買い替えて月もあたらし新手帳
この季節になると、一人ウキウキすることがあります。それは、新しい手帳とカレンダーを買うこと。
カレンダーは、お気に入りの女性タレントが今年は作らないそうで、はてどうしたものかと思っていますが、手帳のほうは、いつものように、横浜駅ルミネ5階の有隣堂に行きました。
ここ15年ほど、高橋書店が出している81番か82番の手帳を使っており、今回も、サッと手を伸ばし、一旦は買うつもりになりました。が、ん? 待てよ、と、伸ばした手を引っ込めました。
というのは、去年から、見よう見真似で俳句を始め、句になっているかどうかはともかく、ここに載せるようにしています。句が思いついたら、手帳にメモすることもありますが、手帳だとちょっと小さいので、一計を案じ、薄い束見本(つかみほん。本を出版するときに、厚さや重さを知るため事前に作るみほん本。何も印刷されていない紙を使うので、落書帳に最適)を句帳にしています。ところが、このごろ2冊持ち歩くのが少々面倒になってきました。
そこで、さっきの手帳択びの話に戻りますが、手帳と句帳を兼ね備えたものにしよう! そうだ、そうしよう! さて、どんなのがいいかな…。
と、まあ、そういうわけで、あれこれ探しているうちに、1時間が過ぎていました。それでも、まだ迷い、迷いに迷って、迷い疲れて買ったのが、下の写真の右側、No.231[フェルテ1]。ふ〜。
さて来年は、句を作り、仕事もガシガシこなすぞー!! って、今年がまだ2ヶ月以上あるけど。
砂時計仕事終れり月夜かな
先日のフォーラムで聞いた話。
ある大学で、これからe‐educationと称し、インターネットとパソコンを使って教育を行い、実際に大学に出てくるのは年に数回で済むような構想が持ち上がっているという。
パソコン画面に外国人の顔が登場し、マンツーマンで語学を習得するシステムがテレビCMで流れていたが、あれも教育という営みの一部ではあるかもしれないけれど、教育本来の営みとは似て非なるものだろう。
大学関係者が、あんな形を模倣したがるとすれば、あまりに教育に対する哲学が無さ過ぎる。
教育というのは、誰がなんと言ったって、時代がいかに変わろうと、生身の人と人がこころを通わし、たましいのひびき合いがあってこそ成り立つ営みだろう。知識の習得ばかりが教育ではない。
神気通ということばを先日知った。生身の人どうしが触れ合うことで神気が通じなければ、教育とは呼べない。
ののしりてギッタギタギタ月寂し
途中、散歩と買い物に出たが、ほぼ一日原稿書きに没頭。ふ〜。
400字詰め原稿用紙10枚となると、生半可な気持ちではできない。パズルの断片を集めてくるような文章は、書いていてつまらないから、なるべく、太〜い話の筋道を、粗くてもいいから付けないことには落ち着かない。
「第85回公共哲学京都フォーラム」三日間のレポートをコール先生から頼まれたときから、自分の体にきいていたことを、なんとかことばにできただろうか。
ここにはもっと砂利を敷きつめないといけないな、ここには少し緑が欲しいな、ここはなんだか粘土質で水捌けが悪いな等々、粗くできた道を整備していく作業は楽しい。
とくべつの明日など無いさ月夜かな
三日間行われた第85回公共哲学京都フォーラムが熱気に包まれ終了し、充実感と程よい疲れに浸っていたら、コーディネートはこうでねえと(はい、ダジャレです)のコーディネーター・コール先生から、三日間のレポートを書いてほしいと頼まれ、誰あろう、二にして一のコール先生の頼みとあれば、断るわけにもいきません。
締め切りは来月なのですが、フォーラムのレポートということになると、やはり臨場感が必要ですし、また、何よりも記憶がはっきりしているうちに下書きだけでも記しておく必要がありますから、今日は一日自宅で原稿書きに勤しみます。
不習経さ〜ん、そういうわけで、今日はファックス送れないからねー!
疲れ来て月のめぐりの夜青し
奥邃を語りて黙す月夜かな
今回のテーマは「新井奥邃と公共人間」。昨年コール・ダニエル先生から電話をいただき、発題者になって欲しいということだったので、お引きうけした。提示されたタイトルは、「新井奥邃著作集と出版のこころざし」。変えてもよかったわけだが(実際、変えたが)結局、元に戻してそのままのタイトルでいくことにした。
三日間、朝9時から夕方6時まで缶詰状態での発題と質疑討論。どなたかおっしゃっていたが、討論が充実し、これほど面白いシンポジウムはなかなか無いのでは、と思った。
場所はなんと、ホテルサンルートプラザ新宿。「なんと」と言ったのは、「春風目録新聞」第2号「思想の場所」に中島岳志さんが書いているあのホテルサンルートプラザ新宿だからだ。
ここに大川周明、さらに北一輝が住んでいたのか…。その場所で、公開共楽を目指すフォーラムが開かれ、韓国人の金泰昌氏をリーダーとする集まりで新井奥邃が取り上げられるということに、不思議な縁(えにし)を感じた。
ビル点点車窓の月の濡れてをり
秘伝とや枝豆細毛光りをり
偽装に継ぐ偽装、毒入り餃子、毒入り米、毒入りミルクと世間を賑わし、だんだん麻痺して、またかという感じで、あまり驚かなくなってしまった。こうなっては、昔に戻って自給自足しかない。学校でも、毒入り給食を子供たちに食べさせないで、鍬の使い方でも教えればいいのだ。我が社の編集長ナイトウは、大手広告代理店を辞し、群馬で無農薬の農業を始めた方から毎月野菜を届けてもらい、それでも足りずにこのごろは、味噌まで自前で作っている。わたしは、米は農水省の下請け的業者である三笠フーズから仕入れずに秋田の父から送ってもらっている。これからは、生存に必要な衣食住はすべて自給自足することにより自分と家族を守っていくしかないようだ。
枝豆や莢飛び出して留まりぬ
秋の蚊や腕にひょんひょん中華そば
夕食後、背もたれのない椅子に座ろうとしたら、後ろにでんぐり返り、額の右側を机の角にしこたまぶつけてしまいました。後ろにひっくり返ったのに、後頭部ではなく、額というのは不思議です。咄嗟に体を捻じ曲げたのかもしれません。
後ろにひっくり返っていく瞬間の、宙に浮いたようなあの真空状態を、子どもの頃から何度か体験してきたように思います。
カッターを滑らし、右手人差し指の付け根を深く切ったときも、前の会社で鴨居に頭をぶつけ救急車で運ばれたときも、三年前に鎖骨を折ったときも、怪我をする瞬間の息を呑むような真空状態で、わたしは、何か他のちからによって助けられました。
ご先祖さまか、お天道様か、はたまたもっとほかのなにかか…。とにかく、わたしは自分を守ることさえ容易にできません。ありがたいことです。