白い紙

 秋抜けし背骨の揺れの軽きかな
 このごろ、ことばについて思うことがありまして。それは、ことばの周辺、あるいは隣り、とでも言えばいいでしょうか。
 ことばにならないことがあるとか、行間を読むなどということも言われますから、ことばがすべてではないということなのでしょう。しかし、それも、ことばにするから、ことばだけではないよと気づくのかもしれません。
 白い紙が目の前にあります。これに、ペンで点を付したとします。その点をじっと見ていると、点の周辺が少し暗く見えます。点の影のようです。ことばと、ことばにならない時間と空間の関係もこれに似ているような気がします。図と地。ことばがなければただの白い紙ですが、ことばが傍にあることで、陰影をもち、独特のニュアンスがそこに醸し出されてくるように思います。

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秋ごころ

 駆け上り何も持たずに鰯雲
 憂愁の愁。秋のこころって書くんですねー。そんなこと言ってる場合か。読まなければいけない原稿は山積み、毎日来客はある、見たい聴きたいイベントは目白押し、しなければいけないことだらけ。でも、ふと立ち止まると、虫の声が聞こえてきたり、空が妙に青かったりして、ドキリ。九月は病院に行く人が増えるんだそうです。なーんて言っているうちに十月だ。慌てずに急がなきゃ。

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横浜にぎわい座

 休日を何事もなく鰯雲
 すぐ近くにありながら行ったことがありませんでした。横浜にぎわい座。
 いいですねー。広すぎず、狭すぎず。常連のお客さんが多いせいか、始まる前から、場内あたたかい雰囲気に包まれていました。
 三遊亭楽太郎と林家木久扇(木久蔵の名前を息子に譲り、公募のなかから選び木久扇としたのだそうです)の落語は、さすがと思いました。
 「笑点」のイメージしかなく、二人のちゃんとした落語を聞くのは(それもナマで)初めてでしたから、新鮮で楽しい時を過ごしました。
 楽太郎が扇子を上手に使い、階段をトントントントントンと駆け上る音と仕草はほれぼれしましたね。隣りに座っていたオバさんが、「上手いもんだねー」と呟いていました。木久扇の田中角栄と大平正芳二人の総理の真似は至芸というしかありませんでしたね。笑わされました。
 木久扇のとき、携帯電話で話しているバカがいて、木久扇師匠、どうするかとドキドキしながら見ていたら、噺を止め、ニコニコしながら、「冷蔵庫にちゃんと入れておかないといけませんよ」とそのヤクザまがいの男に声をかけました。場内からドッと笑い。バカ男が電話で話すくだらない内容を漏れ聞いての「冷蔵庫〜」だったのでしょう。それでも男は止めません。
 師匠、ニコニコ顔をそのままに、電話が終わるのをじっと待ち、「終わりましたか。よござんすか。えーーー。どこまで話しましたっけね」(ここでまた場内からドッと笑い)と、何事もなかったかのように、噺を続けました。この辺のやり取りも、ほかの客が不愉快にならないように実に見事な対応だと感心しました。
 携帯電話のバカ男は、これも何事もなかったかのように、最後まで木久扇の落語を聞き、拍手を送り帰っていきました。

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鼓童

 台風来ヘクトパスカル重たかり
 りなちゃんのパパが車を出してくださり、秦野市文化会館へ。久しぶりに和太鼓集団鼓童の舞台を堪能してきました。
 もう5、6度見ていますが、何度見ても泣けてきます。世界に通用する数少ない舞台だと思います。
 太鼓の音の豊かさも然ることながら、演出がすばらしい。1年の3分の1を海外公演、3分の1を国内公演、3分の1を地元佐渡で過ごすということですから、仕込みを十分にしているんでしょうね。禁欲的で求道的な感じすら受けます。
 日本で、あれだけ仕込みをしっかりするというのは大変なことでしょう。有名な役者を多くそろえ、きらびやかに魅せる舞台は腐るほどありますが、ほんとうにこころの底から感動して、よし、もう少しがんばって生きてみようと思えるような舞台は、そうそう多くありません。
 わたしの斜め前で見ていた白髪の女性は、直径1メートルを越すと思われる超特大の太鼓に振り下ろす杵のような太いバチに合わせ、両手を空に振り下ろしていました。りなちゃんも、眼をカッとみひらき、舞台を食い入るように見ていました。
 舞台とはなにかを考えさせられる、すばらしい公演でした。出場した全員並んでの「ありがとうございました」の気持ちよかったこと。
 ありがとうございました。

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低気圧と肩凝り

 中年がイカ焼きビールに舌鼓
 台風13号が本州に接近していますが、そのせいかどうか定かではありませんが、少し肩が凝っています。
 気功をずっと続けているおかげで、ほとんど気にしない生活を送っていますが、気圧の変化、とくに低気圧のときにどうも肩凝りになるようです。
 素人考えでは、気圧が下がると、微妙に血管が膨らみ血圧は通常より下がっても、膨らんだ血管が神経を刺激するのではないか。まぁ、風が吹けば桶屋が儲かる式の考えなのですが、ネットで検索すると、気圧の変化によって肩凝りや頭痛を訴える人はかなりいます。雨の季節は古傷が痛む、なんてことも言われますから、何らかの因果関係はあるのでしょう。
 蒲鉾を焼いてポカンと白い秋

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一番のたのしみ

 あさまだきたれにささやくすすきかな
 休日、近所のひかりちゃん、りなちゃんといっしょにおむすびを作りました。
 秋田から送ってもらった米を炊き、炊き立ての御飯をつかって作ります。
 塩おむすび、味噌おむすび、それと、焼きおむすび。
 おにぎりとも言いますが、気分的におむすび。
 塩や味噌のしゅるいをかえるだけで、けっこうバリエーションをたのしめます。
 ひかりちゃんは、ご飯を適量に区分けしよそうかかり、わたしはにぎるかかり、りなちゃんはにぎったおむすびをノリに巻いて皿にならべるかかり。おこめのかおりにつつまれて、気持ちまでふわっふわ。
 できたおむすびをみんなで食べる時間はまたかくべつです。
 ひかりなとむすびにぎりて秋暮るる

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痰吐き女

 すすき原ギンガギンガと揺れてをり
 うわさにはその類の人間がいると聞いていたが、実際に見るのは初めてだった。
 東京駅の地下で下り横須賀線の電車を待っている時だった。ホームの乗車口案内の表示に従い電車が来るのを待っていた。ふと横を見ると、年の頃七十ちょっと前くらいの女性がいた。若い時整形でもしたのか、顔の皮膚が引き攣り、てかてかしている。整形した人の顔というのは、どこか似ている。人間のやるわざだからか。
 その女性、やにわに、カーッ!と大きな声を出して痰を切ったかと思いきや、ツツツと歩いて、ホームに置かれているゴミ箱の一つに直接痰を吐き出した。普段からそうしているのか、特別のことをしたというのでもなく、また元の列に戻って並んだ。なにか恐ろしい気持ちの悪い生き物を見た気がした。

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