「遠立」について

 

年に二回発行(コロナの影響で通常通りの配布が叶わず、
今回だけ、少し間が空いてしまいました)
している『春風新聞』には、
毎号、
新井奥邃(あらい おうすい)の文章から短い言葉を1ページ目に載せています。
今号の言葉は「相敬して遠立せよ」
互いに相手を敬いつつ、馴れ馴れしくすることなく、遠く立って接しなさい、
とでもなるでしょうか。
この「遠立」という単語、
聖書に出てくる言葉だと教えてくださったのは、
立教大学名誉教授の鈴木範久先生。
新井奥邃に関するシンポジウムが開かれたとき、
そのことをわたしに教えてくださり、
後日、
「遠立」がでている聖書の箇所をコピーし会社宛てに送ってくださいました。
現在流布している聖書には、
漢字二文字で「遠立」そのままはでてきません。
しかし、
聖書協会共同訳『聖書』「ルカによる福音書」第23章49節に、
「イエスを知っていたすべての人たちと、ガリラヤから従ってきた女たちとは遠くに立って、
これらのことを見ていた」
とあります。
イエス・キリストの十字架上の死を見ている大事なシーン。
「遠くに立って」=「遠立」
ということになります。
共観福音書中、
同じ箇所について、
「マタイによる福音書」「マルコによる福音書」は、
現行の日本語では、
共通して
「遠くから見守っていた」と表現しています。

 

・怒り去り真白き雲や衣更え  野衾