部屋

 外から帰ってきて、部屋の明かりをつけ、エアコンのスイッチを入れるたびに思うのだが、部屋全体から醸し出される親和度といったものが、日によって違う。自分の部屋で、自分の好みのものに囲まれ、自分の好みでレイアウトしているにもかかわらずだ。こちらの体調によるのだろう。CDの棚から適当に1枚取り出し、かけてみたら、思いのほかその時の気分にマッチし、少しだけ浮き浮きすることもある。きのうがそうだった。調子に乗って、もう1枚かけているうちに眠ってしまったようだ。

オリジナリティー

 先日、ウチを担当してもらっている税理士の先生と話をしていて、おもしろい(社長を始め社員たちの日々の努力はすさまじいものだろうとは思うが)商売を業としている会社の話を聞いた。伸びているらしい。
 その会社、いろんな製造工場で使う機械の錆び止め、磨耗止めの油を独自に研究開発し商品化、販売している。
 驚くのは、A工場ならA工場で使う機械のためだけに研究開発をする。おおむね、工場で使う機械というのは高価なものが多く、なるべく長持ちさせたいというのが経営者の本音だろう。市販されている機械油よりも数段すぐれているとなれば、そっちの油を使うに違いない。にしても、新規のお客さん(工場)を獲得するのに一年はかかるという。一年かかっても、その油がじぶんところの機械の損耗を防ぐのに最適となれば、もう絶対に他の油は使わない(だろう…)。
 なるほどねぇ。誰もが使い、誰にでも通用する便利な商品を大量生産し大量販売するということもあろうが、むしろ、数は少なくても絶対に必要なものを生産し販売するという仕事もある。参考になった。

『北上川』増刷

 自分で編集しておいて言うのもなんだが、こんなに売れるとは思わなかった。まして、増刷するなんて…。
 小社で写真集を出すのは、『九十九里浜』『東大全共闘』に次いで3冊目になるが、考えてみれば、3冊ともに一世一代のものばかり。それが読む人のこころを打ったのだろう。
 いまは、デジタルカメラ流行りだし、気の利いた写真がネットに溢れている。気の利いた写真が悪いわけではないし、ほのぼのと和ませられたり、日常を切りとって、こんな風にも見せられるものかと驚かせられもする。愛情の示し方が変わったのだろう。が、上記の写真集に収録された写真群は、<気の利いた>写真ではない。しつこく、粘りづよく、深い愛情をストレートに、膨大な人生の時間をかけて撮ったものばかりだ。
 写真集が一人歩きし、みなさんに評価されることは編集者冥利、出版人冥利に尽きるが、ただ一つ、この仕事において、やりのこしていることがある。ロシアの映画監督ソクーロフさんに、この写真集を届けることだ。ソクーロフさんがこの写真集をどう見てくれるのか。きっと響き合うものがあるに違いない。ぜひ感想を聞いてみたいのだ。

竹内レッスン

 竹内敏晴さん来社。編集担当の若頭ナイトウ、装丁担当の多聞君も加わって、本のコンセプトについていろいろ意見を交わす。
 わたしは、この本に「竹内レッスン」という名を冠することと、ライブということにこだわっている。竹内さんがやってこられたこと、今やっておられることの亜流のようなものをよく目にし、耳にするからだ。竹内さんのは全然違う、という感じと意識がわたしにはある。それと、ライブ。
 学校でも塾(行ったことも見たこともないので想像でしかないが)でも、どこでも、まずは最も簡単なAをして、それを終えたらBにかかり、それもクリアしたらCにかかる。はい、よく出来ました、となる(のではなかろうか)。何かをおぼえ、何かをするのに役に立つための方式というのは概略そういったものだろう。竹内レッスンは違う。単純に言って、竹内レッスンは何かの役に立つか。何か有効性をもちうるかというと、レッスンに参加したそれぞれが結果的に、今まで他では気付きもしなかったことが、レッスンに参加したおかげで気づいた、というようなことはあるかもしれない。(そして、それは、その人のその後の人生にとってとても重要なことだったりする。)が、参加すれば、ぴかぴか光る資格が与えられたり、こんな難しい数式をアクロバット的に難なく解けるようになりますよ、なんてことはまずない。だいたい、そんなところに竹内さんは立っていない(と思う)。
 竹内レッスンは、1回1回だ。1回こっきり。その場で(ほかのどんな社会的な場とも違って)どう生き切るかということに竹内さんはかけ、場も、そういうふうに集中していく。竹内レッスンでは、こんなことをやりますよう、と、望遠鏡でも覗くようにして、やってることを言葉であらく説明することは出来ても、現場で起こっていることは全く違うということは多いのではないか。
 そんなことを考えると、今用意しているこの本、本にならないことを本にしようという、無謀な行為かもしれない。でも、そのせめぎ合いが大事なんだと思うし、これを本にするなら、それぐらいの気概がないとダメだろう。

寒気団

 ここ数日で急に寒くなり、各地で記録的な雪を降らせているようだ。寒い季節に寒い土地で生まれたわたしは、雪は好きだが、寒さが苦手で、いつも着膨れして歩いている。きょうも相当寒いらしい。
 以前、新聞で読んで大笑いしたことがあった。「シベリア寒気団」という言葉があるが、これをサーカスの一座(たとえば、ボリショイ・サーカス)と勘違いして憶えていた人がいたというのだ。ほんまかいなとも思ったが、語呂から言ったら、いかにも強そう、凄そうで、いかにもこいつには勝てない気がしてくる。

スルメの味

 昨日、千葉の小関さん(『九十九里浜』の写真家)のスタジオを訪問し、打ち合わせ後、車で最寄りの駅まで送っていただいた。途中、イチゴを生産している農家に立ち寄り、イチゴをお土産に持たせてくださった。この時期、あんな甘いイチゴを食べれるとは思わなかった。
 さて、上りの電車までしばらく時間があり、駅でぶらぶらしていたのだが、暖房があるわけではなく相当寒さが身にこたえた。不意に、子供の頃、祖父に連れられ羽後飯塚駅(今もある)で汽車(電車でなく)を待っていた時、祖父がいきなり、コートのポケットからスルメを出して、手で千切り、駅備え付けのダルマ・ストーブの上に置いて炙ったことを思い出した。
 ガンガンに燃えるダルマ・ストーブの上で、スルメはすぐにくるりと丸まった。天井の高い寒々しい駅の待合室が炙ったスルメの匂いに満たされていく。焦げ目がついて丸くなったスルメを祖父はあたりまえのように摘まみ、さらに細く千切ってわたしにくれた。わたしは、ほかの客の目が気になったが、なんとも言えぬ炙ったスルメの匂いには勝てず、口中にはすでに唾が溜まっていた。
 祖父にまつわる思い出としてベスト・テンに入るぐらいのものだが、いつも不思議に思うのは、あの時、なぜトモジイ(祖父のこと)はスルメをポケットに忍ばせていたのかということだ。買物をしての帰りだったら分かる。そうではなかった…。先々を考えて行動するタイプの人だったから、駅に行けばガンガンに燃えたダルマ・ストーブがあると見越して、家にあったスルメをわざわざ携えて行ったものだろうか。

コート

 ニ十年は経たないだろうが、高校に勤めていた時に着ていたものだから、まぁ約ニ十年前に買ったコートを持っていて、じゅうぶん元を取ったから、捨てようか、いや、いいものだから修繕しながら着れるだけ着ようのこころで、ここまできた。それを箪笥から出して、それと合う帽子を選び鏡の前に立ったら、そんなに可笑しくない。
 というわけで、その格好で会社まで歩いていった。が、実際着てみると、かなり痛んでいて、左袖のボタンは取れているし、正面のボタンの傍に虫が食ったのか、小さな穴まで開いている。会社に着いて、総務イトウを呼んだ。「こことここ、直してほしいんだけど…」。
 思い返せば、家庭科が苦手だった。小学校の時、宿題を出されると、だいたい母に頼んで適当にやってもらって提出していた。そんなことをしている暇があったら外で遊ぶほうがよほど好きだったから。なので今回もイトウに頼んで修繕してもらったのだが、「はい」と言って渡される時、「今年の冬着たら、もういいんじゃない」と釘を差された。