股引のこと

 

突然ですが、ことしはまだ、いまのところ股引を穿いていません。
十二月に入りましたから、
この時期、
去年、おととしと、ラクダの股引を穿いていました。
これがとっても暖かい。
下半身がぬくい毛布にくるまっているみたい。
それなのに…。
ひとことで言えば、強がり。
強がりができるようになったとも言えます。
数年前、
体調を崩したときは、
風呂に入り湯舟に浸かっていても、ぶるぶるふるえることがありました。
週に一度の鍼灸、それと連日のツボ踏みが功を奏し、
体調が戻ったことを機に、
すこし強がってみようと思っていたところ、
鍼灸の先生が後押ししてくれましたので、
がまんできる範囲で強がっていようと考えています。
甘いものを食べ過ぎると、体が冷え、どうしても外から温めてやらなければならなくなる、
とは、
鍼灸の先生の言。
ジーンズを穿いた子供のジーンズの破れ目から、
下に穿いているものが見える昨今
のことを例に、
体温と食べ物の関係を説明してくれました。
わたしの自覚としては、
寒いと感じても、
ぶるぶるふるえることがなくなり、
それと、
寒い所から暖かい空間に入ったときに、
体温の戻りが以前と比べ、スムーズになった気がします。
若いころの不摂生の罪滅ぼしに、
というわけではありませんけれども、
きょうもこれからツボ踏みです。

 

・冬の月荷風家持新古今  野衾

 

「存在」について

 

ハイデガーは、ある論稿の中で、ヘーゲルの言葉を引用しつつ、
存在について以下のように説明したことがある。
それは、
ある人が店で〈果物〉を買おうとし、店の人は、そのひとにリンゴ、洋ナシ……サクランボ、
ブドウなどの果物を手渡したが、
そのひとは、どうしても〈果物〉を買いたいのだと言い張った、
しかし、
〈果物〉(という普遍的な概念)は店では買えなかった、
というヘーゲルの言葉である。
ハイデガーは、
このように「存在」もまた、それ自体をそのものとして名指すことはできず、
存在の歴史の中で、
「ピュシス、ロゴス、一(ヘン)、イデア、エネルゲイア、実体性、客体性、主体性、
意志、力への意志、意志への意志」といったように
「何らかの特色」を持つものとしてそのつど人間に手渡されてきたのだ、
というのである。
このことはおそらく、
ハイデガー自身の「存在への問い」においてもあてはまるであろう。
彼もまた、「存在」を、さまざまな仕方でロゴスへと齎そうとしているが、
おそらく「奥深い存在」とも呼びうるような「存在」そのものは、
対象化されず、
言葉にも齎されえないというのが、本当のところではないかと思われる。
したがって私たちは、
ハイデガーがどのようにその問いの途上で「存在」について語っているのか
を見ることを通して、
ハイデガーにおける存在とはなにかを、全体として理解するように努めたい。
(上田圭委子『ハイデガーにおける存在と神の問題』アスパラ、2021年、p.276)

 

ことし前半の読書は、
ブルクハルトの『ギリシア文化史』で彩られましたが、
後半は、
小野寺功先生の
日本の神学を求めて』『新版 大地の哲学 三位一体の於てある場所
を編集したこととも関連し、
ハイデガーの言説に目が行くようになっています。
とくに、
先月上梓したわたしの句集のなかにある「かたくりの花」
に注目し、
手紙をくださった小野寺先生の文章に記された先生の子供時代の
いわば「かたくりの花」体験とも呼ぶべき、
一回かぎりの忘れられないエピソード、
それと『萬葉集』にある、
大伴家持が赴任先の越中で詠んだ堅香子《かたかご》の花(=かたくりの花)
が重なり、
あらためて、
ハイデガーの「存在」をわたしのこととして、
わたしのことばで理解したいと思うに至りました。
数年前、
渡邊二郎さんの本をおもしろく、
また緊張して読んだので、
渡邊さんに師事したという上田圭委子さんの本を見つけ、
読み始めたら、
これが圧倒的なおもしろさで迫ってきました。
巻末の著者略歴、「あとがき」を見ると、
上田さんは香川県生まれで、東京大学の農学部林学科卒業となっていますから、
もともと哲学をやろうとしたのではなかったのかもしれません。
訪問介護のパートをしていた時期もあったそうで、
そういう経歴をふくめ、
機会があれば、
お話を伺ってみたいと思います。

 

・玻璃の家丘にひつそり冬紅葉  野衾

 

 

二日間、浩瀚な学術書をおもしろく読み、夕刻、壁に掛けてある時計を見たら、
五時を過ぎていた。
散歩がてら外へ出てみることに。
十二月に入ったので、この時刻でもすっかり暗くなっている。
すでに月が高くまで昇っている。
月齢はどれくらいか、
満月までにはあと三、四日かかりそうだ。
暗いなか、山の細い階段を下り、
まずはドラッグストアへ。
歯ブラシと魚肉ソーセージとチチヤスのヨーグルトを買う。
もう一軒、コンビニにも寄るつもりだから、
大きめのレジ袋に容れてもらう。
外はとっぷり暮れている。
いつも長く待たされる信号で待っているあいだ、見上げると、月はさらに天心へ。
信号が青に変って横断歩道を渡る。
左に曲がれば程なくコンビニだ。
と、
「ほら、ケンちゃん、月が出ているよ」
「……」
「見える? きれいだよ」
「うん」
ふり返れば、
すぐ後ろを乳母車を押している若い女性が、なかの子供に話し掛けている。
母に話し掛けられた子は、だまって月を見上げている。
つられてわたしも見上げた。
我に返り、
コンビニで買うつもりのものを算えあげ、
明るい店内へ入った。

 

・吾もまた過客となりて枯野行く  野衾

 

家の友

 

「家の友」(der Hausfreund)
……通常の意味では、
別に何といふ用事もないのに度々訪ねて來ては話しこんで行く家庭の友人のことである。
さういふ友人は、家族ではないが、家庭にとつて、
特にその家庭の雰圍氣にとつて、
場合に依つては家族の一員よりも、無くてはならぬ人物である。
ハイデッガーはこの書物の内では「家」を「人間の住家」としての「世界」と解し、
ヘーベルの言ふ「家の友」を、
さういふ「世界としての家」にとつての「友人」と解し、
さういふ意味での「家の友」に「詩人の本質」が存すると、思惟してゐる。
(マルティン・ハイデッガー[著]高坂正顯・辻村公一[共譯]
『野の道・ヘーベル―家の友』理想社、1960年、p.66)

 

ハイデッガーが「ヨハン・ペーター・ヘーベルは家の友である」と記した、
「家の友」に注番号が付されており、
その譯註として書かれているのが上の文章です。
これを読んだとき、
文の主旨とはズレますけれども、
わたしがまだ子供だったころのことがなつかしく思い出されました。
あの頃、
祖母の兄が、
我が家から歩いて二分とかからぬところに住んでおり、
わたしの祖父と仲が良かったので、
よく訪ねてきていました。
小柄なひとでした。
気が置けない仲のいい男同士だからこそであったでしょうが、
意識を超えたこころの奥で、
妹を思いやる気持ちが無意識に働いていた
のかもしれぬ
と、
いままでそんなふうに考えたことがなかったのに、
ふと思いました。

 

・冬紅葉うら悲しくもまどふかな  野衾

 

ハイデッガーの言葉観

 

私たちは次のやうに考へるかも知れません、すなはち、ヘーベルの詩は、
方言詩であるが故に、
ただ或る限られた狹い世界のことを言つてゐるに過ぎないと。
さらにその上ひとは次のやうに考へます、
すなはち、
方言は標準語や文語に加へられた虐使であり、毀損であると。
しかし、
このやうに考へることは見當違ひであります。
國言葉こそ、
如何なる言葉の場合においても、すべての生え拔きの言葉の靈妙なる源泉であります。
言葉の靈がそれ自身の内に祕匿してゐるすべてのもの、
それはこの泉から私たちの方へと流れ寄せて來るのであります。
(マルティン・ハイデッガー[著]高坂正顯・辻村公一[共譯]
『野の道・ヘーベル―家の友』理想社、1960年、p.28)

 

翻訳された日本語が、ゆっくり静かに、読んでいるこちらに沁みてくるようです。
この本は、
小野寺功先生の『新版 大地の哲学 三位一体の於てある場所
にでており、
先生の思想の遍歴を辿るには欠かせない
と思われたので、
古書で求めて読みました。
「野の道」は、
田舎で生まれ育ったわたしには、我がことのようです。
『存在と時間』のハイデッガーは、
こんな感性の人であったかと、
大げさかもしれませんが、
わたしのなかのハイデッガー像が変りました。
上で引用した文章は、
「野の道」のあとにつづく、
ヨハン・ペーター・ヘーベルに関するものですが、
これを読むまで、
この詩人のことを知りませんでした。
そして、
この詩人について、
ハイデッガーは惜しみない賛辞を送っています。
とくに方言に関する観方は、
我が意を得たりの感が強く、
この詩人のものも読みたくなりました。

 

・野も山も涙ながらに冬紅葉  野衾

 

未確認生物

 

早朝、ゴミの袋をもって外に出たときのこと。薄暗い目の前の道を何かが通り過ぎた。
うす暗いなか、さらに黒い塊のようなものが、たったったったったっ、
と。
猫? ちがうな。犬か。いやちがう。子狸。まさか。
ゴミ収集ネットをセットし、
なかへゴミの袋を入れたものの、
やはり気になって仕方がない。
黒い塊が向かった方角へサンダル履きで走った。
人間の走るスピードよりは速くないと目視していたのに、
どこにもそれらしい姿は見つからなかった。
猫でも犬でも子狸でも、
はたまたそれ以外の動物でも、
いったん見遣ったにも拘らず走って追いかけたのは、
その動きと動きかたに、
ちょっと切なるものがあり、
なんとなくザワザワした印象がこちらに伝わったからだ。
何だったかよりも、
あのときあの塊がどういう心情だったのか、
それが知りたい。

 

・ふるさとは連山今ぞ冬紅葉  野衾

 

幸福の時

 

翌日にならなければ出発できなかったので、わたしはただひとり部屋にとじこもって、
生涯でもっとも悲しい一日を過ごした。
わたしは、
窓ガラスの一枚に書き残された
〈あなたもアンリエットをお忘れになるでしょう〉という言葉を見た。
この言葉は、
わたしが贈った小さなダイヤモンドの指輪の角かどで、
かの女が記したものだった。
この予言は、わたしの慰めにはならなかった。
だが、かの女はいったい〈忘れる〉というこの言葉に、
どんな広い意味をふくませたのだろう?
実際かの女は、この言葉に、
忘れればわたしの心の傷が癒えるだろうということ以外には、
何の意味も考えていなかったに違いない。
それは自然な考えではあったが、何もそんな悲しい予言をしてくれる必要はなかった。
いや、
わたしはかの女を忘れられなかったのだ。
今もわたしは、かの女のことを思い出すたびに、魂が慰められるのである。
もう年老いてしまった現在、
わたしを幸せにしてくれるものは古い記憶の蘇りしかないが、
わたしの長い人生は、
不幸だった時よりも、むしろ幸福だった時のほうが多いように思われる。
(ジャック・カザノヴァ[著]窪田般彌[訳]『カザノヴァ回想録 2』河出書房新社、
1968年、p.65)

 

こんなことを言っているカサノヴァですが、
その後、時を措いて、この謎の女性アンリエットに会うことが予告されており、
こうなると、
先を読みすすめないわけにはいかなくなります。
その後の出会いもふくめて、
「わたしの長い人生は、不幸だった時よりも、むしろ幸福だった時のほうが多い」
ように思うことができれば、
それこそ幸福といえるのかもしれません。
でもこの男、
なかなか一筋縄では捉えられない気がします。
「回想録」はあくまで自叙伝ですから、
〈書く現在〉において、じぶんが気にいるように、
あるいは、
気持ちよくなるように書き記すという欲望がおそらく働いているはずなので。
そこのところは割り引いて考えなければならない
と思いますけれど、
にしても、
よくこれだけのものを、記憶を記憶だけを頼りに書いたかと、
そのことにまず圧倒されます。

 

・なだらかな稜線を行く冬紅葉  野衾