さなぎ

 

 夏風邪さん鏡の我の鼻毛かな

きのうのことです。
と断らなくても、ここに書くのはだいたい
きのうのことをネタにしているわけですけれども、
それはともかく。
会社の帰り、性懲りもなく、
また横浜駅西口にあるヨドバシカメラに寄って、
デジカメプリントを三枚出力してきました。
三回も行っていますから、
この頃は、
動作がすっかり板についてきた気がします。
今回のは、
近所のひかりちゃんへのプレゼント用。
保土ヶ谷の急な階段を一気に駆け上がり、
鞄をいったん家に置いてから、
その足でひかりちゃんの家まで直行、
ピンポーン! こんばんは。これ。
ありがとう。
玄関口で渡して回れ右。
階段をスタスタ下りていると、
上から、トントントントントンと音がしました。
あれっ? なんだろう?
見ると、りなちゃんでした。
「みうらちゃん、さなぎが蝶になったんだよ」
学校で飼っている、
と前置きがあったようにも思いますが、
正確に覚えていません。
「蝶になったか!」
りなちゃんは、とてもうれしそうです。
さなぎが蝶になったことを目撃したその興奮が
直に伝わってきます。
モコモコ動いていた青虫が、
いつの間にかさなぎになって動かなくなり、
死んでいるのかな?と思いきや、
そんなことはなく、
やがて、
華やかな蝶に変身して空を舞うのですから、
ビックリです。
教えてくれてありがとう。
「朝ね、ゴミ出しをしたとき、
クワガタムシを見つけたよ…」
じゃあ、またね。バイバイ。
バイバイ。

 夏風邪に曳かれ湯舟の思考かな

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思い出の本

 

 緑さす俺の名前を菊名てか

いただいた図書カードが残っていましたから、
休日出勤の仕事が一区切りついて、
いい気分で家へ帰る途中、
久しぶりに横浜ルミネ五階にある有隣堂に向かいました。
マルカム・ラウリーの『火山の下』が
新訳で出ていましたので、さっそく購入。
わたしはこの本を、
長田弘さんの『読書百遍』で知りました。
キラキラするような本を
長田さんが紹介してくれているのですが、
どれも読みたくなるような書き方で、
わたしは『読書百遍』の巻末のリストに
鉛筆で○を付けながら読んだ記憶があります。
『火山の下』はその中の一冊でした。
かつては『活火山の下』と訳され、
長田さんも、
その日本語タイトルで紹介していたはずです。
当時、新刊では売ってなくて、
古本屋などを探しましたが入手できずにいたところ、
師匠・安原顯さんの書棚で見つけ、
借りて途中まで読み、
安原さんの感想を聞くこともなくお返ししました。
新訳で、
今度はちゃんと最後まで読もうと思います。
もう一冊買ったのは、
西岡兄妹の傑作『この世の終りへの旅』。
これは以前、
横浜駅のダイヤモンド地下街にある
有隣堂のマンガ本コーナーでたまたま目に付き、
ぱらぱらめくっていたら、面白そうで、
しかも、ひょいと見たら、
解説を、あの中条省平さんが書いているではありませんか!
というわけで、さっそく購入し、
すぐに読んだ本です。
ほかの西岡兄妹の本は今も持っているのに、
これだけが見当たらず、
欲しくなって、買いました。
思い出と合わせて買って、
図書カードの残が485円になりました。

 清水吸ふ田芹の甘さ苦さかな

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いい本は売れない!?

 

 衣更へしてハンカチ忘れをり

本の業界では、
「いい本は売れない」ということが
まことしやかに言われてきました。
売れなくても、いい本をつくっているんだぞという、
自己満足と慰めの意味もあるのかもしれません。
きのう、ある大学の先生から電話がありました。
国立大学の学長をされた方で、
今は、私立の大学で教鞭をとっておられます。
先生とは、もう三十年来のつきあいになります。
「最近はどうですか?」と先生、おっしゃるから、
「今年は、電子書籍のことで大賑わいですが、
ウチとはあまり関係ないみたいです。
いまにきっと飽きて、
紙の本にみんな戻ってくるような気がします」と
申し上げたら、
先生「わたしも全く同感です」。
先生と話すのは楽しいので、
わたしは調子に乗り、
「いい本は売れないと、
業界ではジンクスのように言われてきましたが、
売れる売れないの境界の冊数がいかほどか
分かりませんけれど、
十一年会社をやってきて、
体験的に言えるのは、
いい本はドバッとは売れないけれども、
ポツリポツリと途切れずに
売れていくものだということです」と申し上げました。
する先生、間髪入れずに、
「そうだろうな。
三浦君の会社が潰れずにいるんだから」。
ここでわたくし、呵呵大笑。
先生も電話の向こうできっと微笑んでおられたことでしょう。
以前、先生に向かって、
「先生は口が悪いなあ」と申し上げたら、
「そんなことはないよ」と否定されました。
わたしは、「本当のことを言う人を、
世間では口が悪いというみたいですよ」と
食い下がりました。
すると、先生、「なるほど」。
今、先生の本を編集しています。
ポツリポツリと売れていく本になるでしょう。

 水三杯飲んでそろそろ梅雨となり

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南伸坊さん

 

 ゴミ出しの空を見上げて衣更へ

『三島のジャンボさん Mr.グラウンドワーク』の
装丁を南伸坊さんにお願いし、
引き受けていただきました。
FAXで概要を伝え、
しばらくして電話をかけました。
口頭であいさつをしたあと、
「南さんにお原稿をお願いしたことがございました」と
告げると、
「どんな内容の原稿でしたか?」とおっしゃいますので、
「弊社の目録新聞の特集「活字と本」の
原稿をお願いしたのですが、断られました」
とお答えしたところ、
「あはははは…」と呵呵大笑。
こっちまで、
つられて大笑いしてしまいました。
電話でのことでしたが、
しかも仕事の緊張した話なのに、
一気に緊張がほぐれ、
なんだか、とても愉快でした。
ちょうど南さんの近著を読み終わったところでしたから、
余計お人柄が偲ばれました。
三島のジャンボさんは、
体も大柄で、
大黒様のようなありがたい感じの人です。
のっし、のっしと歩きます。
活動の合言葉は、
「右手にスコップ、左手に缶ビール」といいますから、
大黒様が長靴履いて、
右手にスコップ、左手に缶ビールのイメージで
どうでしょうかと南さんにお願いしました。
どんな装丁になってくるか、
ワクワクします。
ちなみに、わが社の専務イシバシ、
ある時、「大福、大福」とさかんに言いますから、
何を言っているのかと思いきや、
大黒様と言いたかったようなのでした。
夕方のことでしたから、
そろそろ腹が減ってきていたのでしょう。

 衣更へしてハンチング選びをり

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デジカメプリント

 

 過剰にて本棚あさる五月かな

きのうの帰りがけ、
横浜駅西口にあるヨドバシカメラに寄って、
初めてデジカメプリントを体験しました。
機械にはとんと弱いほうなので、
見栄を張らず、
「初めてなもので、教えていただけますか?」と、
係りの人に頼みました。
メモリーカードをセットするところから、
親切にゆっくり教えてくれました。
やってみると、そんなに難しくありません。
ひととおりの説明を受けてから、
あとは自分でいろいろ試してみました。
次からは、一人でもできそうです。
さて、先日のスポーツフェスティバルですが、
近所のりなちゃんが、
三年生の児童代表であいさつをしました。
それをわたしは、かなり近づいて撮影しました。
デジカメプリントがいいのは、
トリミングやズーム、色補正が簡単にできること。
面白くて、
つい、時の経つのを忘れてしまいます。
写真の中のりなちゃんは、
少し緊張しているようですが、
とても晴れやかで、大きく見えます。
初めて会ったのは、
りなちゃんが幼稚園のときでしたから、
その頃のことを思えば、隔世の感があります。
人の気持ちは流れる川のごとく
一瞬もとどまることはありませんから、
推し量るのは難しいわけですが、
写真に写った表情から、
その時のいろいろな気持ちが一つになって見えてくるようで、
うれしくなりました。

 六月に入り晴天つづきをり

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秋田の魅力

 

 スポフェスにエビチリ持参の五月かな

日本を代表する写真家で、
1974年5月31日に亡くなった木村伊兵衛は、
1952年6月から1971年2月までの20年間に、
通算21回、秋田を訪れたそうです。
最初はそんなに足しげく通うつもりはなかったと、
何かに書いてあったのを、どこかで読んだ気がします。
また、わたしの友人で、
現在ヨーロッパで活躍している音楽家のSATOSHI REIさんは、
宝塚出身ですが、学生時代多いときは、
年に七、八回も秋田を訪れたと聞いています。
REIさんに、かつて、
「秋田のどこが、そんなにいいの?
特に何があるわけではないでしょう?」と訊いたことがありました。
その時REIさんの言った言葉が忘れられません。
「何もないところがいい」
わたしの質問に困ったのかもしれません。
REIさんが秋田の印象からインスピレーションを得てつくった
曲に「水の向こうに」があります。傑作です。
聴くたびに、なんというか、血が騒ぎます。
もちろん秋田には、
観光地だって、美味しい食べ物だって、人情だって、
自慢できるものが、いろいろあります。
わがふるさと井川町には、「自慢こハウス」という
土地の産物の直売所もあります。
人とおカネを引き寄せるためには、
みんなで知恵を出し合い、方策を考えなければなりませんが、
「あるものの魅力」の根底に、
「ないものの魅力」が横たわっているような気がします。
そういうことを感じ、考えたのは、
今年のゴールデンウィークに、
横浜で親しくしているご家族の車に乗せてもらい、
秋田に行ったことがきっかけでした。
小3と中1の女子は、
奥山の谷から湧き出る清水を手で掬って飲み、
山菜を採りに山へ入り、
川でアブラハヤを釣り、
鶏小屋で卵をとり、それはそれは楽しそうでした。
秋田に住みたいとも言い、別れ際に涙ぐむ子どもの姿に、
涙もろいわたしの父は、もらい泣きをしていました。
印象的だったのは、
子どもたちが、家の周りをぐるぐる散歩し、
小高い丘から朝靄にけむる奥の山々をジッと眺めていた姿。
木村伊兵衛や、友人のREIさんを惹きつけた秋田の秘密を、
垣間見た気がしました。
軽々に言うことは控えなければなりませんが、
芸術家と子どもの魂を震わせるものが、
秋田にはありそうです。

 スポフェスやデジカメ多し子等よりも

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休日の仕事

 

 壇上の児童まぶしき春祭り

どうしても進めておきたい仕事があり、
日曜日のきのう、九時前に出社しました。
会社には誰もいません。
この頃とっている地元の秋田魁新報を読んでから、
パソコン画面をにらみ、
インタビュー記事を直していきます。
進むこと進むこと!
昼までに、だいぶ捗りました。
部屋に鍵をかけ、ビルの外へ出て伸びをし、
それからいそいそと太宗庵へ。
「ちわー」と入ると、
入口近くに初老のお客さんが一人。
女将さんが、「あら、どうしたの?」と訊きますから、
「女将さんに会いたくてさ」など言い、
いつもの座敷に上がりこもうとしたら、
厨房から大将が、
「お、どうしたの? 日曜日だっていうのに?」と言うので、
「大将に会いたくってさ」と答えましたら、
お茶を運んできてくれた女将さんが、
それを聞きつけ、
「あら、そういうことね」と、
少々ご機嫌ななめな笑顔を見せてくれましたから、
「二枚舌はいけませんね」と申し上げると、
女将さん、首をコクンとまた笑顔。
こんな会話を楽しめるのも、
仕事が捗ったればこそのことで、
わたしは、いつものせいろ蕎麦とカレーうどんを頼みました。
ここに来ると、
どうしても蕎麦とうどんを一緒に食べたくなります。
お客さんで、お店がだんだん混雑してきました。
やがて、中年女性三人が座敷に上がりこんできて、
ぼくを取り囲むようにして座り、
一つしかない座敷のこととて、窮屈で、
身を縮めて食していましたら、
左頬の内側を噛んでしまい、
こんちくしょー! と自らを責め、
でも、何事もなかったかのように食事を終えました。
三人の女性のうちの一人が、
キンキンした声の持ち主でイラッとしましたが、
わたしが帰ろうとして、座敷を下りる時に、
「ありがとうございました」とキンキンした声で丁寧に
言ってくれましたので、
キンキン声も悪くないなと思い直しました。
会社に戻ってスパートをかけ、午後五時まで。
電話も鳴らず、平日の1.5倍ほど進んだでしょうか。
充実した一日でした。

 スポフェスの子等のびのびと五月かな

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