵師が描いたという絵図の本をお持ちで、それをバッグから出し見せてくれ解説してくれた。説明を聞きながら先生の心のひだに親しく触れていくように感じられた。一枚の絵を見るにも見る側の陰影が大事なのだなと知った。陰影といえば比喩としても使うけれど、けして清清しいものではないだろう。が、絵の鑑賞も仕事も人との付き合いも、陰影を抜きには成り立たないのかもしれない。かといって、それを欲しがっても仕方がない。与えられる時があって、それを謙虚にありがたく受けとめ次へ生かすことが大事と教えられた。
 すっかり先生にご馳走になり店を出た。人通りもまばらで、秋の風が頬に気持ちよく感じられた。

六周年

 小社六周年の日にあたり、橋本照嵩『北上川』の出版記念パーティーを開く。今月末には銀座で写真展も。
 宴たけなわの頃、秋田の父から電話があった。2冊わたしが買って送ったのが届いたという。わたしでは分からない馬についての話をいろいろとうかがう。表紙に使われている鼻面と尻尾をロープでつながれた3頭の馬は、姿形からしてそんなに高価な馬ではないはず。本文中、博労たちが何人も眺めている馬は、いい馬だ。なぜって、尻の形がいいからさ。馬市に出された馬は1歳馬だが、どの馬も、緊張して怯えている。カメラを向けたせいではおそらくない。馬は臆病な動物で、人も馬もたくさんいる場所に来ておっかながっているのさ。それが写真によく出ている。「シャガールの馬」と名付けられた2頭も、一見親子のように見えるけれども、そうではない。大人の馬というのは毛並みで判るものだ。あれは、人間で言ったら、不安な子供同士が抱き合っている、そういう形だよ。
 父は村でも評判の馬好きで、馬の気持ちが分かると言っていたくらい。草競馬では誰にも負けたことがないらしく、自転車がわりに馬に乗っていたという。そういう父が『北上川』の馬をどう見るか、まず一番に父に見てほしかった。
 風と水、飯島耕一さんにならって天をも意識しながら、七年目の日を迎えたい。

新刊三点

 『刺青墨譜』『北上川』『赤十字の父 アンリー・デュナン』と三点つづいて、できてきた。
 統一は取れていない。不統一の統一。自嘲でなく、そこがウチらしいのかもしれない。いろんなものを手作りで作るから、楽しいし、それぞれに愛着がある。本も商品だから売れなければ意味がないけれど、六年やってきて思うのは、宣伝広告費(ウチは微少)を使って不特定多数に売るよりも、まず著者に喜んでもらえる本作りが一番だということ。著者が喜んでくれれば、それが核となって必ずじわりと反響が広がるものだ。そういう売れ方についてならカウントできる。そのことを大事にしたい。
 きのうの夜、『刺青墨譜』の著者である斎藤さんが奥さん同伴で来社された。筑波に用事で行かれた帰り、貴重な時間を割いてわざわざお礼にみえられた。ありがたかった。こちらこそ、いい本を作らせてもらってありがとうございましたとお礼を申し上げた。別れ際「これからもよろしくお願いします」と挨拶すると、斎藤さん「こちらこそ」と。頭を下げられたその姿勢が決まっていて身に染みた。
 今日はまた元気じるしの橋本照嵩が来る。写真集『北上川』の出版を記念し内輪のパーティーをやることになったのだ。橋本さん、故郷石巻の笹カマ屋に連絡し、笹カマを本日着で送ってくれた。笹カマは仙台がつとに有名だが、元々は石巻が産地だそうで、そこに仙台の資本が入っていったということらしい。
 橋本さん、入口のドアを明けると、「よっ。よっ」と手を上げみんなに挨拶しながら真っ直ぐわたしのところまで進んできて「どうもどうも」と言って右手を差し出す。わたしも右手を差し出して握手。それが毎度恒例になっている橋本さんとの挨拶。

模様替え

 社員が増えたことに伴い、より機能的に仕事をするべく室内を全面的に模様替えした。移って来た当初、人数が今の半分だったこともあり、「なんだ、ずいぶんだだっぴろいなぁ」の感想を持ち、椅子や机やパソコンをどんな風に配置しようがスペースは十分余っていると思われたのに、これをこっち、あれをそっち、パソコンはここと、みんなで知恵を出し、やりくりしなければ立ち行かなくなった。縁あって集う一人ひとりが誰も仕事から疎外されず、自発的に仕事のできる環境を維持したい。
 ところで、おいらの机は元のまま。に対して、壁際に並ぶ編集部の机がぐいと押されたことにより、武家屋敷の机が限りなく窓へ近づき、おいらを左後方から眺める(?)位置に来た。いままで、みんなに隠れて何かしていてもバレなかったのに、これでは動物園のゴリラ状態。ひたすら仕事に没頭するしかない。どうしてもというときには、机の下に潜ればいいか。
 それはともかく、模様替えした後の部屋をおいらの位置から眺めると、前に比べてさらに整然としたためだろう、遠近法が効いて、入口がはるか遠くに見える。喩えて言うなら、秋と冬。それぐらいの隔たりを感じる。なかなかだ。

 急に。きのう、おとといまで暑いなぁと思っていたら、ほんとに急に、涼しく、というか、寒く、なった。
 朝、会社まで歩くようになってまだ二週間しか経っていないが、坊主頭がいかにも野ざらし状態でいたところ、先日テレビで米倉斉加年さんが帽子を被っているのを見、そういえば、ウチのたがおも千葉修司も帽子を被っていたことに思いあたり、嬉し恥ずかし帽子を買って、ひょいと頭にのせて歩いている。いままで空あたまだったのがいきなり帽子では可笑しかろう。笑う人もいるけれど、概ね好評でまずは一安心。帽子を被るなど何十年ぶりか。中学のときの学生帽以来だから相当なもの。
 新しいことを始めるのは、いくつになっても少しワクワクで嬉しいものだ。

生きる不思議

 斎藤卓志『刺青墨譜 ―なぜ刺青と生きるか』完成。写真をふんだんに入れてはいても、これまでのいわゆるビジュアル系「刺青本」と異なる本をと念じてきた。民俗学の谷川健一さんからいただいた推薦文中「殉教者の法悦境」という言葉があり、これだと思った。愛知県で見つかった人面文土器の模様を現代人に再現したメークをアレンジした装丁は、「殉教者の〜」と相俟って、刺青と生きる不思議を演出している。
 刺青に興味を持たない人間にとって、刺青をしている人の気持ちはなかなか分かり得ない。斎藤氏は、聞き書きという手法によって、その辺のところを丁寧に掘り下げ記述していく。著者の案内にしたがい読み進むうちに、刺青をする人の気持ちがだんだんと見えてくる。というよりも、いままで蚊帳の外だったはずの刺青が次第に親しいものに感じられ、「刺青」という形はたとえとらなくても、そこへ向かうこころの志向性は誰にとっても了解可能と思えてくる。自分で編集して言うのもなんだが、この本は、「刺青」という一見特殊なテーマを扱いながら、だれもそこから逃れられない「生きる不思議」について解き明かし普遍へ至ろうとする労作だと思う。
 撮影のために伊勢佐木町から来社された姉妹が、撮影終了後の打ち上げで、「刺青が偏見なく見てもらえるようになったらありがたい」と言ったのが耳に残っている。