人間

 新幹線こまち号にて14時02分秋田駅着。5分の遅れ。
 いつものように父と母が迎えに来ていた。夏と冬にしか帰らぬせいか、年々若者の身長が伸び、それとの対比のせいか、改札を抜け、サッと手を上げ合図を送ってよこす二人の印象が、帰るたびに少し縮んでいくようで、さびしい気がする。父はますます亡くなった祖母に似てきた。血は争えない。
 父がクルマを運転し、母が助手席。これもいつも通り。わたしは後部座席。飯島の回転寿司店にて遅い昼食。わたしは適当に回っているものを取ったり、カウンターに貼ってあるメニューを見て、中の板前に頼んで好みのネタを握ってもらう。それぞれが5、6枚食べた頃、だれも頼まないのに、甘エビが3枚さっと出てきた。母のほうを見ると、悪戯っぽい眼をしてニコニコしている。
 勘定を父が払い、外へ出ると、母が、来ると必ず甘エビを頼むことを知っている板前が、甘エビを食べないうちは帰らないだろうと思って出したのさ、と笑った。そんなこともあるまいよ、と、父が言う。
 それからまたクルマに乗って、途中、最近出来たばかりの郊外型(って、どこに作っても秋田の場合、いずれ郊外型なわけだが)の大きなスーパーマーケットに寄って正月客用料理の材料を買う。帰ったときぐらいは母を手伝うつもりで、わたしが料理しやすいものに。
 夜、母が用意してくれた料理を肴に父とビールで乾杯。よく来たな。うん。
 父は前みたいに、いつになったら秋田に戻ってくるつもりかとは訊かなくなった。この頃は、せっかくふるさとがあるのだから、15年20年経ったら帰ってくればいいじゃないかと、随分語気が和らぎ、詰問調から懇願調へ変化している。「人間到る処青山あり」の気概で、骨を埋めるのはどこだって構わないと息巻いてきたが、いつまで生きられるわけはなく、そんなに気張る必要もないなと思い始めている。
 年末、コットンママが貸してくれた呉智英『言葉の常備薬』に、上に引いた僧月性の詩のことが載っていた。「人間」は「ニンゲン」でなく「ジンカン」と読むべきで、この世、の意味と解説されている。漢籍では「ジンカン」と読む。もっとも仏典では読みは「ニンゲン」でも「ジンカン」同様、この世、の意味であったのが、現代の日本ではヒトの意味に転化したのだという。
 危ない危ない、知ったかぶりして喋らなくってよかったよ。青山が骨を埋めるところの意とは知っていたが…。青山がどこにあろうと勉強を怠ってはいけないということか。

旭日

 明けましておめでとうございます。さて、明けてこの2005年、まず、創業の年に始まった『新井奥邃著作集』最終巻刊行の年であることを改めて肝に銘じたい。収録予定の「聖書との対照表」「キーワード索引」は共に、今後、新井奥邃研究を進める上で大きな土台石となるだろう。この二つを作るために、これまでの巻があったとも言える。こころしてかかりたい。
 会社は既に6年目に突入しており、いつまでも初心者然としているわけにはいかなくなった。手を上げて「こんな人たちが本を作ってまーす」と叫んできたけれど、そろそろ、くるりと後ろへ回り、本そのものを大海へ押し出す時期に来ているのだろう。勉強すべきは勉強し、きめ細かい仕事をしたい。
 と、気張って始まりましたが、ひとも会社もやっぱり面白いや。生きている。ということは、変化する。関係の中で変化していく。それが実感できることが面白い。昨日飲みに行った居酒屋「だんらん」のマスターに、正月はいつからの営業ですかと尋ねたら、3日から、とのこと。頑張りますねえというと、好きでなければ出来ません…。まったく。でも、今日の日ぐらいは仕事に感謝する時間とし、骨休めしよう。ね、マスター。
 では、これから秋田へ行ってきます。
 お、朝日が昇ってきた。すげーすげー! きれー!! 屋根は雪。

好悪を離れ

 大晦日なので、わたしなりに一年を振りかえり思ったことを書いて締めくくりたい。
 ひとのことが一番難しく面白く痛い。誉められればうれしいし、貶されれば口惜しい。皆最後は死ななければならないのに、なぜ細々したことに一喜一憂するのか。それでも時がたてば、喜も憂も薄れるから不思議。よく出来ている。薄れることは哀しく切なくもあるけれど、夕暮れのような甘さもある。
 先日、晶文社のKさんからいただいた図書新聞のコピーを読んでいたら、谷川健一さんがインタビューに答え、陸と海の境をなす渚が失われることは、昼と夜の境である夕暮れが失くなることにも似て、日本人の精神から暮色が失われることと同質だと語っていた。さもありなん。
 小津安二郎の映画に『東京暮色』がある。小津映画にしては珍しく暗い映画だが、あのキラキラ燃えるような命そのものとも思える有馬稲子演じる明子の眼は、命もろとも暮色の中に露と消えた。わたしが生まれた昭和32年公開の映画。
 理路整然と物を言うこと、臆せずにはっきりと物を言うこと、自説を強く主張することは大事だ。凄いと思う。自分の言ったことでも他人が言ったことでも、昼のそういう言葉を思い出しながら、夜、ひとりで酒を飲み、背景を考えてみる。昼、強い言葉を吐く人は、夜、どんな顔をして床に就くのだろう。泣くことはないのか。泣かぬほど乾いてはいないか。
 性のことは書くのが憚られるほど、やはり大きい。「はばかる」をはっきり「はばかる」と書けばいいのに「憚る」と、ちょっと読みにくい厳めしい字をつかって後ろに隠れようとする。これについて上手に書けるほどこころが発酵していないということなのだろう。
 死の直前、父に体を拭いてもらうとき、震える両手でまだ性器を隠そうとしていた祖父の痛々しい姿が目に浮かぶ。
 おカネか。これも、ひとの次ぐらいに難しい。いや、それで首を縊るひとも後を絶たないから、一番なのかもしれない。出来ることなら税金は払いたくない。コレ正直な気持ち。
 さて来年だ。疾風怒濤の年になるだろう。総合的直感(!?)がそう言わせる。疾風怒濤を乗り切るのか、くぐるのか、押し切るのか、その反対もあるから気をつけなければ。波乗りジョニーのように、遊びごころを失わず楽しみながら行こう。
 みなさま、どうぞよいお年を。そして、来年もよろしくお願いします。

黄金の海

 写真集『九十九里浜』の著者・小関与四郎氏に会うため、千葉県横芝へ。専務イシバシと晶文社の編集者Kさん同行。奥様が朝から用意してくださったとかで、餅料理を鱈腹ご馳走になる。美味。有難し!
 その後、九十九里浜を含め、広く房総半島をテーマ毎に撮った写真を見せてもらう。特に、鯨の解体写真には息を呑んだ。かつて新聞に写真と文章を連載した時の記事も拝見したが、ナマの写真の迫力はまた格別。血ぐるみになって巨大な鯨を解体していく作業工程は、鯨を解体しているのか人間が解体されているのか区別のつかぬ、いわば一蓮托生の世界を表現しているとも思える。
 小関氏がクルマでハマグリを買いに行くというので、同乗させてもらう。市場にて小関氏、3キロ(!)のハマグリと大エビを買い、写真スタジオへ戻る。奥様がさっそくガスコンロをセットし焼いてくださった。われわれ3人、ひたすら食べるのみ。
 焼いたハマグリに垂らした醤油が何とも言えぬ香ばしい匂いを発し、否が応でも食欲をそそる。旨かったあ! 餌を待つ小雀のように皿をチャンチャン鳴らして待機するわれわれに、奥様が、あるときはテーブルを右回りに、またあるときは左回りにハマグリをのせてくれる。
 ぷりぷりに太ったハマグリをがぶり! 噛むほどに、海の幸のえもいわれぬ甘いエキスが口中に広がり至福の時を迎え、飲み込むのを惜しみつつ、がしかし、そこをぐっと堪えビールで胃の腑に流し込む。うめえ! こんなに旨い焼きハマグリをこんなに鱈腹食ったのは初めてだ。九十九里生まれのイシバシも、茅ヶ崎育ちのKさんも同様。すっかりご馳走になった。
 横芝発19時13分新宿行きしおさい号にて東京へ。車窓に浮かぶ夜の景色が、スタジオ2階にて小関氏に見せてもらった大判の幻視写真、鯨の背中と見紛うばかりの黄金の海と重なった。

いい本でなく

 いい本は売れない、という。負け惜しみもあろうが、それだけではないだろう。逆に、売れている本というのは、なぜ売れるのか。
 書店に行ってドカンと平積みされている本を手にとりパラパラめくってみると、確かに面白い。興味を惹かれる。古臭くなく今風の笑いがあり、薄味の、またそれだけ切実な悲しみがあるようだ。こういう本が売れるのか。素直に研究し、参考にすべきは参考にし、本づくりに取り入れるべきなのだろう。それはぜひそうしようと思う。でも、買わない。
 今年は、おかげさまで写真集を2冊も出せた。写真集など出したことがないのにである。が、どちらも、ウチらしいと自負している。極めつけで、真面目で、それから内容とは別に、本づくりがオーソドックスというか、どこかのんびりしたところがある。2冊の写真集とも、じわりじわりと売れている。社の宣伝にとっても、どれだけ貢献してくれたか計り知れない。
 いい本は売れないけれど、極めつけの本は、こんな時代でも、食べていけるぐらいには売れるというのがわたしの信念。もちろん売るための努力はする。でも、いい本は作るまい、売れないから。いい本でなく、際物でなく、他にはない極めつけの本を作ろう。極めつけにいい企画、良すぎて静かな祭になるぐらいの企画、人と仕事を惹き付けるような企画…。そういう企画は、頭のよさでなく、腹の感動が大事だ。それを良しとする人がいるかぎり、空に太陽があるかぎり、極めつけの企画を探して今日も行く。なあ、みんな!
 中年の主張みたいになって恐縮だが、会社を起こして6年目、今の正直な気持ちだ。自分も人も腹を楽しませるような本を作りたい。

ボヨヨン

 横浜児童文化研究所の先生たちと合同の忘年会。歌いに歌う。ひたすら歌う。
 わたしは、いつものようにサザン・オールスターズをはじめ色々歌ったのだが、ふと思い立ち、歌の本をパラパラめくった。すると、あった! ありました。遠藤賢司の「夢よ叫べ」。
 これまで歌ったことはないけれど、CDで何度か聴いてメロディーはだいたい知っているから、破れかぶれで入れてみる。歌っているうちに痒くなり悲しくなり、それから熱くなり、「本当はね 誰でも哀しくて 泣きたい夜だってあるよ」でぐっと来て、最後「そうさ そんな夢に負けるな友よ 夢よ叫べ」と声を張り上げたら、何かボヨヨンと変なものが出て、ある形をとった。
 楽しく、あっという間の3時間、お開きになってクルマで金沢文庫まで送っていただいたのだが、車中、どういったらいいか、自分であって自分でないみたいな妙な感覚を味わった。感情がザラつかず、いつになく安定。呼吸みたい、葬式みたい、と思った。息は吸って吐くのではなく、吐けば自然と外から新しい風が入ってくる。家に帰り、久しぶりに、ぐっすり眠った。

感情はやっかい

 小社の愛ちゃんが業田良家『ゴーダ哲学堂 悲劇排除システム』と同『空気人形』を貸してくれたので、さっそく読む。傑作漫画『自虐の詩』の作者らしい「哲学」がどの篇にも盛り込まれている。
 ギター一本で喰っていきたいと思っている浜田君にまつわる話「フォークソング」。彼には、キズちゃんという変わった名前の友だちがいる。
 顔のほとんどが包帯でぐるぐる巻きにされた子供で、左目だけが見えている。浜田君とキズちゃん二人でボロロンズを結成。ストリートミュージシャンとしてそれなりに人気も出てくる。
 それを見ていたジャングルレコードのプロデューサー獅子山浩一(顔がライオン!)が浜田君の自宅を訪ね、浜田君一人をスカウトする。獅子山は浜田君を会社へ呼び出し、役員に会わせ、サインを迫る。ニューヨークに行き半年修行と曲づくり、ロスで録音とミキシング、初のシングル曲は化粧品会社のコマーシャルとタイアップ等々、ミュージシャンの卵が喜びそうな美味しい餌を次つぎ並び立てる。ギター一本で喰っていきたいと思っている浜田君にはこれ以上ない夢のような話。
 ブルブル震える手で契約書にサインをしようとしたその時、浜田君の顔から血が吹き出し、契約書にぽたりと落ちる。浜田君もキズちゃん同様、血の出る体質だったのだ。
 結局、契約を断り、キズちゃんのところへ戻る。「まだギターで喰えてるわけじゃないけれど、オレたちギターで生きてます!」となってエンド。「オレたち」に圏点が付されている。
 傷つき血の出る体質は出来れば排除したい。でも、その体質があっての人間ということなのだろう。
 きのうは、この御殿山からもいい月が見え、放哉の「こんなよい月を一人で見て寝る」を思い出しながら布団にもぐった。