従姉

 

 過ぎ去ればほぼ半分の五月かな

家に帰ったら、留守電に一件登録がありました。
秋田弁で名前を告げていましたから、
すぐにわかりました。
電話をしてくるのは初めてのことです。
わたしの父の姉の長女(ややこしい)で、
いとこのなかで一番年上です。
父の妹よりも年上で、
電話をくれた従姉にしてみれば、
自分より年下の叔母が三人いることになります。
ややこしいですが、
昔はそういうことが、よくあったんですねぇ。
早くに結婚して、
遅くまで子どもをたくさん生み、育てますから、
必然そうなります。
しばらくしたら、
また電話がかかってきました。
入院先の公衆電話からとのことでした。
暇ですることもなく、
俳句や短歌を作ったから、
批評してほしいとのことでした。
大学ノートに書き付けたものもあるから、
お盆に帰省したとき、見てほしい…。
わたしのつくる俳句は極めて我流で、
批評できるほどのものは持ち合わせていないけれど、
そんなことはこの際関係ないと思いましたから、
電話口で暗唱してみせる従姉の俳句や短歌について
感じたままを正直に伝えました。
電話を切った後、
いろいろあったであろう従姉の人生に
思いを馳せました。

 山椒の芽唇腫らすを待ちにけり

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大あくび

 

 つままれし蛇のうろたふ「ひ」の字かな

仕事を終え、紅葉坂をてくてく下り、
横断歩道を渡って、
そこで曲がらずにさらに二十メートルほど進んでから
右に曲がります。
JR京浜東北線と並行するちょうど裏通りに当たり、
表通りほど、うるさくありません。
ですから、晴れた日には、
だいたいそのコースを通って
桜木町の改札に向かいます。
きのうもそうでした。
空を見たり、辺りを見回しながら歩いていくと、
反対方向から女性が近づいてきました。
人通りが少ないので、
つい、彼女のほうに目を奪われました。
齢五十は回っていると思われます。
と、突然あくびをしました。
晴れてるし、
気持ちが良かったのかもしれません。
大あくびです。
それも、相当長い時間。
ああああああああああ、と、
空を仰ぎ見ながら、まだあくびをしています。
やっとあくびが終り、
それから何事もなかったように歩いていきます。
ちょっとうれしくなりました。
わたしもつられてあくびが出ました。
長さは彼女の三分の一ぐらいでしたでしょうか。

 山の上ホテルを遊ぶ五月かな

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サイコウのハンコ

 

 部屋に居て三山偲ぶ五月かな

先週のことです。
社の真ん中にある木のテーブルでゲラをチェックし終え、
総務のN田に、
「後ろのサイコウのハンコ、取ってくれる?」
と頼みました。
N田さん、ほんの一瞬でしたが戸惑いの様子をみせ、
それからすぐに後ろを振り向き、
「再校」のハンコを取り、手渡してくれました。
はは~ん、と思いました。
だれだって、「サイコウ」と言われれば、
「最高」の文字をまず思い浮かべるのはないでしょうか。
最高のハンコ。ん!? どういうこと?
と、N田さん一瞬悩んだかもしれない。
最高のハンコがあるなら、
最低のハンコもあるのかしら?
というところまで
考えが及ばなかったとは言い切れません。
再校ゲラの一枚目に「再校」のハンコを捺した後、
わたしはしばらく、
最高のハンコと最低のハンコについて考えました。
たとえば秦の始皇帝がつかったハンコなら、
最高のハンコといわれても仕方がないか。
ならば最低のハンコは?
捺してみて、
なんの文字か読めないハンコは最低かな、なんて。
こんなことでも楽しくなります。

 蛇まはす父の破顔の入歯かな

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アジア的笑い!?

 

 足音を聞いてはらりとつつじかな

カメラマンの橋本さん来社。
二時に来客の予定がありましたので、早めに、
「橋本さん、昼飯、食べに行こうよ」
と声を掛けると、
「ニラレバ食べに行こう!」と橋本さん。
「え。また、ニラレバ」
このあいだ来社した折も、
橋本さんに誘われニラレバ炒め定食を食べたのでした。
「ははははは。ニラレバじゃなくてもいいけど」
「わかったよ。ニラレバ食べに行くよ。
それにしても、橋本さん、ニラレバ好きだねぇ」
というわけで、
野毛坂の途中にできた、
中国人夫婦がやっている中華料理店に向かいました。
石橋同行。
石橋がそこで食べるのは今回が初めて。
さて。
橋本さんとわたしは、ニラレバ炒め定食、
石橋は豚肉とタケノコ炒め定食を頼みました。
いずれも650円。
程なく、
ニラレバ炒め定食のほうが、先に出てきました。
それを見た石橋がすかさず、
自分のはご飯を半分にしてくださいと
ママさんに頼みました。
通じたようでした。
すると、橋本さんが、
多ければ自分が食べるから、半分にする必要はないと、
ママさんに訂正を申し入れました。
わたしももらって食べるからというので、
橋本さんに同意し、
石橋のご飯を半分にしないでくれと頼みました。
ママさん、歯を出して笑っています。
むむ!? アジア的笑い!?
さて結果は?
豚肉とタケノコ炒め定食が出てきて、
やはりと思いました。
茶碗に入っているご飯の量は半分です。
「ご飯を半分にしてほしい」はなんとか理解できても、
男二人が頼み入れたのに、
「そうしなくてもいい」の訂正日本語は、
やや込み入っていて、理解不能だったようです。

 言葉はね隠すためだよ春の海

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iPad予約開始

 

 八重桜子らの遊びをつつみをり

パソコンでもケータイでも、
メールを受け取らぬ日はないし、
送らない日もほとんどありませんが、
すべてそれで済ますかというと、
そういうわけでもありません。
なんとなく、
というか、かなり意識して、
でも自然に手紙とメールを使い分けています。
さらに言えば、FAXも。
手紙→FAX→メールの順で、
身体性が減殺されていくような気もするし、
逆に、
メールは手書きの文字ではありませんから、
身体性が薄い分、
体とこころをもとめて、
相手を推し量るということがあるのでしょう。
絵文字がそれを補ってくれたり。
話変わって本のことです。
iPadの予約がいよいよ始まったという記事が、
紙の新聞に出ていました。
(このごろは、
「紙の」と断らなければならないところが、ややこしい)
いろんなところで、
紙の本はこんなにいいよと声高に叫んでも、
「それはあなたが出版社の人だからでしょ」
といわれると、
まぁ、そうなんですけど…
と急にトーンが落ち、
竜頭蛇尾な具合になって情けないのですが、
メールと手紙(とFAX)がそうであるように、
紙の本と電子書籍も
自然と使い分けが行われていくのでしょう。

 衣更え何もないのにウキウキし

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憧れの人

 

 人もなく畑一面の土筆かな

二日続いてのJR御茶ノ水駅。
今度は神田駿河台にある、かの有名な山の上ホテル。
作家の池波正太郎さんも愛したホテルです。
そのホテルで、
わたしが子どもの頃から憧れていた
女優の冨士眞奈美さんに会ってきました。
みずから外車を運転してこられ、
颯爽と現れました。
『三島のジャンボさん Mr.グラウンドワーク』
という本を用意しているのですが、
静岡県三島といえば、
冨士眞奈美さんの出身地でもあります。
「三島のジャンボさん」こと渡辺豊博さんを中心に
地域を美しくし活性化するための
地道でユニークな活動がこのたび内閣府から認められ、
それを全国に展開しようという目論見が
ただいま進行しておりますが、
活動の根幹はやはり人であろうということで、
先日三島で渡辺さんにインタビューをしてまいりました。
きのうは、
三島出身で以前から渡辺さんと懇意にしていらっしゃる
冨士眞奈美さんとの対談を
春風社が設定したというわけです。
用意している本に収録する予定です。
写真はもちろん橋本照嵩さん。
対談のタイトルは「冨士さんと三島を語る」
眞奈美さんの冨士と富士山をかけています。
対談を終えてから、
その場で一緒に食事させていただきましたが、
わたしは眞奈美さんのとなり!
夢のような楽しい時間でした。
ありがとうございました。

 山里の雨を抱きて土筆かな

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謎解き「秋田蘭画」

 

 春風に脚をさらわる寒風山

神田かるちゃー倶楽部・明神塾
「江戸のミステリー 源内・直武―江戸・秋田」の二回目は、
秋田県立近代美術館の山本丈志さんを招いての講義
「直武と秋田蘭画」及び塾長・田中優子さんとの対談でした。
忘れられた絵師であった直武が明治二十年代に、
秋田の画家・平福百穂(ひらふく ひゃくすい)によって
再び世に知られるようになったこと、
そして何より、
直武の絵に隠された謎解きの一時間で、
眠くもならず、
わくわくしながら聞き入りました。
直武が全国区になったきっかけは、
平賀源内が銅山開発指導のために秋田を訪れたこと
(その時、源内が直武の画才を認める)ですが、
講師の山本さんは、
源内が訪れた阿仁の生まれとのこと。
山本さんは調べているうちに、
源内が当時歩いていたであろう土地で
自分が子ども時代を送ったことを知ったそうです。
また山本さんは、
秋田大学教育学部を卒業されていますが、
秋田蘭画を知るそもそものきっかけになったのは、
大学で武塙先生からスライドをみせられたことだったとか。
山本さんは、武塙先生としか仰いませんでしたが、
武塙先生とは、おそらく、
井川町出身の先達・武塙祐吉(三山)のご子息
武塙林太郎氏に間違いないでしょう。
自分の人生で何をするのか、
見えない糸が織り成され、
そのなかで生かされていることを
山本さんの話を聞きながら感じさせられました。

 入道崎海の時間の停まりをり

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