秋の田

 落ちたらばそこより春と思ひ切れ
 故郷秋田はもう真っ白だそうだ。
 秋田は秋の田と書く。子供の頃、小高い丘の上から収穫前の稲田を眺めるのが好きだった。黄金色というけれど、実った稲穂はほんとうに黄金色に光る。風が吹いてくれば、さわさわさわとそよいで、やがて大きなうねりとなり、風が吹きぬけて行ったことがそれと分かる。そよぐ稲穂は黄金色から白く光りを放ち、ほどなく安心の黄色に落ち着く。白く光ったのは、産毛のような繊毛が生えている葉裏が翻って、あんなふうに見えたのだろうか。
 射抜かれて我慢とプツンの案山子かな
 批判され案山子への字に口を閉づ

47420bfc4df34-071113_1236~0001.jpg

ラ・フランス

 ふるさとや人間(じんかん)霞み青山あり
 『新井奥邃著作集』の監修者である山形の工藤先生がラ・フランスを送ってくださった。箱の中にきちんと並んだラ・フランスはまだ青青とみずみずしく、出荷者の心延えか、副えられた稲穂が収穫の喜びを伝えてくれる。
 数日置いて、窪みのところが柔らかくなったら食べごろ。庖丁で皮を剥くと、皮を剥くという感じはなく、皮と実のあいだに庖丁で割って入り、滑らせていくといった具合。味覚の秋は心踊る。
 坂上り人間(じんかん)おぼろに青山あり
 ラ・フランス庖丁すべらせ待つあひだ
 芋食ってクレッシェンドの放屁せり
 柳見て座右の銘をつぶやきし

4740c425575c1-071107_1513~0001.jpg

生きる宝

 なんだか大げさなタイトルを付けましたが、ご容赦いただくとして、
  名月や池をめぐりて夜もすがら
 松尾芭蕉に上の句があることを最近知りました。貞享三年(1686)芭蕉43歳のときの作で、句意は、名月に誘われ月影の宿る池のほとりを黙って歩き続けているうちに夜が明けてしまった…。
 其角ら数名の門人と芭蕉庵に会し、草庵で月見をしたときの作といわれています。
 禅密気功を教わり、自分で毎日練習するようになって体の感覚が少しずつ変化するとともに、自然への興味、自然との一体感をあらためて意識するようになりました。読むだけで終わっていた俳句を自ら詠むようになったのも気功のおかげです。
 ところで、上の句を読み、すぐに『背骨ゆらゆら健康法』の著者でもある朱剛先生のことを思い浮かべました。
 気功の説明をする際に、先生はいくつかのたとえ話をされます。気功を始めるときの状態については、冬眠している熊や蛇があたたかい春の陽を浴び、いいなぁ、気持ちいいなぁとまどろむような夢見ごこちの感じ。雑念は、野に放たれた猿や馬のようなもの。そして、禅密気功がめざす静かで落ち着いた気持ちは、たとえて言えば、月夜の晩に池のほとりをゆっくりと散歩するようなもの…。
 内容の濃い深く味わう必要のあるものは、洋の東西を問わず、やはり喩えをもってするのかなと面白く聞いていました。
 芭蕉の句を目にしたとき、ほんとうに驚きました。朱剛先生はこの句を知っていて、あの喩えをおっしゃったのかと思ったからです。先生にそのことをお尋ねしたところ、ご存じないとのことでした。
 禅密気功におけるイメージが偶然にも江戸の俳諧のエッセンスと一致した、というのが実相のようです。芭蕉が禅密気功を知っていた(ら面白かったのですが)とも思えませんし。深いところで偶々、というか、深いところが共時的に感得されたとでも言ったらいいでしょうか。
 先年亡くなられた教育哲学者の林竹二先生は、人間は(人間だけが)生まれつき備わっていない外の価値を文化として内に取り込み、生きる力にすることができるとおっしゃいました。少し分かりにくいことばですが、次のような例を引きながら林先生は語られた。
 たとえば、蛙の子は蛙、ということわざがあります。蛙の子は、(あたりまえですが)おたまじゃくしです。陸に上がっては生活できない、生物学的には魚類です。ところでおたまじゃくしが成長すると(これもあたりまえですが)蛙になります。蛙は水中でも陸の上でも生きられる両生類。ですから、おたまじゃくしと蛙では生物学的にはまったく違った生き物です。そのおたまじゃくし(=蛙の子)が成長すると自然に(不思議!)蛙になる、なってしまう。日本で生まれたおたまじゃくしをアフリカに持って行って池に放したら、(試したことはありませんが)やっぱり蛙になるはずです。「蛙の子は蛙」のことわざの面白さは、違った生き物に見える(実際に違った生き物です)蛙の子と蛙が、実は成長段階の異なる同じ生き物である、ということにあります。蛙の子(=おたまじゃくし)が外にある価値を自らの内に取り込んで蛙に成長した、というわけではありません。ところが人間は(人間だけは)外の価値を取り込み生きる力にしていくことができる。そこが他の動物と決定的に違うところだと林先生は語られました。
 禅密気功のルーツはインドのヨーガにあるようですが、その時代その時代に生きた先達が文化のエッセンスを内に取り込み自らの生きる力にしてきたものが今に伝えられているのでしょう。
 朱剛先生は禅密気功の伝承者である故・劉漢文先生の信望厚く、ストレス多き日本人に心身ともの深い健康法を伝えるべく日々活動しているわけですが、中国四千年の時間によって磨かれたせっかくの宝を見過ごしにする手はありません。
 気功をすることでからだの変化を味わうだけでなく、ことばに対しても違った地平が見えてきそうで楽しみです。

473cd03c7ac89-071113_1234~0001.jpg

何も書かれてない本

 女子中学生4人が体験学習に訪れ、窪木くん、多聞くんを中心に、思い出に残るような良き体験ができるように実作業をしてもらった。わずか二日間であったが、次第に緊張もほぐれ、本づくりの楽しさ、難しさを感じてくれたようで、そばで見ていて、うれしくなった。本を作るとき事前に必ず作る束見本(つかみほん。本の厚さを正確に知るためのもの)をプレゼントしたところ、4人が4人とも驚き、とても喜んでくれた。束見本を「何も書かれていない本」と言ったことばが印象に残った。束見本は見本のために作られるものだけど、見方を変えれば確かに何も書かれていない本、新雪のようなものかもしれない。わたしたちも良き体験をさせてもらった。
 金「楽しかった楽しかった楽しかったー!」
 紺野「学校なんていいから、ココで働きたい(笑)」
 住友「やったことないこと、たくさんできた。」
 安原「なんつーの、わかんない。とにかく、すごかった。」
 上のコメントは、4人の文章を本にした16ページの『わたしの好きな本』の帯のことば。「帯」というのも、ここへ来て覚えたんだよね。金さん、紺野さん、住友さん、安原さん、お疲れさまでした。
 発表会、楽しみにしています。

473b842175ada-071114_1523~0001.jpg

体験学習

 我が記憶マドレーヌより柳葉魚(ししゃも)かな
 女子中学生4人が体験学習のために来社。昨日は初日で、出版社って何をするところか、午前中わたしが説明し、午後からは窪木くんが編集について。さらに用意して来てもらった「わたしの好きな本」の作文をパソコンを使って、ほかの人の文章をそれぞれ入力。
 今日はいよいよ自分たちの原稿がどうやって本になるのかを知るために、多聞くんの指導のもと、実際に16ページの小さな本を作る。
 渺渺(びょうびょう)の時に淡雪触れて消ゆ
 手の平の淡雪ぬくく流れ落つ

img

ですます

 弁の立つししゃも顔なる理科教師
 この日記を読んだ専務イシバシから、いつの間にか「である」調から「ですます」調になっているのね、と指摘がありました。その日の気分と内容によって、「である」より「ですます」のほうが肩の力が抜けるような気がして、書きやすいのかな。あと、仕事で読む文章が圧倒的に「である」調なので、少し距離を置く意味もあるかもしれません。
 さて、今日と明日は地元横浜の中学生4人が体験学習のために来社します。窪木くんと多聞くんが担当責任者。わたしは最初に少しだけ出版の仕事の成り立ちについて説明します。
 鹿おどし遥の山も染めにけり
 鹿おどし連山紅くなりにけり

4738dc4ca9042-20071111184004001.jpg

仕事禅

 東北人むくれて黙す海鼠(なまこ)かな
 家に仕事を持って帰ってもなかなか思うように捗りません。どころか、まったく手に付かず(手を付けず)、金曜日に持って帰ったまま机上に置いただけで、溜め息をつきながら月曜日に会社へ持っていくこともあります。
 昨日のことです。ふと思うところがありまして、背筋を伸ばし姿勢を正して1時間机に向かいました。その時間の長いこと長いこと。休日だと思うと余計に長く感じられます。30分を過ぎた頃からスッ、スッと仕事がすすみ、あまり時計が気にならなくなりました。やっと1時間が過ぎたので、机を離れ、10分間だけゆっくり蠕動をします。蠕動は「じゅうどう」と読みますが、「背骨ゆらゆら健康法」の大事な動きの一つです。シャキッとしたところで再び机に向かいます。
 こうして昨日は落ち着いて、やや満足のいく時間を過せました。エンデの『モモ』に出てくる掃除人のベッポじいさんの気分です。
 鱈ちりやもっとおいらを誉めてくれ
 おだてられ鮟鱇(あんこう)のごと笑ひけり

4737893f5698d-070813_1726~01.jpg