油分

ゴロゴロと隣の鈴や風邪の音
 加齢とともにいろいろな問題が生じてくるが、指の油分が減ってくることもそのひとつ。編集者にとって、これは無視できない重大事だ。
 版下を印刷所に渡す前の最終チェックとなると、出力された紙をめくる回数は千回を優に超える。チェック項目が複数あるから、そのたび、最初のページから最後までめくらなければならない。ところが、指の油分が減って、紙がなかなかめくれない。いらつく。ア゛ーーーーッ!!となる。
 つい、「歳はとりたくないものだ」と愚痴を言い、指の油が減ってきたことをぼやくと、編集長ナイトウがすでにそうだという。しかも、家で仕事をしていて、ページをめくるのに、つい指を舐めたら、奥さんから、オジサンくさいからやめなさいと警告を受けたらしい。あはははは… さもありなん!
 以前わが社に勤めていた女性は、母親と二人でスーパーに買い物に行った折、ビニール袋がなかなか開けずに、鼻の油で開こうとしたら、母親に、それはやめなさいとたしなめられたそうだ。
ひかりなにDS教はるおでんかな 496fb9dd9a4d8-090102_1517~0001.jpg

一年の速さ

 年明けの下版迫りし昼寝かな
 大学を出てから三十まで勤めた高校にH先生という、英語の先生がいた。背が高くハンサムで、英国紳士というのはH先生のような雰囲気の人を言うのかな、と思った。激して声を荒げることなく、静かに、論理的に、それでいて生徒のことを思いやる‘格好いい’先生だった。
 一度、H先生の手帳を見せてもらったことがある。見せてもらったというより、H先生が手帳に記入しているのを目にした、というのが正確なところ。
 H先生の書く文字は、活字よりも活字らしいと評判だったが、その活字的文字で手帳は埋め尽くされていた。聞けば、H先生は一日一センチと決め罫線を自分で引いて記入しているとのことだった。
 H先生は、そのことを卒業生の前で話されたこともあった。
 一日一センチ。一年で365cm。十年で3650cm。五十年で18250cm、たったの182メートル50センチに過ぎない…。
 もう一月も半ば。H先生、どうしておられるだろう。
 バカ総理乞食の冬となりにけり

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寒そう!

 冬晴れ間納豆玉子かけご飯
 JR保土ヶ谷駅のホームでときどき見かけるおねえさんがいます。
 上背もあり、けして痩せ過ぎなわけでもありません。緑と赤のチェック柄の厚手のコートを着込み、手袋をしています。そして、わたしが見るのは、そのおねえさんが必ずといっていいほどパンを食べている姿です。餡パンの時もあります。おねえさんは、なんだか寒そうです。
 ホームを歩きながら考えました。どうしてあのおねえさんを見ると寒そうに感じるのだろうか。ちゃんとコートを着て手袋をして、パンまで食べているというのに…。
 もう一度、おねえさんの顔を思い浮かべて見ました。
 そうか。余計なお世話に違いありませんが、おねえさんの目はつぶらです。丸く小っちゃく、しかも少々離れているので、目と目の関係性が乏しく、それぞれが独立してそこにぽつねんと寂しそうに存在しているように見えます。
 おねえさん、昨日もベンチに座りパンを食べていました。
 茶髪らが肩を怒らす成人式

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マニ車

 薄墨を掃いて寒空一番星
 ご近所のひかりちゃんが誕生日だというので、ひかりちゃんはポケモンが好きだから、たしか桜木町のランドマークタワーにポケモンセンターがあったことを思い出し、休日出かけました。
 ビルの案内のおねえさんに訊くと、すぐに教えてくれたので、難なくセンターへたどり着くことはできましたが、世のパパさんママさん子どもたちでごった返し、わたしはほとんど、チベット仏教のあの一度回すと、お経を一回読んだのと同じ功徳が得られるというマニ車よろしく、店内の中央付近でくるくると廻っていたのでした。
 見るに見かねたのか、店の若いおねえさんが「何かお探しですか?」と声をかけてくれました。ひかりちゃんに電話をし、やっとポケモンカードを手に入れることができました。
 店の外へ出たときの充実感というか達成感というか、このごろ味わったことのないぐらいのものがありました。喜んでもらえて良かった!
 年の瀬や君枝先生と握手せり

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三十二年ぶり

 なだづげやでゃごんの白さ菊゛の色
 数えてみたら、なんと三十二年ぶりです。
 高校の同級生で、卒業後会ってなかった人から会社にメールをいただき、再会することができました。インターネットが普及したことで、ときどきこういうことが起きます。
 彼女は英語とスペイン語の通訳ガイドをしており、先年亡くなったフランス画壇の鬼才・バリュテュス夫人の節子さんにも会ったことがあるそうで…。話しながらころころと、さもくすぐったそうに笑う姿は変っていません。うれしくなりました。
 再会の場所にふさわしい鳥良鶴屋町店を紹介してくれたサムカワフードプランニングの坂本聡総務部長、心のこもったもてなしをしてくださった渡邉健彦店長、ありがとうございました。
 坂本君は、かつて小社でアルバイトをしていたことがあり、小社のホームページの第一号は、彼の手になるものです。
 冬の駅押し競饅頭喫煙所

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ウサギとネズミ

 帰省の日雪だびょんと父笑ふ
 この「よもやま日記」かつては土曜日、日曜日も書いていた。
 出張の折、宿に使えるパソコンがないときは手書きしたものをFAXで会社に送り、編集長ナイトウにアップしてもらっていた。
 秋田に帰省した折は、弟の家まで出かけ、パソコンを借り、そこからアップした。
 そういう姿を見かねたのか、あるとき田舎に帰ったら、父が、「お前にプレゼントだ」というから、何だと思ったら、パソコンが置いてあった。うれしかった。そのパソコンを使い、実家で「よもやま日記」を数回書いた。
 ところが、怪我と病気をした後、土、日は書かなくなったので、父からのプレゼントは寝たままになっていた。
 保土ヶ谷の自宅で使っているパソコンが、編集長ナイトウに言わせると、人間の寿命でいえば200歳を超えるそうだから、完全に壊れる前に換えようと思い、この正月帰った折、父にそのことを話したら、使ってもらったほうが機械もうれしいはずだから、横浜へ持っていけ、と言う。それで、父に頼んで、宅急便で送ってもらうことにした。マウスだけは取り外して鞄に入れて持ち帰った。
 さて、長くなったが、ここまでが前段。
 宅急便で秋田からパソコンが届いた翌朝、父から電話があった。父との会話を修飾することなく記すと、
「おはよう」
「おはよう」
「パソコン、とどいだが?」
「ああ、とどいだとどいだ。どうも、ありがどう」
「うむ。それはよがった。とごろで、ウサギの耳って言うのが、あれはどうした?」
「はあ? ウサギの耳?」
「ウサギの耳だよ、ほら」
「ウサギの耳ってなんだよ」
「ウサギの耳みだいなの、あっぺした」
(わたしはここで、はたと思った。これは、父が何か誤解をしているな。最初、ダンボールの持つところの楕円形の穴のことを指しているのかとも思ったが、どうもそうではないらしい…。ピーン!と来た)
「ウサギの耳でなぐ、ネズミだよ父さん。ウサギの耳に似でないごともないけれど、あれ、マウスっていうんだ」
「ああ、それそれ、マウスマウス」
「マウスなら、取り外して鞄に入れて持って来たよ」
「んだべ。なんぼ探してもながったがら、おがすぃーなぁと思っていだのさ。ああ、良がった良がった」
 というわけで、今日は、マウスをウサギの耳と言い間違えたかわいい父のお話でした。
 ブリッコや男鹿半島を包み込む

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十年ぶり

 ブリッコの一粒ごとの帰省かな
 福村出版の宮下基幸さん来社。仕事で横浜国大へ行った帰りに寄ってくれた。
 宮下さんは、以前わたしが勤めていた出版社の同僚。会社の倒産を機にフリーの編集者として仕事をし、縁あって明石書店に入社、さらに明石書店の傘下に入った福村出版をまかされ、現在は取締役。育ちが良く、責任感の強い人柄を見こまれての抜擢だったのだろう。
 横浜駅で、わたしは横須賀線下り、彼は湘南新宿ライン上りで同じホーム。
 わたしの乗る電車が数分早く到着したので、握手をして電車に乗りこんだ。なだれ込んで来る人でごった返し、宮下さんの姿は間もなく見えなくなったが、ドアが閉まり発車するとき、ひょいと見たら、彼は伸び上がって手を上げ、また頭を下げた。宮下さんだなーと、嬉しくなった。
 焼いで良し煮で良し鮨良し神の魚

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