丸彦製菓の揚いそべ

 

商品三連発。
こんかいは丸彦製菓の揚いそべ。
おかきを海苔で巻いたこの種のものは他にも多くありますが、
このごろよく行く「こけし」の女将さんご推奨
とあっては
買わないわけにはいかない。
食べてみて
一度で好きになりました。
カリッと齧ったときは
ふつうの海苔巻きおかきのようですが、
だんだんだんだん米の旨味甘味が口中に広がってきます。
さらに揚げの香ばしさも加わって。
丸彦さんのキャッチコピーがふるっている。
「一粒から始まる夢とロマン
大地の恵み〝お米″その一粒一粒に夢を託して夢を広げる企業です。」
なるほど。
なっとく!
きょうはこれを会社に持っていって社員にふるまおう。

 

・秋の水富士をうつして閑(しずか)なる  野衾

 

小林製薬のハナノア

 

鼻づまりがして、ンクッ、ンクッとやって
つまりを取り除こうとするのですが、
どうもうまくいかず、
そうだ鼻のうがいをしてみようと思い立ち、
洗面所の鏡の前で両手で水をすくい、
目をつぶり腰をかがめて勢いよく鼻で水を吸い上げた。
と、
いてててて。
ツーンとして痛いのなんの。
目は充血。
鼻の奥の痛みは相当時間持続。
しかし、
その甲斐あって、つまりは解消しました。
そんなことをしているうちに電車の窓に貼ってあった広告を思い出した。
若い女性の鼻からつーと水が落ちていて、
「痛くない鼻うがい」
みたいなことを
たしか書いてあったような。
忘れないうちにと近くにあるクリエイトに出向き、
店員をつかまえたずねたところ
教えてくれました。
それが小林製薬のハナノア。
説明書をよく読み、
ふんふん、ふんふん、
で、
さっそく試してみました。
水でやった時のあの嫌なツーンがない。
洗浄した後、
かすかにミントの香りまでしてさわやか~~~。
スースー! いい具合。
というわけで、
以来、
愛用しています。

 

・秋高し自転車をこぐ湖(うみ)に嶽(たけ)  野衾

 

味覚糖の塩あずき飴

 

このごろたまに寄る
保土ヶ谷橋交差点ちかくの駄菓子屋さん「こけし」にて、
味覚糖の塩あずき飴を購入し食べたところ、
すぐにあずきの味が口中にひろがり、
まさに味覚糖さんいうところの
「おいしさはやさしさ」
と知りました。
この味を独占するのはもったいないと思い、
会社でひとり一粒ずつ配りました。
専務イシバシはたまたま誕生日でしたから二粒。
あっちからもこっちからも
「おいしい!」「おいしい!」
というわけで、
来月、
例年どおり保土ヶ谷の小料理千成にて忘年会を行うとき、
希望のひとを連れ
「こけし」さんに行くことにしました。
飴のほかにも、
選りすぐりのせんべいやおかきもありますから。
女将さんもきっと喜んでくれるでしょう。

 

・東(ひむがし)に煙立つ見ゆ冬の曉  野衾

 

人麻呂と中国

 

伊藤博の『萬葉集釋注』は六に入りました。
この巻には
柿本人麻呂の歌が多数収録されていますが、
こころをすなおに表現する「正述心緒」、
物に託してこころを陳べる「寄物陳思」ということばは、
人麻呂の考案であるらしい
と書かれています。
ただ、
ことばとしての「正述心緒」「寄物陳思」
は人麻呂の考案でも、
分類の発想そのものはどうやら
詩経を初めとする中国文献によっているようです。
柿本人麻呂もそうですが、
万葉の歌人たちがいかに中国のものを読み込み勉強したのかを
あらためて思わされます。
たとえば令和という語は
たしかに万葉集にあるけれど、
すでに中国の文選にでてくる用語です。
また、
万葉集そのものが
中国の詩経や文選に学んだ歌人の歌によって成り立っている
(それだけではないと思いますが)
ことを考えると、
日本独自ということは
なかなか言えなさそうだし、
それよりも、
先人(この場合は中国)の知恵
に学ぼうとしたこころに
むしろ打たれます。

 

・紅葉かつ散るノーサイドホイッスル  野衾

 

成功的理想主義者

 

先日、東京学芸大学の末松裕基先生がゼミの学部生、
大学院生とともに来社され座談会をおこなった
ことはこの日記にも書きましたが、
座談会の内容と感想が記されたレポートを
末松先生が送り届けてくださいました。
どれもすばらしいレポートで、
わらったり考えさせられたり、
座談会当日もたのしかったけれど、
レポートを読みながら冷静にあの時間を思い出しました。
中国からの留学生が三人いましたが、
三人とも日本語で
たっぷり感想を書いています。
日本語がちょっとおかしいところもありましたが、
彼女たちにとっては外国語の日本語で
よくぞここまでまとめたもの
と感慨ひとしお。
なかにわたしのことを、
成功的理想主義者と評された方がありました。
漢字ばかりがならぶとなんだか強そう。
面白南極料理人みたい。
成功的は、
会社の借金が無くなったことを指しているのかもしれません。
成功的かどうかはともかく、
理想主義者といわれれば、
そういうところがあるかもしれないな
とも思います。
夢見がち
ということでもあるでしょう。
レポートを読み終わった後で末松先生に電話でお礼を伝えたところ、
本を読めなくなっていたのに、
また本を読めるようになったというひともいます
と告げられ、
それは何よりとうれしかったです。

 

・ながれ来てかたちを変へず冬の雲  野衾

 

ありがたい一日

 

編集長の岡田くんと学習院大学へ。
仏文の中条省平さんと小一時間ほど面談。
昭和の名編集者・安原顯が始めた創作学校でお会いしたのが始まり。
中条さんは先生、わたしは生徒。
以来、四半世紀、
いまもしたしくお付き合いさせていただいております。
その後、
飯田橋へ移動。
タリーズコーヒーへ入り、
コーヒーを飲みながらゲラ読み開始。
まわりを見れば、
まるで図書館のような静けさ。
ノートパソコンを広げ勉強、仕事にいそしむひと、ひと、ひと。
店はあきらかにその種の客を想定しているようで、
テーブルには椅子一脚ごとにコンセントが設置されています。
時代はこうなのだなと改めて納得。
電話がないせいか、
ゲラ読みの作業がことのほか捗りました。
七時に装丁家の間村俊一さんご指定の店へ。
こんかいの詩集『鰰 hadahada』を祝ってしばし歓談。
間村さんからサインを所望され、
しかも、
イラストを添えてくれと言われ、
「わたくしの描く絵は、三歳児にも及ぼないものですから」
と丁重にお断りするも、
そういうのがいいとおだてられ、
覚束ないながら、
じぶんの似顔絵のようなものを描きました。
また、
ずっと欲しかった間村さんの画集『ジョバンニ』に触れるや、
「あげるよ。まだ少しあるから」
と言って、つと立ち上がり、
店を出て事務所へ帰り、
『ジョバンニ』をとってきてくださいました。
いやぁ驚きました。
うれし恥ずかしありがたし!

 

・清方の女性(にょしよう)来てをり花すすき  野衾

 

あかねさんを悼む

 

矢萩多聞さんのお母さまで、
アジアの輸入雑貨店ラヤ・サクラヤのオーナー矢萩あかねさんが、
今月九日、
脳血栓のためインドの地で亡くなりました。
七十歳でした。
春風社を立ち上げる前、
ショーウインドーに置かれていた木彫りのガネーシャ像に
ひかれるようにして入ったのが
そもそもの始まりでした。
多聞さんにも
そのお店で出会いました。
多聞さんはもとより、
あかねさんとも
ずっとながくお付き合いさせていただきました。
今月九月一日に
春風社にてトークイベントをおこなった際、
あかねさんはご夫婦で参加され、
そのとき話したのが最後になりました。
あかねさんのクックっとくすぐったそうに笑う声、
お茶飲んでいきませんか、
あらもう帰っちゃうの、
また寄ってください、
ゆっくり
ぽつぽつと話すあの声と語り口が
いまも耳に残っています。
こうして書いていると、
あ~ら、みうらさん、
うそよ~
うそに決まってるじゃない、
……………
温かいあの声を聴けなくなったということが
いまだに信じられません。
ガネーシャは商売の神様でもあります。
創業の地である保土ヶ谷の拙宅の玄関にいまもあります。
あかねさんのご冥福をお祈りします。