創業以来装丁にこだわってきた。小社の本は学術系のものが大半を占めるが、それでも装丁にこだわるのには理由がある。わたしの独断かもしれないが、一般的に学術系の本の装丁は殺風景だ。しかし、学問研究をこころざすほどの人というのは一般の人と比べ、本が好きという気持ちにおいて引けを取るはずがない。わたしはずっとそう思っている。学術書は中身がよければよい、というのは間違っている。心血注いだ学問研究であればあるほど、内容を演出する装丁が必要なのではないか。
きのうのことだ。来客もあってばたばたとし、わたしはまだ見ていないけれど、メールでの出版の問い合わせがあったそうだ。前から小社が出す書籍の装丁を気に留め、気に入っていると。出版不況の波は収まらず、学術書は売れず、いろいろと情報が飛び交うにつけ、進路を誤りそうになりがちだが、こちらの意図をきちんと受け止めてくださる人がいるということは、本当に励みになる。
いたずら仕掛人kaoriさんの本を作ることになり、きのうは、2回目の打ち合わせ。最初の日と打って変わって、彼女、鮮やかなブルーの浴衣姿で現れた。いたずら仕掛人の本なので、ここで種明かしするわけにはいかないが、いたずらの中身がおしゃれ。書店に並んだ本を手に取り、ん、これはもしかして、と彼女の存在に気付いた人は驚くだろうな。おっと、ここいらで止めないと、いたずらがいたずらでなくなってしまう。
新しい「学問人」の色校正紙が出来てきた。「学問人」は小社の総合目録。畏友・長野亮之介の描いた出色の絵に「学問人」と名付けた。冊子でなく折りたたみ式の「学問人」を広げると何とも壮観! 真理の地下水は滔々とながれ、それぞれの体験を通して汲み上げた水は、一見ジャンルは違っていても共通の輝きと透明度をもち、のどを潤し、暮らしを豊かにしてくれる。そんなことを思って名付けた。
14世帯しか入っていない小さなマンションのため、管理組合の役割分担がすぐに回ってくる。昨年が会計で、今年は副理事長。きのうは理事会。懸案の大規模修繕についての話し合いが行われた。
これまで3社から見積りを取って総会でも検討したが、検討するといっても、住民は誰もそっち方面にかけてはずぶの素人。例えば、タイルの張り替え必要枚数が1社は2000枚を超えているのに、他社は800枚などの違いがある。だから、トータルで値段の安い業者に頼もう、とはなかなかいかない。では、どうするか。ということで、第三者機関に建物を診断してもらう必要があろうじゃないかということになった。
きのうは、修繕の設計を専門にしている業者の方に来ていただき、説明を聞いた。いろいろ説明があった中で特に目からウロコだったのは、素人集団(われわれ住民のこと)が何社から見積書を徴収しても役に立たないということ。なぜなら、上のタイルの例でも分かるとおり、見立てがそれぞれバラバラだから。必要なのは、設計図書(設計図・仕様書・参考数量)を提示し、業者の見積り条件を同一にすること。スタートラインを一定にしなければ見積書を比較しても意味がない。というか、テーブルの上に見積書を並べることはできても比較検討はできない。なるほど。そりゃそうだ。要するに、勝手でいい加減な見積りを出させないためのシバリとして、綿密な設計図書を提示し、それに基づいて業者に見積らせる。ちなみに、次の大規模修繕の時にも生かせるカルテとして、ちゃんとした設計図書を作成するのには3〜4か月かかるという。
小さいマンションながら大規模修繕となれば、1000万を超える額の経費が必要となる。カネの使い道を間違えないように注意しなければならない。
きのうから四谷フォトギャラリーにて開催の「角突き写真展」を観に、夕刻、営業のMさんと一緒に出かける。Mさんは東京女子大学出身。「東京女子大はキリスト教系の大学か。創立者は誰だっけ」「新渡戸稲造です」「新渡戸稲造か。武士道か」「はい。新渡戸の武士道とキリスト教を研究している先生もいました」あくまでもハキハキと返事するMさんであった。「あ、そ。聖書は読んだことあるの」「1、2年生の時、キリスト教学というのがあり、そのとき読みました」「ふ〜ん。勉強で読んだわけか」「はい。三浦さんは聖書を読みましたか」「うん」「どうして読もうと思ったのですか」まっすぐなMさんの質問に答え、聖書を読もうと思ったきっかけやらドストエフスキーの『罪と罰』の話をしているうちに電車は東京駅に到着。エスカレーターに乗り中央線のホームへ。ベルが鳴り、タッチの差で1本乗り過ごす。次の各駅停車の電車に乗り四谷駅で下車。四谷口を出てコージーコーナーのある道を歩くこと7分、目的のギャラリーへ。地下の会場はオープニングに集まった客でごった返していた。ギョロ目の橋本さん、いつもの名調子であいさつをし、8時半、お開き。外へ出ると、むっとした。梅雨はまだ明けない。コージーコーナーで橋本さんからご馳走になり、四谷駅で解散。久しぶりに随分遠出した気がした。
ホヤッキーことクボッキーが、きのう、「早稲田文学」のことを書いていたので思い出したことがある。「文藝春秋」。田舎の少年(わたし)が初めてその雑誌を目にしたのは高校生の時。一年生だったと思う。同じクラスの男子生徒がその雑誌を持ち歩いていた。教科書以外にはほとんど本を読まずに義務教育を終えたわたしが、夏目漱石とドストエフスキーを読み、本ておもしれぇ〜なぁ〜と、ようやく感じ始めていた頃だったから、肩までくる長髪をなびかせ「文藝春秋」を持ち歩く彼は、わたしにとってまるで別人種、異星人のようなものだった。ちなみに、わたしのいた中学では、男子生徒は坊主頭が原則だったから、高校に入り、髪の毛がやっと少し伸び始めていたわたしの目に、長髪と「文藝春秋」はセットで驚異の的として焼き付いた。彼、背はさほど高くなかった。それなのに声は低音で、秋田弁交じりでない、ちゃんとした標準語を話していた。友達になりたいとも思わなかった。ただ、遠巻きに眺めていただけだ。体育の時間は体操着に着替えなければならない。「文藝春秋」が気になって、目で彼を探した。いた! 「文藝春秋」を持たない彼は、なりは小さくひ弱そうなのに長髪だけが目立ち、見ていて、なんだか物足りない感じがした。「文藝春秋」は「文藝春秋」を持つことで真っ当になるのかと妙に腑に落ちた。ホイッスルが鳴った。
アポなしで、いきなり「ごめんください。わたくし、○○社の△△という者です。突然で恐縮ですが、今日は××のお話をさせていただきたくてうかがいました」というのが、いわゆる飛びこみ営業。営業の醍醐味は飛びこみ営業にあるという言われ方もする。
以前勤めていた会社でこんなことがあった。男だったか女だったかも定かでないが(たしか女だったと思う)、会社に入ってくるなり、いきなり歌い出した者がいた。社員一同、何事かと思って飛び出し、変わった営業に目を丸くした。干物を売り付ける営業だった。丁重にお断りし、帰っていただいた。
また、ボサボサの頭、ヨレヨレの服を着た男がフラ〜ッと入ってきたことがあった。「三浦、お前の担当だ」と社長に指示され、なんで俺? と思ったが、「はい」とだけ言って、しぶしぶ応対。人を服装で判断してはいけないが、浮浪者かと思った。ところが、四国のとある有名大学の教授で、用件は出版の相談だった。
紅葉ヶ丘に立つビルの一室にある小社に、いわゆる「変わった営業」の人が来ることは今のところ、ない。「横浜市教育会館」のビル名が一つの敷居になっているのかもしれない。それでも個性は出る。扱う商品やサービスを採用するにしても、断るにしても、一つの出会いには変わりないのだから、気持ちよくいきたいものだ。