野毛坂の喫茶店

 横浜市立図書館のある交差点で左へ折れ、坂道を下っていく途中に新しい喫茶店ができた。確か昨年の12月。ランチも出す。夫婦でやっているようなのだが、ぼくと同じか、少し年下ぐらいのご主人は、あまり愛想がない。美人の奥さん(だろう)は普通に話す。
 一度、社の者4人で入ったのだが、その時は、ほかに客が1人しかいなかった。雰囲気も悪くないし、店内に流れる曲も、ご主人の趣味なのか、たとえばオールマン・ブラザーズ・バンドなど、60年代70年代サザンロック調で、悪くない。どころか、いい! なのに、客が入らない。難しいものだと思った。
 きのうの昼、久しぶりに馬車道にある周さん(弟のほう)の生香園へ行ったが、野毛の坂道の途中に、メニューを書いた看板が出ていた。見れば、例の喫茶店のものだった。しばし立ち止まり、中を覗くと、客が5、6人は入っている。ふむ。看板を置いたせいかもしれないと思ったね。
 考えてみるに、坂道を(上りでも下りでも)わき見しながら歩く人はあまりいない。上りの場合は、よいしょよいしょと上っていくのだし、下りの場合は、歩くスピードがおのずと速くなって、坂の途中に何ができたか、などと注意して見る人は少ない。まずは、坂を上り下りする人々の脚を止めさせ、注意を喚起しなければならない。その意味で、看板の効果はあった。(と思う)
 さて、問題は味。これが可もなく不可もなくといった体で、研究の余地ありと見た。
 きのうの目的地、馬車道の生香園で食べた海鮮焼きソバは、いつもどおりの美味。ただし値段が50円上がって1310円也。

ヘソ出し

 小社の営業の新人Oさんが、たまに背中(「背中」という言い方がオジさん臭いと、この日記を読んでくれている知人に指摘された)を、そうと知らずに出していることを、先日ここに書いたけれど、背中(あるいは、腰)どころか、ヘソを含めた腰回り全部を出しつつ(見せつつ)歩く若い女性(無表情)と、会社の近くでしばしばすれ違う。きのうもそうだった。
 こっちは坂の上り。彼女は下り。こっちは黒のダウンジャケットを身にまとい、お〜さむさむ、などと口ずさみながら上って行く。彼女は赤いダウンで、寒さなど意に介さぬかのように、肉付きのいい少し色黒の肌をさらし、ずんずんずんずん近づいてくる。日本人ばなれした顔(カラーコンタクトのせいか)の彼女、よそ見をしない。ぼくはといえば、この寒いのにヒョエ〜、で、どうしても彼女のヘソの辺りに目が行ってしまう。ファッションとはいえ、あの根性は見上げたものだ。電車でも居酒屋でも、ドアがちょっとでも開いていると、そこからヒュ〜ヒュ〜風が入ってきて、寒さがよけいにこたえるものだが、ヘソ出しの彼女、寒くないのか。そんなはずはないだろう。あそこまでいけば、ほとんど修行者の荒行をみずからに課しているとしか思えない。

雪景色

 天気予報が当たって、関東全域が雪に覆われた。わが家が丘のてっぺんにある関係上、谷を挟んで反対側の丘に立ち並ぶ家々の屋根が白く見え、眼を楽しませてくれる。今日は一日天気が良さそうだから、ほとんど消えて失くなってしまうだろう。六本木ヒルズのビルの窓から見る東京の街はどんなだろう。それよりも、今日の校正・校閲が待っている。足を滑らせないようにして出社しなければ…。
 長岡にある政府系金融機関の支店長を務める大学時代の友人M君と電話で話したら、M君、毎日、スーツ姿に長靴で出社しているのだとか。いつも控え目な彼だが、地震後の復旧に当たって、仕事を通じ随分と彼の地のために働いたようだ。それが言葉の端々に感じられる。M君、今日も厚く積もった雪を見ながら長靴で歩いて出社するのだろう。

負けない体

 昨年末から今年にかけて風邪が大流行。わたしも長く引いていたが、ようやく治った。それからは、外出する時は必ずマスクをし、帰宅したらまず石鹸で手を洗い、イソジンでうがいをする。みかんや柿の葉茶でビタミンC の補給も怠らない。そんなことが功を奏してか、二度目の風邪はひいていない。聞くところによると、治ったと思って安心していると、また引き、二度三度引いている方も多いとか。手洗い、うがい励行、マスク着用で健康を維持しましょう。
 というわけなのだが、わが社にOさんという営業の新人がいる。日々、勉強勉強の連続だが、徐々に力をつけてきて、会社として仕事につながる話を持ってくるようになった。連日指導している石橋のおかげと、本人の努力の賜物だろう。ところで、このOさん、風邪を引かない。ほかの社員は順番にみんな引いているのに、彼女だけ引かない。背中が見えても引かない。アハハハハ…。
 営業の棚があり、パンフレット類など上から下まで綺麗にびっしり詰まっていて、一番下の棚から必要な書類を引き出そうとすると、どうしても着ているブラウスやシャツがズボンから引きずりあげられ、背中が出てしまう。寒くないのか。それがたまたまわたしの目に入る。よく注意して見ているわけではない。
 考えてみるに、Oさんの実家は伊勢神宮の近く。子供の頃(高校生まで)は、学校帰りに五十鈴川でよく遊んでいたという。Oさんが、この寒いのに、背中がいっとき露出しても、ほかの社員がぶるぶる震えていても、風邪を引かないのは、伊勢神宮のご加護かもしれない。そうじゃないの? とOさんに尋ねると、小首を傾げ、ちょっと間があってから、「そうでしょうか」。
 いずれにしても、継続は力。一昨日も埼玉まで行き、いい話を持ってきてくれた。頑張れ! Oさん。

サンバの国から

 長岡から、大学の留学生センターで教えている先生が来社され、日本にいる(来る)ブラジル人が日本で暮らすのに便利な、役に立つ本をイラスト入りで作ることになった。日本人によるブラジル人のブラジル人のための本。
 日本には、およそ三十万人のブラジル人がいる。けっこうな数だ。全員買ったら三十万部の大ベストセラー。十人に一人の割合で買ってくれても三万部。百人に一人の割合でも三千部(だんだん気弱)。ともかく、ブラジル人が見て、「ん! この本おもしろそう」と言って、手に取ってくれることが大事だ。
 先生の話によれば、日本で働くブラジル人の多くは、リオデジャネイロなど大都市ではなく、アマゾン川流域出身だという。北上川でなくアマゾン川を見ながら育った人々の目に、今の日本はどう映っているのだろう。深いところを知りたい。想像の羽を伸ばしながら、痒いところに手が届くような本に仕上げなければならない。

無名性

 写真集『北上川』が売れている。書評もつぎつぎ、今度は、『北海道新聞』に掲載された。おもしろいのは、書評のたびに、写真集の中から取り上げられる1枚が全部違うこと。もちろん、各新聞社とも、他社が何の写真を取り上げたかぐらいは知っているだろうから、差別化の意味でも別の写真を使う、ということはあるだろう。そういう憶測をはたらかせても、多くの新聞が紹介し、この地味な写真集が売れて、増刷までしたということには、何らか理由がなければならない。
 取次(問屋)を通して、全国の書店に卸さなかったにもかかわらず、各紙の書評のおかげ(ありがたい!)もあってこれだけ売れている一つの理由は、写真の無名性にあるような気がする。それがこの写真集の大きな力かもしれない。
 企画段階では、無名性ということが販売においては決してプラスにならないだろうと考えていた。ところが、蓋を開けてみればご覧のとおり。
 世の中は、当然のことながら、芸能人や政治家やプロのスポーツ選手のような有名人ばかりで構成されているわけではない。圧倒的多数が、無名のひとびとだ。無名のひとびとの悩みや喜びや日々の移ろい、一言でいって「暮らし」がこの写真集には活写されているから、どこのだれとも分からない人が、ゆっくりとページを繰りながら自分の時間と重ね、言葉ではない情報を得て遊び、楽しんでいるのではないだろうか。
 付き合いのある、ある大学の教授は、専門書と一緒に必ずこの写真集を鞄に詰め込んで持ち歩いているそうだ。

少年

 詩人・俳人の加藤郁乎さんから著者校正が戻ってきたので、さっそく電話。本文の直し無しとのこと。「それにしても、君のつけられた春風社という名はいい。春風というのはね」「はい。ありがとうございます」のやり取りから始まり、「春風」にまつわる句や感想を話された後で、「ところで、三浦さんの声を聞いていると、まだお若いようだが、おいくつかな」と仰るから、「四十八になりました」と申し上げたら、「五十まえ。ふむ。まだ少年だ」と。「これからますます頑張って、いい本を作ってくださいよ」。ありがたかった。
 加藤さんの文章も声も言葉も、まさに春風。伸びやかで広々とした時空に誘い出される。だって、次号『春風倶楽部』特集「こころと体」のエッセイのタイトルが「健康に大和魂」だもの。大和魂のない者は、背骨の入っていない人体のようなものだというのだから凄い! 大らかではないか!