ある想像

 

電車のなかで読むのは文庫本と決めており、
いまは、岩波文庫『文選』の第二冊。
そのなかに、
王粲(177-217)という詩人の「七哀詩二首 其の一、其の二」が収録されている。
後漢末の初平四年(193)、王粲は長安の動乱を避けて荊州の襄陽に赴く。
「其の一」は、長安を発つ際、
戦乱による国の荒廃ぶりを目のあたりにして湧き起こる悲しみをうたう。
と、解説にある。
ところで目をみはったのは、
「其の一」の八句目から十二句目。

 

白骨 平原を蔽う

路に飢えたる婦人有り

子を抱きて草間に棄つ

顧みて号泣の声を聞くも

涕を揮いて独り還らず

 

この箇所に対応する日本語訳はといえば、
「ただ白骨が平原を埋め尽くす。
路傍には飢えた一人の婦人、抱いていた子を草むらに捨てる。
泣き叫ぶ声にふりかえるが、涙を払い、もどろうともせず一人去ってゆく。」
わたしはすぐに松尾芭蕉『野ざらし紀行』冒頭、
有名な富士川の場面、捨て子にかんする散文描写と俳句を思った。
「猿を聞人 捨子に秋の風いかに」
この箇所について、
リアルな話なのか、フィクションなのか、
さまざまに議論がなされてきたことは承知していたが、
いずれにしても、
わたしは腑に落ちなかった。
リアルな話ならば、
捨て子を詠んで去っていく風流に疑問が湧き、
フィクションだとすれば、
どうしてそんな虚構をこしらえたのか理解できなかった。
が、
王粲の詩を読み、
これを下敷きにしていたとすれば納得がいく。
杜甫をこころの師としていた芭蕉は、
杜甫が愛読していた『文選』のことを知っていて、
だけでなく、
おそらく、
読んでもいただろう。
『文選』は古く日本に入ってきており、
『白氏文集』と同様によく読まれていたらしい。
山本健吉は『源氏物語』「手習」における浮舟の歌とのひびき合いを記しているが、
それもあるかもしれないけれど、
わたしは、
王粲の詩とのひびき合いにさらに深いものを感じる。
王粲のこの詩には猴猿(こうえん。「猴」も猿)が登場するが、
中国の詩では、
哀愁を誘うものとして猿の鳴き声が詠われるそうで、
「七哀詩二首」はその早い例だという。
「野ざらし紀行」とのひびき合いはここからも感得できる。
芭蕉の旅は、
空間の移動だけでなく、
時間の旅でもあったことが分かる。

 

・見上ぐ子の雨を拭きとる傘の母  野衾

 

ことばの経済効率

 

毎週木曜日のテレビは『プレバト!!』
と決めていますが、
「俳句の才能査定ランキング」の先生は、
夏井いつきさん。
夏井先生が割と口にすることばの一つに「経済効率」があります。
タレントの的場浩司さんが、

 

職質をするもされるも着膨れて

 

の句を披露したときにも「職質」をとらえ、
「経済効率がいい」と、
たしかおっしゃった。
「職質」ということばによって
「状況が全部立ち上がってくる」と。
ちなみに、
的場さんのこの句はその後、
石寒太さん編著の『歳時記』に掲載されたそうです。
さて夏井先生がおっしゃる
「経済効率のいいことば」
ですが、
俳句に限らずのことだなぁと感じます。
俳句は十七音ですから、
一つ一つのことばの持つ情報量と互いのひびき合いが肝心ですけれど、
これは、
わたしの仕事でいえば、
書名を考えるときに応用ができそうです。
目の前の原稿を精読、
エッセンスをよく理解し、解釈し、
編集の時をへて本が完成し読者に届いたときに、
書名から読み手が本のエッセンスを想像し、
そこに至るような、
ニュアンスのある単語をえらぶ。
このごろでいえば、
『日常の冒険 ホワイトヘッド、経験の宇宙へ』
がそうだったかな。
著者に気に入っていただければ、
言うことなし。

 

・五月雨竹林に盈つほてりかな  野衾

 

安心が危険

 

若いころ、
自宅で骨折した話を読んだり聞いたりすると、
野外でならわかるけど、
どうして家のなかで骨を折るような大けがをするのか
不思議に思ったものでした。
が、
還暦を過ぎた今、
そのことがようやく身にしみて理解できるようになりました。
たとえば畳。
これが危ない。
夕飯は畳の部屋と決めており、
折り畳み式の小さなテーブルを出すのですが、
裸足でも、靴下を履いていても、
畳の目の方向に足を載せると、
一所懸命だけれどつまらぬお笑い芸人ほどに、つるりと滑る。
畳がこんなに滑るとは。
それがこのごろの発見です。
また、
一日のいろいろを終えて、やれやれ、
どっこいしょ、
床に就こうとするときも、
危ない。
布団は柔らかいという先入観がありますから、
からだを丸ごとドシンと布団に落とそうとして、手を突っ張る。
一瞬ですが、
手首に相当な重量がかかる。
これが危ない!
というようなことでありまして、
こころを安んじ力が抜けることの多い自宅ではあるけれど、
それは危険と隣り合わせなんだ、
と、
このごろ実感しています。

 

・保土ヶ谷を水墨画にして通り雨  野衾

 

本の外の本

 

むかし松坂慶子さんが歌った歌に「愛の水中花」がありました。
作詞は五木寛之さん。

♪これも愛あれも愛たぶん愛きっと愛…

そんなふうに始まる歌でした。
1979年リリースとのことですから、
四十二年前。
もうそんなになりますか。
長田弘さんの詩「世界は一冊の本」の冒頭を思い出しているうちに、
連想のシナプスが、あらぬ方向へ連結され、
そういえば、
これも愛、あれも愛、
って歌があったな、
と。
枕が長くなりましたが、
朝、
お気に入りの一人掛けソファに体を預け、
読みかけの本の頁を追いかけていると、
視界の上部を横切るものがあり、
ふと目を上げる。
と、
二羽の小鳥が飛んでいきました。
メガネを外して本を読んでいるため、なんの鳥かまでは見分けがつきません。
ソクーロフの映画にこれと似たシーンがあったような。
シナプスはまた別の方面へと連結され。
うん。
メガネを外した状態で見る薄ぼんやりした世界も悪くない。
しばらくそうして眺めています。
外を見ているのか、
内を見ているのか、
境界が次第に曖昧になってきます。

 

・裏木戸や保土ヶ谷に盈つ草いきれ  野衾

 

フーコーの本気度

 

ミシェル・フーコーの『性の歴史』の最終四巻目『肉の告白』が、
フーコー没後三十数年を経てフランスで刊行され、
その日本語訳が昨年暮れに出版されました。
この機にあたり、
ⅠからⅢを通して読み、
最新刊の四巻目を期待を込めて読みはじめたところ、
まだ途中ですが、
期待以上に引き込まれました。
フーコーがいかに深く聖書を読み込んでいたか
を思い知らされ、
また一哲学学徒として、
身一つで二千年のキリスト教史に切り結んでいこうとする気概を感じます。
ヨーロッパに生を受けた人間として、
他人事でなく、
キリスト教を無視するわけにはいかなかったのでしょう。
アウグスティヌスへの言及が極めて多いことからもそれが分かる
気がします。
慎改康之さん訳の読みやすい日本語のおかげもあり、
フーコーの肉声が聴こえてくるようで。
この一冊により、
フーコーに対する見方が変りました。

 

・夏草や下に蠢くもののあり  野衾

 

本とリンゴ

 

子どものときに本を読まなかったわたしが高校生になって本を読むようになり、
その後、
本づくりを生業にするようになったことについて、
これまでいろいろ、
書いたり話したりしてきましたが、
いま用意している拙著『文の風景 ときどきマンガ、音楽、映画』
に収録する跋文として、
敬愛する学習院大学教授の中条省平先生がお書きくださった原稿を読み、
あらためて、
わたしの本に関する身体感覚に思いを馳せました。
わたしが秋田に住んでいたころ、
リンゴを食べるとき、
包丁を使うことはもちろんありましたが、
包丁を使わずに、
リンゴの皮をズボンにこすり付け、
磨き、
それからリンゴを両手で持ち、
両手の親指をリンゴの上の窪み(梗窪《こうあ》と呼ぶらしい)に押し当て、
身体を中腰にし、
膝にリンゴをあてがい、
腰を入れ、ぐぐっと力を入れてリンゴを二つに割ることが、
間々あったと記憶している。
若かった父も、
力が強かった祖父も、
そうやってリンゴを割ってくれたから、
わたしも真似してそうした。
そうとうの力が要った。
二つに割れたリンゴは、みずみずしい飛沫が飛び散り、
まな板の上のリンゴを包丁で行儀よく切ったときとは違った美味しさがあったと思う。
その感覚は、
いまもわたしの指先に残っている。
紙の本を両手で持ち、
ノドのところをぐっと押し開くとき、
リンゴを二つに割ったときの快感がよみがえる。
それはさらに、
エロティックな連想にまで直結する。
芯と真。
かつて、敬愛する詩人から、
「どんな本が好きなの?」
と訊かれ、
ああ、ジャンルのことをおっしゃっているのだなとは思ったけれど、
わたしは、
「はい。分厚い本が好きです」
と応えて詩人に笑われ、
それでわたしも満足した。
が、
分厚い本が好きな「好き」の根底に、
リンゴを二つに割るときの体感があることに、
中条先生の原稿を拝読し、
いまそのことに思い至った。

 

・五月雨や男三人軒の下  野衾

 

三山について

 

わがふるさと井川町出身で、
秋田魁新報社長、秋田市長、いまの秋田放送社長などを歴任した人に、
武塙三山というひとがいます。
本名は祐吉。
なので、
三山は雅号ということになります。
「三山」は、
早稲田大学教授で『大日本地名辞書』の著者・吉田東伍が秋田を訪れたとき、
ねがっていただいたもの。
そのときの吉田のコメント、
「高山というものは、たいがい二国ないし三国にまたがっている。
例えば、鳥海山は秋田と山形の両県にまたがっているが、
ひとり太平山だけは秋田一国に独立して聳えている。
中国では太平山を三山と呼び、名山として名高い」
秋田にも太平山があり、中国の太平山の別名が三山であることからの提案、
ということになるでしょうか。
そのことは、
武塙本人が記していますから、それ以上のことはありません。
が、
「三山」という単語は、
郷土が生んだ偉人ということもあり、
わたしに深く刻まれているところがありまして、
「三山」を目にすると鋭く反応している自分に気づきます。
前置きが長くなりました。
ただいま岩波文庫で『文選』を読んでいまして、
その二冊目に沈約《しんやく》の「遊沈道士館(沈道士《しんどうし》の館に遊ぶ)」
という詩が収録されています。
その五句目が「銳意三山上(三山の上に鋭意し)」
しかして「三山」とは?
語釈を見ると、
「東海に浮かぶ蓬萊《ほうらい》・方丈《ほうじょう》・瀛洲《えいしゅう》の三仙山」
とあります。
仙山は、仙人が住む神の山。
武塙三山を、
わたしは写真でしか見たことがありませんが、
晩年の三山は、飄々として、
どこか仙人をほうふつとさせます。
沈約の「遊沈道士館」の詩からいっても
武塙さんには「三山」が似合っていそうです。

 

・梅雨の朝台湾栗鼠の駆け抜けり  野衾