酒の影響

 酒が回り、眼がとろ〜んと(たぶん)してくると、気分もいよいよ変化する。折り重なる時間の層が解けて流れて、二年前のことが、ほんのこのあいだのことに思えてきたり。思い出そうとしていないのに甦ってくる。脳の構造なんだろうけれども、おもしろいものだ。
 えー、家に帰り、夜中、プロディジーの『オールウェイズ・アウトナンバード、ネヴァー・アウトガンド』をガンガン掛け、その勢いで布団に倒れこみ爆睡、眼が覚めたら朝。

そこここの春

 きのうは関東では珍しく雪だったが、横浜では午後から晴れて、ぽかぽか暖かい陽気になった。朝、べちゃべちゃの雪をばしゃばしゃ撥ねながら歩いてきた塞ぎの虫がようやく収まり、風呂上がりのような弛緩した気分にしばし浸った。
 ベランダに置いてある黒松やケヤキの新芽が小さく膨らんでいる。ベランダを歩いて左の端まで行けば、雪化粧した富士山が遠くに見える。体を返すと右手後方にはランドマークタワーが偉容を誇っている。
 同じビル内に入っているジャパニアスという会社は、業態を順調に推移させ、間もなくランドマークタワーに引っ越すそうだ。社長さんから葉書をいただいた。わたしがジャパニアスのカワイアスと呼んでいる娘さんと廊下ですれ違った時、もうすぐ引越しですね楽しみですねと言ったら、はい、と、いい声でこたえてくれた。
 うちは引っ越さないけれど、新しい人が入った。アルバイトで一年頑張ったOさんは四月から正社員になる。何もかも留まることなく微妙に変化していく。頭の中身も変化し思考も変化する。自分のことなのに追いかけられないときだってある。ブラウン運動の宙に向かい、あ〜あ〜あ〜とでっかく背伸びしてみる。

白一色

 あたって欲しくない天気予報があたって、本当に雪。わたしがいまいるここは、鎌倉街道につながる道を見下ろす山の頂上で、反対の山の斜面に並ぶ家々に降り積もる雪がとてもきれい。眺めているだけならいいけれど、これから出かけることを思うと憂鬱になる。こちらに降る雪は、北の雪と違ってすぐにぐちゃぐちゃべちゃべちゃになる。踏みしめても、きゅっきゅっと絞まった感じがない。などと文句を言っても始まらないか。

3枚刃vs.4枚刃

 秋田生まれで餅肌のわたし(アハハハハ…)は、髭を剃ることにかけて、かなりのこだわりがある。
 シェーバーは、日本製のものから外国のものまでいろいろ試した結果、やはりブラウンが良かった。最近テレビのコマーシャルをとんと見なくなったが、街角でサラリーマンを捕まえてはジーッとやってもらって、トントン、はい、剃れましたねえ、というアレだ。
 が、ブラウンも含めシェーバー全般がわたしの肌に合わぬらしく、最近はもっぱらGilletteの3枚刃の剃刀を使っている。もう何年も。
 ところが、またまた最近、とは言っても去年だと思うが、他社から4枚刃の剃刀が出た。単純なわたしは、3枚刃よりは4枚刃だろうと単純に考え、さっそく買って試してみた。ら、ことはそれほど単純ではなかった。
 というのは、あくまでもわたしの個人的体験によればということだが、3枚刃にくらべ4枚刃のほうが、どうしても刃が並んでいる場所の面積が広くなる。3枚刃が5ミリあるとすれば、4枚刃はそれよりもちょっと広い。そのちょっとが実際問題おおきな違いとなって現れる。
 鼻の下でも顎のところでも割にフラットな箇所は、さすが4枚刃のほうが威力を発揮する。ところが、顔というのはご存知のようにフラットではない。デコボコしている。鼻と鼻の下の境界のところを剃る時において4枚刃は難渋する。ちょうど区画整理されていない不定形の田んぼに最新式のコンバインを入れるようなものだ。牛刀を以て鶏を割くたぐいかも知れぬ。
 数が多けりゃいいという、そんな単純なことではどうもない。

元気の素

 三月に入って少しは温かくなるかと思いきや、昨日の寒さには参ったよ。
 仕事帰り、小料理千成に寄って、いつもなら昆布焼酎をオン・ザ・ロックで飲むところ、とてもじゃないが氷など見る気にもなれず、お湯割りにした。「え! 珍しいじゃん!」じゃんて言われようが、寒いんだから仕方がない。料理もあったかいものを頼み、二、三杯飲んでいるうちに体もようやくあったまる。
 「このあいだの『義経』、常盤が一瞬いい顔したなあと思ったら、そのことをホームページに書いてあるんだもの」とママ。
 「ん!? ママ、読んでくれたの。ありがたいね。どうもどうも。あの一瞬の表情ね。よかったよなあ。見とれたもん」
 「母の顔だったね」
 「母の顔…。そうか」
 「おれも今度からインターネット見れるようになったから」とかっちゃん。
 「どしたの?」
 「娘が新しいパソコンを買ってさ、古いのをもらったんだよ。電源入れてから見れるまで五、六分かかるんだよなあ」
 かっちゃ〜〜〜ん、ママ〜〜〜、見てるううう?
 帰宅後、知人からありがたい電話が掛かってきた。子供たちがまだ小さく、やんちゃな盛り。下の男の子が電話を替わりたがり電話口に出て、「おじちゃん、いくつ?」「47」「★$♂知ってる?」「知らない」「ポケモン知ってる?」「知ってるよ」「◎◆△¥知ってる?」「知らない」「♀〓※≦知ってる?」「知らない」「おじちゃん、なんにも知らないんだね」なんてことで、トホホ…。暗くて長い坂道をとぼとぼ帰ってきたのだが、炸裂する質問にパワーをもらい、すっかり元気になった。

ZZZ

 荷物がいっぱいで、本とかCDとか。そのときどきに気に入って買い溜めてきたものだけど、今となっては整理するにも整理がつかず、捨てるに捨てられず。本棚が溢れ、上や下の戸棚が溢れ、これを過剰というのかと思ったが、そんなことではなんの解決にもならず、ああ、とかって、気を紛らせ電話するも、だれにもつながらず腰砕けな、そんな夢。
 でも、眼が覚めたらシャキーン!

成長する役者たち

 大河ドラマ「義経」第8話「決別」を観る。遮那王が都を離れ奥州へ行くことを決意し、お徳の計らいで、清盛、母の常盤に別れを告げる。
 まず、この回でわたしは初めて清盛が清盛に見えた。照明の効果も抜群、「夢を見るには力がいるぞ」のせりふを言う渡哲也は西部警察の渡哲也ではなかった。
 驚いたのは、常盤役の稲森いずみ。成長し今は遮那王となっている我が子牛若との別れの場面でのこと。滝沢秀明演じる遮那王は、母はわたしを捨てたのだとかつて思ったことを詫びる。幾度も涙を流した夜もあったけれど、世の中のことがだんだんとわかるようになり、あれは母の捨て身の行動だったのだと気付き、ありがとうございましたと頭を下げる。常盤は、今までの苦労はその一言で報われましたと目に涙を浮かべる。さて、問題はこの後だ。
 暇乞いをする遮那王に、しばらくお待ちをと言って立ち上がる。我が子のために縫い上げた召し物を取りに行こうとするその瞬間、ちらりと横顔が見える。わずか1秒ほどのことだったと思うが、うれしさに上気する母の気持ちが満面に現れ眼を奪われた。下世話で申し訳ないが、セックスを思わせるようなエロティックで狂気の輝きに満ちている。凄い!
 成長する役者たちと演出の冴えをまざまざと見せつけられた回だった。常盤の夫・一条長成役の蛭子能収の芝居は、彼の描く絵のようにヘタウマでそれなりにリアリティーを感じさせ、好ましい。こういう成長する役者たちに育まれ、義経は滝沢義経となって平成の世に甦るだろう。それを予感させる回でもあった。役者が役になることの過程と困難をつぶさに見られるのがまた大河ドラマの魅力であるかとも感じさせられた。
 弁慶は、いるだけで、ぐわっはっはっの笑い声が聞こえてきそうで可笑しいよ。なので、○。