ウィンナーと目玉焼き乗せ冬カレー
わたしのいる御殿山から富士山が見えます。
寒く空気が澄んでいるせいか、雪をいただいた富士の霊峰がはるか遠くに輝いて見えます。
見とれてしまいますねー。ほうとため息が出たり。
あらぬ想像がもたげてきたりもします。
雪は空の青さを映してか、とてもこの世のものとも思えません。
霊峰を金玉火鉢の天狗かな
りなぴより独楽を奪ひしオヤジかな
散歩が寺、いや、散歩がてら、近所のひかりなちゃんちに寄りました。
ひかりちゃんはバスケットボールの試合とかで出かけて居ませんでしたが、パパとママとりなちゃんがいました。
パパとテレビでしばらく競馬を観戦。パパの予想は、ズバリ的中!
パソコンでゲームをしていたりなちゃんは、今度はコマで遊び始めました。なかなか上手です。と、りなちゃんが、みうらさん、やってみる…?!
コマと紐を受け取り、さっそく、ていねいに紐を巻き、スッと水平に投げ、紐を引きます。二度、三度。
回を重ねるたびに感覚が戻ってきました。
うまくいったときは、コマが床に落ちる音はほとんどしません。高速道路を車で走っているような、静かで安定した音だけが聞こえます。コマを投げつけるよりも紐を引くタイミング、スピードと強さが大事であることを、からだが覚えていたようです。
ほめられて、いい気になったら、二度ほど失敗しました。こういうところの性格は、直っていません。
夕方五時ごろ、ひかりちゃんが帰ってきました。一勝一敗だったそうです。
インフルを恐れ戦く薬かな
初富士の虹を誘ひし青さかな
気功を始めてから丸二年が経ちました。きのうは横浜気功教室の日でしたが、来客があり、少し遅刻して入室しました。
すでに静功が終り、築気功の蛹動に移っていましたが、わたしはしばらく椅子に座り、目を閉じ、背筋を伸ばしました。10分ほどしてから、おもむろに立ち上がり、まわりの動きに合わせました。
蠕動をしているときだったでしょうか。服を着ているのに、裸でからだが動いているような気になりました。緊張がほぐれ、股間が少し開いて、のびのび自由に動いています。川べりで弟とはしゃいでいた時のことが、ふっとよみがえりました。そのままその感覚を味わいながら、しばらく揺れていました。
詩人の谷川俊太郎さんが、時は過ぎない、積もる、とどこかに書いていましたが、このごろわたしは、そのことばを思い出して一人合点しています。
揺れる背骨はまるで年を重ねた木のようです。ゆらゆら揺れているうちに、年輪に封じ込められた時がほどけ、溶け出し、ゆっくり立ち上がってくるような気がします。揺れる背骨を感じているうちに、そうか、人間も木とおんなじなんだと納得します。ずっとむかしにあった時も、ありえた時も、これから起きてくる時も、いまの時にかさなり充溢しながら静かに揺れています。わたしはまるで時を旅する旅人になったかのごとくです。
遊の正字「游」はもともと「およぐ」意とのことですが、旅するの意もあり、「游子」といえば、旅人、旅客を指します。
初富士の青と白とに泥みけり
*営業に出ている専務イシバシから写真付のメールが送られてきましたので、以下に紹介します。題して「ミスターの通ったお店?!」
池袋丸井から立教大学に行く途中にある「ドリームコーヒー」はなかなかのお店。最初は通りすがりに入ったが、今では立教大学を訪れるたびに5分、10分、そこで気分転換をしている。
レトロな店内、雑然と置かれているテーブルと椅子は、隣席の人との距離を縮めてくれるよう。ストレートコーヒーが200円というのもうれしい。豆の販売もしているところをみると、材料仕入れに何か安さの秘訣があるのかも知れない。
店員に、いつ頃できたのかと尋ねたら、「長嶋さんが卒業する一年前の昭和48年です」のことばがかえってきた。
寒月や狸御殿の華やげり
りなちゃんが描く絵を見ていて思ったのですが、子どもの描く絵というのは、山を描いても人を描いても動物や身の周りの小物を描いても、自分のこころの投影された山や人や動物や小物であるなぁと。それがとても面白い。
そう思って考えてみると、りなちゃんだけでなく、部屋に飾ってある子どものころに息子が描いた絵や、わが社のアートディレクターの多聞君が子どものころに描いた絵も、また、見たわけではないけれど、小学校時代に紫の山を描いて先生に頭を殴られたおじさんの絵も、ことばにならないこころが反映されていると見えて楽しい。
冬の月狸も集ふ御殿山
湯気を立て目先三寸ゆばりかな
哲学者の木田元先生は、わが社の編集長ナイトウの恩師でもある。
大学院でドゥルーズなどの難しいフランス哲学を学んだ内藤君が保土ヶ谷の山の上にあるマンションの一室を訪ねてきたのは、創業して一年も経たないころだった。すわる場所がなく、仕方がないので、和室の座卓に向かって仕事をしてもらった。あれからもう九年になる。
木田先生から今年も年賀状をいただいた。最後に「内藤君をよろしくお願いします」と書かれてあった。こわもての哲学者かと思いきや、破顔一笑、眉毛が八の字に落ちて、ころころ笑う先生の姿が目に浮かんだ。熱いものがこみ上げてきた。
冬のしと魂までも抜かれけり
ダマッコの湯気につられて踊り出づ
風邪やインフルエンザの予防のため、マスクを着けることが多くなった。このごろは高機能のものが多く、99.99%ウイルスカットなどと書いてあったりもする。わたしは、リブ・ラボラトリーズ株式会社の抗ウイルスマスクを使用している。陰干しのみで30回の使用が目安だというから、使えばすぐに陰干しし、三枚を交替で使っている。
ただ問題はある。
今は、鼻の形状にマスクを合わせるようになっているが、それでも、というか、そのおかげで、寒い場所から暖かい場所へ移ると、どうしてもメガネが曇ってしまう。
電車に乗ったときが一番困る。混雑している電車の中でこそ、マスクを完全に装着すべきなのに、メガネが曇って周囲が見えないため、マスクをあごの方へずらし、鼻穴を空気にさらしてしまうことになる。これでは何のためにマスクをしているのかわからない。99.99%のウイルスカットも意味がない。
メガネが曇らないことを謳ったものもあるけれど、今イチこれといったものに当たっていない。
ぽんぽこや浮かれ狸穴冬の月