なんだったのか

 アレ見たい?聞きし女子あり夏の午後
 Yさんという子がいた。色白で顔も体も丸っこいという以外にこれといった特徴のない目立たない子だった。小学校の六年間わたしはYさんとクラスが一緒だった気がする。はっきりとは憶えていない。
 Yさんのことで憶えているのは二つあって、一つは、わたしが水疱瘡に罹った時のこと。小学校三年生だったと思う。
 わたしはそれが伝染病だとも知らなかったから、学校を休もうという考えが全く浮かばなかった。親は?ということになるけれど、両親ともに出稼ぎに行っていて、面倒を見てくれていた祖父母も伝染病の認識がなかったのではなかろうか。わたしはとにかく無理を押して学校に通った。間もなく隣の席のYさんにうつり、Yさんは一週間か十日ほど休んだ。Yさんはしばらくして回復し登校してきた。わたしに不平一つ言うでもなかった。そんなこともあって、わたしは小学校を皆勤で卒業した。
 Yさんとの思い出の二つ目が上の句だ。
 直接言われたわけではない。当時仲の良かった子にT君がいて、掃除当番の日の放課後、T君は小声でわたしを呼び出し、わざわざ隣の部屋に連れていき、そのことを告げた。仲の良かったT君が嘘をついたとも思えないから、事実だったのだろう。遊びに来てくれたら、アレを見せてあげる。わたしはまだそういうことに興味を持つ時期ではなかった。Yさんでなくても同様だっただろう。ただ、いつも大人しくしているYさんがそんなことを言ったというのが不思議だった。
 後年、とある場所で偶然Yさんに出会った。わたしは背の高い美しいその女性がYさんであるとはよもや思わなかった。声をかけられて驚いた。色白なことと目元の感じが、言われれば確かにYさんなのだった。
 Yさんだとわかっても、わたしには二つのことしか話題がないので、大人らしく少し加減しながら言葉を択んで話した。Yさんは水疱瘡のことはうっすら憶えていたが、もう一つのことは忘れてしまっているようだった。はにかんでいるようにも見えたが、わたしの自惚れかもしれない。
 あれ以来Yさんとは会っていない。
 鬼やんま水すれすれの晴天なり
 熊ん蜂軒下夏を探しをり

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なんでも

 背後より掠め空斬る親鴉
 俳句を始めたとなったら、口を突いて出る言葉がやたらと五・七・五になってしまう。ダンスを始めた人が普段の生活にあっても習いたてのステップを踏んでしまうようなものかもしれない。
 お盆休みを利用し秋田に帰ってきた。その印象を句にしたり、写真に撮ったりしてきたので、しばらくここにアップしていきたい。お付き合いいただければ幸いです。
 弟から聞いた話。家の近くで耳障りな声で鳴く鴉がいて、そいつが鳴くと飼い犬が怯える。そこで弟は道端から石を拾い、そいつ目掛けて投げ付けた。逃げるかと思いきや、バサバサと宙に舞い、どこからか小枝を見つけてきて嘴にくわえ、電柱の上から弟に向かいギリギリギリと、まるで歯軋りでもするかのように、小枝を食い千切って威嚇してきた。
 何度かそういうことがあったらしい。あるとき、弟が家の外へ出ると、風を斬るように背後から何かが襲ってきて、弟は咄嗟に身をかわす。突風のように過ぎたかたまりを見遣れば、あいつだった。攻撃は一度ならず二度までも。
 鴉は3月から6月が産卵期。だから、鴉は季語でないけれど、親鴉、また鴉の子なら夏の季語ということになる。
 帰郷せりあかつき鶏舎のこゑを聞く

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見習いたい

 涼しさや一段ごとの秋を踏む
 きのうは気功の日。写真家の橋本さんがはるばる浦和からやって来た。まずは1日体験レッスン。初めてのこととて相当体にこたえるのか、さかんにア〜ッ!とかウ〜ッ!とかホ〜ッ!とか言いながらやっていた。
 帰りのホームでのこと。橋本さんは、わたしの知人のKさんに「俳句の先生は○○さんですか」と尋ねた。Kさんがながく俳句をされていることをわたしは前もって橋本さんに伝えていた。Kさんはとても驚き、「どうしてご存知なのですか」。「俳人の写真を多く撮ってきましたので。○○さんのこともよく知っています」。Kさんはさらに驚いた様子。「橋本さんも俳句をされるんですよ」と、わたしはKさんに言った。Kさんは大きく眼を見開き「まあ!」。
 同じホームだったが湘南新宿ラインの電車が先に到着し、橋本さんはシートに収まり手を振って帰っていった。程なく横須賀線の電車が滑りこんできた。お盆前なのに混雑は変わらず。
 保土ヶ谷駅に到着。エスカレーター前に並ぶ列の長さはいつも通り。ところがKさんの行動はいつもと違っていた。いつもなら娘さんと手をつなぎ長い列の後ろに並ぶはずなのに…。Kさんは長い列を見、娘さんの手を振りほどいて、あれよという間もなく階段に向かった。
 その後、保土ヶ谷橋へ向かうKさんの足取りは心なしか、いつもより軽そうに見えた。娘さんにそのことを質されたKさん曰く、朝から庭の草取りで汗を掻き、気功教室をどうしようかと思っていたけれど、そんなに休まずにできた。でも、くたびれた。そうしたら、橋本さんに○○先生のことを言われてびっくり。まさか俳句の話になるとは…。
 なるほど、そういうことだったのか!
 Kさん、今日は鎌倉で絵を描くらしい。9時集合だというから、もう電車に乗っている頃だろう。
 俳句好き膳より馳走の風薫る

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門前の小僧

 天高し文句ありげな乳房かな
 習わぬ経を師とし、俳句をならい始めました。いろいろ細かいルールがありそうですが、きっとそれは、俳句の世界を豊かにするための先人の知恵だろうと勝手に想像し、その段階に至れば、自ずと会得されるものなのでしょう。なんて、ズルイ考えのもと遊んでいます。そんなことなので、この頁に来てくださる方は、しばらくご容赦ください。
 鰯雲美乳美脚が闊歩する
 布団干し太陽取り込む百足かな
 夜半過ぎ百足這い寄る腹の上
 線香の煙りふうわり漂へり
 気功体朝靄のごとたなびけり
 ぶつぶつと怒り泡立つ秋の暮れ
 認識してもらいたいと茶をすする貴様何者
 最後の句は季語はないし五・七・五になってないし、でも、自由律俳句というのもあるから、まあいいかと。
 習わぬ経の人も、そこのところは大目に見てくれるので助かります。
 だいたいぼくの句は、日々のよもやま事の記録のようなもので、散文に少々飽きてきたのかもしれません(読まされるほうはたまりませんよね)。なので、自分をリフレッシュする意味もあります。ですから、これからも末永くお付き合いいただければ幸いです。

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暦の上では

 立秋やベランダの草揺れており
 友人から夜中にメールが来た。何だろうと思って見ると、風邪をひいたらしい。さっそく返信は、風邪っぴきダブルでだるき熱帯夜、と送った。そうしたらまたメールが来て、まあ、そんなところです、とあった。わたしは悪い癖で調子に乗り、夏風邪や熱競い合う熱帯夜、とさらに送った。すると今度は返信が来ない。気分を害したかと心配になり、夏風邪やだるさを忘るかき氷、と送った。もう、うんともすんともなかった。呆れて眠ってしまったのだろう。
 草白く名は知らねども輝けリ
 アゲハ蝶迷えるかごと舞っており

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記憶の形

 向日葵の坂を曲つた先の海
 秋田のわたしの実家は仲台というところにある。海抜どれぐらいの土地なのか調べたことはないが、名前からして高台であることは間違いない。そこからさらに奥山に向かって1時間も歩くと、ニホンカモシカや熊がよく出る大台というところに着く。大台出身の子供たちはみな長距離走が得意で、運動会がある度いつも上位の成績を収めた。
 大台の子供たちほどではないが、小学校時代わたしも毎日長い坂を上り下りした。どんなに高熱が出ても、伝染病に罹っても、親は学校を休ませてくれなかった。だから、休みたいと思ったことはない。学校は行かなければならなかった。
 くねくね曲った長い坂道を六年間歩いたことになる。低学年の頃は上級生の先導のもと、ニ列になって登校した。帰りは友達と歩いたり、急に用を足したくなって脂汗を流しながら家路を急いだこともある。足裏から伝わる坂の傾斜はわたしの記憶の形を作った。
 高校を卒業し秋田を出てから十回ほど引越したが、どういうわけか高台が多い。家に着くには坂を上らなければならない。
 横須賀に就職が決まり、引越しを手伝った父は、よりによってこんな不便なところに家を借りる馬鹿があるかと怒った。そこからは猿島からはみ出すほど巨大な米空母が見えた。
 気功を始めてから半年が過ぎた。裸足でも靴を履いても足裏がぴたりと地に張り付く感覚がある。足首がゆるみ、膝、腰がしなう。頭で思い出そうとしなくても、いろいろなことが思い出されてくる。味によらず、匂いによらず、足裏の記憶とでも言えようか。それを言葉にしようとするとき、あるシーンとなって浮んでくる。二音、三音の組み合わせによる五と七の音と言葉は、それを留めるのに相応しい気がする。新鮮で面白くも感じられる。俳句みたいな俳句でないものをここに載せているのはそういう訳です。
 いつかちゃんとした俳句になってくれればと願っているけれど、急ぐ必要はない。今は、足裏の感覚と初源の言葉の結び付きを、味わい、確かめるだけで十分だ。
 喧嘩して肩に重たきランドセル
 熱き砂たたずむは誰ぞ四十年
 燃えており叔母さんの胸ホタル狩り

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熱帯夜

 ウペンドラの「A」を観た日に二十年前のインド旅行が不意によみがえる。
 無灯にて闇夜を滑る襤褸タクシー
 コールタール夜を司るゲッコかな
 こは猿やにゅっと現るインド人
 ブッダガヤ尻拭く指を挟みけり
 サリー映ゆ祈り深かり鹿野苑
 妹が姉は後から物もらい
 ユアワイフ?エスマイワイフ逃れ旅
*ゲッコはヤモリのこと。

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