ブリッコの一粒ごとの帰省かな
福村出版の宮下基幸さん来社。仕事で横浜国大へ行った帰りに寄ってくれた。
宮下さんは、以前わたしが勤めていた出版社の同僚。会社の倒産を機にフリーの編集者として仕事をし、縁あって明石書店に入社、さらに明石書店の傘下に入った福村出版をまかされ、現在は取締役。育ちが良く、責任感の強い人柄を見こまれての抜擢だったのだろう。
横浜駅で、わたしは横須賀線下り、彼は湘南新宿ライン上りで同じホーム。
わたしの乗る電車が数分早く到着したので、握手をして電車に乗りこんだ。なだれ込んで来る人でごった返し、宮下さんの姿は間もなく見えなくなったが、ドアが閉まり発車するとき、ひょいと見たら、彼は伸び上がって手を上げ、また頭を下げた。宮下さんだなーと、嬉しくなった。
焼いで良し煮で良し鮨良し神の魚
びょうびょうの時を払ひし大晦日
小社が入っている横浜市教育会館の隣りがホテル開洋亭で、昨年から取り壊し作業が続いている。その後ろが伊勢山皇大神宮。開洋亭と伊勢山皇大神宮は何らか繋がりがあると聞いたことがある。だとすれば、神様も自分のところは救えなかったということか。
それはともかく。仕事始めには例年、伊勢山皇大神宮に社員総出でお参りし祝詞をあげてもらう。昨年はキルディーンのこともあったから、それのお礼参りも兼ね。
いやはや驚いた。さもありなんとは思っていたが、予想をはるかに超える人でごった返し、破魔矢やお御籤を売るための臨時の販売所まで設えられていた。いま賑わっているのは、ハローワークと神社仏閣とヨドバシカメラぐらいか。こんなにみんな苦労しているというのに、税金の無駄づかいばかりしていながら政権抗争にうつつを抜かす政治家どものツラを思い浮かべると、腹の底から怒りがもたげてくる。政治家は、政治の一つもしたらどうなのだ。
雀の子さえずり交わす大晦日
ハダハダの腹を破りしブリコかな
? 秋田駅。上りエスカレーターが頂上付近に差し掛かったところで振り向くと、少し腰の曲がった母がこちらを見上げて手を振ったこと。
? 小学四年のときの担任の伊藤君枝先生が度の進んだ眼鏡をしていて、眼が大きく見えたこと。
? 町の後輩J君の家を訪ね、J君の記事の御礼を述べたとき。おふくろさんは板の間に正座し、しきりにお辞儀をし、おやじさんは愉快そうに体を反らせ大笑いしたが、二人の所作がJ君を髣髴とさせたこと。
? 小学一年のときの担任の伊藤陽子先生を訪ねたとき、先生の息子のお嫁さんがわたしにお茶を注いでくれたのだが、腕に水滴が着いていて、目を奪われたこと。
? 父と弟と三人で町一番のスーパーマーケットへ行き買い物をした。弟は、「ここのヤキトリ、美味いんだ」と言って、ヤキトリを籠に入れた。夕飯になり、弟は、わたしの皿にトリ皮の串を一本よこした。食べてみなよの合図だったろうか。
? 大晦日の日、父は、ハンチング帽を買ってきた。母に冷やかされたが、被った自分の姿を窓に映してみて、まんざらでもない様子であったこと。
? 今朝、柚木の夢をみたこと。
以上、順不同。
ここ数日のあれこれをアトランダムに記憶していて、こんな風に書きでもしなければ、きっとすぐ忘れてしまいそうな儚いものだとは思うけれど、ノーベル賞をもらうような作家や科学者でも、歴史に名をのこすような詩人でも、世界にどれだけ触れられるのだろう。できるのはせいぜい索引作り。
儚い瞬間は、結局どんな媒体によっても、とらえることができないのではないだろうか。そこには、人の手で触れられない何かがある。瞬間瞬間の緊密で再現不能の景と動作は見事というしかない。きっと、それでいいのだ。
ハダハダを干して炙りし祖父の指
凩や股中眼(まなこ)の土佐源氏
今年最後のよもやまは、春風社から出した西村淳さんの『面白南極料理人』が映画化されることになったお知らせで締めくくりたいと思います。
映画のタイトルは『南極料理人』、監督・沖田修一、主演・堺雅人。
「極限の地での男たちの笑いと食文化の奥に、遠く離れた家族を思い、長期出張サラリーマンの悲哀を感じた」ことが映画化決定の理由だとか。
原作者の西村さんは確かに家族思いの人情味溢れる方。今年『篤姫』の夫役で名を馳せた堺が西村さんの情愛の深さをどんな風に演じるか見物です。
映画は来年8月公開予定。撮影は、北海道の網走などで来年1月から行われます。
ATM冬が隠れて操作せり
*春風社は、明日(12/27)より来年1月4日までお休みをいただきます。よろしくお願いします。
皆様、どうぞ良いお年をお迎えください。
鈴の音や枯葉舞台の土佐源氏
年賀状書きは一仕事で、賀状を送らないことにしている人の記事をネットで見ると、羨ましい気持ち半分、負け惜しみを含め改めて年賀状の意義を再確認すること半分で、よーしと気合いを入れ、葉書に向かう。
この人に書くぞ、と決めたら、その人を思い浮かべ、その人に対しての一年の感謝の思いと来る年の幸をこころに念じ、うんうんと唸り、短い一言を搾り出す………って、これじゃあ、まるで念賀状だ。搾ったことばを葉書に刻んだら、おもむろに裏返して宛名を書く、という具合。重い。重すぎる!
かるくかるく、さらっと行こうと方針を変え、昨年から、賀状を出そうと思う人の宛名を先に一気に書くことにした。武家屋敷がそうしていたのを真似たのだ。それを束ねて持ち歩いているうちに、そうだ、あの人にはこのことばを送ろうと、不意にひらめくことがある。搾ることばではないことば。
宛名を先に書く。ただこれだけのことなのに、賀状を書くことに対するこころ構えというか、ハードルの高さが随分ちがう。
木枯らしや菰舞い上がる土佐源氏
まぐわいの背なの枯葉の土佐源氏
こんな夢を見た。
仲間数人で旅行をしているらしかった。小柄で可愛いAさんと背の高い痩せぎすのBさんもいた。小早川先生もいる。小早川先生は、以前勤めていた学校の同僚で、体育の教師だった。誰もこばやかわせんせーと呼んでいたが、本当は、こはやがわなのだった。
旅の途中の休憩時間のようだった。若いAさんとBさんが連れ立って出かけ、程なく魚介の串焼きを持って帰ってきた。皆で木のテーブルを囲み、まだ湯気の立っている串焼きを頬ばった。一個ずつではなんだか物足りなかった…。
わたしは、「ちょっと買ってくる」と言って席を立った。AさんとBさんが戻ってくるまでの時間からみて、すぐ近くにそれと分かる店があるのだろうと思ったのに、なかなかそれらしい店が見つからない。時計を見ながら歩を速めた。だんだん背中が汗ばんできて、ケータイで訊こうと思ったら、ケータイを持たずに来てしまったことに気づいた……、と思ったら、小銭入れの中にケータイが入っていて、ほっとした。Aさんに掛けようと思ったが、ちょっと考えて、ためらわれ、武家屋敷に電話した。今の会社の同僚も何人か参加していた。
武家屋敷に確認したら、ここを出発するのは八時だという。念のためわたしは、夜の八時か、と訊いた。夜の八時だという。安心し、それでもわたしは歩を緩めなかった…。
賑やかな声が聞こえてきて、どうやら運動会の最中なのだった。運動着姿の男子に、運動会かと尋ねると、スポーツ大会ですと答えた。運動会とスポーツ大会ではどこが違うのかと訝ったけれど、それ以上は尋ねなかった。ただ、少年の性格の一端が分かったような気がした。
柵を超え小走りに坂道へ向かうと、ちょうどリレーのランナーがやってきたので、わたしも走った。勝てそうな気がした。が、一緒に走ってみると、彼は見た目以上に脚が速く、とても勝ち目がないことはすぐに分かったから、わたしは、走るのをやめた。また元の道路脇に戻り、歩いて坂を上った。見たことのある風景だと思ったら、青葉山なのだった。学生時代をここで過ごし、三ヶ月前、Aさんを連れてここに来ていたことを思い出した。
枯藁のコ嘗めし御方や土佐源氏
火葬場の煙り立ち消ゆ冬の月
出版人でありながら、学術図書出版社の社長でありながら、いつも全国の図書館様のお世話になっているにもかかわらず、社員には、図書館へ行って借りてくればいいじゃないか、県立図書館だって市の中央図書館だって目と鼻の先にあるじゃないか、すぐに行って借りて来い!(そんな命令口調ではありませんが)なんて言っているのに、お恥ずかしい話、わたしは個人的にあまり図書館を利用したことがない。すまない。子供の時からそうだった。人から物を借りることを潔しとしない、なんとなく。とくべつの理由はない。ただなんとなく。借りたとなると、返すまで、気になって気になってしょうがないのだ。地下鉄の電車をどこからどんな風に入れたのか、気になって夜も寝られないという漫才ネタがあったが、まさにあんな感じ。
先週、仕事上の必要があって、ジャック・プルーストの『フランス百科全書絵引』を横浜市の中央図書館に借りに行った。大型本で片手で持ち上がらないぐらいの重さ。館外貸し出しはしていないという。だろうなあ。その足で県立図書館へ。所蔵しているものの、やはりこちらも館外貸し出し禁止。ただ、係の女性が、神奈川県内の他の図書館を調べてくれ、館外貸し出しを許している館もあると教えてくれた。ここで手続きをするよりも、市の中央図書館に連絡したほうが届くのが早いと思いますよ…。
社に戻り、市の中央図書館に電話をし、その旨伝え、他の館からの貸し出しを予約。
翌日、電話して、入ったかどうかを確認したら、まだだという。また電話します、と言って切ろうとしたら、パソコンをお使いですかと訊かれたので、はい、使っています。それでしたら、こちらのホームページを開いてパスワードを登録されますと、予約本の入荷状況がパソコンでご確認できますが…。
というわけで、さっそくパスワードを入力した。「ただいま準備中です」のメッセージが出た。なるほどねー。いちいち電話しなくても分かるわけか。
一時間ほどして、再びホームページに入りパスワードを入力、予約状況を確かめると、「準備ができました」とメッセージが替わっている。ふーん。なるほど。便利なものだ。
いそいそと中央図書館に出向き、件の本を借り出した。歩きながら考えた。そか。図書館がこんなに便利なら、しかも歩いて1、2分のところにあるのだから、利用しない手はない! よーし。こうなりゃ、家にある本をぜーーーーーんぶ売っぱらって、本はすべて図書館から借りることにしようかな。そうだそうだそうしよう。家も広くなるし、売ったお金でまたオーディオを買い替えられるし…。そうだそうだそうしようそうしようったらそうしよう。
なんてね。こういう気分の変り方が、後先考えぬ単純な変り方が、わたしの一番いけないところ。分かってはいるのだが。
ところで、図書館がこんなに便利だっちゅう(古!)ことは、県内の図書館の蔵書がこんなに便利に借り出せるということは、本は買わずに借りるもの、と考えるのもうなずける。出版社としては考え物だ。
物言えば唇寒いぜバカ総理