これぞまさに

 

赤瀬川原平が唱えたもので、
同名の本のタイトルにもなったことばに「老人力」があります。
物を忘れるという、
ふつうならマイナスにとらえられがちな現象に
積極的な価値を見出し付された名称で、
このごろそれが、
わたしにもかなり身についてきたようでありまして。
年に一度、
出身高校から同窓会誌が送られてきます。
楽しみなのがエッセーのコーナー。
存じ上げないひとばかりですが、
齢は違えど、
同じ高校で三年間過ごしたひとがこういう人生を送っているのかと思うと、
不思議な感慨にとらえられます。
先だって送られてきた今年の会誌に
卒業生数名のエッセーが載っていました。
その筆頭がFさん。
タイトル「子どもへの眼差し」
中央アジアのカザフスタンを訪れた際のエピソードが
印象深く綴られていました。
顔写真を見て、あれ?
なんか、見たことある気がするなぁ。
それに、
Fさんの名前。
お会いしたことがあるような、ないような。
そんな感じでありましたが、
会社に同窓会誌を持っていき、
編集長に見せたところ、
うちから共著を二冊出している方で、
わたしもいっしょに会食(!)し、
その際、
秋田の話でしばし盛り上がったのだとか…。
すっかり忘れていました。
ふむ。
これぞまさに老人力!
その後Fさんに電話し、老人力には触れずに、
同窓会誌に掲載されたエッセーの感想を述べつつ、
近況を伺いました。

 

・紫陽花や海にあくがる土の声  野衾

 

井戸浚

 

井戸浚(いどさらえ)は夏の季語。
井戸の水を汲み出し、底に溜まったゴミや泥を取り除きます。
いまも秋田の実家には池が二つありますが、
子どものころ、
家裏の池はいまよりずっと大きかった。
お盆のころだったでしょうか、
一年に一度、
水を掻き出しては井戸浚を行っていたはず。
水を湛えているのがふつうですから、
水が汲みだされた池は、
たとえていうなら、
見慣れた風景から巨大な奥歯が一本引き抜かれたような。
不思議な光景で、
見ていて飽きなかった。
池の底の小さな生き物たちが、
はじめて感じる太陽を皮膚の裏、こころの底から眩しがっていた。
それと、
どくとくのあの臭い。
鯉をたらふく食って欲望を満たした鯰が
隠し事を暴かれ、
体をくねらせた。

 

・診察を終えて楽しも豆ご飯  野衾

 

装丁のこと

 

きのうは、仕掛かりの小説について著者と打ち合わせ。
ワード原稿の段階から数度読んできて、
わたしのなかで醸しだされてきた印象とイメージを著者に伝えました。
そうしながら、
イメージをことばで伝えることの難しさを改めて感じ、
同時に、
これが本づくりの醍醐味だとも。
テキストはどこまで行ってもテキスト
ですが、
ゆっくり読んでいるうちに、
文体とも連動しつつ、
いろんなイメージが湧いてきます。
ひかりの具合、湿度、匂い、音、窓から見える空の色まで、
たとえば。
そのイメージを著者に伝え、
同意を得られれば、
こんどはそれを装丁家に伝える。
装丁家は本の装丁をおこなう表現者ですから、
編集者のイメージはあくまで参考。
ことばでとことん伝えますが、
参考以上ではないとずっと思ってきたし、
今も思っている。
編集者のイメージを参考にしてもらいつつ、
装丁家がどんなイメージで装丁してくれるか、
そこのところが本当におもしろい!
装丁カンプを見、
ほ~、となったり、は~、となったり、
むむ、となったり。
そうか、
同じテキストを読んで、
こんなイメージが湧いたのか、
おっもしれー!!
そう思って眺めていると、
本づくりをとおして、
人といっしょにあることの喜びが湧いてくる。
つぎの本を作りたくなる。

 

・隕石の落下地点か井戸浚  野衾

 

生き物たち

 

きのうの朝、
テレビを点けたら干潟のことをやっていました。
九州・有明海に流れ込む佐賀県田古里川(たごりがわ)河口。
ムツゴロウ、カニ、殻を持たない貝の仲間など、
多くの生きもたちが静かなドラマを繰り広げていました。
生き物たちが登場する番組だと、
ついつい見てしまいます。
と。
高校一年生の時だったでしょうか。
生物の時間に、
「校舎から出て何でもいいから観察して発見したことを記述する」という、
無茶な課題が出たことがありました。
「何でもいい」とはいっても、
生物の授業ですから、
生き物のことなら、という意味です。
無茶と思いつつ外へ出たら、
グラウンドの端のほうで蟻を見つけたので、
それをしばらく追いかけて作文に仕立てたような気がします。
無茶な課題だったけど、
おもしろかった。

 

・万物が興味津々井戸浚  野衾

 

歩いて二、三分

 

三十年ほどまえのことになりますが、
身辺にわかに騒がしくなり、
家に閉じこもり鬱々していた時期がありました。
おカネになりそうな本をつぎつぎ売って、
好きな音楽も聴かずにただぼーっとしていたように記憶しています。
なにも手につかず、
そばにある本を手にとっても
書かれている内容があたまに入ってこない、
そんな時間が過ぎていくなか、
寺山修司の言葉だけはあたまに入る、
というか、
こころに沁みた。
短歌であれ、俳句であれ、エッセイであれ、詩であれ。

 

大工町寺町米町仏町老母買ふ町あらずやつばめよ

 

この韻律、この叙情、
意味よりなにより、言葉がもつオーラに感応し、
言葉の底に沈んでいる言うに言われぬ悲しさに懐かしさを覚えた。
そんなことではなかったかと思います。
遠い記憶が蘇ったのは、
一通の手紙がきっかけでした。
ふるさとの、
わたしより三つ下、
子どものころからよく知っていて、
父親は大工をしており、
家は歩いて二、三分。
小学生の頃は、三つちがいでも遊びましたが、
中学は三年間しかありませんから、
いっしょになることはありませんでした。
彼が高校、大学を出たあと、
高校の先生になっているということを風のうわさに聞きました。
彼の名前をちょくちょく見るようになったのは、
秋田の地方紙の短歌コーナー。
そうか、短歌をやっているのか。
手紙は、
その彼からのものでした。
文中、寺山修司が好きだとありました。
来年三月で定年を迎えるとも。
歩けば二、三分、
いまも家はその距離にありながら、
彼がかつて暮らした家には今はだれもいません。
たまに帰って、
窓を開け放つぐらいのようです。
それぞれの人生を生きて、いろいろあって、
いろいろいろいろ、
思い出したりくやんだりもした。
取り戻すことはできなくても、
抱くことはできます。

 

マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや

 

・太陽が間近くなりぬ井戸浚  野衾

 

がっこうは

 

アリストテレスを読んでいると、
子どものころのことが色々いろいろ思い出されてきます。
アリストテレスは、
リュケイオンという学校をつくり、
そこで万学の礎となる思索と講義を行いましたが、
翻訳をとおして、
その息吹が二十一世紀のいまにまで及んでくるような気がします。
国語、算数、理科、社会、それに、音楽と体育、
ぼくにとってのリュケイオン、
学校てところは、
こういうことを勉強するんだ、
と思いました。
こういうことを勉強すると、
働いて、
おカネをもらえるようにぼくもなるのか。
なんか不思議な気もし。
にしても、
どうしてこんなふうに分かれているのだろう。
だれが決めたんだろう。
「世界」も「自然」も、言葉としてまだ知らないとき、
家と学校の往復の道々、
ぐるりをとりまく山々を見やりながら、
ぼんやりそんなことを考えていたように思います。
田舎の逍遥学派。
きよあき君は友だち。
そのころ出会ったのが伊藤陽子せんせー。
小学一年の時の担任でした。

 

・泥ぬるり素足の指の間から  野衾

 

韻文のこと

 

広辞苑で【韻文】を調べると、
①一定の韻字を句末に用いて声調をととのえた文。
歌・詩・賦の類。
②詩の形式を有する文。
すなわち、単語・文字の配列や音数に一定の規律のあるもの。
詩・短歌・俳句の類。⇔散文。

 

頭韻、脚韻、また、韻を踏むという言い方もありますが、
洋の東西を問わず、
古くなればなるほど、書かれた詩文は韻を踏んでいて、
なんでそうなっているかと不思議でしたが、
文字が書かれ記録される前に音吐朗々、
声を発して朗誦されたものであったと考えれば納得がいく。
韻を踏むことで格段に覚えやすくなるのは、
今ならラップのことばを連想すればいいだろうか。
覚えやすく暗唱しやすい。
文字がない時代のことを考えればなおさらだ。
文字がなくても、
大事なことを忘れずに人に伝えたいとなれば、
忘れないための工夫が要る。
記録のない時代はまた記憶の時代。
韻を踏む韻文は、
あってもなくてもいいものでなく、
歴史的には、
必要不可欠のものとして人間が身につけたものだろう。
自由詩、散文詩、
という言い方もあるけれど、
詩の本源をたずねれば、
どうやらそれは韻文ということになり、
文字が生まれる前、口承文学の壮大な世界が浮かんできそうだ。

 

・紫陽花や刻を湿らすモーツァルト  野衾