謙虚さ

 四月に入り、これまでアルバイトをしてきた二人は正社員に、また、過日募集をかけた編集要員もそろったので、小社の今後の方針について思うところを語り、説明した。要するに、編集主導型で来た社の体質を営業主導型にもっていくということ。会社を存続させていくためには、一にも二にも営業だ。いい本を作り並べておけば黙っていても売れる時代(そんなふうに見えるだけで、見えない苦労や工夫があったればこそなのかもしれないが)はとっくに過ぎた。だからと言って、粗悪な本を作りガンガン売るという意味ではない。いい本を作ることはあたりまえ、倦まず弛まずの木目細かい日々の営業が大事ということだ。そういうことでは、編集者も営業のセンスが問われるだろう。物を売ることの難しさ、仕事を取ってくることの難しさを誰もが謙虚に考え工夫を重ねなければならない。

ピンク

 とぼとぼと歩いていた。ふと見上げると、階段の上のほうをミニスカートに黒いストッキング姿の女の子がいる。女子中学生や高校生は、よくカバンで後ろを隠しながら階段を上っているが、隠さなくたってそうそうスカートの中まで見えるものではない。鏡を使うなどもってのほか、体力も気力も勇気もこちとら持ち合わせていない。
 話が逸れた。くだんのミニスカートの女の子(顔を見てないので「子」かどうかは分からない)だ。ストッキングは太腿ぐらいまでの長さで必然、ミニスカートとの間の裸の太腿が見える。それはそれでわたしの目を楽しませてくれたとしても、眼を剥くまでには至らなかったはず。
 わたしの目が奪われたのにはわけがある。ストッキングの端、太腿にきつく当たる部分が目にも鮮やかなピンクだったからだ。ミニスカート、黒のストッキング、端がピンク、裸の太腿。しかもピンクの部分はどうなっているのか、片脚が7、8センチほどの厚さと思われるのに、もう一方の脚は5センチほどで、あれは意識してバランスをくずしているものなのか。訊くわけにもいかず、へぇーと思って、その時は見遣っただけで終わった。
 ホームで電車を待ちながらきょろきょろしたが、ピンクの子はどこにも見当たらなかった。ほどなく桜木町止まりの電車が来て、ドアがわたしの前で止まり、降りる客がすべて降りた後からポンと乗った。一駅だから立ってたってかまわないのだが、日の当たるシートを選んで座った。体をねじって外の景色を見ようとしたとき、同じ車輛の端のほうにピンクの子を見つけた。特別な感懐は抱かなかったが、ただ、階段の下から見たときとは全体の印象が違っているように感じた。
 昨日。朝だ。桜木町の駅で電車を降り、芋洗い状態で階段に差しかかり、足下に気をつけて階段を下りた。数段下りた頃、芋洗い状態が少しずつ解消されていく中、階段の先に、若い(たぶん)カップルが身を寄り添わせているのが見えた。相手の男のことはどうでもよく、ぼくの目は黒とピンクのストッキングに釘づけになった。
 階段を下りきっても、ふたりは相変わらず身を寄り添わせている。その瞬間にわたしは気づいた。今の今まで、目にも鮮やかな黒とピンクのストッキングを穿いている子を同一視していたことが大きな誤謬であったことを。
 印象がそれぞれ違っていたのは当然。おそらく三人とも別人物だったろうから。
 最初に目に焼き付いてから、わたしは特定のその子だけのファッションと勝手に決め付けていたのだ。流行なのか知らないが、これから幾度も目にするだろう。愚かな自分をさらしてしまった。それはそれとして、アレの似合う子はそんなにはいないと思うがどうだろう。

大菩薩峠

 言わずと知れた中里介山の未完に終わった怪物のような長編小説。今なら筑摩文庫で全20巻か。なぜ怪物か。長さにおいてはもちろん、面白さにおいて、着想のユニークさにおいて、なんでもあり加減において。デンブデンブと白いものが浮いている沼に下りていったら、それは女の尻であった、などというのは、笑うべきところなのか怖がるべきところなのかよくわからないが、とにかく、介山恐るべしなのである。
 賢治は『大菩薩峠』オマージュの詩を書いているし、島尾敏雄は新聞に発表されていた時代から切り抜いてそれようのファイルを何十冊も作っていたというではないか。とにかく、ものすんごく面白いから、わたしはある時から会社で皆に読め読めとさかんに薦めるようになった。文章のノリ、テンポのよさ、スピーディーな物語の展開、講談調の名調子を味わうだけでも意味があると思ったからだ。それに答えて、さすが春風社、みな読み始めた。そして皆、おもしろいおもしろいという。ところがいかんせん長い。長過ぎ。怪物のような小説であって『失われた時を求めて』よりも長い(たぶん)。であるから、なかなか完食ならぬ完読、読了までには至らない。結局わが社で読み終えたのは、今のところ、たがおのみ。あとはみな途中まで。きのう尋ねたら、営業のOさんが14巻まで読んだそうだ。えらいっ! 「どうだ」「はい! おもしろいです!」「そか。えらいっ!」
 というわけで、わたしの最大の愛読書なんだす。編集者募集も終わったことなので明かすと、「好きな本は何ですか」と質問し、「介山の『大菩薩峠』です。全巻一気に読みました」なんていうつわものが現れたら、一発採用かも知れない。いや、ほんとに。小社の募集は不定期なので、就職活動をされている皆さんにとっては、なんとも心もとない話とは思うが、就活は置いといて(無理か)だまされたと思って読んでみてくださいよ。ほんとにほんとおもしろいから。日本にこんなおもしろい小説があったかというぐらいにおもしろいから。それにしても長い。

1週間コース

 風邪です風邪。4月に入ったというのに、けっこう引いている人が多いみたいですよ。
 ぼくの場合、先週の月曜日、朝起きたら、ん!? ノドの調子が… という状態から始まり、日に日にだんだん痛くなり、こりゃダメだ、ってんで、かかりつけの医者へ行きノドを見せたら「真っ赤ですねぇ」と言われた。薬を処方してもらい、処方通りまじめに飲むも一向に回復の兆し無し。金曜日、社屋を出たら、ダウンジャケット、マフラー、帽子と、完全防備の格好にもかかわらず寒くて体が震えた。タクシーで小料理千成へ行き夕飯を食すも、いつもならご飯をお替りするところ、1杯が限度。家に帰って暖房をつけても寒くてダウン脱げず、帽子取れず、マフラー外せず。それから熱が出て、計ったら37.7度。平熱が低めなので、37.7度は相当高く、自覚的にはかなり苦しい。薬を飲み早めに就寝。朝起きたら、ん!? 熱が下がっている。ところが胸のあたりがなんだか変。ゴロゴロする。体を起こしたら大きな咳が出て痰が出た。体の節々が痛いと来た。
 以上、今回のわたくしの風邪、1週間コースの内容報告でした。若い頃なら「ん。ノドいてぇな」と感じても3、4日で発熱もせず治ったものなのに、そういうわけにもいかなくなったということで。歳だねぇ、歳。
 ええ、けさは快調です。コースの締めくくり、体の節々の痛みもどうやら収まった感じ。ここで油断しちゃいけないんだな。きのうも、部屋のカーテンを開けたらドバッと日が差し、おおっ、こりゃ暖かそうだねぇと思い、いつもより薄手のものを着て出社。そうしたら、帰りは風がピューピューで寒かったし。この辺の塩梅がほんと難しい。

春眠

 今日は春らしい、いい天気ですねー。なんたって4月ですものね。エイプリル。ぼくがこれを書くためにパソコンに向かう前から、また近所の三毛猫がベランダのいつもの棚に陣取り、前足を伸ばして棚の縁にかけ、なんともだらしない格好で寝そべってますよ。気持ちいいんでしょう。正月1週間ほど部屋を空け、水遣りを心配した木々たちもそれぞれ新芽を吹いて眼を楽しませてくれています。ツルウメモドキもここ2、3日で黄緑の葉を広げ、ほほ、元気元気。さてと。今週はどんな1週間になるのやら。ちょっとひょっこりひょうたん島な気分の朝です。♪ぼくらを乗〜せて どこへ〜ゆ〜く〜〜〜〜、か。

最終面接

「どうぞ、こちらの席へ。どうぞどうぞ」
 ということで始まった今回の最終面接者。女性。黒のスーツをピシリと着こなしている。左目の下まぶたにほくろがあり、チャーミング。関係ないか。いや、大いに関係ある。あのほくろ、千昌夫のように眉間にあったらどうだった。印象はがらりと違っていたはず。
 こちら(専務イシバシ、武家屋敷ノブコ、わたし)の質問にハキハキ答え、若さが迸るようだ。声の大きさもいい。けして流暢というわけではない。どんな質問にも集中して答えようとする姿勢が感じられる。
「ここはご覧のようにオープンスペースで、面接に限らず初めてのお客さんは皆に監視されているようで相当緊張を強いられるようですが、いま、緊張していますか」
「いえ。居心地がいいです」白い歯がこぼれた。
「編集者募集の期間が終わってからの応募だったわけですが、ホームページをご覧になってどういう印象を持たれましたか」
 応募があったとき電話に出たイシバシに、彼女は、わたしが書いた文章と武家屋敷が書いた文章に感動したと言ったそうだから、そのことを踏まえて、同じ質問をしてみた。
 すると、
「……こういうことを言ったら失礼かもしれませんが、経営が……難しいだろうなぁと思いました」
 は。……。場内、いや、社内、爆笑のうず。わたしも思わず大笑い。経営困難経営困難。その通り。安定志向なら出版社は受けてはならじ!
 すると、彼女、
「経営が難しいだろうのに、作りたい本を楽しみながら作っている、そういう印象を受けました」ふむ。うれしいことを言ってくれるじゃねえか。
 最後にイシバシが「ここにいらっしゃるのが最後かもしれませんから、何かおっしゃりたいことがあったらどうぞ」と水を向ける。
「……わたしはこれまで直感で生きてきた人間です。……春風社はわたしに必要と強く感じました。……ここで働かせてください!」ぺこり。
 来週から働いてもらうことになった。

虚と実

 小社創業の頃の大きな仕事に『心理学|梅津八三の仕事』があった。収録した講演の記録のなかで梅津は、重複障害をもつ子供たちを前にして、手をこまねいて見ているしかなかったことが自分の学問の始まりと語っている。その梅津に「虚」と「実」についての興味深い言葉があったことを思い出し、旧友であり、『心理学|梅津八三の仕事』でいっしょに仕事をした中澤さんに電話で確かめた。正確に知りたかったからだ。中澤さんは、わたしが不正確ながら「虚」と「実」についての梅津の言葉を記憶していたことに驚き、ありがとうと言った。ありがとうはわたしのほうで、素直にうれしかった。
 実に居て 虚に遊ぶべからず
 虚に居て 実を行なうべし
 橋本さんから送られた膨大な写真群を1枚1枚めくっているうちに不意に思い出したのだ。おととい、橋本さんが来社された折、上の言葉を伝えた。橋本さん、何度も口にし、噛み締め、言葉の意味を味わうようであった。
 きのう、橋本さんからFAXが入った。梅津八三の言った言葉を正確に知りたいから、もう一度教えて欲しいという。橋本さんにも響いたのだなと思った。