話しかけられる4

 只管に辣韮ガリガリ食ひたき日
あれは二十数年前、
上り京浜急行線の電車内のことでした。
「あのー」
「はい」(停まる駅を尋ねられるのかと思って軽めに)
「つかぬことをお尋ねしますが」
「はあ」(やや不審に思いながら)
「むかし川崎で」
「はい」(相当不審に思いながら)
「トランペットを吹いていませんでしたか」
「は?」
「トランペットを吹いていませんでしたか」
「いいえ。吹いていません」
「いや。吹いていましたよ。ジャズ喫茶で」
「いや、吹いてませんて」
「いや、そんなことはないでしょう。吹いていたはずですよ」
「いや、わたしが言うんだから間違いありません。ジャズは好きだし、中学ではブラバンをやってましたよ。でも、トランペットを吹いていた先輩のくちびるを見て、トランペットだけはやるまいと思ってユーフォニウムにしたぐらいですから」
「……」
「残念ですけど、そういうわけです」
「そうですか。間違いないと思ったんですけどね。そうですか。失礼しました」
「いえ、どういたしまして。間違いは誰にでもあります。それにジャズのトランペット奏者と間違えられて悪い気はしませんから。むしろ感謝したいぐらいです」
「いえ、失礼しました」
「気になさらないでください。では。どうも」
 辣韮の激臭我れを粉砕す

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3センチ

 卸し金最後の一かけ夏大根
ズボンの丈が自分の脚より3センチ長いと
引きずりますね。
サラリーマン時代に買った、いい生地のズボンが
押入れから出てきたので、
ちょうど今頃の季節に合ったものだし、
と思ってやおら穿いて出社したのですが、
階段を上り下りするたびにズボンの裾が
靴のかかとに引っかかってイライラしてしょうがない。
帰りの電車を降りて階段を下りる場面では、
なりふり構わず、
ズボンの脇を両手でたくし上げました。
自分の脚を少しでも長く見せようと、
裾上げを頼むときに見栄を張ったのでしょう。
若かったんですね。
50を過ぎたら恰好よりも機能性です。
機能に見合う恰好といったらいいでしょうか。
 だまっこに添へて楽しも夏大根

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ニンニク醤油

 ニンニクを剥きて白さの輝けり
三月ほど前につくったニンニク醤油が
減ってきたので、
青森県産の新ニンニクを買ってきて、皮を剥き、
追加の醤油といっしょに瓶に投入。
採れたて新ニンニクというのは初めてです。
普通スーパーで売っているのは、
あれは乾かしたものなんでしょうね。
乾かしたほうがエキスが充満し、
ニンニク本来の味が濃厚になるのでしょうか。
でも、物は試しで新ニンニクを使ってみました。
大学時代からの友人が先日奥さん同伴で遊びに来ましたが、
奥さん言うことに、彼の家では十数年、
注ぎ足し注ぎ足しして使っているとか。
そうなるともはや、
秘伝のニンニク醤油ということになりそうです。
 ニンニクの剥き身睾丸つるりかな

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田所康雄の風

 辣韮を漬けて一日終りけり
NHK・BS2で放送された
「渥見清の寅さん勤続25年」の録画DVDを
貸してくださる方がいて、
きのう、さっそく見てみた。
シリーズ「男はつらいよ」は48作品あるが、
第47作にあわせ、収録風景や渥見清の
インタビューが撮られている。
体調がすぐれなかった頃のインタビューで、
顔色衰え、声にも力がなかったが、
そこから垣間見えるものは、
役者・渥見清というよりも
本名・田所康雄さんの素顔とでもいったものであった。
上野界隈で生まれた田所さんは、たまにふらっと
生まれ故郷に帰ってみることがあったという。
そのときの印象を、
「ポカーンと虫歯の穴のように開いていて」
と表現していた。
「歯が抜けたように」ではない。「虫歯の穴のように」。
また、「男はつらいよ」以外の映画で、
アフリカに長く滞在した折に
収録されたインタビュー(若い!)では
アフリカの風の印象を、
「どっかのマンションに当たって、ガソリンスタンドの脇を通ってきたっていうような風じゃなんだな。なんていうのか、地球に当たる前からどっかから吹いてきたっていうね」
昨年から今年にかけて
「男はつらいよ」をDVDでずっと見てきたけれど、
昨日「渥見清の寅さん勤続25年」を見、
渥見清の地にある田所康雄さんを吹き抜ける
虚無の風に惹かれてのことだったかと思わされた。
温かい人情とは真逆の、あるいは、
その底を吹き抜ける風は決して生温かくはない。
渥見清は晩年、放浪の俳人・尾崎放哉を演じたかったという。
 擂りおろし汁を啜るや夏大根

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話しかけるおばさん

 ガリガリと辣韮齧る毬坊主
今度は、JR横須賀線保土ヶ谷駅。
朝の電車に乗ったら、女性の声が聞こえた。
ずいぶん大きな声だ。
「…おじょうさん、フェリスなんだって。ほほほ。ゆうしゅうなんですよ。にゅうがくすると、せいしょをくれるんだって。ほほほ。せいしょにはきゅうやくせいしょとしんやくせいしょがあるんだって。ほほほ。それでね、このあいだきょうかいのぼくしがそのきゅうやくせいしょのがかだかでんどうのしょだかを…」
声を耳にしながら、
ぼくの頭は自動的に漢字変換を行っていた。
おじょうのじょうは嬢、ゆうしゅうは優秀、
がかは雅歌、でんどうのしょは伝道の書…。
大声であることと、会話の途中で挟まる「ほほほ」に
少し違和感をおぼえ、
ちらと声の主のほうへ目をやった。
50代ぐらいのおばさんで、吊り革につかまらずに、
足をぐっとふんばり、シートに腰掛けた白髪の女性に
話しかけているのだった。
女性は静かに目を落としている。
話しかけているおばさんと、白髪の女性は、
知り合いではなさそうだ。
車輪の音に邪魔され
ときどき漢字変換がうまく行かないときもあったが、
おばさんは飽きもせず
横浜駅まで見知らぬ女性に話しかけていた。
駅で降りると、
何事もなかったかのように、
人ごみの後ろに並び下りエスカレータに乗っていった。
 辣韮の臭さ恋しや富士裾野

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並ばせるおばさん

 浅漬けの胡瓜娘の匂ひせり
JR横浜駅京浜東北線のホームに時々出没します。
大柄のチェックのジャケットを羽織り、下はズボン、
メガネはかつてのフィンガーファイブを髣髴とさせる
顔からはみ出さんばかりの大きな
半分だけ色付きのサングラス。
姿勢は、妙にピッと立っている。
このおばさん、京浜東北線下りのホームにいて、
整列していない人を見つけると、
いきなり、大声で、
「おまえ、なんで並ばないか! みんな、ちゃんと並んでいるだろ! ちゃんと並びなさい。なにをっ! 反抗してくるか! おまえみたいな奴は初めてだ! これからどこへ行く! 言いなさい! 言いなさいって言ってんだろ! さあ言え! 言いやがれ!……」
おばさんに目をつけられた人は、
途中から完全に無視するか、
駅員に事情を話して助けてもらおうとします。
そうすると、並ばせるおばさんは、
それはもういきり立って、
尻から血が出るほど叫びまくります。
その人が電車に乗ってドアが閉まっても、
まだ叫び続けます。
「おまえみたいな奴は初めてだ! これからどこへ行く! 言いなさい! 言いなさいって言ってんだろ! さあ言え! 言いやがれ!……」
 辣韮を食ひて腹中そそぎけり

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ウェブ

 ぶつぶつと一人下校の青田かな
カメラマンの畏友・橋本照嵩さんが
春風社十周年パーティーの写真を持ってきてくれました。
ご参加くださった百数十名誰ひとり漏れなく、
しかも個性あふれる瞬間をとらえてくれています。
山形の工藤先生からいただいた幻の銘酒「十四代」の
ビンを持ち上げ、鼻眼鏡でじっと睨む儒教専門の教授、
わが町の町長さんと話しているのは、
息子さんのお嫁さんが秋田出身とかで、
その関係から秋田を訪ねたという相模女子大学の教授、
『沈まざる未来を』の著者・上田先生とお話されているのは、
『ニュージーランド百科事典』の著者・青柳先生。
本で知っていて直接お目にかかるのは初めての先生は、
手帳にメモをとりながら本の著者のお話を聞いています。
まさにウェブ。
ウェブには、クモの巣という意味もありますが、
織物という意味もありますね。
一枚一枚の写真を丁寧に見ていくと、
見えないつながりの糸が見えてくるようで、
愉しくなりました。
大事な宝物です。
 ブラウスに透けて乳房のあはあはと

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