正しい人はいない

 

ルターとカルヴァンは、
中世後期の修道生活を堕落させていた霊的優越性のイデオロギーを、
たしかに正しくも断罪したのだが、
彼らは結局、
独身主義の召命そのものの信用を傷つけ、
キリスト教的生の広がりを大いに切り詰めることとなった。
そして、
彼らの宗教改革は「改革」のもう一つの段階を経て、
今日の世俗的な世界の形成を助けてきた。
(チャールズ・テイラー[著]/千葉眞[監訳]
『世俗の時代 下』名古屋大学出版会、2020年、p.918)

 

『世俗の時代』は、チャールズ・テイラーの主著とされるものですが、
歴史の時間をクロノスとカイロスの視点からとらえるなど、
目を開かれることがいくつかあったなか、
引用した箇所も、目をみはり、
また、
しばらく前に、
カルヴァンの『キリスト教綱要』を読み、息苦しくなった時間と感覚とを重ね、
個人的に合点がいった気がします。
カルヴァンを読んでいると、
いいところももちろんありましたが、
万力でギリギリ首を締め付けられるようにも感じ、
読んでいるこちらの生が全面否定される
ような、
そんな感慨に捕らわれた。
はっきり言って、
カルヴァンの人間の見方は狭い、
と感じた。
「正しい人はいない」
という旧約聖書のことばは、
例外なく、
ルター、カルヴァンにも当てはまりそうです。

 

・入り立ちて古びた寺の四葩かな  野衾