夢の本

 

 ひかりなに心洗はる師走かな

拙著『父のふるさと 秋田往来』を読んでくださった方が、
「夢」の章ばかりでなく、
全部が夢のようだったと感想を話してくれました。
そう言われてみると、
わたし自身がそんな風に過去を思い出しますから、
書かれたものにもそのニュアンスが
映っているのかもしれません。
朝、夢から覚めると、
どうしてあんな夢を見たのかしらと、
不思議に思うことがありますが、
考えてみれば、
実際に過ごしてきた人生も、
どうしてあんなことをしたのか、
どうしてあんなことが起きたのか、
不思議に思うことしばしばです。
ほんとうに、
銀河鉄道の列車に乗っているようです。

 カラオケや我も飲んだり師走かな

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グランブルー

 

 魚積みひたすら逃げる冬の空

神奈川新聞よこはま版「自転車記者が行く」の
佐藤将人さんに、
イタリア料理のお店・グランブルーの
渡邊(わたなべ)さんのことを話したら、
ぜひ取材したいと言うので、
昨日、グランブルーに案内し、
渡邊さんの、映画になってもおかしくない
驚きの人生をインタビューしてもらいました。
「グレる暇などなかった」という言葉が印象的でした。
いろんな人生があるものです。

 横浜や政子の井戸の水寒し

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東北のオーラ

 

 冬休み近づくほどに頬ゆるみ

神奈川新聞よこはま版「自転車記者が行く」の記者
佐藤将人さん来社。
午前十一時から午後二時までの三時間、
春風社の創業から現在までを
びっしり取材してくださいました。
お目にかかって早々、
失礼ですがご出身はどちらですかと尋ねたら、
自分の生まれは厚木だが、両親は山形出身であると。
なるほど。
東北地方のオーラを感じたからです。
それから一時間ほどして、
秋田共同印刷の田代さんという方が
訪ねてきてくださいました。
初めてお目にかかりましたが、
同郷と思えば、
つい頬がゆるんでしまいました。

 冬の朝甘え烏の声ガーガー

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活版所

 

 カレンダー消して数える冬休み

ジョバンニはすぐ入口から三番目の高い卓子(テーブル)に座った人の所へ行っておじぎをしました。その人はしばらく棚をさがしてから、
「これだけ拾って行けるかね。」と云ひながら、一枚の紙切れを渡しました。ジョバンニはその人の卓子の足もとから一つの小さな平たい函(はこ)をとりだして向ふの電燈のたくさんついた、たてかけてある壁の隅(すみ)の所へしゃがみ込むと小さなピンセットでまるで粟粒(あはつぶ)ぐらゐの活字を次から次と拾ひはじめました。
(宮沢賢治「銀河鉄道の夜」より)

 Mの字で信号を待つ冬の朝

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紙の味

 

 三猿を心に抱きし冬の空

拙著『父のふるさと 秋田往来』についての
インタビュー記事が秋田さきがけ新報に掲載されました。
さきがけの三浦美和子記者が、
活版印刷について分かりやすく綴ってくれています。
この記事を見たという秋田在住の男性から、
電話で本の注文がありました。
四十年ちかく働いた製版所はなくなってしまったけれど、
記事を読み、写真を見て懐かしくなった。
わたしもこういう仕事をしていた。
今は引退し、年金暮らしだが、
一冊どうしても分けて欲しい…。
涙が出るくらいうれしいことでした。
それにしても。
記事に掲載された内外文字印刷の職人さんの手つき、
顔の表情、姿かたちを見てください。
ほれぼれします。

 やりこめるお前そんなに偉いのか

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珍道中 in 北上川

 

 どっぷりと北の大河の冬が行く

おととい、きのうと、岩手県一関市川崎へ。
「東北の川ワークショップ 流域交流 in 北上川」
の講師として呼ばれ、
写真家の橋本照嵩さんと二人で行ってまいりました。
岩手、宮城の北上川、秋田の雄物川、
山形の最上川、福島の阿武隈川で
クリーンアップ作戦などを展開する12団体が活動を報告し合い、
交流を深めるというもので、
われわれ二人の話は、基調講演というにはかなり破調の、
いわば前座的弥次喜多対談。
でも、
会場の方々の反応がすこぶるよく、
主催者側もにこにこ喜んでいましたから、
好かったのかなと二人で自画自賛。
二日目のきのうは、
地元市役所の方のバスガイドつきで、
厳美渓、平泉町の柳之御所遺跡などを見せていただき、
いたれりつくせりの充実の二日間でありました。
さて、
一関といえば、
忘れられないお店があります。
知る人ぞ知る絶品!魚料理のお店・富澤です。
今年五月にも、
近所のひかりちゃん、りなちゃんご家族といっしょに訪ねことは
この日記で報告しました。
ガイドをしてくれた市役所の方に訊いたら、
通り道ですからと、
なんとバスを富澤の前で停めてくれました。
お店に入ってあいさつすると、
女将さんはわたしを覚えてくれていました。
さっそく注文。
橋本さんはウニ丼、わたしはキンキ焼き定食。
ウニを口にするたびに橋本さん、旨い! 旨い!
キンキの骨はお湯をもらって骨湯(こつゆ)に。
美味しい料理を平らげ満足し、
しばし呆けていたら、
ワークショップに参加していた面々が次つぎに来店。
朝、旅館の食事のときにわたしが話したことを覚えていて、
探し探してやっと辿り着いたとのことでした。
さて、
腹も落ち着き、ジャズ喫茶のベイシーへ。
と、お店は開いていましたが、
マスターが外出しているとかで、
オープンは一時間ほど後だとか。
やむなくあきらめ、
ぷらぷらと来た道を引き返し、
駅へ向かって歩いていると、
コーヒー店の看板が目に入り、そこで休むことにしました。
わたしはモカ。橋本さんアメリカン。
むむっと唸りました。旨い!
このお店で正解でした。
橋本さんも、きっとそう思ったでしょう。
お店のきれいなおねーさんに訊けば、
かつて造り酒屋だった屋敷を
テナントとして借り受けているとのことで、
店の外には、四季折々、
季節の花が絶えないようにあしらった素敵な庭があり、
眺めるだけでなく、
ドアを開け、庭へ踏み入れ可能となっています。
外にある厠で用を足し、店に戻ると、
橋本さんが新聞を広げ、
ここ、ここ、と指を差します。
ワークショップのことがでかでかと載っていました。
たまたま目にしたところに、
わたしの名前がフルネームで出ていました。
橋本さんは「橋本さん」とだけ。
橋本さん「なんで三浦さんはフルネームで、俺は橋本さんなんだ?」
「だって、おれ社長だもん」
「それでかな?」
「それでだよ」
「あはははは…」
「あはははは…」
改めて最初から読み直したら、
ちゃんと橋本さんの名前と経歴が紹介されていました。
二人でまた大笑い。
お店のきれいなおねーさんに新聞を売っている場所を尋ねると、
どうぞどうぞと、その新聞を譲ってくれました。
橋本さんとの道中はなんとも可笑しく、愉快です。
おっと忘れてはいけません。
お店の名前は、エイコン・カフェ。
エイコンは英語でどんぐりのこと。

 キンキ焼き蔵にたなびく一関

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書評ありがたし!

 

 新橋や冬の土竜の闊歩せり

名編集者として鳴らした安原顯さんは、
生前、こんなことを話してくれたことがあった。
書評で一番いいのは、
そこで取り上げられている本が読みたくなるようなもの。
追悼文で一番いいのは、
亡くなった人を心から讃え、
いかに優れた人であったかを告げ知らしめるもの。
ところが、書評も、追悼文も、
書評、追悼文に名を借りて、
己がどれだけ優秀であるかを自慢する文章があまりに多すぎる。
そんなのは、書評でも、追悼文でもない…。
安原さんの言葉を思い出したのは、
拙著『父のふるさと 秋田往来』について、
ありがたい書評を読んだからだ。
書いてくださったのは、
映画作家の大嶋拓さん。
文中「孝行息子」とあるけれど、
それはご褒美と受け取った。
これまでいろいろと親に心配のかけどおしだったから、
褒められるような息子でないことはわたしが一番よく知っている。
そこには、
大嶋さんの父上への尽きせぬ思いがあるのだろう。
大嶋さんは東京で生まれた方だけれど、
父上である「異端の劇作家」青江舜二郎の故郷・秋田への
熱い思いがひしひしと伝わってくる。
大嶋さんのブログにある文章を三度読み、
すぐに電話。
ご了解を得たので、以下に転載させていただく。

*

早いもので今年もあと1ヶ月。何かと気ぜわしくなってくる時分だが、そんな浮き足だった気持ちをひととき忘れさせてくれるずっしりとした本が、昨日手元に届けられた。タイトルは『父のふるさと 秋田往来』。今年の4月に刊行された亡父・青江舜二郎の戯曲集『法隆寺』の版元である春風社社長・三浦衛氏の二冊めの著書だ。

三浦氏とは昨年の今ごろ、秋田魁新報に青江の評伝を連載していた時に『法隆寺』の件でお近づきになった。秋田が取り持つ縁で、その後もずいぶん懇意にしていただいている。同梱された栞を読むと、かつて青江とも交流のあった武塙三山(三浦氏と同じ井川町出身の元秋田市長)の随筆集を読み、大いに心を奮わせられたことが、今回本を出すきっかけのひとつになったらしい。その武塙の『離村記』を三浦氏にお貸ししたのは私なので、私もほんの少しは刊行に貢献したといえるだろうか。

この本は、そこらの本とは大いに趣(おもむき)を異にしている。まず、現在日本ではほとんど行われていない活版印刷で刷られていること。活版とは、文字どおり活字を一字一字拾ってページを組んでいく昔ながらの(かのグーテンベルク以来の)由緒正しい方法だが、最近は手軽なオフセット印刷などに押されて、滅多に使われることがない。どこの業界もデジタル化が進み、アナログ的な職人技は絶滅寸前なのだ。三浦氏が今回あえてこの方法を採用したのは、「故郷についての本を作るにあたり、本のふるさと、文字のふるさとをイメージ」したかったからだという。もちろんひとりの出版人として、電子出版元年と騒がれているこの2010年に、あえて伝統的なスタイルの書籍を世に送り、紙の本のよさを再認識してもらいたいという意図もあったことだろう(もっとも、「その辺のことは後知恵で、単に面白そうだから…」と編集長の内藤氏は栞に書いているが)。

いずれにせよ、かつてのベストセラー『智恵子抄』を思わせる函や化粧扉など、実にぜいたくな本である。力強く紙に刻印され、凹凸がわかる活字の圧力からは、かつて本が持っていた「言葉を伝える秘められた力」のようなものが感じられる。しかし、何よりぜいたくだと私が思ったのは、三浦氏が父や故郷へのつきせぬ思いをまとめたこの本を、三浦氏のお父上が直接手に取って読むことができるという幸せである。「孝行のしたい時に親はなし」とは大昔から言われていることで、親について何がしかの顕彰作業をしても、肝心の当人はすでにこの世にいない場合が多い。私自身もこれまでいくつか、亡父に関して物を書いたり、その戯曲を世に出す作業をしてきたが、当人の喜ぶ顔を見ることが出来ないのは実のところ何とも寂しいものだ。だからそれが出来る三浦氏が心底うらやましいし、そんな孝行息子を持ったお父上も、実に幸福者だと思う。

『父のふるさと』は、父からの聞き書きという形で秋田のある時代の農村の姿を切り取ったルポルタージュであるとともに、軽妙なエッセーなども交えつつ、人間にとって故郷とは何であるのかを静かに教えてくれる本である。故郷とは、単に盆暮れに帰省するところではない。それは自分を育ててくれた父母の住む場所であり、とおい祖先の眠る場所であり、やがておのれの魂の還る場所でもあるのだ。このように、人間を包括的に受け容れてくれる場所としての故郷の喪失が、現代人の心に巣食う空虚さの原因だと言っても過言ではあるまい。かく言う私も東京で生まれ、帰るべき場所を持たない、寄る辺なき現代人のひとりだ。だから三浦氏がそうした故郷をしっかりと持っていることもまた、うらやましくて仕方がない。せめてこの活版本のページをめくりながら、遥かなる「ふるさと」の香りを感じたいと願う年の暮れである。

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