お金

 子供の頃、大きくなって仕事をしてお金を稼ぐようになっている自分を想像できなかった。今、仕事をしてお金を稼ぐようになっても、どうもその感覚が身に付いていない気がする時がある。
 例えば、土を耕し種を蒔く行為に対して、お金というのは仕事をしたことの代価だとしても、信用で成り立つものだから、具体的でないし隠れ蓑にもなり得る。
お金とやこの紙切れに秋の風

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例文

 9月に入りましたから残暑というのも当たらないのかもしれませんが、暑さは残っていますから、歳時記的にはともかく残暑です。
 ある国語辞書にこの「ともかく」の例文として、仕事ならともかく渋谷にはほとんど行かない、というのがあり、大笑いし、これは画期的な辞書に違いないと思った。小社から出ている『現代日本語モンゴル語辞典』の例文には、タイには象がいる、がある。
 人事ゆき笑ひも白む秋となり

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関係

 にょろにょろり主人(あるじ)無き間のサボテンは
 世話になっている鍼灸の先生のところでの話。
 予約制で、わたしはだいたい土曜日の午前十時半と決まっている。何度か通っているうちに、顔なじみの人もでき、挨拶を交わすようになった。「お先に」「あ、どうも。お疲れさまでした…」。お疲れさまはおかしいか、と思ったが、わたしと入れ替わりの中年の男性は靴を履き、そそくさと帰っていった。
 「どうぞ」。カーテンで仕切られただけのスペースに通され、ベッドに横になる。先生は脈を診、何箇所かに鍼を刺し、隣りの人を診に行く。しばらくするとまた先生がやって来る。診察しながら、いろいろよもやま話に興じたりもする。先週は、石から光が発するのを見た人の話をした。先生は、へー、とか、本当ですか、と驚いている。カーテンを開け、カーテンを閉め、隣りのカーテンを開けて、「今日も面白い話を聞けたね」「はい」。隣りは中学生の女子で、名前も顔も知らないが、カーテン越しにいつの間にか親近感が湧くようになっている。なんだか面白い関係。
 夏草や息まで青くなりにけり
 言葉もて塗り込めしのち今に触れ

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同居人

 夜の蜘蛛わが掌中に息ひそめ
 ふと見ると、壁に張り付いていたり、床でじっと身をひそめていたり。蜘蛛です。
 見つけると、つぶさぬように捕まえて、そっとベランダに逃がしてやります。
 つぶさぬように捕まえ、と書きましたが、これが結構たいへんです。柔らかく捕まえようとすると、ピッと跳ね、追いかけて捕まえようとすると、またピッと跳ね、十数回繰り返しているうちに、机の裏側に雲隠れしたりしてしまいます。ところが近頃、そっと指を近づけると、割りと簡単に捕まえられるようになりました。仲間同士で、あいつは殺さないから平気だ、みたいな申し合わせ事項が成り立っているのかな。
 幕末の異国船や紅葉坂

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教訓

 先日、気功教室の帰り、俳句を永くされているKさんに、「少し涼しくなってきて、俳句を作るにはいい季節になってきましたね」と申し上げると、「暑いときにも寒いときにも句はできます」。はぁ、そうやって作っておられるのかと、恥ずかしくなりました。
 句作せよ暑さのなかに色もあり

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フラっぱ

 文なほし脳中ぷちぷち夏の午後
 小・中の同級生のSさんから写メールが送られてきた。「フラっぱで撮った山百合」と。
 ところで、フラっぱ… なつかしい!! 原っぱが訛ってフラっぱ。かな? ぼくの中ではちょっと違うイメージなんだけど。なんというか、平らなところでなく、丘とか崖とかの、ある傾斜をともなった草地みたいな。ん〜、わからん。Sさん、どう?
 ちなみに、きのうの花火の写真もSさん提供による。大曲の花火大会のものだそうです。
 休めし手ふたたび蠢(うごめ)く虫のごと

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愛は

 肩寄せし二人眠らず熱暑かな
 湘南新宿ライン車中でのこと。向かいの席に若き日のバルバラ風の美女が座っていた。電車というのは、たまにこういうことがあるものなのですね。
 バルバラ風の美女は少々疲れている様子。それがまた彼女の美しさをいっそう引き立てているようでもあった。美人というのはなんにしても得です。足下には大ぶりのトランク。
 彼女の隣はといえば、わたしと同じか少し年下ぐらいの男性で、いくら冷房が効いているとはいえ、この暑さの中、バルバラ風の美女を右手でグッと自分のほうに引き寄せ眼をつぶっているのであった。バルバラ風の美女はそれをどう思っているのだろう。わたしは少々興味を覚えた。
 こんなに暑いのになんで寄り添ってくるのよ。肩まで抱いて…。と、そんなふうに思っているのかと最初は思った。ところがどうもそうとばかりも言えなそうなのだ。嫌がっているふうではない。ときどき、胸を開くようにして凝りをほぐす仕草を見せるものの、暑苦しい男の手を払い除けることはしない。ばかりか、たまにはなんと男の胸のほうにしなだれかかったりもするではないか。わたしは分からなくなって、もうどうでもよくなってきて眼を閉じた。ひょっとしたら、男もバルバラ風の美女の真意を計りかね、それであんなに強く抱き寄せていたものか。もう、本当にどうでもよかった。
 肩寄せし愛に暑さが勝ちにけり
 居眠りの瞼の裏の西日かな

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