模様替え
社員が増えたことに伴い、より機能的に仕事をするべく室内を全面的に模様替えした。移って来た当初、人数が今の半分だったこともあり、「なんだ、ずいぶんだだっぴろいなぁ」の感想を持ち、椅子や机やパソコンをどんな風に配置しようがスペースは十分余っていると思われたのに、これをこっち、あれをそっち、パソコンはここと、みんなで知恵を出し、やりくりしなければ立ち行かなくなった。縁あって集う一人ひとりが誰も仕事から疎外されず、自発的に仕事のできる環境を維持したい。
ところで、おいらの机は元のまま。に対して、壁際に並ぶ編集部の机がぐいと押されたことにより、武家屋敷の机が限りなく窓へ近づき、おいらを左後方から眺める(?)位置に来た。いままで、みんなに隠れて何かしていてもバレなかったのに、これでは動物園のゴリラ状態。ひたすら仕事に没頭するしかない。どうしてもというときには、机の下に潜ればいいか。
それはともかく、模様替えした後の部屋をおいらの位置から眺めると、前に比べてさらに整然としたためだろう、遠近法が効いて、入口がはるか遠くに見える。喩えて言うなら、秋と冬。それぐらいの隔たりを感じる。なかなかだ。
小学校の時、僕も、席替えが楽しみでした。でも、幸運に憧れの女の子(いつもあこがれの女の子はいたのでした!)の隣の席に席替えになったとしても、いつも教師が「おいF!お前は一番前だ!」とか言って横暴にも前の席に移らせられる時の悲しみといったらなかった。だから、いつも教師に見つからないように文字通り息をひそめているのですが、結局は「あ、そうだ!Fは一番前だ!」ですもの。
授業中は授業を聞くことができず、出歩くまではいきませんでしたが、隣の子どもに声をかけたり、勝手に何かをしていたり、今だったら完全に不適応の生徒の烙印を押されていただろう、そういうこどもだったのです。
今子どもじゃなくて本当によかった!(かつて、イブマサトの「私はこどもが嫌いです」という歌があって同じ文句があった。意味はちがうけど。)
>山川仙人さま
コメントありがとうございます。
たのしみでしたねぇ、席替え。ぼくの場合は仙人とちがって、お互い気に入っていた(はず)の二人を、担任の先生がそれと察して隣同士にしてくれた。うれしかったのは言うまでもありませんが、しばらく先生の話が耳に入ってこなくなった。
いま彼女は秋田の病院の受付をしており、うちの両親の話では、少々の病気なら彼女の笑顔で吹き飛んでしまうんだとか。田舎の洟垂れガキどもの中にあって、なんとなく都会的な雰囲気の娘だったんだよなぁ。
ところで仙人、「中原中也と小林秀雄」おもしろいですね。