朝日

 わたしのいる部屋は保土ヶ谷の山の上にある。箱根駅伝で有名な保土ヶ谷橋の三叉路を空中から見たら、熟したフルーツが交差点を中心にして割れ、三方の山の緑が厚い皮のように映るのではないだろうか。季節は秋、栗のイガのようでもあろうか。三方の皮の一方の上にわたしはちょこんと貼り付き、朝、パソコンに向かっていると、三叉路から鎌倉方面へ向かう道を挟むちょうど反対側の緑の丘がうっすらと紅くなり、やがてお日様が顔を覗かす。朝日はいい。いろいろ心配事があったりこころ塞ぐことがあっても、朝日を拝めば、ほかっと安らぐ。
 9月の半ばだというのに、なかなか涼しくならない。秋田の父の話では今週末が稲刈りのピークらしい。きのう、数年前の「よもやま日記」を見ていたら、あまりのくだらなさに我ながら吹き出してしまった。ああ、こんなことを書いていたのかと可笑しかった。太文字ゴシック体を使ってひとしきりはしゃいでいる。きのうはまた、春風社のファンだという女性がみえられた。真剣な眼差しにこちらが緊張してしまう。一日といっても、いろんなことがある。こころもいろいろ。さあ、今日も暑うなるぞう。

めでたい

 折れた鎖骨の治癒の具合を診てもらいに仙台へ。結論。95%の治癒率。パチパチパチパチ…。めでたい。が、新幹線の中で澤木興道『禅談』を読んでいたら、正月「おめでとうございます」と言った弟子に「何がめでたい。何がめでたい」と澤木が詰め寄る場面があり、めでたいもいろいろで、一喜一憂するめでたいとは異なるめでたいを澤木という人は言っているのだなと思った。
 診察が終わり、一ヶ月後の予約を済ませて外へ出る。近くの肉料理のお店で昼食を取るのがならいになっているのだが、数度足を運んでいるためお姉さんたち私の顔を覚え、「ベルト、取れたんですね。おめでとうございます」と声をかけてくださる。「ありがとうございます。いま診察が終わり、そのまま来ましたが、外出するときはまだ着けていなければなりません」
 いつもなら店を出てそのまま仙台駅へ直行するところ、ふと思い出し、大学時代からの友人Wがいる会社に電話。二人ぐらい取り次いで出るのかと思ったら、いきなりWが出たから驚いた。いま仙台にいることをかいつまんで説明し、お母さんに挨拶にうかがいたいがどうだろうかと言うと、W、とても喜んでくれ、実家の電話番号を教えてくれた。さっそく電話し名前を告げるも、すぐには思い出せなかったようだ。大学を出て以来会ったことがないのだから仕方がない。住んでいたアパートがWの家の近くで、あの頃はよく行ったり来たりしていた。
 タクシーで家の近くまで行ったのだが、四半世紀も経っているから記憶の中の景色とすっかり変わってしまっている。角の酒屋に入り道を尋ね、外へ出て歩いていたら帽子を被った女性が片手を額にかざしてこちらを見ている。Wのお母さんだった。
 オレンジジュースとコーヒーをご馳走になる。学校を出てから今日までのことを簡単に説明し、Wとはたまに会うことがあると告げた。ニコニコした笑顔は記憶のまま。いろいろ忙しくしていて一人でも寂しくないとか。間もなくWの弟さん家族が遊びにくる予定で、そのあと、若い時からの友人5人で一泊二日の温泉旅行に出かけるらしい。「人生は短いわよ」ぽつりとおっしゃった。
 大学時代、正月Wが秋田の家に遊びに来たことがあった。豪雪のため電車が陸中川尻で足止めを食い、結局その日は今のJR(当時まだ国鉄)が紹介してくれた秋田市のホテルに泊まった。翌朝、ホテルでWに会い、連れ立って確か男鹿半島へ向かった。思い出したように車の通る人のいない雪道をひたすら歩いた気がする。あれから三十年近くになる。

シンポジウム終了

 「田中正造と新井奥邃に学ぶシンポジウム」無事終了。主催者側の発表によれば、参加者は120名。事前予測が150〜200名だったから、やはり選挙の影響か。
 基調講演で田中正造について語った熊本大学の小松裕氏の報告の中、田中の言葉「真の文明は山を荒らさず川を荒らさず村を破らず人を殺さず」が紹介され、合点がいくと同時に、今のブッシュの文明はまさに「山を荒らし川を荒らし村を破り人を殺す」の感を強くした。また、田中が国会議員だった当事、議員の俸給が800円から2000円に上げられる議案が持ち上がったことがあったそうだ。田中は反対したが議案は通った。田中はその2000円をそっくりそのまま返上したという。田中が政治のために自分の財産をなくしたのに対し、今の政治家は自分の財産を貯め込むために政治を利用する。
 さて、新井奥邃だ。田中正造については今なら教科書にも載っているほどだから、だれでも名前ぐらいは知っている。奥邃となると、まず「奥邃」の字が読めない。おうすい。シンポジウムの質疑応答の時間、質問のために立ち上がった人が何度も「おうついおうつい」と言っているのを耳にし、思想も何もあったもんじゃないなと思った。また、田中について「ひとことで言ったらどういう人物なんですか」の質問は、質問者の人柄と講演者への不満もあったかもしれないが、文字を読み生きた思想と息吹を感じ取ることの難しさを改めて考えさせられた。
 小社からは8名の参加。営業のOさんがシンポジウムの中身が「マニアックで難しい」というから、田中正造は、自分のためにでなく「ひとのために喧嘩した人」、奥邃は「ひとのために祈った人」だと言って納得してもらう。それぐらいなら言える。が、祈ることの力が、祈らない人には分からない。ぼくももちろん分からない。分からないということが『著作集』を読むと分かる。ややこしい。
 地下水にも比せられる奥邃の思想は、ガウディのサグラダ・ファミリアにも似て、百年二百年かかって人の頑ななこころに染みていくのだろう。一言の結論で分かったって始まらない。

 朝起きて、歯を磨き、「よもやま日記」を書き、トイレに行き、風呂に入ってから朝飯を食い牛乳を飲み、足裏マッサージのプレートに乗っかり片足100回両方で200回、それから、骨にいいとされるカルシウムを食べ、尿酸値が高いといわれれば薬を飲み、池波正太郎の『鬼平犯科帳』のつづきを読み、愛する祖父母の写真が置いてあるだけの小仏壇の水を取り替え手を合わせ、テレビでザッと天気予報と昨日のニュースを見てから、さて今日は何を着て行くか。というようなことなので、朝は結構忙しい。本日はまた、まず上記のことをクリアした上で選挙に出かけ、保土ヶ谷駅へ戻って横須賀線の電車に乗って東京へ。地下からエスカレーターを乗り継ぎ地上へ出て京浜東北線で王子まで。「田中正造と新井奥邃に学ぶシンポジウム」に出席する。今日することをしなければ! ふぅ〜

どこへも行ける

 小社のアートディレクター・多聞君が頑張ってくれ、ケータイからこの「よもやま日記」を直接アップすることができるようになった。画期的! 出張、帰省、旅行の度に、まず頭をよぎるのは、行った先にパソコンがあるかどうか、インターネットが使えるか、ということ。出張で「東横イン」を使うことの多い理由の一つにパソコンが常設されていることがあげられる。
 実際のところ、外泊がそんなに多いわけではない。ちゃんと家に帰ることがほとんどだ。それでも、夜十二時の鐘が鳴るときには、翌朝の「よもやま日記」が気にかかり、そろそろ家に帰らなければと冷静になる。
 これからはポケットにケータイを入れてどこへでも行ける。外泊したってかまわない。ああ、なんて自由! じ、ゆうううううううぅ!! この精神的開放感がたまらない。さてと。山へ行くか海へ行くか。

適正在庫

 小社、今月が決算月で、おかげさまで六周年を迎える。創業時からかぞえ、刊行点数が160ほどになっている。アイテム数が増えることは喜ばしいことだが、売れて初めてなんぼということもある。
 柱的刊行物の『新井奥邃著作集』は各巻500冊つくっているが、六年間で各220〜250冊売れた。約半分。まぁ、よくぞここまで売れ部数が伸びたものと内心喜んでいる。しかし、売れないものを長く多く持っていると、資産とみなされ税金の大笑、もとい、対象となるから、目算を誤って作りすぎたもの、返品が予想以上に多いものなど、断腸の思いで断裁せざるを得ない。返品について言えば、作った数より多いじゃないかと錯覚することもあるぐらいだ。
 税金のことを考えれば、本も、作ったらとっとと売って金にしなければならないということだろう。「とっとと」というのはどれぐらいかといえば一年。一年に一回決算がある。だから、本当は長く読み継がれる本など作ってはいけないのだ。百年経っても残る本などと自慢げに、いい気になるのはもってのほか。
 『著作集』について監修の工藤先生が「経営を度外視して…」と志を高く評価してくださるのはありがたいが、そのたびに「度外視しているわけではありません」と反論してきた。単体ではとても採算ベースには乗らないけれど、『著作集』を出している出版社だということでいただいた仕事が十や十五で収まらない。それで良しとしてきた。が、総体として売上が期待したほど伸びず、在庫が増え続ける現状を鑑みれば、そうとばかりも言っていられない。適正在庫ということを真剣に考えざるを得ない。このごろそれが身に染みている。
 問題解決の究極は、売れる数だけ、すなわち注文のある本だけ作る「オン・デマンド印刷」ということになろうが、現状はまだそうなっていない。本作りの仕込み=編集が機械化できないところにその原因があるのだろう。10冊しか売れない本を数ヶ月、はたまた一年かけて作るとなったら、本は読むものというよりも刀剣か書画骨董に近くなり、やがて「なんでも鑑定団」に登場する日が来ないとも限らない。10冊しか売れない、でも10冊は確実に売れる本作り! ふぅ〜。そんな出版商売ってありなのか?

何度でも

 言葉でも状況でも、日によって月によって年によって重なることがあっておもしろい。悪いことは重なる、泣き面に蜂、などという言葉もあるが、重なるのは何も悪いことばかりではない。
 昨日、岡山の衣笠先生から電話があり、なつかしい元気な声を聞かせてもらった。いろいろうかがった中で、ありがたいと思ったのは、ウチでつくった先生の『衣笠澤子の世界 押花・野の花の饗宴』につき、読んでくださった方が何度でも見返したくなる、との感想を持たれるということ。出版社としてこんな嬉しいことはない。また、この度の鈴木みどりさんの『ユウ君とレイちゃん』も、先生ご自身同様の感想を持たれると。先生は、カメラマン橋本照嵩の撮影現場に立ち会って以来の彼のファンで、写真集『北上川』の完成を心待ちにしておられる。『北上川』も間違いなく再読三読に耐えられる、どころか、ページを繰る回数に応じて深く滋味が感じられる写真集になる。
 埼玉の男性から電話があり、若頭ナイトウに「わしゃあ老人だけんども、『大河ドラマ「義経」が出来るまで』ちゅう本をおもしろく読んでおる。おもしろいんで二回読んだんだが、老人じゃからわからないところがあるけん、教えてもらいたいのじゃ。ディオニュソス的とは何のことじゃ」と言ったそうだ。男性、みずから「老人じゃから」と名乗り、あっはっはと笑ったというが、二回読んだというそのことが嬉しかった。
 何につけ、お客さまから教わることは多いが、再読三読に耐えられる本、つまり情報に還元できない、傍に置いて長く味読できる本を作りたい。奥邃は自分の書いた文章について「再読無益なり」と言ったけれども、それはまた別の話。