下見

 

 待ちきれぬ山菜採りの匍匐せり

このところ異常に寒い日が続いています。
これまでのたまった借りを返すように
夏日がありましたが、
一日あったきりで、またすぐに寒くなりました。
それは、非常に困ります。
なぜならば、
ゴールデンウィークに、
近所のひかりちゃん、りなちゃんたちと
山菜採りと魚釣りをしに秋田に行くからです。
これでは山菜が生えないじゃないか。
アブラハヤがちぢこまって泳がないじゃないか。
秋田の父から電話がありました。
「今日、ひまだがら、山を下見に行ってくる」
父も母も心待ちにしています。
夜、会社を出てからケータイで秋田に電話を入れました。
アイコ数本とイタドリを採ってきたのだとか。
やはり寒さが影響しているようです。
ただ、山菜は一日暖かければ音を立てて伸びますから、
わたしたちが行く日までには、
きっと採りごろ食べごろになっているでしょう。
(と思いたい)
待ちきれない山菜採りたちのクルマが四、五台
山道脇に停まっていたそうです。
アブラハヤは?
父は、それもちゃんと下見をしてきてくれました。
日陰になった水の下に潜んでいたアブラハヤが、
近づく父の振動を察知してササッと泳いだと。
釣竿は、仕事の合間を縫って弟が用意してくれます。
どんな出会いがあるか、たのしみ!

 賑わいを黒に染めゆく春驟雨

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似たもの同士

 

 霞立ち幼き叔父の紅き山

南伸坊さんと糸井重里さんの紀行対談集
『黄昏(たそがれ)』は、
くだらなくも、おもしろい本ですが、
そのなかに、
年をとるとめまいが起きてくることについての
考察があります。
伸坊さんがあるとき、めまいがしたので、
心配になって医者に行ったら、
めまいは加齢とともに起きる現象で、
耳の中の三半規管が影響していると言われたそうです。
それはわたしも学校で習ったので、
本を読みながら、ふむふむと納得しました。
ところで、その医者がさらに言うことに、
ひとの話を聞くとき、必要以上にうなずく人は、
めまいが起きやすいのだとか。
また、
髪の毛が長く、
目にかかった髪を首を振ってかきあげる人は、
めまいが起きやすい。
そういう珍しい知識を教えてくれた医者の頭に
毛はなかったそうです。
その話を読んだとき、
わたしはすぐに友人のI君を思い出しました。
I君は、ひとの話を聞くとき、
腕組みして、何度も大きくうなずきます。
そうすると、I君はもうすこし年をとると、
めまいが起きてくるのでしょうか。
でも、と、わたしはすぐに思い直しました。
というのは、
I君の頭は、除雪車で雪を払いのけたように、
頭の真ん中にツルツルの道ができていて、
髪の毛をかきあげる必要は、金輪際ありません。
ですから、
ひとの話にうなずくことでめまいにつながるマイナスを
ツルツル頭が相殺し、
I君はきっと年をとっても
めまいが起きてくる心配はないでしょう。
かく言うわたしも、
I君に負けず劣らず、ひとの話にうなずいたり、
相づちを打ったりすることが多いようです。
でも、わたしの頭も、I君同様、
長い毛が生えない頭ですから、
首を振って髪をかきあげる必要はありません。
I君の頭の毛が50本なら、
わたしの頭の毛は100本くらいでしょう。
ですから、二人は50本100本なのです。
50本100本…。
ちょっと自虐的ですが、
どこが可笑しいかというと、
二人とも禿げていますから、
五十歩百歩と言うべきところ、
風前の灯の髪の毛が数えるほどしかありませんので、
50本100本。あはははは…。
それはともかく、わたしもI君も、
ひとの話を聞くとき、うなずく回数を減らせば、
まず、めまいは起きないでしょう。
小椋佳さんの歌で「めまい」というのがありますが、
小椋さんも「めまい」の起きない頭です。

 春眠や車中窓外富士の峰

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差別化

 

 新緑やカレイの煮付けの香り好し

横浜駅で降り、とある書店へ行き、
久しぶりにゆっくり店内を見てきました。
あたりまえですが、
どこもかしこも新しい本が並び、
ちょっとそわそわしています。
わたしがそわそわして、
そう感じただけかもしれませんが。
そこへいくと、
岩波文庫とか平凡社の東洋文庫とか、
落ち着いてしっかりしています。
時の波に晒されても風化しない本たちが
威厳さえ湛えているようです。
T.E.ロレンスの奇書『知恵の七柱』(柏倉俊三訳)
もあります。
ふと、思いました。
つぎつぎ刊行される新刊を、
インターネット書店で購入することにして、
街の書店は新刊を置かないことにしてはどうだろうと。
古い本を分類し並べるには、
それなりの知識を必要とするはずですし、
並べ方によっては
かなり啓蒙的な役割を果すのではないでしょうか。
たったそれだけのことで、
ずいぶんユニークな本屋さんに
なると思うんだけどなぁ。
それとも、客が減って商売あがったりかな?

 遠霞祖母の登りて行くところ

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二季

 

 横須賀線春日の丘の湿りけり

桜の季節が終り、いよいよ新緑の季節かと思いきや、
気温はなかなかそうなってはくれず、
何十年ぶりかの雪が舞ったり、
かと思うと、いきなり夏日に滑り込んだりして、
体がついていきません。
このごろは、四季でなく二季になったみたい。
きのう、今日と、鶯が近くに来て鳴いています。
おかしいな、おかしいな、ほーほけきょ、
ほんとにおかしいな、ほーほけきょ、
とでも言っているようです。
五月は山菜シーズン、
天の神様お願いしますよ。

 屋根よりも低いじゃねーか鯉のぼり

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説でなく節

 

 横浜横須賀道路緑立つ

十五世紀にできたハングルによる
お釈迦様の伝記『釈譜詳節』ですが、
わたしはどうも節を説と書く(正確には打つ)
クセがありまして、よく間違えます。
訳者の河瀬先生から指摘され、
あ! いけねぇ! ということで、
この日記のバックナンバーを検索し、
すぐに直しました。
が、まだ直ってないところがあるかもしれません。
誤植は怖いです。
その『釈譜詳節』、今度は朝日新聞で紹介されました。
記事を書いてくださったのは、佐藤善一さん。
取材の模様をそばで聞いていたのですが、
的確な質問をし、
先生の回答をすばやくノートに記していました。
パパッと分かりやすく説明することの難しい本ですが、
そこを佐藤記者は実に分かりやすく
まとめてくださいました。
コレです。
河瀬先生の願いの実現に
少しでもお手伝いできたことをうれしく思います。

 春たけなわカップヌードル午後三時

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経験をつむとは

 

 プチトマト添へて春日の角煮かな

人間は若いときに生えっぱなしにしておいた
雑草をとりのぞくのに、
一生のかなりの部分をすごす。
この作業がいわゆる経験をつむというものさ。

上の言葉は、
バルザックの小説『幻滅』(田村俶訳)に出てくる
カルロス・エレーラが、
自殺の場所を求めて歩いていたリュシアンに語るせりふ。
『幻滅』ではスペイン人の僧侶として登場する
カルロス・エレーラだが、
実は、同名の僧を殺してその人物に成りすましている
脱獄囚のジャック・コランである。
『ゴリオ爺さん』ではヴォートランとして登場していた。
悪の権化みたいな人物だが、
(それだからこそ)
こいつが出てくると、
物語がやたらワクワクしてくる。
この男に、おのれのしでかしたことを恥じ
自殺寸前だったリュシアンは救われる。
人生は不思議!

 新緑やゴーと消えゆく横須賀線

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韓国メディアによる取材

十五世紀に作られたハングルによる釈迦伝であり、
韓国の古典文学としても名高い『釈譜詳節』の
日本語訳(三巻予定しているうちの今回は上巻)を
今月刊行したところ、
韓国メディアがさっそく
訳者の河瀬幸夫さんを取材してくれました。
ありがたいことです。
ハングルを読める方は、こちらでどうぞ。

世界日報の記事
メディアブッダの記事

河瀬さんに、二つの記事を翻訳してもらいましたので、
日本語で読みたい方はこちらです。

世界日報の記事(日本語訳)
メディアブッダの記事(日本語訳)

人の話を聞いてまとめるというのも、
広い意味の翻訳ですから、
やはりむずかしく、
河瀬さんが話していないことまで
文字化している箇所もいくつかあるようです。
いずれにしても、
この度の仕事を偉業とし
衝撃をもって受け留めたであろうことは、
想像に難くありません。
中巻、下巻も、心してかかろうと思います。